長野県警の女関羽 作:長野組推し
未宝岳から程近い病院にて。美羽は与えられた個室のベッドで横になっていた。
敢助諸共雪崩に巻き込まれた美羽は全身を激しく打撲。検査の結果から出血や骨折、脳へのダメージなどはなかったものの、医者が問答無用で絶対安静を言い渡すくらいには重傷ではあった。
一方、美羽と同じく運び込まれた敢助の方はといえば酷い有り様だ。左眼は銃弾が掠めたことで潰れて隻眼。左足は雪崩の衝撃で骨折、そして美羽と同じく全身の打撲。よく生きていたものだとは診察した医者の言葉である。
幸いにも命に別状はないが、雪崩のショックで記憶が一部飛んでしまっているらしい。御厨を追って未宝岳に入ったところまでは覚えているようだが、撃たれた前後の記憶が酷く曖昧になってしまっているようだ。
とはいえ他の記憶には問題もなく、骨が繋がりリハビリが上手くいけばそう遠くないうちに職務に復帰できるとのこと。ただ、暫くは杖が手放せないようだが。
──と、いう話を美羽は見舞いに訪れた高明から聞かされた。いつにも増して強い圧力を纏った、幼馴染兼上司の高明から。
「敢助君の容体に関しては以上です」
「あ、はい。ご親切にありがとうございます」
ぱたと手帳を閉じた高明に美羽は恐縮し切った態度で礼を言う。いつになく殊勝な態度の理由は言うまでもなく、目の前に立つ静かに怒れる上司に怯えているからだ。
自身を見下ろす冷ややかながらも凄まじい圧力を発する双眸に美羽は震えが止まらなくなる。
(怒ってる。めちゃくちゃ怒ってる……!)
油川にわざと捕まった時と同じかそれ以上の怒気だ。ベッドの上で絶対安静のため逃げることも叶わない。美羽に許されているのはただ嵐が過ぎ去るのを待つことだけである。
かたかたと面白いくらいに震える美羽を見下ろしながら高明が徐に口を開いた。
「二次遭難のリスクを把握しながら、私の指示を無視して吹雪が吹き荒れる山中への突入。自殺行為以外の何ものでもない暴挙に関して、釈明があるのであれば聞きましょう」
「いや、そのぉ……」
「何もないようですね」
「まだ何も言ってないんですけどぉ!?」
思わず叫んだ瞬間、全身を襲う鈍い痛みに美羽は悶絶する。医者が絶対安静を言い渡すだけあって美羽も相当な重傷だ。そんな状態で騒げば身体に障るのも当然である。
ぬおおぉぉ、と可愛げのない声で唸る美羽を見て高明は長く重い溜め息を吐いた。
「膏燭は明を以て自らを鑠く。いくら君であっても雪崩に巻き込まれて平気な訳がない。それとも、自分ならば雪崩だろうとなんだろうと問題はないと過信でもしましたか?」
「違う。私だって、流石に自然災害に太刀打ちできるなんて思ってないわよ」
転生時に授けられたチート身体能力をもってしても、自然災害の類には勝ち目がない。それくらいは美羽とて重々承知していた。
「では、何故あのような無茶を?」
「それは……」
理由を問われると美羽は口籠り、気まずそうに顔を背けた。答えたくないというあからさまなポーズだが、高明から向けられる突き刺さるような眼差しに根負けして渋々口を開く。
「これ以上、失わせたくなかったから……」
「────」
小さな美羽の呟きに高明は驚愕に目を見開く。その言葉の意味が察せない程、高明は鈍くない。
美羽が命の危険も顧みずに吹雪が吹き荒れる山中に飛び込んだのは、高明にこれ以上大切な人を失う痛みを与えないため。両親と初恋の想い人、そして美羽は知らないと思っているが弟の景光。ここに幼馴染の敢助まで加わってしまわないように、美羽は命懸けで雪崩に飛び込む無茶までして敢助を助けようとしたのだ。
「えっと、そう! 敢助に万が一のことがあったりしたら、由衣ちゃんが悲しむじゃない。だからよ、だから」
由衣が悲しむからという理由も嘘ではない。しかし美羽の覚悟を決定的なものにしたのは間違いなく高明だ。それを高明も察していた。
取ってつけたように誤魔化そうとするがもう遅い。美羽を見下ろす高明の眼差しからは既に険が取れ、呆れと優しさの滲む柔らかなものになっていた。
高明は発していた圧力を引っ込めると表情を穏やかなものへと変えた。
「数日の検査入院を終えて復帰したら始末書を書くように。黒田課長からの処分は以上です」
「……それだけ?」
上司の命令を無視した挙句、他の捜査員たちを吹雪が吹き荒れる危険な山中へと誘った。謹慎や減給くらいはあるだろうと覚悟していたのだ。
「御厨の発砲によって状況が変わりましたので。発砲も辞さない精神状態の逃亡犯を野放しにする訳にはいかなかった以上、君の無茶な行いも一概に非難できるものではないと判断されたんですよ」
「それって、順序が逆じゃ」
「そういうことにしてくださったんです。黒田課長に感謝するんですね」
「はいはい、分かりましたよー」
(あの強面堅物課長がそんな気遣いをねぇ……)
内心で首を傾げながらも美羽はおざなりに返事をした。
「それより、御厨はどうなったの?」
「ああ、心配には及びません。我々と同じく山狩りに加わった捜査員の手で確保され、今は所轄で由衣さんが取り調べを行っています」
「そっか。でもこれで、甲斐巡査の死の謎も解けたも同然よね」
「……それに関してですが」
高明が再び難しい顔付きになって続ける。
「御厨は甲斐巡査の事故死どころか、名前も顔もろくに覚えていなかったようです。取り調べを担当している由衣さんから、先ほど連絡がありました」
「え? いやでも自分を逮捕した警官でしょうが。覚えてないってことはないでしょ?」
銃砲店で銃と弾薬を強盗した御厨を逮捕したのは他ならない甲斐玄人だ。自分を逮捕した警官を覚えていないというのは無理がある話だろう。
「御厨が逮捕された時、その場に居合わせた警官は甲斐巡査以外にも二人いました。三人の中の一人だけを覚えていて、逆恨みなんてするわけないだろう、と御厨は供述しているそうです」
「じゃあ、御厨は甲斐巡査の死とは無関係だったわけね……」
無駄とは言わないが、骨折り損のくたびれ儲けだったとばかりに美羽は盛大に溜め息を洩らす。美羽は数日の入院と絶対安静を言い渡され、敢助に至っては左眼を失うという重傷を負った。仮釈放中に失踪した逃亡犯を逮捕するには、払った代償が大きすぎる。
憂鬱げに窓の外を眺め始める美羽に、高明は更に新たな事実を告げる。
「御厨は他にも不可解な供述をしています。銃を撃ったのは一発のみで、敢助君には当てていないと。そしてその後、捜査員に確保されるまで逃げ続けていたとも」
「──はぁ?」
高明から告げられた到底信じられない言葉に美羽は眉を顰めた。
「いやいや、おかしいでしょうが。雪崩から逃れた後、私と敢助は襲われてんのよ? コウメイだって、そいつに一発威嚇射撃を撃ち込んだんでしょ?」
「ええ、牽制に一発。厚いコートを着込み、フードで顔を隠した襲撃者の傍に」
言外に顔は見ていないと高明は言った。それはつまり、美羽と敢助を襲った相手が御厨とは限らないという意味でもある。
「美羽。覚えている限りで構いませんの答えてください。雪崩の後に襲ってきた相手が何発撃ったのか、その発砲間隔を」
「何発撃ち込まれたかまでは覚えてないけど、発砲間隔は早かったわよ。拳銃並みに連発されたし」
美羽の証言に高明は眉間に皺を寄せて嘆息を零した。
「確保された御厨が所持していたのは中折れ型の単発式猟銃。拳銃のように連発することなどできません」
「うそ……」
愕然と美羽は目を見開く。単発式の猟銃は一発撃つごとに装填が必要となる。拳銃並みに連発することなど、どれほど熟達した猟師でも不可能だ。
つまり──
「美羽と敢助君を襲ったのは御厨以外の何者か。あの山には、御厨以外にも銃を所持した危険人物が潜伏していたということ」
明かされた衝撃の事実に美羽は言葉を失った。
逃亡犯御厨以外にも銃を所持した挙句、警察官を殺そうとした危険人物があの山にはいた。信じ難い事実に美羽は呆然としていたが、はっと何かに気付いたように顔を上げる。
「私たちを襲った犯人は何処に?」
「分かりません。御厨を確保した時点で非常線は解除され、捜査員も下山してしまいましたので。今から山狩りを再開したところで無駄に終わるでしょう」
非常線を解除して捜査員が下山してから既に時間が経ちすぎている。今から再度山狩りをしたところで得られるのは弾丸くらいのものだろう。それも御厨が所持していた猟銃のライフリングとは違うことを証明するだけの代物でしかない。
険しい表情で考え込む美羽と高明。二人が考えているのは自分たちを襲った犯人の正体と動機だ。
「敢助に追われていた御厨ならまだしも、いったい誰がなんの目的で……」
「さて、可能性があるとすれば敢助君が失った記憶の中に、何かあるのかもしれませんが。現時点では不明のまま」
雪崩のショックで失われた敢助の記憶。その中に、美羽と敢助を襲った犯人に繋がる手掛かりが残っている可能性が高い。しかし叩けば直る家電とは違い、敢助は生身の人間だ。そう簡単に都合よく記憶を取り戻すことはできないだろう。
「ともかく、御厨に関しては由衣さんが捜査を続け、君たちを襲った犯人については私が捜査を進めます。君は一日でも早く復帰できるよう、ゆっくりと身体を休めるように。一課のみんなが、君と敢助君の復帰を心待ちにしてしますから」
「分かったわ。ありがと、コウメイ」
美羽の感謝の言葉に高明は気にするなとばかりに微笑みを残し、引き続き捜査に戻ると病室を後にした。
病室に一人となった美羽は神妙な顔で窓の外を見やる。
(狙われたのは敢助か私か、あるいは両方か……)
美羽は正体不明の襲撃犯に思いを馳せた。