斜陽の妃と、妖しの寵姫 ~金色の鳥籠、紅涙に染まる月~   作:裃 左右

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第10話 仮面の告白、血染めの絵図(4)

 嵐の日だった。

 窓の外では、雨風が吹き荒れ、遠くで雷鳴が轟いていた。玉瑛宮の扉や窓が、軋み喚き立てる。なにかが天の怒りに触れたのか。

 

 さなかで、瑛麗の身体はずっしりと鉛のように重く、燃えるような熱に浮かされていた。今までの不摂生が、とうとう祟ったか。

 見舞いに来る者もいるはずもなく。

 

 世話をするのは年老いた乳母だけでは足りなかった。薄い寝間着は汗でぐっしょりと濡れ、荒い呼吸を繰り返すたびに、喉がひりつくように痛む。

 

 朦朧とする意識は、現実と悪夢の境を曖昧にした。

 自然と涙が溢れ続ける、もう看取る者なんていない。なら、今死んでも構わないのではないか。

 

「瑛麗様、瑛麗様……お気を確かに」

 

 嵐にかき消されそうなくらいに、小さな声。でも、不思議とそれは鮮明に耳に届く。ぼんやりと目を開ける。

 いつの間にか、月華が傍らに座っている。濡れた手拭いを額にそっと当ててくれている。

 

「月華……なんて、顔を、しているの? いつもの、憎たらしいくらいに……涼し気な顔をしたら……?」

 

 なぜ、こうも張り詰めた表情をしているのだろうか、この娘は。瑛麗のまとまらない頭に浮かぶのは、そんなことだった。

 喉が痛んで、上手く声が出せない。耳障りだった。

 

「瑛麗様が苦しんでいるのに、そんな顔が出来ますか」

「……もう、わらわの世話など、しなくていいのよ」

「このような時に、傍から離れることなど! 天地がひっくり返ってもあり得ませぬっ!」

「陛下から、呼ばれたら……いなくなってしまう、くせに」

 

 キュッと月華の瞳孔が開かれた。いつもなら言わない言葉が、どんどん出てきてしまう。

 ああ、きっと傷つけたな、と言う感覚と。こんな言葉で傷つけることが出来るのか、という説明し難い喜び。

 瑛麗のなかで、想いが重なり合っては(じつ)をなさずに霧散する。

 

「あなた、の、思惑なんて……もう、どうでもよくなってしまった、わ」

「思惑など! 今はただ、ゆっくりとお休みくださいませ」

「わらわは……もう、駄目かもしれない、から。そこの、棚にある、宝石は好きにして、あと……」

「いりませんっ! なにもいらないのですっ!」

 

 月華は、額に張り付いた瑛麗の髪を、そっと指で梳く。神秘的だったはずの瞳が、人のように揺らめいている。

 なんだ、月華も人の子なのか。妙な安心感を、瑛麗は覚えた。

 

「裏切られても、いいわ。……ありがとう、ぜんぶ嘘だったと、言われても、それでも」

 

 きっと、壊れてしまうと思った。

 すべてが偽りだと言われたら、差し伸べられた手が、掛けられた言葉が、傷つけるためのものだと知ったら。でも、今はもう違う。

 

「あなたが、いてくれて。悪くなかった。……そうね、悪くなかった」

 

 頂きにある光景、あるべき世界がなくなってしまったとしても。黄金の鳥籠が錆付いても、そう思えてしまったから。

 だから、瑛麗はもう自分の負けで良いと思ったのだ。

 

「わらわはもう、何もあげられない、けれど。……わらわがいた場所は、全部あげる」

 

 無意味な許可。もうすべてを奪われているのに。

 でも、朦朧とした意識ではそんなことすら、判断できなくて。ただ、今思いつく限りのものを差し出したかった。

 なのに、月華はなにひとつ、喜んでくれなかった。ただ悲痛そうにこちらをみるだけ。

 

 ――次に目を覚ました時には、雨音は和らいでいた。

 未だに隣にいる月華。その手には、温められた薬湯の入った急須が握られている。そこにある穏やかな微笑みは、いつもの顔だった。

 

「目が醒めましたか、ちょうどよかったです」

「月華……? ……あなた、まだいたのね」

「あら、残念でしたか? 途中、何度か席は外しましたよ。瑛麗様が、あまりに苦しそうでしたから、薬湯を準備しておりましたの。さあ、お飲みになって。きっと、楽になりますわ」

 

 月華はそう言うと、杯へと薬湯を注ぐと唇元へと運んでくる。

 瑛麗はされるがままに従った。薬湯は、最初はほんのり甘いと思ったが、強烈なえぐみと苦みがあって、もう二度と口にしたくなかった。

 

「これ、いらないわ。……飲むくらい、なら、死んだ方がマシ、よ」

「良薬口に苦しですよ、子供のようなことを仰いますね。これで喉の腫れが引きますからね」

 

 月華は、薬湯を飲み干した瑛麗の額にそっと手を当て、熱を測るかのような仕草をする。指先に冷やされて心地よかった。

 

 ふと、稲光が白く照らし、月華の顔が蒼白く浮かび上がった。

 その時、瑛麗は見た気がしたのだ。月華の美しい顔に、ほんの一瞬だけ、幼い少女の面影が重なるのを。

 そうだ……いつか、どこかで……。

 

「夢を……夢を見たの。昔の夢」

「そうですか、良き夢でしたか?」

 

 うわ言のように口にしながら、瑛麗は手を伸ばす。

 月華の首筋、古傷のような、微かな痣。夢の中で、幼い少女が、悪漢に引き倒された時にできた傷と、奇妙なほどによく似ていた。

 

「ねえ、月華。……あなたは、いったい誰なの? どこかで会ったことがあるのかしら」

 

 月華の動きがぴたりと、止まった。

 風が窓を打つ。何度も、何度も。

 

「覚えていて、くださったのですか。瑛麗様」

 

 月華は仮面をはぎ取るように、表情を変えた。まずは深い深い悲しみを。次に浮かぶは、煮えたぎる憎しみで、最後に残るのは、瑛麗への愛おしさだった。渦巻く感情は、先ほどの嵐とどちらが勝るか。

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