長野県警の女関羽 作:長野組推し
「──と言うわけで、やってきました由衣ちゃんと敢助の地元へ!」
車を降りた美羽が開口一番にそんなことを宣った。助手席から降りた高明が呆れたように美羽の奇行を眺めている。
「それで、非番の日にわざわざ私を誘って此処に来た理由は、やはり甲斐巡査の事件についての調査ですか?」
「まあね。今までは二人に遠慮してたけど、此処まで来ると流石に気になってしょうがないじゃない。コウメイだってそうでしょ?」
「……まあ、気にならないと言えば嘘になりますが」
幼馴染の敢助と由衣が執心する事件だ。分を弁えて口出しも横槍も入れずにいた高明だが、やはり気になるものは気になる。
だからこそ、今回の美羽の誘いは渡りに船であった。捜査を進めていた敢助は入院生活で身動きが取れず、由衣も時間があれば敢助の見舞いとリハビリの手伝いに集中している。二人にバレないようこっそり探るなら今がチャンスだった。
「それじゃあ、さくさく調査を進めちゃいましょう。時は金なりってね」
いざ出発と言わんばかりに歩き出す美羽。つい最近まで入院していたとは思えないくらいに元気溌剌な背中を眺めていた高明は、やがてやれやれと肩を竦めながらその後に追従した。
その後、美羽と高明は時間の許す限り甲斐巡査の事故死に纏わる調査を進めた。調査を切り上げたのは夕方過ぎ。辺りが暗くなり始めた頃合いで引き上げ、適当な蕎麦屋で早めの夕食と洒落込んでいた。
店の隅の方のテーブルを陣取り、届けられたかけ蕎麦を啜りながら美羽と高明は今日一日の成果を振り返る。
「事故現場に不自然な箇所は何もなかったわね。まあ、仮にあったとしても六年も経った今となっては、雨風に晒されて何もかもなくなっちゃっているでしょうけど」
甲斐が流鏑馬の練習中に馬ごと落馬した崖を調査したが不自然な箇所はなかった。だが所詮は六年前の話である。流鏑馬の練習場や崖際に細工がしてあったとしても、その痕跡が今もなお残り続けていることなど有り得ない。まして初動捜査やその後の捜査でその手の細工を敢助と由衣が見落とすとも考え辛かった。
「発見時の状況に気になる点はありましたがね」
崖から馬ごと転落した甲斐が発見されたのは一週間後で死因は餓死。転落時に腰の骨を折り、動くこともできず助けを求めることもできないままに餓死してしまったのだ。
甲斐が行方知れずになってからすぐに村中総出で捜索したものの発見はできなかった。その理由は甲斐が転落した場所が人通りが滅多にない場所で、なおかつ甲斐と馬が大量の落ち葉に隠れて見つけることが困難な状態だったから。発見できたのは甲斐が息絶えた後、雨風によって落ち葉が飛んでその遺体が露になったからである。
「当時のことを我々は知らないのでなんとも言えませんが、いくら落ち葉に隠れしまっていたとしても発見にここまで時間を要するものかどうか」
「でも捜索には由衣ちゃんも敢助も加わっていたんでしょ? 村の人たちも真剣に探していたって話だし、本当に見つからなかったんじゃない?」
「あの二人が手を抜いたなどとは考えていませんよ。ただ、他の人間全員が捜索に全霊を尽くしていたかどうかは知れませんが」
つまり高明は、捜索に駆り出された村人の中にわざと甲斐の発見を遅らせた人間がいるのではと言っているのだ。それならば崖下に転落した甲斐の発見が大幅に遅れてしまったのも納得できなくはない。
ただそれは、村人の中に甲斐を恨んでいる者がいればの話だ。
「でも今日の聞き込みで甲斐巡査を恨んでいるような人は見当たらなかったわよねぇ。みーんな口を揃えて、甲斐巡査はいい人だった、恨まれるような人じゃないって。由衣ちゃんと敢助が憧れただけあって、相当な人格者だったみたいね」
たった一日の聞き込みでも、甲斐が如何に人格者で慕われていたかはよく分かった。何せ会う人会う人口を揃えて甲斐は恨みを買うような人間ではなかったと言うのだ。怨恨からの殺人、死体遺棄の可能性を疑うのは難しいと言わざるを得なかった。
高明もその目と耳で村人たちの話を聞いたので、怨恨の線が薄いことは理解していた。その上で引っ掛かりが解消できないのか、顎に手を当てて難しい顔で悩み込み始める。
「甲斐巡査の転落死が事故ではなく他殺であったと仮定するとして、着目する点は誰が、どうやって、何故の三つ」
「なんだっけそれ。確か横文字で有名な奴よね」
「Who done it? How done it? Why done it? ミステリー用語でよく取り上げられるものです」
「あー、そうそう。そんな感じのやつだったわね……」
高明の説明で思い出したのか美羽は何度か頷き、何やら小骨が喉に引っかかったような微妙な顔になる。
「なんか、コウメイが横文字使うと気味が悪いっていうか、解釈違いがやばいわね……」
「君にも分かりやすいように合わせたつもりでしたが、無用な気遣いでしたか」
「気遣いの方向性間違えてない?」
中国の古典やら難しい諺を引っ張り出されるのと、馴染みのない横文字を並べ立てられること。美羽からすれば五十歩百歩でしかない。だったらまだ、普段から馴染みのある漢字だらけの古典の方がマシである。
美羽がジト目で見つめると高明は誤魔化すように咳払いした。
「今時点で誰がは分からない。どうやってに関しては、繊細な生き物である馬を事故に見せかけて暴走させる手立てなど幾らでもある以上、論ずるだけ時間の無駄。ここで着目するべきは何故の部分。甲斐巡査が殺された理由を考えてみましょうか」
「理由ねぇ……でもそれって、誰がに直結する部分じゃない。甲斐巡査が他人の恨みを買うような人じゃないのなら、殺される理由なんて──」
「怨恨、ではないとしたら?」
含みありげな高明の呟きに美羽は驚いたように目を見開いた。
甲斐が誰かの恨みを買って殺されるような人物でないのであれば、それ以外の可能性を疑う。無意識のうちに除外していたその可能性に、高明に指摘されたことでようやく思い至ったのだ。
「つまり、物盗りとか?」
「死亡時の甲斐巡査は流鏑馬の練習途中で持ち物に金品の類は殆どなかった。物盗りの線はほぼないかと」
「じゃあ、えっと……」
「一度、事故当時の背景を整理しましょうか」
物盗り以外の可能性を必死に探る美羽を落ち着かせるべく、高明は今日の調査で判明した事故当時の状況を振り返り始める。
「甲斐巡査が亡くなられたのは、二つの村が合同で主催する祭りの流鏑馬の射手を決める予選の日。決勝戦まで上り詰め、相手の龍尾景共々一射も外すことなく全射的中。予選は翌日に持ち越されることに」
龍尾景。龍尾家当主である為史の息子であり、甲斐巡査とは流鏑馬の射手の座を争うライバル関係だった男。しかし関係性は険悪なものではなく、仲の良い先輩後輩のような関係性だったようだ。
「その後、甲斐巡査は暗くなっても構わず練習を続けて転落死。そう言えば、龍尾綾華さんだっけ? 矢鱈と事故死を主張していたの」
「ええ。その年の祭りで行われた流鏑馬にて、最後の一射を外したことを気に病み、無茶な練習を重ねた末の事故死だと」
「でもまあ、旦那さんの龍尾景さんに否定されて不貞腐れてたけどねぇ」
龍尾景の妻である龍尾綾華は聞き込みに訪れた美羽と高明に、大した根拠もなく甲斐は事故死だとやけに強調していた。だから二人の記憶にも印象に残っていた。
聞き込み時の態度も何処か落ち着かない様子で、何かあるのではと色々と突っ込んではみたものの結果は空振り。何か隠しているのは間違いないが、事故死で片付けられてしまった事件の調査で無茶はできない。
それに龍尾綾華も甲斐に対して恨みの類は持っておらず、殺害にまで至るような動機は持っていないようだった。
「祭り、祭りねぇ……」
「何か気になることでも?」
「いや、なーんか引っ掛かるのよねぇ……祭りって、お金とか利権とか結構絡むわよね」
それは本当にふとした思い付きだった。なんとなくの呟きではあったが、高明も口にした本人である美羽も見落としていた可能性の一つであった。
「……調べてみる価値ありそうね」
「私も同意見です。無駄足になる可能性も十分ありますが、この場合は切り口を変えることが肝要かと」
今後の調査方針を決めた美羽と高明は蕎麦を食べ終えると会計を終え、蕎麦屋を出ようとする。店先の暖簾を潜り、駐車場に停めた車へ向かおうとして──唐突に美羽が高明の腕に自らの腕を絡ませた。
驚いて高明が目を丸くするが、美羽は構わず周囲一帯に聞こえる程の声で話し始める。
「あーもう、つっかれたー。一日歩きっぱなしでもうやってらんないわよ。大した収穫もなかったし、やっぱり甲斐巡査は事故死よ事故死。それで終わり。六年も前の事件をいつまでも引き摺るのはもうやめにしない?」
駄々を捏ねる子供のように腕に縋り付き上目遣いで見上げてくる美羽に、高明は一瞬だが返す言葉を失い立ち尽くす。しかし掴まれた腕に力を加えられたことで我に返り、高明も美羽の言動に合わせて答える。
「確かに。既に終わった事件に拘っていられる程、我々も暇ではない。甲斐巡査の事故死についての調査はこれっきりとしましょう」
高明の言葉に美羽は賛成とばかりに何度も頷いた。
美羽と高明は腕を絡めたまま車へと戻っていく。側から見れば仕事を切り上げてデートにでも洒落込もうとしているようにも見える。とてもではないが職務に真面目な刑事には見えない。
美羽と高明は車に乗り込む。運転席に座った美羽はエンジンを入れるや否や落ち着く間もなく車を発進させた。まるで危険地帯から一秒でも早く離れようとするように。
車を走らせ始めて暫く。店を出た時の矢鱈と媚びた態度が嘘のように神妙な顔付きで美羽は口を開いた。
「気付いてた? 今日一日、ずっと私たちを監視している輩がいたこと」
「ええ、それも一人や二人ではない」
昼中に聞き込みや現場の調査をしている最中、美羽と高明はずっと監視の視線を感じていた。それも複数、十は下らない人数だ。
蕎麦屋を出た時に美羽があんな演技をしたのも、店の陰や彼方此方から視線を感じたからだ。下手な演技もしないよりはマシだろうと考えたのである。
「事故で片が付いた事件の調査をする刑事二人を、あんな大勢で見張る理由なんて一つしかない」
「刑事に探られては困る、何か疚しいことがある証左」
「敢助と由衣ちゃんが甲斐巡査の事故死を疑う訳が、今日一日でよく分かったわ」
調査の度に不躾な視線に晒され続けたのであれば、何かあると踏むのは当然だ。むしろこれで何も感じないのであれば刑事失格である。
ハンドルを握り締め、美羽は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「巻き込んでおいて悪いけど、調査を継続するなら絶対に一人で来たらダメだから。敢助と由衣ちゃんにも、改めて忠告しておくわ。一人で来ようものなら、どうなるか分かったもんじゃないからね」
「私たちが横槍を入れたことが露呈してしまいますが、よろしいので?」
「そんなこと言ってらんないでしょうが。連中が隠していることを暴くなら、本腰入れないと無理よ」
敢助と由衣の二人が六年間探っても尻尾を掴めなかったのだ。大半の労力を御厨の捜索に当てていたので仕方ない面もあるが、長野県警本部でも優秀な刑事二人でも追い切れなかった以上、生半可な捜査では煙に巻かれて終わるだけだろう。
「何が潜んでいるかは分からないけど、久しぶりに大捕り物になりそうな予感がするわ」
甲斐の事故死に潜む闇を見据え、美羽たちは本格的に動き始めたのだった。