魂 ソ メ パ ン チ (無添加) 作:哀しみを背負ったゴリラ
スーツの内ポケットから分厚い経文を取り出し、その中央がスタンガンの金属の形に焦げて穴が開いている事に気が付き、嘆き、肩を落として項垂れる教育実習生の青年。
レイナは、そんな彼の様子を切れ長の眼を細めてじっと見ていたが……やがて、悟られないよう一歩分の距離を開き、声を掛ける。
「それで、先生……スタンガンの事は本当に申し訳なかったと思っているのだけれど、貴方、本当は此処に何をしに来たのかしら」
「あン? さっきその質問には答えただろ。助けに来たってな」
「……そう。先生が私の事をつい先ほどの会話も覚えていない程の馬鹿だと思っている事に対して、好感度が500下がったわ」
「いや、思ってねぇよ!? あとなんだよその下げ幅が糞見てェな好感度システム!?」
唐突な非難に驚愕する青年に対し、しかし反応を見せる事無くレイナは言葉を続ける。
「先生。私は真意を尋ねているの。貴方の言動には、不審な点が多すぎるわ」
氷を思わせる声色。
そこには親愛の情などというものはまるでなく、淡々とした口調には警戒心と猜疑心のみが込められている。いきなりその矛先を向けられた青年は首を傾げているが、レイナはその態度に対してさえも更に警戒を強める。
一見すれば、助けに来てくれた相手に対して失礼な物言いであると思えるが、しかしレイナの視点から見れば、その反応は仕方のないものであると言えよう。
まず、レイナが歩いていたのは寂れた人気のない商店街の、更に奥だ。そんな場所に居る少女を、たかだか住民の報告一つを元に、青年がたった一人の力でどうやって見つけ出したというのか。そんな事が可能であるだなんて、まるで、青年が最初から少女の後をつけていたようではないか。
次に、青年のあらゆる宗教の道具をごった煮にしたような胡散臭い服装だ。初見では不審者という印象しか抱かなかったが……時雨沢二乃がこの商店街で遭遇したという不審な女も、占い師じみた宗教的な格好をしていたという。異常者の仲間であれば、同じような格好をする事もあるのではないか?
最後に……青年の『行方不明の俺の生徒、時雨沢二乃ちゃんを助けに来たんだよ』という言葉。
助けに来た。青年のその言い草、言い回しは……二乃が危険な状態であるという事を知っていなければ出ない筈のものだ。
二乃は確かに行方不明ではあるが、危機的状況であるというような事は誰も言っていない。
そう。誰も、そんな情報は得ていないのだ。担任教師も、親も、そしてレイナ自身もだ。
だというのに、レイナの眼前のこの青年は、ただ一人だけ確信を持って助けに来たと言い切って見せた。
二乃と接点があり、そのプロフィールを得る機会を持っていて
オカルトにかぶれた、異常な格好をしており
おそらく二乃が現在、どのような状況にあるのかを知っている
それらの要素が示す結論は、つまり
(この教育実習生は、件の占い師の仲間。もしくは主犯────)
最悪の推測。そして揃っていく証拠に、しかし、レイナは逃げ出す事を選ばなかった。
レイナの理論は、眼前の教育実習生が怪しい存在である事を告げている。身の安全を考えれば、即座に逃げ出すのが正解であろう。
しかし、もし青年の正体がレイナが想像した通りのものであるのだとすれば……この青年は、時雨沢二乃に繋がる唯一の手掛かりなのかもしれないのだ。
だとすれば、ここで逃げ出して情報収集の機会を逃せば、レイナは二乃の行方に繋がる手がかりを永遠に失ってしまうかもしれない。
そう考えたからこそ、レイナは自身の指先の震えなどおくびにも出さず、常のとおりの淡々とした声で青年に尋ねる事とした。
「答えられないのなら質問を変えるわ。貴方、何を根拠として、二乃が助けられなければならない状況に居る────そう考えているの? そして、どんな手段を用いて私がこんな人気のない場所にいると特定したのかしら?」
後ろ手に隠した右腕。その袖の奥に隠していた二個目のスタンガンを取り出し、スイッチに手を当てつつ尋ねるレイナに対して────青年は真顔になった。
やはり己の推測が、正しかった。
青年の表情の変化にレイナはそう確信し、迎撃体制に移ろうとするが……その時には、もう手遅れであった。
彼女が瞬きをしたほんの僅かの瞬間に、恐るべき速度で前進した青年の姿は、彼女と僅か数歩の距離まで近づいていたのだ。
「っ────!?」
あまりに早い、まるで野生の獣のような体捌き。
慌てて後ろ手のスタンガンを突き出そうとするが、一般的な少女の身体能力しか持っていないレイナの反応速度では、青年の怪物じみた挙動にまるで追いつけない。
青年が伸ばした左腕は一息の間にレイナの肩を抑え、その腕の可動域を大きく制限してしまう。
「……ったく、さっきからうるせぇ奴だな。ピーピー喚くんじゃねぇよ、地獄に行きやがれ」
そして、その間に青年の右足が、若木程度であれば容易くへし折る……人間の首であれば千切れ飛ぶような速度と威力で、レイナの頭部の方へと向けて蹴りを放った。
恐怖に目を瞑り、「ごめんなさい」と小さくつぶやいたレイナ。
だが、言葉も空しく無情にも足は振り抜かれる────彼女の頭、そのすぐ横の何もない空間に向けて。
「…………え?」
寒気がするような風切り音。
しかし、己の肩を抑えていた青年の手がのけられ、いつまで経っても痛みも衝撃もやってこない。数秒後にその事に気付いたレイナが、おずおずと目を開けると……そこで繰り広げられていたのは、
「テメェ!! 真昼間から暴れやがって! 護符か!? 十字架か!? それとも独鈷か!? ああ!? 弱点はいくらでも用意してあるから、総当たりで塵になるまでやってやんぜえええええ!!!!」
青年が護符のような物が靴底に埋め込まれている革靴を、商店街の石畳の地面に向けて何度も何度も叩きつけている光景であった。
ただでさえ服装が異常者であるというのに、異常行動まで始まっているものだから、もはや異常者としての数値は限界値を振り切っている。
傍から見れば、危ない薬でもやっているのではないかと思われるような青年であるが、しかしレイナは、そんな青年から逃げ出す事も、その隙を突いて反撃する事もしなかった。何故ならば
「先生……貴方が踏んでいる『其れ』は、一体何なの……?」
青年の足元に、先程まで確かに存在していなかった筈の『何か』があったからだ。
その『何か』は……一見すると人間の赤ん坊のように見える。
しかし、その全身は緑色に膨れ上がり、眼球は全て飛び出し、下半身に立っては腐った人の肉と骨で組み上げられた蜘蛛のような形をした、まるで赤ん坊の水死体を悪趣味に弄り回したかのような、悍ましい異形であった。
多賀山レイナは幽霊や妖怪の類など一切信じていない。呪いも祝福も思い込みのプラシーボ効果でしかなく、宗教すらも本質的には社会を回す為の機能に過ぎないと、そう思っている。
しかし、青年が何度も力任せに踏みつけている其れは、どう見ても────この世界に居て良いものではなかった。
「ああ!? ……っと、驚かせちまったな。悪ぃ──って、多賀山レイナちゃん。あんた『此れ』が見えるのか?」
驚き、僅かに目を見開いた青年に、レイナは呆然とした様子で返事を返す。
「……ええ。貴方が踏んでいる其れ、ラジコンとか、ロボットの類ではないわよね……? 着ぐるみ、病気の野生動物、特撮、CG……いいえ、全部違う」
「あー……ってことは、憑いてただけじゃなくて、そういう事か。チッ、この糞化物が」
一人何かを納得した様子で、化物を踏みつける力を更に強くした後、青年は少し考える様子を見せてからレイナへと向けて口を開く。
「レイナちゃん、信じられねぇかもしれねぇが、こいつぁ『化物』だよ。幽霊、怪異、妖怪、悪魔、吸血鬼────正体は知らねぇが、世の中の裏側には人ならざる化物がうようよ居やがんだ。こいつは、その化物の内の一匹だよ」
あまりの事態に、呆然としたまま、ただ思考だけを巡らせる事しか出来ないでいるレイナ。青年はそんな彼女に対して、あっさりと疑問への解を返してみせると
化物を踏み潰し固定している足により一層の力を籠め、次いで、持っていた変態装備の一つ────枝の先端が鋭く削られた榊を、化物の眉間に全力で突き刺した。
直後、悍ましい悲鳴と共に、死にかけの虫のようにもがきながら黒い塵となって消えていく異形。
その光景を見届けてから、青年は一度大きく息を吐いた。