注意・作者の偏見がたっぷりと込められています、そんなもの見たくない方はバックを推奨します。
サラリーマン・田村三十郎(34)は、手帳型スマホを握りしめ、いつものようにひとり悩んでいた。
「……ラーメンか……うどんか……」
まるでどちらか一方を選べば、もう片方とは一生会えないかのような深刻さである。
だが無理もない。
彼は“麺狂い”――少々の時より麺という麺を食らい尽くし、幼稚園のお弁当に冷やし中華を要求し、小学校では「卒業文集の将来の夢」に“自分で打ったうどんを抱いて眠りたい”と記したほどの生粋の変態……いや、麺愛者である。
そんな男にとって、「ラーメン or うどん」という問いは、単なる昼飯の選択ではない。
それは人生哲学であり、アイデンティティの照合であり、己という存在を再確認するための祈りに等しい。
その日も、田村の脳内では、ラーメンと、うどんという二柱の神が聖戦を繰り広げていた。
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【ラーメンの章】
あの湯気。
立ち昇る湯気がまず、己の魂を叩き起こす。
あの熱気にはただの蒸気ではない、何かこう、生命のスープ的な何かが混ざっている。
一口すすると、まず来るのがスープの香り。
味噌ならば赤味噌と白味噌の絶妙な配合バランスが鼻をくすぐり、塩ならば鶏の清らかなエキスが胃袋に直接語りかけてくる。
豚骨は暴力的に舌を包み込み、醤油は醤油で、甘辛さの奥に潜む魚介と香味野菜の協奏が深淵を覗かせる。
そして麺。
細麺・中太・縮れ・ストレート・多加水・低加水……その日その時そのスープに合った麺が、その一杯の命を完成させる。
スープとの絡み、歯切れ、すすり心地、そして余韻。
さらには具材だ。
ネギひとつ取っても白か青か、刻み方でも味が変わる。
味玉の半熟加減と味の染み込み具合、メンマの歯ごたえ、ナルトの存在意義、そして……チャーシュー。
低温調理、炙り、バーナー、煮豚、吊るし焼き、バラ、肩ロース、モモ肉……そのどれもが、主役に匹敵する存在感を持ち得る。
チャーシューだけで白飯が消え、チャーシュー丼を頼んでしまう誘惑に負ける日もある。
「……ラーメンとは、世界の縮図である」
そうつぶやいた哲学者がいたかは知らない。だが田村にとって、それは真理だった。
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【うどんの章】
一方、うどん。
第一印象は、静謐。
つるりとした表面、吸い込まれそうな光沢、みずみずしさ。
噛めば、もっちり、いや、コシという名の芯がある。関東系のふんわり出汁もいいが、やはり讃岐。
讃岐のうどんは、言わば麺界の刀。切れ味と美しさを併せ持つ芸術だ。
その冷たいうどんを、生醤油で啜るとき――
世界が無音になる。
そこにあるのは、己と、うどんと、呼吸音だけ。
だし。
かけうどんの出汁は、もはや液体ではない。概念である。
鰹、昆布、いりこ、椎茸――それぞれが出過ぎず、しかし引っ込みすぎず、調和の果てにたどり着いた黄金比。
さらに薬味。
すりおろした生姜。刻んだ青ねぎ。天かす、柚子皮。ちょっと七味。
この薬味たちがまた、主張しすぎず彩りを添える。
海老、ちくわ、かしわ、舞茸、さつまいも、かき揚げ。
どれもがメインを張れる逸材でありながら、うどんの上ではすべて脇役に徹する。
そう、うどんは自分が主人公であると理解しており、だからこそ、他の具材をも主役に見せる“器のデカさ”がある。
「……ラーメンは劇薬、うどんは瞑想」
田村はいつかそう日記に書いていた。
ちなみにそのページにはハートマークが三つ付いていた。気持ち悪い。
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そんな二柱の神の間で揺れる田村の胃袋と心。
「……どっちも……捨てがたい……っ!!」
彼の指はスマホのメニュー画面を彷徨う。
ラーメンの背脂が誘惑し、うどんの白肌が癒しを乞う。
そしてその時――空が鳴った。
田村の遥か頭上――地上の者には決して見えぬ高次元領域において、二つの存在がぶつかり合っていた。
片や、丼の中に煮立ったスープと麺を抱え、頭部はラーメン、身体は筋骨隆々の人間。
肩にチャーシュー、拳にはメンマを握りしめ、背には湯気の羽を広げた熱血の麺天使――ラーメンの化身。
そしてもう一方。
透明感ある出汁に輝くうどんを頭に乗せ、身体はしなやかで静謐。
腰にはきつね揚げ、手には白ネギの扇子。
どこか憂いを帯びた目をしたクールな戦士――うどんの化身。
彼らは人の心に宿る「選択の迷い」から生まれし概念存在。
見えず、聞こえず、だが確かに、胃袋と魂の奥底に作用する者たち。
そして今、田村三十郎という名の麺狂い男の“昼飯選択”を巡り、彼らはぶつかり合う運命にあった。
「フンガァァァ!! お前の“あっさり系癒しパワー”は、この俺の湯気パワーで吹き飛ばしてやるッ!!」
ラーメンが唸り声と共に拳を叩きつける。メンマがうなり、空間がひしゃげる。
「やれやれ……また始まったのか。君って、ほんとに毎回エネルギー過多なんだよね」
うどんはその拳を紙一重で躱し、涼しい顔で距離を取る。
「田村はもう三十代半ば。胃腸に優しい出汁の誘惑から逃れられると思うなよ?」
「てめぇ……!!」
湯気を纏ったラーメンが吠える。
「そもそもなあァ!! うどんなんてジジババが食うようなもんだろうが!! “やさしさ”に甘えてんなよォ!!」
「……偏見も度が過ぎるとただの無知だぞ。俺はただ“主張をしすぎない美学”を持っているだけさ」
うどんは扇子を広げ、涼しげな風とともに黄金の出汁を展開する。そこに漂うのは、いりこ・鰹・昆布の調和。静かに、しかし確実に胃袋を癒す“静の力”。
「優しさ? 美学? 笑わせんなぁ!! 俺を誰だと思ってやがる!!」
ラーメンが背中から湯気を爆発させた。
「俺にはな――! 味噌、塩、醤油、とんこつ、魚介に焦がしニンニク、すべてを包括する力がある! ラーメンの多様性を舐めるな!!」
その言葉と同時に、天空にラーメンの精霊たちが召喚される。
濃厚スープの竜、煮干しの戦士、辛味の魔女、背脂の巨人――ラーメン一族、降臨。
しかし、うどんも黙ってはいない。
「やれやれ……また“俺たち多様性兄弟”か。数ばかりで攻めるのは、味に自信がない証拠だろ?」
うどんは腰から天ぷらを一本引き抜いた。金色に輝くそれは――エビ天。
「天ぷらという最強の武器がこちらにはあるんだよヴァカめ!」
天ぷらは天空を切り裂き、サクッという音とともにラーメン軍勢を薙ぎ払う。
舞茸が舞い、かき揚げが重力を裏切り、衣の破裂音が空間を飾る。
「そして俺には、芯がある。コシがある。噛むたびに自己を問う麺なんだよ。お前の“味の暴力”とは違う」
「てめえええええ!!!」
ラーメンはついに奥の手を放つ。
「だったら見せてやるよォォ!! トロトロチャーシューという、うどんには無理な最終兵器があるんだよ!!!」
その瞬間、ラーメンの頭部から熱の奔流が走る。
チャーシューが天から降り注ぎ、肉の波動が胃に突き刺さる衝撃を放つ。
その熱気は田村の頭上にも微かに降り注ぎ――
「……なんか……ラーメン食いたい気がしてきた……?」
一瞬、田村の指がラーメンのメニューに滑りかける。
「ちっ……厄介な攻撃だ」
うどんは氷水を召喚し、冷やしうどんフォームにシフトする。
「田村、思い出せ。昼飯で汗かいたら午後つらいだろ……? 今のお前には、冷やしぶっかけ一択だ」
ラーメン「やかましい!! 熱は力だ! 火を入れろ! 味で燃えろ!」
うどん「冷静になれ。落ち着け。お前、あと会議三件あるだろ?」
戦いは、終わらない。
しかし――終わりは、やってくる。
――空が、鳴りやんだ。
メンマの雨は止み、出汁の霧は晴れ、ラードの竜巻が収まる。
戦いは、終わっていた。
丼の中身はそれぞれ飛び散り、ラーメンのスープは湯気を失い、うどんのつゆは微かに濁り始めていた。
そして、真っ白な空間の中央で、
2人の“麺”が背中合わせに倒れ込んでいた。
「……っは……やるじゃねぇか……」
肩で息をしながら、ラーメンの化身が呻いた。
チャーシューは半分炭と化し、湯気の羽は片方ちぎれている。
「そっちこそ……さすがだよ。あの天かす爆雷……正直、胃に来たね……」
うどんの化身も、きつね揚げをぼろぼろに裂かれながら、少しだけ笑った。
頭の麺はやや伸び気味。コシも、切れていた。
「……決着、つかなかったな……」
「……まぁ、そりゃそうだろ……田村って、麺馬鹿だからな……」
「選びきれるわけがない。俺たちみたいな濃厚と繊細の化け物ども、同列で悩む男だぞ」
「……ま、それがアイツの良さかもな」
沈黙が落ちる。
しばしの間、空中にただ二人の“敗北”だけが漂っていた。
それでも、そこには不思議な満足感があった。
ラーメンの化身が、空を見ながら言った。
「……ここまでやり合えば、文句ねぇな」
うどんの化身も、そっと微笑む。
「ああ。あとは――アイツに任せよう」
「どっちが選ばれても……恨みっこなしだ」
「もちろんさ」
拳と扇子が、力なくぶつかる。
まるで戦場で互いを認め合った戦士のように、
2人の麺神は静かに、爽やかに、そう誓い合った。
だがその瞬間――
田村が、スマホをタップする音が聞こえた。
ぽちっ。
そして、聞こえた。
彼の、決意の声が。
「……今日は……パスタにしようかな」
「……は?」
「……え?」
ラーメンと、うどんが同時に上体を起こす。
ボロボロの身体で、互いの手を掴みながら、真顔で田村の方向(高次元から俯瞰)を見る。
「ちょっと待て田村……今、なんて……?」
「いや、さすがに聞き間違いだろ。そんな、ここまで悩んで、最終的に洋麺とかないだろ……」
「……言ったぞ。アイツ、言ったぞ。“パスタにしようかな”って」
「うそだろ……?」
ぽち、ぽち、確かに聞こえる。
タップ音。
“カルボナーラ”。“温玉”。“粉チーズダブル”。
注文、確定――。
「「――やっぱり許せねぇな、田村ァ!!!!!」」
二人の天使がもう一度同時に立ち上がった……が、
すぐさま足元がふらつき、両者ともぺたんと尻餅をついた。
「……あー……もう動けねぇ……スープも麺も全部使い切った……」
「俺も……もう伸びたわ……」
倒れ伏すふたり。
だがその表情には、もはや怒りも憎しみもなかった。
「……まあ、いいか」
「……うん。選ばれなかったけど、全力は出したしな」
ラーメンは、空を見上げてぼそりと呟いた。
「……パスタか……あいつ、たしかチーズに弱いんだよな……」
うどんも静かに笑った。
「オリーブオイルと、罪の意識ゼロの炭水化物……あれには勝てないかもな」
「やっぱアイツ……麺狂いじゃなくて……ただの浮気者だったな……」
「……いや、麺に本気なだけさ」
最後にそう言い残すと、2人の化身は静かに光となり、空へと還っていった。
そして地上では――
田村が店のドアを開け、颯爽と入店する。
「カルボナーラ、大盛りで。あと、追いチーズお願いします」
そう。
それが、彼の答えだった。
――熱くも、冷たくもない、
ちょうどいい濃厚さの、第三の麺。
彼の胃袋は今日も満たされ、
神々はまた、彼の迷いに応じて舞い戻ることになるだろう。
明日はきっと、そばかもしれない。
あるいは冷やし中華かもしれない。
だがそれもまた、彼が麺を愛している証である。
作者が帰る時にどちらにしようかいつも迷っているのをネタにして作ってみました。