長野県警の女関羽   作:長野組推し

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注意
今年の映画の一部ネタバレがあります。まだ見ていない方はご注意を!


ホワイトアウト

 その日は未明から雪が降っていた。風も強く、山間部では酷い吹雪になっている地域もあった。

 

「これは積もるわねぇ……」

 

 一課の窓の外で吹き荒れる吹雪を憂鬱に眺めながら美羽が呟く。この調子で吹雪きが続けば間違いなく積もってしまう。子供の頃は無邪気に喜んでいた雪も、社会人にもなると寒いわ電車は止まるわ歩き辛いわで憂鬱以外の何ものでもなかった。

 

 美羽がデスクで盛大に溜め息を吐いていると、湯気の立つコーヒーカップが横合いから差し出される。見れば苦笑しながら由衣がカップを差し出していた。

 

「子供の頃はみんなで雪かきとかしたわよね。まあ、美羽姉さんは敢ちゃんと諸伏警部がまじめに雪かきする隣で雪洞作ったり、雪玉投げて遊んでいたけど」

 

「そんなこともあったわねぇ」

 

 由衣から受け取ったコーヒーに口を付けながら、美羽は懐かしむように目を細めた。

 

 びゅお、と一際強い風が吹き付けて窓が揺れる。とてもではないが外を出歩きたいとは思えない天気に美羽が再び溜め息を吐くと、コーヒーカップを片手に携えた高明が話に入ってくる。

 

「そういえば、敢助君はどうしました? 姿が見えないようですが」

 

「ああ、敢ちゃんなら野暮用があるからってふらっと何処かに」

 

「この天気の中でですか?」

 

「私もそう思ったんだけど、すぐ戻るからって言って出て行っちゃったのよ」

 

「ふむ……」

 

 高明と由衣の目が窓の外に向けられる。外は強風と大雪でふらっと気軽に出掛けられるような天気ではない。この状況で一体何処へ出掛けたというのか。

 

「ま、敢助のことだからそのうち戻ってくるでしょ。何かあっても連絡くらいは寄越すでしょうし──」

 

 お気楽に美羽がそう言った直後、由衣のスマホに着信が入る。電話の相手は話題に上がっていた敢助だった。

 

 ほらね、と言わんばかりに得意げに笑う美羽を横目に由衣は敢助からの着信に応じる。

 

「もしもし、敢ちゃん? 今何処に──」

 

『上原! 今すぐ未宝岳の麓に来い。大至急だ!』

 

「え? 今すぐって、こんな吹雪の中? それにどうしてそんな所に?」

 

 開口一番に怒鳴るような口調で命令され、由衣は困惑したように眉を寄せながら聞き返す。何やら様子のおかしい由衣に美羽と高明も顔を見合わせ、由衣のスマホから洩れ聞こえる敢助の声に耳を澄ました。

 

 由衣からの問い返しに敢助は焦りの色を滲ませた声音で答える。

 

『御厨だ。逃亡中の御厨貞邦を見つけたんだよ!』

 

「御厨って、あの御厨貞邦!?」

 

 由衣が思わず叫んだ名前に美羽と高明は目を見開く。一課に居合わせた刑事たちも驚いたように立ち上がった。

 

 ──御厨貞邦。八年程前に長野の銃砲店に押し入り、猟銃や弾丸を盗んだ二人組の強盗犯の一人だ。そして六年前に仮釈放された際に失踪しそのまま行方知れずとなっていた。

 

 敢助と由衣はこの御厨貞邦を追い続けていた。指名手配されているからというのもあるが、御厨が甲斐巡査の死に関わっている可能性があったからだ。

 

 何せ八年前、猟銃と弾丸を盗み山中に潜伏していた御厨を逮捕したのは他でもない甲斐巡査だったのだ。それに付け加えて甲斐巡査が崖から転落死したのは六年前、御厨が仮釈放中に行方を眩ましたのも六年前。関係性を疑うのも無理はないだろう。

 

 甲斐巡査の死の真相に繋がるかもしれない指名手配犯を敢助が発見したとあっては、由衣も居ても立っても居られない。通話を繋げたまま出動の準備を始める。

 

「分かったわ、大和警部。すぐに向かいます。だから、くれぐれも一人で無茶しないで」

 

『お前に言われなくても分かって──ちっ、御厨に見つかった。悪いが俺は御厨を追う。お前もすぐに合流してくれ』

 

「待って、大和警部。無茶したらダメだって、敢ちゃん!?」

 

 由衣の制止も虚しくスマホの通話は切られてしまう。たった一人で逃亡中の指名手配犯を追い始めた敢助に、由衣は不安と焦燥が募る。

 

 そんな由衣の肩に美羽が手を乗せた。

 

「敢助なら大丈夫だって。それより、早く未宝岳に向かいましょう。急がないと、車も出せなくなりかねないし」

 

 窓の外の吹雪を見やり美羽は険しい顔付きになる。逃走中の指名手配犯を一人で追跡するのも危険だが、それ以上に天気が良くない。ないとは思いたいが、この悪天候で山中に入るようなことがあれば冗談抜きで命に関わる。

 

「黒田課長。逃亡中の御厨貞邦を大和警部が発見、追跡を開始したようです。我々も至急、未宝岳へと急行します」

 

 美羽と由衣が話している一方で、高明は一課長である黒田に話を通していた。由衣の態度から大凡の事情を察していた黒田は反対することもなく頷く。

 

「いいだろう。手隙の者は諸伏たちと共に未宝岳へ向かえ」

 

 黒田からの指示に従い一斉に刑事たちが動き出す。美羽と由衣、高明も敢助の元へ急行するべく一課を飛び出した。

 

 

 ▼

 

 

 登山客用に開放された未宝岳麓の駐車場。悪天候で登山客もおらず、がらがらの駐車場に美羽たちは駆け付けた。

 

「あれ! あの車、大和警部の車よ!」

 

 到着するや否や由衣はがら空きの駐車場にぽつねんと停車する車を見つけて駆け寄る。美羽と高明もその後に続いた。

 

「雪が積もりかけている。車体の熱も殆ど残っていない。エンジンを止めて三十分以上は経っていますね」

 

「駐車場付近に敢助はいなさそうだけど」

 

 高明の見立てに美羽は周囲を見回しながら言う。

 

 雪が積もる駐車場付近には敢助どころか駆け付けた一課の刑事たち以外の人影はない。勿論、逃亡中の御厨の姿もだ。

 

「大和警部、電話口で御厨を追うって言ってた」

 

「刑事に見つかった逃亡犯が逃げ込むならば、市街地よりも視界の悪い山中を選ぶのが自然。つまり──」

 

「この猛吹雪の山に入っちゃったわけ、あのバカンスケは!?」

 

 駐車場の前に広がる銀世界に包まれた山々を見上げ、美羽たちは愕然と立ち尽くしてしまう。

 

 生粋の長野県民である美羽たちは雪深い山がどれ程危険な場所なのかよく知っている。迂闊に足を踏み入れれば雪崩や滑落などの事故に見舞われかねない。

 

 加えて今は生憎の猛吹雪。麓ですら車の運転に難儀する程であれば、山中はもっと酷いことになっているはず。転生チートで人並外れた身体能力を持っている美羽であっても、眼前に広がる白銀の山々に足を踏み入れようとは思えない。

 

 逃亡中の指名手配犯を追うためとはいえ無謀が過ぎる敢助の行動に一課の刑事たちが顔を顰める中、由衣が必死の形相で電話を掛け続けている。しかし通話が繋がる気配はなかった。

 

「傍を離れるなって、言ったじゃない。出てよ……電話に出てよ、敢ちゃん」

 

「由衣ちゃん……」

 

 不安と心配に声を震わせながら繋がらない通話を何度も試みる由衣を見て、美羽は痛ましげに顔を歪める。何か打てる手立てはないかと高明を見上げるが、高明は険しい顔付きで力なく首を横に振った。

 

「この悪天候の中、雪深い山中に足を踏み入れるのは二重遭難を誘発しかねない。捜索隊も吹雪が止むまでは動けないとのこと。今はこの吹雪が治まるのを待つしかありません」

 

「そんな……」

 

 いつ止むか分からない吹雪を前にして由衣は今にも膝から崩れ落ちそうになる。その身体を横から支えたのは美羽だ。

 

「しっかりして、由衣ちゃん。まだ敢助の身に何かあったと決まったわけじゃないんだから、きっと大丈夫よ」

 

 由衣を励まそうと言葉を重ねるが、美羽自身が敢助の無事を信じられないでいた。その不安は由衣にもダイレクトに伝わってしまう。

 

 暗い顔で俯いてしまう由衣。涙を滲ませる横顔に美羽は既視感を覚えた。景光の遺品を降谷から受け取った時の美羽自身に似ているのだ。

 

 上司であり、幼馴染。それ以上に大切な相手の身に命の危機が迫っているかもしれない。不安と恐怖に揺れる由衣の気持ちが美羽には痛い程理解できてしまった。

 

 何より──

 

「美羽、由衣さん。吹雪が治るのを近くの所轄で待ちますよ」

 

 この場に居る誰よりも平静な態度を貫こうとする、高明の無理に作った苦し気な横顔を見た瞬間、美羽の決意は固まった。

 

「分かったわよ……──ごめん」

 

 小さな美羽の呟きは寄り添っていた由衣と傍にいた高明の二人にだけ届いた。

 

 普段の声音とは掛け離れた真剣味を帯びた声に由衣が顔を上げ、高明が反射的に振り返る。二人分の視線を受けた美羽は心の底から申し訳なさそうな顔で──瞬間、支えていた由衣を高明に向けて突き飛ばした。

 

「え──」

 

「──む!?」

 

 完全に身を預け切っていた由衣の身体が突き飛ばされ、高明は反射的に受け止める。しかし積もった雪に足を取られ、由衣共々倒れ込んでしまった。

 

 どさっと響いた物音にその場にいた刑事たちの注目が由衣と高明に集中する。その隙を突いて美羽は吹き荒ぶ吹雪の中へと飛び込んでしまう。

 

「ま、待って美羽姉さん!!」

 

 慌てて立ち上がった由衣が声を上げるも返事はない。返ってくるのは轟々と吹き荒れる吹雪の音だけだ。

 

 敢助に続いて美羽まで居なくなってしまった状況に顔色を青褪めさせる由衣の隣、高明が未だかつてない程に厳しい顔付きで立ち上がる。吹き荒ぶ吹雪の奥を睨む瞳には無茶をやらかした美羽への怒りと、美羽の強行を止められなかった自分自身への憤りが渦巻いていた。

 

「…………」

 

「え、諸伏警部何処に向かって……まさか」

 

 無言で吹雪の中へと歩み始めた高明に由衣は目を丸くし、だったら自分もと走り出そうとする。しかし高明と由衣の無茶は威圧感に満ちた低い声によって制された。

 

 声の主はたった今到着した黒田だ。黒田は今にも吹雪の中へと突撃しようとした高明と由衣を睥睨し、その無茶を厳しい声音で咎める。

 

「やめろ、諸伏、上原。これ以上、二次遭難者を増やしてどうするつもりだ」

 

「で、でも大和警部と一関刑事が……」

 

「…………」

 

 食い下がろうとする由衣と無言で訴える高明。吹雪が止むまで待っていたら手遅れになるかもしれない。

 

 由衣と高明の訴えを、しかし黒田は取り合わず一蹴する。

 

「山に熟達した人間であっても命を落としかねない死地に、部下を送り込む訳にはいかない。お前たちの相手は自然の猛威ではなく、犯罪者であることを忘れるなよ」

 

 黒田の正論に由衣も高明も返す言葉が見つからない。反論したくとも恐ろしい形相で睨んでくる黒田を相手に啖呵を切れないというのもあるが。

 

 上官命令に従うしかないと由衣と高明が歯噛みして──

 

 

 ────だぁぁぁん!! 

 

 

 吹き荒れる吹雪の轟音を貫いて響いた銃声にはっと顔を上げた。他の刑事たちも聞こえたようで俄かに騒ぎ出す。そして黒田はただでさえ険しい形相を更に厳しく歪めた。

 

「今のって、まさか……」

 

「銃声。それも我々が扱う拳銃弾とは違う……恐らくは」

 

「──大口径のライフル弾だ」

 

 遠くから響いた音だけで弾薬の種類を見抜いたのは黒田だった。

 

 厳つい形相を更に険しく歪めて黒田は眼前に広がる山々を睨む。猛吹雪が吹き荒れる山中に捜査員を送り込む訳にはいかない。しかし御厨が銃を所持した上で逃亡、発砲も躊躇わないとなれば話は別だ。

 

「黒田課長。逃亡犯である御厨は発砲も辞さない精神状態の様子。万が一にも市街地に降りるようなことがあれば、罪のない一般市民が被害に遭いかねません。一刻も早い身柄の確保が望まれるかと」

 

「それで、何が言いたい?」

 

「非常線の敷設と近隣所轄への応援要請を。吹雪が弱まり次第、すぐに御厨の捜索ができるように準備願います」

 

 誰もが委縮してしまう黒田を前に一切怯むことなく高明は要請を願い出た。

 

 真っ向から相対する高明を無言で睨み据える黒田と、鋭い眼差しを恐れることなく見返す。緊迫した空気に見守ることしかできない由衣はおろおろと二人の間で視線を右往左往させた。

 

「ふっ、よく出来た建前だが、詰めが甘い」

 

 険しい顔に恐ろしい笑みを浮かべて黒田は言う。

 

「吹雪が弱まろうと山に疎い捜査員だけで山狩りは現実的ではない。地元の猟友会へ協力の要請をしろ。それから、山梨県警にも応援の要請をする。ここは山梨との県境が近い。人海戦術は人数が多いほど有用だ」

 

「はっ──」

 

「お前たちも、山狩りに向けて準備を進めろ。吹雪が弱まり次第、すぐに捜索を開始する!」

 

 黒田の号令にその場の刑事たちが声を揃えて返事をした。

 

 慌しく動き始めた同僚たちを横目に、高明は不安から落ち着きのない由衣に声を掛ける。

 

「申し訳ない、由衣さん。もう少しだけ、辛抱して頂けますか?」

 

「……ええ、大丈夫よ」

 

 目元に滲みかけた涙を拭い、由衣は気丈に答えた。

 

 吹雪が吹き荒れる。白銀の世界に閉じ込められた刑事たちを逃さないように、あるいは何人たりとも足を踏み入れることを許さないように。

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