長野県警の女関羽 作:長野組推し
草木も眠る丑三つ刻。非常灯が薄暗く照らす病院の待合室に、美羽はいきせき切らせながら駆け付けた。
待合室には既に先客が二人いた。ベンチに座り項垂れる敢助と、沈痛な面持ちで佇む高明の二人だ。美羽と同じく、由衣が車に轢かれて病院に運び込まれた一報を受けて一足先に駆け付けていたのだ。
「敢助! 高明! 由衣ちゃんは!?」
普段のコウメイ呼びもかなぐり捨て、由衣の容態を問い質す。美羽の問い掛けに答えたのは比較的平静な態度を保っていた高明だ。
「一命は取り留めました。余程上手く受け身を取ったのでしょう。肋骨や腕に骨折こそあれ、命に別状はないとのこと。意識不明の重体には変わりありませんが」
「そう……」
命に別状がないと分かり、安堵からふらふらと覚束ない足取りでベンチに座り込む。由衣が車に轢かれたと聞くや否や着のみ身着のまま飛び出してきたのだ。極度の緊張と疲労から足元がふらつくのも無理はない。
「……俺の、責任だ。俺が上原を……由衣を、もっとしっかり見てやっていれば、こんなとこにはならなかった……!」
血を吐くような勢いで悔いる敢助。美羽から忠告を受けておきながら、大切な部下である由衣をみすみす失いかけたのだ。己の情けなさに憤りを感じてしまっても仕方がない。
血が滲むほどに拳を握り締める敢助の姿を横目に見つつ、美羽は高明に状況の説明を求める。
「由衣ちゃんを轢いた車は?」
「現場近くの空き地に乗り捨てられていました。鑑識が調べているところですが、どうやら盗難車のようで。運転手に繋がる手掛かりが出るかは不明ですが、現場を指揮している竹田警部は轢き逃げとして捜査を始めるとのこと」
「轢き逃げだと? 馬鹿言ってんじゃねえぞ……!」
項垂れていた敢助が怒りに歪んだ顔を上げ、高明の言葉に食ってかかった。
「こいつは上原個人を狙った、歴とした殺人未遂だ! そしてその犯人は──警察関係者の中にいる!」
身内を疑う発言に高明と美羽が微かに表情を強張らせる。しかし、驚いた様子はなかった。二人もまた、由衣を狙った人間が警察内部にいると察していたからだ。
「お前たちにも、上原からメールが届いてるよな?」
敢助からの問い掛けに二人は頷き、揃って携帯を差し出す。その画面には全く同じ文が表示されている。
敢助も懐から携帯を取り出し、見えるように画面を突き出す。そこにもまた、同じ文が映っていた。
「『獅子身中』。欠けている文を補えば、獅子身中の虫獅子を喰らう。味方に属していながら、組織に害を為す者を示す諺。つまり──」
「由衣ちゃんは味方……つまり、同じ警察官に命を狙われた」
コウメイの言葉を引き継いだ美羽に、敢助は肯定の意を示すように大きく頷く。
「ああ、そうだ。文面が途中なのは、恐らく車に轢かれた直後に最後の力を振り絞って送信したからだ。裏切り者を名指ししてないのは、上原自身誰が敵なのかを把握できていなかったのか、一人二人じゃなかったからだろうな」
「でもこのメッセージだけじゃ、由衣ちゃんが狙われた理由も何も分からない」
「それを調べ、身中に潜む虫を炙り出すのが我々の役目。何にせよ、可及的速やかに動き出さなければなりません。今は意識不明とはいえ、相手は由衣さんの口を封じ損ねている。油断すれば、今度こそ守らなければならない玉を奪われかねない」
それはつまり、再び由衣の命が狙われかねないということ。その危険性を理解した敢助と美羽の目の色が変わる。二度と大切な幼馴染を傷付けさせはしないという意思が、瞳の奥で燃え上がっていた。
「俺の部下に、これ以上手出しはさせねえ……!」
決然と立ち上がった敢助はこれ以上の狼藉を許しはしないと息巻く。美羽も高明も同じ思いだ。
「役割分担が必要かと。由衣さんの側に待機する守りと、敵方に目を付けられること前提で動く攻めの二つ」
「だったら、俺が攻めで──」
「いいえ──私がやる」
静かに宣誓して美羽が立ち上がる。普段のおちゃらけた態度は鳴りを潜め、張り詰めた緊張感を纏い凛と佇む女武人がそこにいた。
「何があろうと死にようのない私が派手に動いて、由衣ちゃんを傷付けられて冷静になり切れてない敢助が護衛、そしてコウメイがブレインで全体の統括。文句ある?」
「…………」
「…………」
「何よ、その顔は?」
「普段からずっとそれでいればなぁ……」
しみじみと呟く敢助。普段手を抜いているというわけではないが、おふざけ抜きで全力で事に当たる美羽は非常に頼もしい事この上ない。ただ、普段よりもブレーキが利かなくなるため、上司兼制御役の高明に掛かる負担が凄まじいものになるという欠点があるが。
「香餌の下必ず死魚あり。攻めの役割に伴うリスクをきちんと理解していますか?」
矢面に立って動くということは、それだけ注意を引きつけることになる。由衣が口封じに命を狙われた以上、美羽も同様のリスクを背負う事になるだろう。
高明の問い掛けに美羽は当然とばかりに頷いてみせる。
「理解した上で、私が適任でしょ。銃口を向けられようと、ダンプが突っ込んでこようと、私なら対処できる。違う?」
「…………」
美羽の返しに高明は沈黙する。論理的に反論する材料が見つからなかったのだ。
逡巡するように眉根を寄せる高明に敢助が同情的な眼差しを向ける。理屈では正しいと理解していても、部下を囮にするような真似を易々と受け入れられるわけがない。論理的に見えてその実、感情で動く高明ならば尚更だ。
そんな上司の葛藤を知ってか知らずか、美羽は心底信頼し切った表情で高明に微笑む。
「上手く使いなさいよ、コウメイ軍師」
「……くれぐれも、無茶な行いはしないように。いいですね?」
「勿論ですとも」
調子良く返事をする美羽に高明はひっそり嘆息を零すのだった。
「それで、私は具体的にどう動けばいい?」
「君には由衣さんが何を調査していたのか、その足跡を追って頂きたい」
「了解。敢助、此処最近の由衣ちゃんの行動、覚えてる限り全部教えて」
「ああ、分かった。コウメイ、お前はどう動く?」
「私は竹田班と共に轢き逃げ犯を追いつつ、裏切り者の正体を探ります。裏切り者が一課にいるとは限りませんが、内側からも目を光らせておく必要があるでしょう」
「……コウメイも十分危ないように思えるんだけど?」
裏切り者が誰かも分からないままその正体を探るというのは、ともすれば美羽よりも危うい立場に身を投ずることになる。そこに気付いた美羽が物言いたげな目を高明に向けた。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず。部下だけにリスクを負わせ、陣地にて座して待つつもりは毛頭ありませんよ」
「軍師は軍師らしく陣地で大人しくしていなさいっての……」
密かに高明と敢助を危険地帯から遠ざけようと目論んでいたというのに、高明の行動で目論見が頓挫して美羽は不満げだ。
そんな美羽の考えなどお見通しだったのだろう。不満そうに腕を組む美羽を、高明が微苦笑を浮かべながら眺めていた。
「まあいいわ。コウメイも敢助も、努々油断しないようにね。警察内部で確実に信じられるのは、この場にいる面子だけなんだから」
「言われるまでもねぇ」
分かり切っていることだと敢助が返すと、隣に立つ高明がふっと笑みを零した。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」
「桃園の誓いか。洒落が利いてて、悪くないチョイスだ」
「此処には桃も盃もないし、登場人物で合うのは関羽である私しかいないじゃない」
美羽が呆れ混じりに指摘すると、高明と敢助が驚いたように目を丸くする。この手の古典に興味のない美羽が桃園の誓いの内容を知っていたことに驚いたのだ。
「君はこの手の話に興味などなかったと思いましたが、何か心境の変化ですか?」
「べ、別に、ちょっと興味が湧いただけよ」
やや焦った様子で美羽は話をはぐらかした。その耳先が微かに赤くなっていたことには、高明も敢助も気付くことはなかった。
「まあいい。此処に俺たちは共同戦線を誓う。身中に潜む虫ケラを潰すためにな」
敢助がそう締め括り、高明と美羽は異論なしとばかりに頷いた。
此処に、長野県警が誇る軍師コンビと、あらゆる障害を蹴散らす女関羽による共同戦線が築かれるのだった。