【旧】皆を救いたいだけなのに、不器用すぎて主人公勢に敵認定されるミステリアスヒロインムーブをしたい! 作:k-san
「如月さんは偉いですね」と図書館司書に言われ、私は驚いた。
手提げかばんに入れていた十冊の本を顔なじみの司書さんに渡し、バーコードをスキャンして返却処理をしてもらっているときだ。ぼーっと次は何を借りようか考えているところを急襲され、私の頭は真っ白になった。
「え? あ、あの……」
戸惑っていると、司書さんはにっこりと笑って補足した。
「最近の若い子ってあんまり本を読まないんですよ。如月さんみたいな子がもっと増えたらいいのに」
「はあ……」
本を読むことが偉いと考えたことはなかった。私はあくまでも面白いから本を読んでいるのであって、勉強しようとか徳を積もうと考えて読書をしているわけではない。だからこれは「ゲームをしていて偉い」と言われたような感覚に近かった。
褒められて悪い気はしないけれど……。
私ははにかんで、会釈するみたいに小さく頭を下げた。
〝人生〟というものの最大の欠点は、人生は一度きりという一点に尽きる。
私が私である以上、私は私以外の何者かになることはできない。
そして「隣の芝生は青く見える」という言葉が示しているとおり、〝自分〟というのは得てしてつまらないものに思える。
本――に限らず、物語の利点は他者の人生を追体験できるところにある。
しかも、物語の中で描かれる人生や歴史は、平凡な現実と比べて抜群に面白い。そこで起こる出来事は劇的で、退屈な日々の繰り返しは存在しない。
本は面白い。
そしてその面白さを再確認するたび、私の考えはますます強固になる。
〝自分〟って、退屈だ。
私には自分なんかよりも他人のほうがよっぽど価値があるように思えてならない。
誰かが不利益を被るなら私が代わってあげたい。
例えば、押し込み強盗に殺された薫ちゃんの弟。
私に縋って泣く薫ちゃんを見ながら、私は薫ちゃんの弟が辿った運命を代わりに引き受けることができたら、と何度も思った。
たっぷりと時間をかけて次に借りる本を選んだ。十冊分をかごに詰め込むとそれなりの重量がある。持ち手の部分を両手で掴み、カウンターへと向かった。 だけどカウンターには誰もいなかった。「あれ?」と思いつつも深く気にすることなく自動貸出機の設置箇所へ場所を移す。
バーコードをスキャンすると、コンピュータが読み込んだことを示す「ピッ」という音を響く。そのとき何かが私の意識をかすめたのだけれど、よく分からない。
一冊、二冊……とスキャンを続けていき、最後の本を読みこんだときだ。電子音が静寂の中に深く深く溶け込んで雲散霧消するのを認めると同時に、先ほどから漠然とあった違和感がはっきりとした。
静かすぎる。
もともと図書館は静かな場所だから気づきにくかったのだけれど、いくらなんでも、これは異様なくらいに静かだ。
周囲を見回してみると、職員の姿も利用者の姿も何一つない。
私は怖くなって足早に図書館を後にした。
外に出ると人だかりがあって、私はほんのつかのま安堵した。
だけど、ほんのつかの間だ。すぐに彼らの異様さに気づき、安心は吹き飛んでいった。
誰もが正気を失ったようにぼんやりと中空の一点を見つめていたのだ。
そこへ視線を向けると――。
「なに……あれ……」
大きな怪物が空を泳いでいた。
〝それ〟に生きているような印象はなく、どちらかというと飛行機や船といった建造物に見た目の感じは近いけれど、不思議と意思を感じた。それも、禍々しい意思を。
だけど一番怖かったのは、怪物の存在よりも、怪物を目の当たりにして騒ぎすらしない人々のほうだ。何かがおかしい。私は叫んだ。
「あっ、あの……っ! 何してるんですか! 早く逃げないとっ!」
私の呼びかけに応じる人はいなかった。
なおも声をかけ続けるが、一向に反応はない。
していると、人の群れの中に顔なじみの司書さんの姿を見つけた。
司書さんの腕を取り、揺さぶる。
「どうしたんですか! あれから逃げないと、た、大変ですよ!」
司書さんの腕が私の手を振り払った。そしてその動きで頬を打たれ、私はしりもちをついた。
「し、司書さん……?」
じわりと涙ぐむ。
司書さんは中学生を相手に暴力を振るうような人ではない。やはり何かがおかしいのだ。
そのとき、街の中心に向かって一直線に移動していた怪物が軌道を変えた。高く遠い位置にいたので、初めは距離感が掴みにくく気づかなかったのだが――それは私たちのほうに近づいてきているようだった。
直感的に、私が狙われているのだと思った。
どうしてか正気を保っているイレギュラーな私に気づき、排除しようとしているのだと。
私は駆けだした。
ここに残っていれば皆を巻き込んでしまう気がしたから。
怪物の移動速度は陸を走る小さな人間など遥かに凌駕していて、どんどん差を詰められていく。
――私、ここで死ぬの?
嫌だ!
怖い!
あんなわけの分からないものに追われて、むごたらしく死ぬなんてごめんだ。
だけど私がどう思うかに怪物は配慮しない。
私、ここで死ぬんだ。
涙が出てきて、視界がにじむ。走りながら目をこすっていると、何かにぶつかった。
私は倒れ、手提げかばんの中に入れた十冊の本が地面に転がった。
「大丈夫?」
と声がかかる。
声のしたほうを見上げると、黒いドレスを着たきれいな少女が私の顔を覗き込んでいた。
「え、あ、あの……」
少女は地面に散らばった本を拾い集めた。
私はハッとして、
「そんなことをしてる場合じゃないの! 早くここから逃げて!」
「でも……あなた膝を擦りむいてる。立てるの?」
「私のことはいいから! 私を置いていますぐ逃げてっ!」
怪物はすぐ目前まで迫っていた。
私たちを食い殺そうとしているのか、単に噛み千切ろうとしているのか、大きな口を開けて加速した。
そのことを知ってか知らずか、少女は地面に落ちた最後の一冊――ベストセラー作家のデビュー作を手に取って、
「あ……。わたしこれ、読んだことある」
もうダメだ……っ!
私はもうすぐ訪れるであろう終わりの感覚に備えて、目をギュッと瞑った。
だけど。
終わりはやってこなかった。
おそるおそる目を開ける。
少女が私に手を差し伸べていた。
「立てる?」
怪物は私たちを飲み込もうと大口を開けて迫っていたはずだ。
だけど、飲み込もうとするそばから身体が裂けていき――それはまるでモーセの海のようだった。触れた物体を問答無用で削り取ってしまう見えない膜でも張られているかのように、あるいは私たちが切れ味鋭い刀身そのものになってしまったかのように、私たちのいる場所を通過する怪物の身体はその結合を解いていく。
無意識に少女の手を取った。
怪物の腹の中で――怪物の臓腑に囲まれて。
私は立ち上がった。
「これ、本」
少女は私にかばんを差し出した。
と同時に、真っ二つになった怪物の胴体が地面に着地し、跡形もなく消滅した。
かばんを受け取る。
「あなた、わたしが見えるんだ。魔人の瘴気の影響も受けてないし。てことはあなたも魔法少女ってことだよね」
「え……? 魔法……?」
アニメの話?
と思いたいけれど、いままさに怪物に追われたと思ったらドレスを着た少女に助けられたというフィクションめいた出来事に遭遇したのだ。
もしかして……現実の話なの?
だけど、魔法少女なんて知らないし、なった覚えもない。
「あの……」
「ああ、契約はまだなんだ。でもわたしが見えるってことは素質があるってことだよ。いずれ魔法少女にならないかってお誘いが来るかもね」
彼女はそう言うと踵を返してこの場を立ち去ろうとした。
私は咄嗟に呼び止めてしまった。
「あっ、あの!」
「?」
少女は振り返った。
「助けてくれて本当にありがとうございました! わ、私……っ、如月小春って言いますっ!」
「橘すみれ。あなたがいようがいまいがあれを倒すだけだから礼は要らないけど――受け取っておく」
わざわざ離した距離をもういちど詰めて、握手を求めてくれた。
私はそれに応えた。
それが橘すみれとの出会いだった。
それから橘さんとは放課後に会うようになった。実を言うと私のほうから熱烈にアタックした。こんなふうに積極的になったことはいままでにないから恥ずかしかったけど……。
集合場所は私が通っている図書館。橘さんはその近辺に住んでいるらしく、ときどき利用していると言っていた。もしかしたら気づかないうちにどこかですれ違っていたのかもしれないと思うとドキドキする。
橘さんは図書館入り口の脇に立っていた。
「ごめんね。待った?」
橘さんは首を横に振った。
それから図書館の中に入るか、特に当てもなく散策するかを決める。決めると言っても話し合うわけではなくて、中に入るか反対方向に歩くかで自然と決まる。
今日は外を散策することになった。道中、橘さんの勧めでぜんざい屋に入る。かき氷みたいな冷たいぜんざいを食べながら、二人で談笑した。
だけど私から提供できるのはせいぜい本の話題くらいだ。橘さんはもともと口数が少なく、聞き役に徹した。興味深そうに相槌を打ちながら私の話を聞いてくれる。そして、ときどき自分から話すときは、私に合わせた話題をチョイスしてくれる。楽しいけど気遣われているみたいで少し申し訳ない気もする。
どうやら橘さんもけっこう本を読むようだった。それは橘さんの落ち着いた所作を見ていればすごくしっくりくる。ただ、同時に思うところもあって。
「橘さんって、本を読んで面白いと感じるの?」
「え?」
「だって、橘さんは小説よりよっぽどすごい毎日を送っているよね……? 現実がフィクションみたいなものだから、本を読んでも刺激がないんじゃないかなって……」
橘さんは微かに笑みを浮かべた。
「だって、自分ってつまらないでしょ?」
私は衝撃に打たれた。
橘さんの言葉はだいたい説明不足で、今の発言にしたって普通はそれだけじゃ意味は伝わらない。
でも、私にはその意味が分かりすぎるくらいに分かる。
だけど――。
「だけど、橘さんはつまらなくないよ。だ、だって魔法少女なんだよ? そんな橘さんがつまらないんだったら……オリンピック選手だってつまんないことになっちゃうよ」
魔法少女の背負う使命は過酷なのだろう。
だから「辛い」とか「苦しい」と言うのなら分かる。
でもそれは退屈とは程遠い感覚なのではないだろうか。
少なくとも、「つまらない」という表現ではないはずだ。
「つまらないって言うのは、私みたいになんの取り柄もない人のことを言うんであって……」
「如月さんと話してると楽しいよ」
「えっ」
そんな言い方……ズルすぎる。
顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろうから、俯いて隠した。
「とっ、とにかくっ! 橘さんはつまらなくないよ!」
「ありがとう。でも、如月さんには悪いけど、やっぱりわたしはつまらないよ」
「そんな……。でも、魔人と戦って……」
「魔人退治は如月さんには非日常かもしれないけど、わたしにとってはもう日常なの。こういうのって、続けていくうちにやっぱり慣れちゃうものなんだよね」
まだ納得いかない。橘さんにしては珍しく言葉を長く繋いだ。
「例えば少年漫画だってバトルを延々続けていればいいってわけじゃなくて――同じレベルの敵と一年中戦ってたら飽きられちゃうでしょ?
たぶん、起伏があるんだよ。それがフィクションと現実の違いなんじゃないかな」
「そんなことを言ったら、誰も自分の退屈さからは逃げられないってことになっちゃうよ……」
「そうでもないよ。起伏がないなら自分からつくりにいけばいい」
「自分からつくりにいく?」
「そう。理想のシチュエーションを想像して、その状況をコーディネートするんだよ。本は、そのロールモデルとしてうってつけ」
なんだか妙に熱っぽく語っている。これも橘さんにしては珍しい。
そこに橘さんの核がある気がして、私は質問した。
「橘さんはどういうシチュエーションが理想なの?」
「内緒。それよりも、如月さんがどうしたいか、どうなりたいかを見つけるのが大事」
「どうしたいか……」
夢や目標。
正直、そんな大層なものはついこのあいだまで考えたこともなかった。
でもいまはそういった言葉からすぐに連想するものがある。
それは橘さんだ。
実は橘さんと行動を共にする中で、何度か魔人との戦闘に遭遇したことがある。
私は魔人と橘さんの戦いを遠くから見ていただけだったけど、それでも魔人を前にするとすごく怖いし頭が真っ白になる。
そんな私や、正気を失って逃げることすらできないほかの人たちの前に出て命がけで戦う橘さんは格好良かった。
私は橘さんのようになりたい。
橘さんのように、誰かを守れる人に――。
橘さんと過ごす日々はそう長くは続かなかった。
初めはいつもの魔人退治だと思っていた。
いつもみたく魔人と戦って、危なげなく橘さんが勝利する。
いつだかの橘さんが言っていたように、何事も続けばいつか慣れてしまうのだ。
それが命をかけた戦いだとしても。
世界を背負った戦いだとしても。
その日は普段と様子が違っていた。
橘さんの攻撃が通らないのだ。
橘さんの武器は鋭利なワイヤーだ。それをどこからともなく出現させて攻撃する。でも敵の硬度が武器の攻撃力を上回っているみたいで、いまいち効果が見られない。
見たことのない技も使っていたが(魔法だろう。以前説明を受けた)、それすら魔人に対しては通用せず。
こちらの攻撃が通らない以上、戦いが長く続けば先に倒れるのは――。
「橘さんっ!」
魔人が触手のようなものを伸ばした。その先は鋭利な刃になっていて、それが橘さんを切り伏せた。
遠くで見ていた私は、走って橘さんのところへ向かう。
「なに……してるの……。早く逃げて……」
全身に痛々しい傷跡をつくり、真っ赤な血を垂れ流しながら橘さんは訴えた。
「で、でも……」
「いいから早くっ!」
普段の落ち着き払ったトーンとは裏腹の怒声が上がる。
だけど、私は退かない。
橘さんの前に出て、両手を広げる。
目のない魔人と目を合わせる。
蛇に睨まれた蛙。身がすくむけれど、大した問題じゃない。
「如月さん、なにを……っ! なんで自分から死にに行くような真似をするの」
「だって」声が震える。「私なんかより橘さんのほうがずっと価値があるから」
「まだそんなこと……」
「それにね!」
と私は遮った。
「いつも思ってた。橘さんみたいなヒーローが、陰で私たち一般人を守ってくれているから、私たちの日常がある。でもヒーローだって傷ついてる。じゃあ誰が守る人を守るの?
私は守る人を守りたい! それが私のなりたい私。だから――」
相手はこちらの都合など
だけど衝撃は前方からではなく後方からやって来た。橘さんが私の背後から腕を回して直線に移動した。魔人の下部の空間を通り抜け、路地裏に身をひそめる。
「橘さん、だいじょう……」
大丈夫なの、と訊こうとして口を閉ざした。
まだ動けるんだと思ったけれど、橘さんはぐったりと壁にもたれかかって辛そうにしていた。
橘さんが倒れてしまえば、もうおしまいだ。
私には魔人を倒す手立てなどない。
希望は絶たれた。
だけど、ひとり諦めている私を見て、橘さんは微笑んだ。
「大丈夫」
「なにが大丈夫なの……? そんなにボロボロになって、攻撃も効かなくて……もうどうしようもないよ……」
「完璧な絶望なんてない。完璧な文章が存在しないように」
それは、かつて橘さんが拾ってくれた本の冒頭一節だった。
文が前後しているが。
橘さんの場違いな引用で、却って心に少し余裕ができた。
私は冷静になって、改めて問う。
「何か作戦があるの?」
橘さんはコクリと頷いた。
「わたしの全部を懸ける」
「え……」
「次の魔法に、すべて注ぎ込む」
それはつまり、橘さん自身を代償に使用するということ。
そんなの――。
「ダメだよっ! そんなことしたら橘さんが死んじゃうよ!」
「あいつを倒せなかったら全員死ぬ」
それなら、橘さんが死なずに魔人を倒せる方法を考えればいい。
「だったら、私を使ってよ」
「如月さんを……? ダメ。わたしの代わりにあなたを犠牲にすることは……」
「じゃあ、私の一番大事なものを懸けて」
「一番大事なもの――
そんなの決まってる。
「橘さんとの思い出、だよ」
橘さんは目を見開いた。
彼女との思い出が私にとっては世界一大事なものだ。これを使えば、どんな代償なんかよりもよっぽど大きな対価を引き出せるという自信がある。
だって、こんなに橘さんのことを想ってるんだから。
絶対上手くいくに決まってる。
「それなら、わたしの記憶を使えばいい」
「ううん。ダメ。だって、橘さんは魔法少女なんだよ? 私に関連する記憶の中に、魔法少女として忘れちゃダメなことが絡んでいたらどうするの?」
それに、橘さんには私のことを憶えていてほしい。
「大丈夫だよ。元のかたちに戻るだけなんだから。私は全然怖くない。それに、私は魔法少女の素質があるんでしょ? だったら、また魔法少女として出会えるよ」
「如月さん……」
橘さんは沈んだ表情をしていたが、やがてその目に決心の色が浮かんだ。
「分かった」
私は橘さんに肩を貸し、二人で路地裏を出る。
私たちを発見した魔人が距離を詰めてきた。
足が震える。
本当は怖い。
橘さんのことを忘れたくなんてない。
それは死にも近い状態だ。
不意に涙が出てきた。
でも、橘さんの決心を鈍らせないために私は精一杯笑顔をつくった。
「行こうか、橘さん」
「すみれって呼んで」
「え?」
「名前。わたしたちが親密であればあるほど、代償としての効力は高まるでしょ。下の名前で呼び合うほうが、より親友っぽいじゃない?」
「じゃ、じゃあ。私のことも小春って呼んで?」
「分かった――小春」
「う、うん!」
私たちは魔人に向き合った。
「
すみれは頷いて。
右手を魔人に向けた。
次の瞬間。
私の意識が遠のく。
ああ、このまま意識を手放せば彼女とのことはすべて忘れてしまうのだろう。
嫌だなぁ。
忘れたく、ないよ……。
彼女の魔法が発動して、あんなに強力だった魔人を軽く吹き飛ばすのを見届けて。
私は意識を失った。
「バイバイ、すみれ――」