時は少し戻り、1570年。一人の宣教師が日本に降り立った。名をフランシスコ・カブラル。彼はイエズス会の日本布教長としてこの地へやってきた。
当時、カブラルは日本人を毛嫌いしていた。その理由は不明だ。ただの欧州至上主義なだけか。百年以上同族同士で殺し合いを続けているからなのか。大名や日本の宗教家といった“清貧の精神”を持つべき上位者がそれを持っていないからなのか。
とにかく彼は日本人を、日本を嫌っていた。それだけは確かだった。
『馬鹿馬鹿しい。パライソ? 低俗な日本人に作れるはずがないだろう』
カブラルはそう吐き捨てる。手にしたのは京にいる宣教師フロイスからの手紙。曰く、京の都から北東にパライソが存在する、と。
この手紙は日本贔屓のフロイスがしたためたものだ。故に報告すべき内容も盛られている可能性が高い。そんなものは信じるに値しない。彼はそう断じた。
それから二ヶ月後。再び京から知らせの手紙が届く。その手紙は先の内容と同じようでいて、決定的に違っていた。
手紙の最初にこう書かれていた──『極めて高度な政治的判断を要する』
それをしたためた者の名はニェッキ・ソルド・オルガンティーノ。カブラルと共に日本へ降り立った同期だった。
『君もか、と言いたいところだが……政治的判断だと?』
政治的判断──その言葉が妙に引っかかった。そのまま報告書を読み解いていく。内容だけを見た場合、それはただの日本贔屓で終わるものでしかない。しかし彼はそう断言出来なかった。オルガンティーノは“私”と“公”を分けられる優秀な男だ。だから報告書の内容も信用に足るものであるのは間違いない。
フロイスとオルガンティーノ、二人の報告は一致している。さすがにこれを無視することは出来ないだろう。視察団を派遣する必要があった。
カブラルは羽ペンを取り出し返信を書き始める。来年の春、布教の許可をこの国の天下人から得るために上京しなければと考えていたところだ。ならばそのついでにフロイスやオルガンティーノが言うパライソとやらを視察すれば良い。彼はそう考えた。
翌年の春。史実よりも一年早くカブラルは上京し、フロイスの案内で天下人・織田信長と謁見を果たす。
『この度は謁見の機会を賜り、お礼申し上げます』
「うむ」
信長はカブラルが想像していたよりもずっと、そう、ずっと人間だった。
もっと野蛮で、粗野で教養の欠片もない男を彼は想像していた。しかし目の前に現れたのは洗練された物腰と、油断ならない知性を備えた将だった。(……こういう日本人もいるのだな)と彼は内心で舌を巻く。
一週間の交流の末、カブラルは布教の許可を得ることに成功。上々の成果だ。後はフロイス達に任せて九州へ戻り、本格的な布教活動を──と思っていたその矢先。
「待てカブラル。もののついでだ、加賀の尾山へ行くといい。必要であればその地を治める者から許可を取ってやる」
『カガ? オヤマ?』
カブラルは目を瞬かせる。フロイスがすかさず通訳を挟んだ。
『カガという地方にあるオヤマを視察してはどうかとおっしゃっております。視察されるのであればダイミョウ──領主から許可をいただくとも』
『ふむ。カガという名は覚えがあります。確かあなた達が言っていた、例の?』
『はい。……視察の時間は無駄にはならないことを保証します』
カブラルは視線を信長へ戻す。この天下人は値踏みするような、あるいは挑発するかのような目でカブラルを見ていた。
(あの目はこちらを探っている目だ。おそらくは何らかの反応を期待しているのであろうが……ふん、面白い)
カガという土地について、多少だが知識はあった。織田信長の盟友、姉小路頼綱が治める土地の一つ。そしてフロイスとオルガンティーノがパライソと称した土地。
そういえばそのパライソとやらに行くのも予定のうちに入ってたなと彼は思い出した。
『ではここはお言葉に甘えて、カガの視察へ向かうことにしましょう。フロイス、翻訳を』
フロイスは安堵の笑顔を見せた後、カブラルの言葉を翻訳する。信長は満足気に「で、あるか」と頷いた後、傍に控えていた家臣らしき男に何かを話し、客室から去っていった。
部屋に残った家臣──佐久間信盛は恭しく一礼する。
「某と、某の軍が皆様を加賀までご案内いたします」
京でオルガンティーノと合流したカブラル一行は、まず金ヶ崎城を目指すことになった。その移動中、カブラルは馬に揺られながらふと眉をひそめる。
(……道が軽い)
そう、道だ。京から金ヶ崎へ向かう道はまるで絨毯を敷き詰めたかのように平坦で、広く、そして見事に整備されていた。
轍の凹凸もなければ、雨でぬかるんだ跡もない。馬が蹄を落とすたび、固く締まった土が「トン、トン」と小気味よい音を返してくれた。
(ここまで完璧な街道を作るのにどれほどの金と人手を……)
思わずフロイスへ振り返る。彼は複雑な表情で頷くだけだ。
カブラルは情報収集も兼ねて、信盛と会話を試みた。
『信盛殿、この道は誰が?』
「織田家と姉小路家が共同で整備した街道になりますな」
信盛は馬上から恭しく答える。
「上様は『道こそが国家の骨格である』と、畿内を中心に多くの道を整備するよう我ら家臣団に命を下されました」
『国家の……なるほど。道理だ』
カブラルは元軍人である。故に信盛の言葉に深く肯くことが出来た。道なくして兵站なし。兵站なくして勝利なし。それは欧州の戦場でも同じこと。
(しかしこれは……我が国の街道に勝るとも劣らないではないか)
悔しさにも似た感情が胸の奥でちりちりと燻る。カブラルはそれを、首を振って振り払った。
夕刻。整備された街道のおかげか、一行はあっという間に金ヶ崎城へと到着した。その日、彼らは信盛が用意した屋敷に宿泊した。
翌朝。金ヶ崎城を発ったカブラル一行は、馬で街道を進んでいた。そして“それ”が彼らの視界に入る。
『なんだ、あれは?』
カブラルは思わず手綱を引き、馬を止める。前方の街道のど真ん中に“それ”はあった。
縦に細長い建造物で、馬車などで使われている車輪らしきものが幾つも付いている。先頭と思わしき建造物だけが凸状で、さらに煙突らしきものまで付いていた。
(なんだ……? 下にあるのは……車輪? そうか、これがフロイス達の報告にあった機関車か!)
カブラルは目を凝らしてそれを見る。“機関車”と呼ばれるその建造物は、信じられないことに馬車のように動くことが出来るとのこと。
先導していた信盛は迷わずその機関車へ向かっていく。そして彼は、カブラル達に馬から降りて中に入るようにと手招きした。
『……さあ、行きますよ』
カブラルは一瞬、躊躇した。しかしここで怖気づいて引く訳にもいくまい。意を決して中へと入る。他の宣教師達も、おずおずと彼に続いた。
フロイスを最後に、一行全員が機関車の中へと入った。中は思ったよりも広く、革張りの座席が並んでいた。
(馬車のような座り心地だな……)
座席に座ったカブラルがそう思った、その時。
「準備よろし! 火を入れろぉ!」
信盛が声を張り上げる。その声が合図だった。『ポーッ!』という甲高い音と同時に。『ガタンゴトン、ガタンゴトン』と動き出す。
『むっ…!?』
『ひぃっ!?』『な、なんだこれは!?』『ま、魔術か!? 悪魔の業か!?』
初めて経験する“動く機関車”に、宣教師達の間で悲鳴にも似た叫びが飛び交う。カブラルは驚きはしたものの、他の宣教師のような混乱を見せることはなかった。
(報告書にはあったが──確かに動いている! 素晴らしい! これは物流に革命を起こす乗り物だぞ……!)
カブラルが内心で感動にも似た驚きを覚えていた一方で。
『おお……! これは何度乗っても……!』
『素晴らしい! どうです、これがヒノモトですぞ、カブラル!』
フロイスとオルガンティーノは子供のように目を輝かせていた。彼らは以前にも乗った経験があるため動き出した機関車に少しも動じていない。むしろ、その速度と振動を心から楽しんでいた。
(この……! 日本贔屓のフロイスはともかく、オルガンティーノ! 君まで楽しんでどうする!)
カブラルはギュッと座席の革を握りしめる。気が付くと、手のひらにジットリとした汗が滲んでいた。
心臓の鼓動はいくら念じても治まってはくれない。窓から風景を眺めながら、彼は息を整える。
(しかし……美しいな、これは。二人がはしゃぐのも仕方がない)
信盛の話によれば、この機関車はこのまま真っ直ぐ目的地へと向かうという。
はしゃぐフロイス達を視界の隅に追いやり、カブラルは一人これからのことを考えた。
(天下人 織田信長の盟友にして機関車を作った男──姉小路頼綱。彼はすでにオヤマにいるらしい。……パライソを現世に作った男、か)
今のところフロイス達の報告書に偽りはない。機関車など荒唐無稽でしかなかったそれが実在したのだ。ならば例のパライソについても真剣に考える必要があるだろう。
カブラルの心境は、パライソと呼ぶに値する素晴らしい町が本当にあるのなら見てみたいという期待と、それが実在したとすれば自分は使命を果たすことが出来るのだろうかという不安。
変わっていく風景を眺めながら、彼はオルガンティーノの報告を思い出す。極めて政治的な判断を要する。その意味はおそらくこれから訪れるであろう場所で分かるはずだ。
否、尾山まで待つ必要は無かった。道中で抜けた大聖寺と小松。その二つは明らかに他の城下町とは違っていることに気付いた。
止まることなく駆け抜けた上に、機関車専用の街道は城下町から遠く離れている場所にある。それでもカブラルには分かった。あの町は我々がこれまで見てきた日本の町と明らかに違う“何か”があるということに。
カブラル達宣教師が感じた“何か”の正体──それを彼らは尾山の城下町で知る。
『これは……なんという……』
『これがオヤマ──姉小路 頼綱が治める領地です』『分かりますか、カブラル』
機関車から降り、尾山の城下町へ足を踏み入れたカブラルは、そこで生きている民を見て冷や汗を流した。
彼らの目は希望に満ち、生き生きとしている。明日への不満や不安などなく、それでいて一所懸命に生きている様がうかがえた。
そう。彼らは“拠り所”を必要としない民だった。しかしそれは裏を返せば……。
『この地では我々の…イエズス会の教えは不要ということになる!』
『……否定出来ません』『いや、そうとも言い切れない。彼らは仏の教えを尊きものとして受け入れている。我々にも介入する余地はあるはずだ』
フロイスの言葉に、しかしオルガンティーノは冷静に反論する。
宗教とは心の拠り所として大きな役割を担っている。生活に不安を抱えている、今日を生きるのに精一杯、明日への希望が見出せない。そういった民にこそ宗教が必要なのだ。
フロイスは頼綱が治める国に宗教は必要とされてないと感じ、オルガンティーノは仏の教えを受け入れているのならば我らの教えもまた受け入れる余地があるはずだと感じた。
『フロイス。オルガンティーノ。二人の考えはどちらも間違ってはいない。しかし……』
カブラルはそう言って、目の前の二人の宣教師を見渡した。
尾山の城下町を歩きながら交わされた彼らの言葉は、真っ向から対立するものだった。カブラルは内心で首を振る。宗教の話をするには、まずこの地の主と話をせねばならない。
『深く考えるのは後にする。優先すべきは、姉小路頼綱との面談だ』
その言葉にフロイスは安堵したように頷き、オルガンティーノは静かに目を細めた。その視線には、どこかカブラルの判断を試すような色がある。
三人の会話が終わるのを待っていたのか、後ろから声をかけられた。
「皆様、尾山城までご案内いたします」
振り返れば、佐久間信盛が恭しく一礼している。その表情は穏やかでありながら、どこか引き締まったものだった。
カブラルは『よろしくお願いします』と答えると、信盛の後ろを歩き始めました。
予め人払いをしていたのだろう。城へと続く道には、尾山の民の姿は一人も存在していなかった。
(これは……惜しいことをした)
カブラルは内心で唇を噛む。彼は民の生活を間近で見たかったのだ。遠くから宣教師達を物珍しそうに眺める町民の姿は何人も確認できたがそれでは意味がない。
しかし人払いされているからこそ分かったものもある。城下町の美しさ──それは一見の価値があった。
整然と並ぶ家屋。清潔な水路。町に彩を添える木々の緑。まるで一枚の絵画を見ているかのような景観だ。
先を歩く信盛が「ここは小京都と呼ばれているのですよ」と誇らしげに語る。
(小京都……なるほど。京を、日本の首都を模した町ということか)
カブラルは納得した。そして同時に、フロイス達がこの地をパライソと称した理由もなんとなくだが理解できた気がした。
美しい景観。活力に満ちた民。それらが合わさり、彼らはここがパライソに見えたのだろう。
しかし本当に見るべきは町の外観ではなくそこに生きる民の実態。道が人払いされていたのは実に惜しいことだった。民の暮らしぶりを間近で、そして自分の目で確かめたかったのだから。
尾山城は、決して大きくはないものの堅牢で美しい城だった。
石垣の積み方一つをとっても無駄がなく、それでいて芸術的。カブラルは城を見上げながら、この地の主の力量を肌で感じていた。
(これが姉小路頼綱の城か。本拠地ではないのにこうも立派な城を……)
やがて一行は広間へと通された。床は絨毯で覆われ、壁には見事な屏風絵が飾られている。部屋の隅には、南蛮渡来の品と思しき置物もあった。その調度品の数々は、この地の豊かさを物語っている。
カブラル達が座るとすぐに姉小路頼綱が現れた。
(これが……姉小路)
カブラルは目の前の人物をじっと観察した。年は三十前後だろうか。表情は穏やかだが、しかし感じるのはそれだけだ。とても大勢力を率いる当主とは思えない。
しかしその印象は彼が発した言葉で覆される。
『ようこそ、宣教師の皆様。遠路はるばるよくぞお越しくださいました』
姉小路頼綱はそう言って微笑んだ。表情は変わらない──否、変わっていないのは明らかにおかしい。
何故なら彼が発した言葉は……。
(いま、のは──イングランドの……!!)
カブラルは、フロイスは、オルガンティーノは。あふれ出る汗を抑える術を持っていなかった。
姉小路頼綱は確かに話したのだ。ヨーロッパの国の一つ──イングランドの言葉で。
この後受けた“お持て成し”の数々について、カブラル達はあまり記憶に残っていない。
日本という小さな島国の一領主でしかない男が、ヨーロッパという遠く離れた国の言語を理解し話す。それは彼らの意識を激しく揺さぶる“事件”だった。
だからこそ彼らは本国──ポルトガルへと至急連絡を入れる。
──日本はイングランドと繋がっている可能性高し
──外交資格を持つ人材を至急送られたし
この報告がポルトガルと日本の関係を──そして世界の歴史そのものを大きく変えることになる。
※なおこの当時のイングランドはまだ未覚醒です