斜陽の妃と、妖しの寵姫 ~金色の鳥籠、紅涙に染まる月~   作:裃 左右

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第1話 金色の鳥籠に、忍び寄る影

 のちに残された華陽国(かようこく)の史料には、こう記されていた。

 ――まさに月より舞い降りし、天女の如し。その時、王宮から言葉は失われ、すべてが色褪せ始めた、と。

 

 玉座に最も近い妃として、瑛麗(えいれい)は久しく君臨していた。

 玻璃(はり)を嵌め込んだ窓から、差し込む陽光は纏う艶やかな緋色の衣を照らし。指に嵌められた大粒の紅玉(こうぎょく)が、気位高く眩さを弾き返す。

 ()き染められた名香がほのかに漂う閨(ねや)は、外界とは隔絶された、美しくも静謐な鳥籠のようだった。

 

 そう鳥籠。

 王である景宗(けいそう)の寵愛――それが、瑛麗の世界(とりかご)の全てであり、価値そのものであった。

 

 瑛麗は幼き日より、そう教え込まれ、その一点を目指して磨き上げられてきた(ぎょく)なのだ。

 他の妃たちを差し置いて、王の隣に侍ることは当然であり、誇りだった。彼女の穏やかな微笑みの下には、決して揺らぐことのない自信が秘められているはずだった。

 

「……今宵もまた、独り月光ばかりが相手かしら」

 

 玉瑛宮(ぎょくえいきゅう)から窓の外に広がる、安らかなる庭園を眺め、瑛麗はため息をついた。

 

 ここ数ヶ月、王の訪れは明らかに減っていた。初めは公務の多忙さゆえと自分に言い聞かせていた。

 

 だが、侍女たちが交わす噂話や、王の視線が自分を捉える時間の短さが、否応なく現実を突きつけてくる。

 「ああ、とうとうあの方は飽きられた」のだと。

 

 焦燥感が、絹の衣の下でじっとりと汗を滲ませる。それは、今まで感じたことのない、不快な感覚だった。

 

 そう、初めて月華が、王の御前に姿を現した日のこと。瑛麗は昨日のことのように思い出せる。

 

 春霞が淡く立ち込める王都の朝。

 その日は、長らく新たな華やぎから遠ざかっていた王宮の正門が、祝祭の訪れを告げるように、ずっしりとした重みを伴って開かれた。

 果たして、その重みは誰の期待だった、恐れだったか。

 

「新たな姫っ! 月華(げっか)様がご到着されました!」

 

 先ぶれの役人が高らかに名を告げると、きらびやかな睡蓮の刺繍がなされた輿が、中庭へと進み入った。

 さざ波のように広がるのは、抑えきれない好奇心。

 

「辺境の小領主の養女と聞いたけれど、一体どんなお方かしらね」

「またお若いのでしょう? 我らが瑛麗様も、お心穏やかではいられないわね」

 

 チクリと、瑛麗の胸が痛む。

 新しい姫が入宮するたびに、もしかしたら、と揺らぐ。強がる己の様は、さぞかし彼女たちには滑稽だろう。苦いものが口に広がった。

 

 さあ、最初に姿を見せたのは、白魚のように細くしなやかな指先だった。そこから導かれるように、現した姿。

 ああ、なんと。最初に感嘆の溜息を漏らしたのは、誰であっただろうか。

 

 雪渓の最も清らかなる部分だけを掬い取り、カタチをなしたとすれば、その白磁の肌となるだろう。その肌の上を流れる髪は、天の川辺で織られる絹織物かと思わせた。

 なにせ、その髪ときたら、陽の光を受けては玲瓏(れいろう)と透き通りながらも輝く銀糸のようであり。かと思えば、影に入れば濡れたように艶めく、不思議な色合いをしていた。

 それは朝露に濡れた黒百合の花弁にも似て、見る角度によりて、様々な顔を見せるのだ。

 

「なんとまあ……」

 

 美しさを誇りとする妃たちから、思わず敗北を認めるような声が上がった。

 だが、身に纏うのは淡い藤の衣。高価には違いないのだろうが、あまりに簡素。月華本人と比べれば、引き立てる程度にもならない。

 

「道中は息災であったか。此度の新しい姫、月華よ」

 

 王である景宗は、明らかに上機嫌だった。

 その視線は、前に控えた伏した月華に惜しみなく注がれている。それは、かつて瑛麗が一身に受けていたものと同じ、熱のこもった眼差しだった。

 

「月華と申します。陛下におかれましては、よしなにお願い申し上げます」

 

 月華は、か細い声でそう言うと、深々と頭を下げた。

 所作は丁寧だが、どこか作り物めいた、そう人形のような印象を与えた。

 

「よい、月華。面を上げい、その顔をとくと見せてみよ」

 

 しかし、月華の伏せられた長い睫毛が微かに震え、次に顔を上げた時。

 確かにその瞳は、真っ先に瑛麗を捉えていた。

 

 切れ長の瞳は、どこまでも澄んだ湖面。星々を映す、水鏡こそが宿す光。長く濃いまつ毛が伏せられるたびに、白い頬にかすかな影を落とし、それがまた、えも言われぬ妖艶さを醸し出している。

 鼻筋は高く、しかし主張しすぎることなく通っており、唇は咲き初めの紅梅のように、ほんのりと色づきながらも、どこか禁欲的な印象を与えた。

 

(この瞳は……なんとも恐ろしい)

 

 瑛麗はまるで心の奥底まで見透かされるような、鋭い輝きをその瞳の奥に見た気がした。

 目が合ったのは、一刹那あるか、ないか。

 

 すぐに視線は外れて、王へと向かった。

 

「月華は……月華は、お逢いしとうございました」

「おおっ、そうかそうか。無論、余もそうであるぞ。さあ、近寄るがよい」

「陛下に旅の埃がつきまする。叶うなら、のちほどお時間を拝領したく」

「フム……まあ、よい。そなたは、どこか違うな」

 

 王である景宗は、興味と妙な火にも似た滾りを宿して、見据えた。

 集まった女官たちは、ただ息を呑んで見つめるばかり。家臣の文官も武官も、誰もがこの世のものとは思えぬほどの美の顕現を前にして、言葉を失っていたのだ。

 月華は、そんな視線を一身に浴びながらも、まるで何も感じていないかのように、ただ静かに言葉を交わしていた。

 それからだ。瑛麗の斜陽の日々が始まったのは。

 

 遠くで鳴り響く歓迎の鐘が、今日に限っては、まるで弔いのように、瑛麗の耳には届いていた。

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