ワイの名前は三木自綱 作:アネコジマン
永禄四年(1561年) 春。
雪が解けあたたかな風が流れる山中を、信長率いる一千人ほどの使節団が松倉国境にある「桜洞の砦」へ向かい移動していた。
先頭は誰もが認める信長の忠臣 森 可成。殿を任されたのは“退き佐久間”こと織田家宿老 佐久間 信盛である。
信長は家中の中で最も信頼しているこの二人を伴って松倉城へと向かっている。
「お濃、大事ないか」
「はい。…お気づきですか、殿。美濃と飛騨の道の違いを」
「うむ。良く整備されておる」
使節団の中心にいた信長は馬上の濃姫(帰蝶)に声をかける。頻繁にかけてくる夫の言葉に彼女はころころと笑いながら答えた。
彼らは国境を越え飛騨へ入るとすぐに気付いた。道路が完璧に、完全に整備されていることに。
注意深く見渡しても石ころ一つ落ちていない。馬や牛車でもするすると進むことが出来る、足へかかる負担が少ない。この分だと今日の夜には中間地点の桜洞に辿り着くだろう。
そして最初の目的地である桜洞が近づくと──
「そこの者! かかげる旗の印から織田家の方々と見受けられるが如何に!?」
二人の若武者が使節団の前に現れる。
先頭に立つ可成は右手を軽く上げて使節団の兵士を下げた後、大声で問いに答えた。
「如何にも! 我らは織田の使節団である!」
「よろしい! まずこちらから名乗らせていただく! 私は三木家家老 新(あたらし) 武一郎!」
「同じく! 三木家家老 新(あたらし) 武奈!」
三木の使いの声を聞いた瞬間、使節団の間に動揺が走る。若い女の声が聞こえたからだ。
動揺し、困惑の声すら聞こえてくる使節団を無視し、二人は被っていた兜を外す。あらわれた素顔を見た者達は ほぅ と感嘆の息を思わず漏らしてしまった。
二人はとても美しかった。絶世の美男美女──二人を説明するにはその一言で充分。尾張の中で美形として知られる信長や、美濃国一の美姫として名を馳せる濃姫に二人は決して劣っていなかった。
可成は二人を…武奈を見て息を飲み込んだ。
彼女の美しさに見惚れていたのではない。彼女が……“女”が武将であることに驚いていたのだ。
この時代は男尊女卑。武家社会ではさらにそれが徹底されている。特殊な例外を除き女は基本的に武士を名乗ることを、そして戦場に立つことを許されない。それがこの時代の常識だった。
(飛騨三木家…これはワシらの、いや武士の常識で考えて良い相手ではないかもしれぬ……)
比較的柔軟な思考を持つ可成ですら動揺と困惑を抑えられない。おそらく後方で控えている信盛はもっとひどいことになっているだろう。彼は保守的ではあるがこの時代の常識に即した武士なのだから。
「我らは名乗った! そちらも名乗られたし!」
「も、申し訳ない! 我らは──」「下がれ! 可成!」
いつの間にか集団の前に来ていた信長が可成を強引に下げ、名乗りをあげた。
「我が名は織田 信長! 新 武一郎! 新 武奈! 出迎えに感謝いたす!」
可成は自分を押しのけ大声を張り上げる主君を思わず見上げ、その表情を見て驚いた。……笑っている!
信長は愉快でたまらなかった。おなごを武将? そしてそれを使いに出す? すべてが常識から外れている。
この時代、女は子を産むこと、家を守ることが仕事であり存在意義。その女を武将として、侍として召し抱える家など良くて侮蔑、最悪討伐の対象に成り得る。
“女”を戦場に出すことなどあってはならない話であり、さらに“女武将”を他国の使者を迎えるための使いとして出すことなど宣戦布告に等しい行い。それほどその在り方は異常なのだ。
だからこそ信長は笑った。濃姫も笑っていた。三木家のその非常識な在り方に。
彼らは知っていた。この一部分だけを見ればかの家は無礼極まりない大名家、関わることでこちらに悪名が飛んできてもおかしくない家。
しかしそうではない。そんな家に京の貴人達が口をそろえて松倉を「小京都」などと決して言わない。あの家には悪名すらかき消す何かがあるに違いなかった。
「おお、貴方が織田様! お待ちしておりましたぞ!」
「織田様、そして使節団の皆様方! あと少しで日が沈みます! ですので今日はここ桜洞にお泊りくだされ!」
「護衛の皆様方にも宿を用意しておりまする! ささ、ご案内しましょう!」
先導する二人の若武者に信長は続き、可成は慌ててそれを追いかける。使節団の面々も何とか足並みを揃え先導する彼らに続いた。
桜洞の砦。飛騨国の国境に建てられた砦の一つ。その日の夜、信長は大いに楽しませてもらった。
信長とその正室である濃姫には迎賓用の屋敷を、可成や信盛といった武将級には立派な個室を、足軽には大部屋にはなるがそれでも屋根のある部屋を用意された。
出された夕餉は尾張・美濃では珍しい唐芋を使った料理。それに目加田から送られてきた魚を使った汁物に白米。
自身の領地でも食べられないことはないが、それでも滅多に食すことが出来ないレベルの食事だったため、信長は大いにこの食事を楽しんだ。
翌日の早朝。準備を整えた信長一行は桜洞を出立。
その道中に巡回兵と思わしき騎兵の集団と出会った。彼らは馬から降り、道を開け、片膝をついて使節団を見送った。信長は巡回兵とすれ違う時に彼らの装備を見て内心驚愕する。
足軽達には行進を止めないように命令し、自分はそのまま最後方にいる信盛のもとへ。
「信盛。先ほどの騎兵の装備を見たか」
「はっ。火縄…でしたな」
「そうだ、火縄だ。あれは先ほどの騎兵だけと思うか」
「わかりませぬ。わかりませぬが…最大を見積もってよろしいかと」
「つまり軍団規模であるというのがそなたの考えだな」
宿老の言葉に信長は我が意を得たりと笑いかける。満足したのか、うむと一つ頷いたあと彼はそのままもとの位置まで馬を走らせた。
馬とは元来繊細な生物である。繊細であるが故に轟音などに大きく反応し、それが続けば暴れてしまうような生物。それが馬だ。
先ほどの騎兵が装備していた“火縄”こと火縄銃。これは殺傷能力は高いが一発撃つ度に轟音を発生させる兵器だった。
そう…この兵器と馬の相性は本来最悪なのだ。併用するなど考えるのが難しいほどに。
しかしあの騎兵の集団は火縄銃を装備していた。あれがただの見栄えを重視したハリボテでは無いとするのなら、彼らの馬は火縄銃の轟音に慣れた馬であるということに他ならない。高機動高火力という最も敵に回したくない軍集団を飛騨三木家は抱えている可能性が生まれた。
(三木自綱…見極めさせてもらうぞ!)
信長の自綱に対する期待値はさらに高まった。
そして彼らは辿り着いた──飛騨松倉に。
松倉を見た使節団一同は思い知らされた。小京都という評価は過大評価ではないということに。
道、建物、橋、水路…それらすべてが計算しつくされたかのように美しく並び、その町を大勢の町民達が行き交っていた。
使節団の先頭を歩く可成は、迎えの使者である武一郎に思わず「今日は祭りか何かでも?」と聞くが、彼は「いいえ、松倉はいつもこういう感じですよ」と事もなげに答えた。ここの住民である武一郎にとってこの光景はただの日常でしかないのだ。
その答えに可成は心の中でため息をつく。彼の中で三木自綱に対する評価がまた反転してしまった。
女子を将として扱っていることで評価が大きく下がり、しかし小京都と呼ばれるに相応しい松倉の町を見て下がった分以上の評価が上がり…。
自分ではかの御仁をどう判断すれば良いのか分からない。それが可成が出した結論だった。おそらく信盛も同じだろう。
「可成、行くぞ。三木殿が待っている」
「──はっ!」
いつの間にか先頭まで来ていた信長が可成へ声をかけ、そのまま馬を進ませる。
織田家の使節団が通るということで道は一時封鎖。彼らは主君信長(と一緒に騎乗する濃姫)を先頭に、松倉の町民が見守る中毅然とした態度で行進する。
信長達が目的地である松倉城城門前へ辿り着くと、三木の家紋が印された着物を着た長身の優男に、白い頭巾を被る僧の服を着た精悍な顔つきの男二人がそこに立っていた。
「貴方が織田信長殿ですね。私の名は三木自綱。我々は貴方を歓迎しますよ」
「貴殿の噂は聞いている。我は上杉政虎だ」
三木家当主 三木自綱。
上杉家当主 上杉政虎。
現北陸の二大勢力当主自らが織田家使節団到着を歓迎した。
松倉城の近くに建てられた大きな屋敷。ここは他国から来た使者と外交するために作られた屋敷だ。
その屋敷の歓待の広間。その場に居るのは三人の大名と四人の武将。
屋敷の主である自綱と、その傍に控える武奈。そして政虎と武一郎。最後に信長と可成、信盛の三人。
「色々と話すべきことはありましょうが、まずは一息入れましょう」
自綱は二度大きく手を叩く。それは合図だったのか、間を置かずに給仕の者が食事を運んできた。
運ばれてきた食器は奇妙な形をしていた。円形状のくぼみのある長方形の木の板と、そこにピッタリと収まる陶器が一つ。ほんのりと湯気が立ち、それが何とも食欲を刺激する。
給仕が食器とレンゲを並べた後「お熱いので陶器にはお触れになりませぬよう」と告げた。さすがに注意されずとも分かる。湯気が立ち上るこの陶器に触れれば火傷は間違いない。
「こちらは“グラタン”と呼ばれる南蛮料理です。どうぞご賞味あれ」
そう言うと自綱はレンゲで中身をすくい、熱を冷ますように軽く息をかけてから口に運ぶ。政虎はそれに倣うようにグラタンを一口食べた。
「いかがでしょうか」
「うむ。美味い」
それ以降、二人は特に会話もなく食事を進めていった。
信長は思った。何とも珍妙な光景だ。北陸の覇者たる二人が同じ席に座り、あどけない表情で“ぐらたん”なるものを黙々と頬張っていく。変な笑いが出そうだったが辛うじてそれを堪えた。
さて、“ぐらたん”。これもまた珍妙な食い物だ。全体的に白いが、ところどころ焦げ目がついている。粥より固く、白飯より柔らかい。聞いたことのない料理だった。
その“ぐらたん”の中身だが……昨日夕餉に出された唐芋と、肉らしきもの。実に食欲をそそる。
まずは唐芋の部分をと思い、レンゲで掬う。口の中に入れる前にふーっと軽く息をかけることも忘れない。傍から見ると情けないことこの上ない姿かもしれないが、“ぐらたん”における先達の自綱や、何恥じることなくそれを真似した政虎がいるのだ。織田の棟梁たる自分が臆するわけにはいかぬ。
主君のその姿をギョッとした目で見る信盛と、ほほぉと何やら感心する可成。信長はまだ“ぐらたん”をホフホフと口の中で冷ましながら飲み込んだ後に……
「──美味し!」
と、思わずといった風に声を上げた。
この時の信長はよく言えば若く、悪く言えば経験の浅い未熟者だった。抑えきれない感情の発露というものが度々あった。
彼の傍に控えていた可成達は、苦笑いを浮かべつつ「しかしそれでいいじゃないか」と思っていた。
近年苛烈な発言が目立ってきた主君から人間味のある部分を見ることが出来た。それは外交的には恥であるかもしれない。しかし信盛や可成にとってはその人間味こそが重要だった。主君信長は決して“理解できない怪物”ではない。それを確認出来たことが今回の会談で得た最大の収穫と言えるかもしれないのだから。
可成達も“ぐらたん”を食べてみた。確かに美味い。南蛮人は普段からこういうのを食べているのかと思うと少しだけ羨ましくなった。
信長達の純粋な反応を見て自綱は思う。会談はこれからが本番。気を引き締めなければ……。
食事が終わって半刻後(一時間)。会談は休憩を挟んでからとなった。
信長が松倉へ来た理由は自綱への謝罪。会談はそれを行う場として用意されたものだった。
かつて斎藤道三という美濃国大名がいた。道三は嫡男である斎藤義龍の謀反により死亡する。
その道三には娘がいた。一人は信長の正室“濃姫(帰蝶)”、そしてもう一人は自綱の正室“胡蝶”。
道三の娘を正室に迎えていた信長と自綱は、仇討ちとして義龍討伐の権利を持っていた。そう、信長と自綱は道三の遺領である美濃国をかけて争ってもおかしくはない関係なのだ。
そこで信長が打った手が国譲り状を前面に押し出した領有権の主張である。
……この時の信長は色々と追い詰められていた。彼の理解者に成り得たであろう道三の死。同腹の弟“織田信勝”の謀反と処刑。そして宿敵“今川義元”による尾張侵攻の兆し。
上記にある領有権の主張など、本来の信長であればまず打たない手だ。若さゆえの未熟さを否定しないが、本来の自分ならもっと上手くやれたと彼は思っていた。
話は戻り──現在。信長は自ら頭を下げ謝罪。さらに十を超える唐物(茶器)を献上する。自綱は謝罪と献上品を受け取り、それでこの件は手打ちとなった。
一番の目的を果たした信長は、今日馳走になった食事についての質問をする。
「三木殿。“ぐらたん”なるものについてお聞きしたい」
その目は刀の切っ先のように鋭い。真剣そのもの。
信長の視線からは欲を感じない。自らの領地にグラタンを広めたいとか、自分の城でも食べられるようにしたいとか、そういう欲を感じられなかった。
自綱は考える。「信長のシェフ」という原作を考えると、この信長は知識──いや情報を欲しているのではないか。南蛮の……海外の情報を求めているのではないか。であれば彼はこの時期からすでに世界を見据えていたということになる。
そして世界を見据えるということはその前提条件である“日ノ本の天下”をも狙っているということ。なんとも頼もしい話だ。
自綱には天下に対する野心はない。むしろ(史実の徳川将軍家を考えると)面倒だと考えている。松倉、福井、七尾は手元に残しておきたいが、これから手に入れる予定である加賀の地、さらにそれ以外の領地は仮に手に入れても天下人になった者に譲っても良いとすら考えていた。
だから信長が天下を握るのは大歓迎。彼が実際に天下取りへ動き出したら積極的に支援するつもりである。
まずは歩み寄りの第一歩として自綱は語り始めた。信長が知りたいであろう南蛮の話を──
「“ばたぁ”に“ちぃず”…牛の乳から作れる食材。そしてそれは日ノ本で例えると塩や味噌に該当すると」
「はい。どちらも作るのに多少の手間がかかります。しかしそれは味噌や塩も同じことです」
「うむ……。塩や味噌と同じということは、南蛮では日常的に使われておるのだな?」
「そうですね。ただし塩、味噌と違い、種類が数多く存在するとか」
「……ふむ」
氷室から持ってきたチーズを手に取り、それをまじまじと信長は見つめる。
「この“ちぃず”とやらが作られた経緯を三木殿はご存じか?」
「さすがにそこまでは。ですが始まりは偶然だったと言い伝えられているそうです」
「偶然」
「はい。偶然に生まれたチーズを、失敗と成功を幾度となく繰り返して技術体系化した結果完成した食材。それがチーズであると私は考えています」
「失敗と成功。うむ。……うむ」
自綱の言葉を咀嚼し、それを自らの知として蓄えていく。調べることすら困難だった南蛮の知識をこうして得ることが出来て信長はとても満足していた。
ふと気になり視線をそちらへ向ける。そこには会話にまったく参加してこない、食後の茶を楽しむ越後の龍の姿があった。
「……上杉殿。貴殿は三木殿に何かないのか」
「無い。知りたいことは最初にこの地へ来た時に訊ねた故に」
にべもなく言い放つ政虎に思わずムッとする。やはりこの時の彼は若かった。
機嫌の悪さを隠すことのできない若造に、表情一つ変えずに柔和な笑みを浮かべたままの若者を見比べながら越後の龍は言う。
「そなたらの視野は…広いな。多くの者が日ノ本しか見えていない中、そなた達だけは南蛮を……外の国を見据えている」
「…貴殿は違うのか」
「ああ。我もまた日ノ本しか見えていない。外の国など見ようという考えすらない」
乱世の時代に生まれ落ち。優れた戦の才能があった。幾多の数奇な運命の果てに長尾家の家督を継いだ。さらに上杉の名を継ぎ、関東管領となった。
関東管領としての使命を果たし、その後は幕府の家臣として乱世の時代を終わらせるべく戦の才を振るう。それで良いと政虎は思っていた。それこそが天命だと思っていた。
しかしそれでは駄目なのだと思い知らされた。もう一人の北陸の覇者によって。
そしてその野望はすでに日ノ本に届きかけている。堺と博多、南蛮人が多数駐留するそれぞれの町が第一歩だ。
関東管領の力であってもどうにもならない。南蛮人がもたらす財と富の前に彼はあまりにも無力だった。
「織田殿。いや──
政虎が白い何かを放り投げる。それは封書だった。
「そなたにとって必要になるであろう
「──相分かった。頂戴しよう」
その言葉にはどこか含みがあるものの真剣だった。故に信長もそれに対し真剣に答える。
政虎は一度だけ深呼吸をし、そのまま立ち上がる。信長の返事に満足したのか、あるいは肩の荷が下りたのか。彼の表情から硬さがとれていた。
「自綱。すまぬが我は用意された屋敷で休ませてもらう」
「わかりました。……武一郎?」
「はっ! では上杉様、屋敷までご案内いたします」
「うむ」
後の時代に“松倉会談”と呼ばれることになったそれはこうして終わった。
日本の歴史が本格的に変わっていくのはここからとなる。
ノブモリ「あの、上杉殿の護衛は…?」
ヨリツナ「いないっすよ。なんかあの人いっつも一人でうちに来るんだよね」
ノッブ「えっ」
ヨシナリ「えっ」
タッケ「だから私が護衛につく必要があったんですね」
マッサ「普通にいらんのだが。だってわし強いし」