「……おい、やめろって!!」
中学三年の初夏、昼下がり。 くぐもった空気の中、教室の隅でその声は響いた。
高槻宗谷。 普通の男子、どこにでもいる少年。 ただ一つ違うのは――“間違っていることを、見過ごせない”という一点だけ。
宗谷の視線の先には、数人の女子に囲まれた少女がいた。
伏せがちな前髪。肩までの黒髪。地味な制服。 背は小さく、顔立ちも目立たない。
だが、その目は――どこかすべてを見透かすように静かだった。
「……あのさ、お前ら最低だぞ。人一人、追い詰めて楽しいのかよ」
囲んでいた女子たちは面倒そうに舌打ちをして散っていく。 宗谷は、その少女に駆け寄った。
「大丈夫か? 立てる?」
少女は、ゆっくりと頷いた。 だが、その唇はほんのわずかに震えていた。
宗谷は、そっと手を差し出した。
「先生に言おう。こんなのおかしいって」
そのまま教師の元に向かった二人。 だが、待っていたのは“理不尽”だった。
「……ああ、あの子たちねぇ。うーん、でも……あの子たちの家庭って、ちょっと……その、ね? 名門でさ。あまり事を荒立てると推薦が……」
教師はそう言い濁した。 それを聞いて、宗谷の顔が赤くなる。
「はぁ? そんなの関係ないだろ。俺が推薦もらえなくなるなら、そんなのこっちから願い下げだよ!」
教師は冷笑した。
「正義感は立派だけどね、現実を知らない子は損をするよ?」
その瞬間、隣の少女が小さく呟いた。
「……いいの。私のことは気にしないで」
だが、宗谷は声を荒げた。
「よくないだろ!!」
教室が静まり返る。
「我慢するのが正しいわけない! ツラいことを黙って耐えるのが“えらい”なんて、おかしいんだよ! ……間違ってる!」
彼の言葉は、空気を震わせた。 だが教師は嘲るように笑う。
「夢見がちだな。お前、将来苦労するぞ」
宗谷が反論しようとした、その瞬間。
「……は?」
少女の声だった。
振り返ると――
彼女の目が、開いていた。 大きく、真っ直ぐに。 瞳孔は開き、表情はまるで能面のように無機質。
教室の空気が、凍った。
「…………こんな所から、出ましょう」
無言のまま、宗谷の手を取る。 その小さな手は、信じられないほどの力で彼を引っ張った。
「お、おい、ちょ、まっ……」
教師が何かを言おうとしたが、少女の視線が彼を射抜く。 その圧に、教師もまた凍りついた。
◆◇◆
校舎の裏手、誰もいない静かな場所。
少女は、宗谷の前に立つ。
「……ありがとう、助けてくれて。私は……ずっと、誰にも言えなかったの」
その声は先ほどとは違い、芯があり、静かで、まるで別人のようだった。
「この恩は、絶対に返します。……必ず」
宗谷は言葉を失っていた。 その場の空気が、あまりにも違いすぎたから。
彼女はスマートフォンを取り出し、何かを言葉少なに伝える。
数分後――
高級外車が校門前に滑り込んだ。
運転席から降り立った女性が、駆け寄ってくる。
「お嬢様……ついに、ですか?」
「ええ。これから本家に向かいます」
少女の表情は、既に“地味でいじめられっ子”のそれではなかった。
「名前を教えてくれる?」
「高槻宗谷。君は……?」
「玲香。……まだ、姓は名乗れないの」
「……?」
「高槻宗谷さん。あなたがいてくれて、本当に良かった」
そう言って、女性が宗谷に頭を下げる。
「お嬢様を助けてくださって……ありがとうございました」
もはや、宗谷の思考はついていけなかった。
「ま……まって! 君はどうするの……?」
彼がそう問いかけようとした瞬間。
ドドドドドド……!!
空から、ヘリがやってきた。
玲香は、スカートを押さえてヘリに向かって歩いていく。
振り返らずに、一言だけ。
「…………それでは、また」
そして空へ―― 風とともに、彼女は舞い上がった。
その横で、残された女性が微笑む。
「さあ、ご自宅へお送りします。お母様が心配されていますので」
何も言えないまま、高級車に押し込まれる宗谷。
ぼんやりと、空に浮かぶヘリを見つめていた。
彼女は誰だったのか。 何を背負っていたのか。
それを、まだ誰も知らなかった。
◆◇◆
高級外車は、静かに住宅街を滑るように走っていた。
助手席に座る高槻宗谷は、窓の外を無言で見つめていた。 遠ざかっていく校舎。残された教室。 そして――空へ飛び立った、少女の背中。
あれからまだ十数分しか経っていないのに、 現実が遠く感じられるのは何故だろう。
(……なんなんだ、あれは)
ヘリ。外車。スーツ姿の女性。 玲香の瞳孔が開いて、能面になった瞬間。
(あれ、本当に同じ人間だったか?)
「……高槻さん」
運転していたスーツの女性が、ようやく口を開いた。
「ご自宅までお送りしました。お母様には私からご挨拶を……それと、これまでの経緯について、お話しさせていただければと思います」
「え? え、ちょっと、あの……いや、あの……」
頭が追いつかない宗谷。 だが車はすでに、彼の家の前で停まっていた。
住宅街の中にある、どこにでもあるような一軒家。 だが、そこに並ぶには異質な存在感の高級車。
しかも――
「……え?」
家の前、別の方向からもう一台、黒塗りの外車がゆっくりと現れる。
そして降りてきたのは――
「……父さん!?」
ネクタイを緩めたスーツ姿の男性。 間違いなく、宗谷の父だ。
普段ならこの時間はまだ働いている。 この時間にいるはずがない父が、 その場にいた。
そして父は、車から降りた宗谷に向かって言った。
「……事情は聞いた。よくやったな、宗谷」
そう言って微笑んだその目は、なぜか哀しげだった。
「父さん……? 何で……?」
「お前は間違ってない。本当に、よくやったよ」
そう繰り返しながらも、父の表情はどこか曇っていた。
まるで、 これから“運命に巻き込まれる人間”を見つめるような目で。
「母さんと一緒に、少しこの方と話をする。……お前は部屋に居なさい」
「……え?」
「心配いらない、大丈夫だ。決して悪いことにはならないから」
そう告げる声は、どこまでも優しい。 だが、その優しさの奥には、諦めに近い静けさがあった。
「な、何の話をするの……?」
宗谷の問いかけには答えず、 父は静かに扉を開け、女性と共に家の中へ入っていった。
宗谷は、玄関の前で立ち尽くす。
そして――
(……なんで、父さん、あんな顔してたんだ)
答えのない疑問と、胃の奥に残る微かな不安だけが、 彼の中に残った。
◆◇◆
静かな部屋の中、宗谷は座ったまま動けずにいた。
ベッドに突っ伏しても、スマホをいじっても、頭は空回りするばかりだった。 何も、分からない。 分かるのはひとつ――あれは現実だったということ。
あの少女は確かに、 玲香だけと名乗り、 空に飛び立った。
(……なんだったんだ、今日……)
深く長いため息とともに、 部屋のドアが、ノックもなく静かに開いた。
「宗谷……ちょっと、来てちょうだい」
母だった。
けれど、その表情にはいつもの明るさがなかった。 疲れが滲み、どこか魂が抜けたような笑み。 そして――なにより、その目が。
哀れみに満ちていた。
(……父さんと、同じ目だ……)
宗谷は背筋をぞわりと震わせた。 けれど、逆らう理由もなく、立ち上がる。
ゆっくりとリビングへ向かうと、 スーツの女性がまだ座っていた。
だが彼女は立ち上がると、宗谷に深く一礼する。
「改めて、ありがとうございます。……お嬢様にとって、あなたとの出会いはかけがえのないものでした。今後とも、どうか……」
それだけ言い残すと、彼女は家を出ていった。 まるで任務を終えた兵士のように、背筋を伸ばして。
扉が閉まる音が、異様に重く響く。
残されたのは、三人の家族だけ。
そして父が、口を開いた。
「……今日のことは、全部聞いたよ」
宗谷はうつむいた。
「……ごめん。推薦……たぶん、取り消しになるかも」
だが父は、ふるふると首を振った。
「それはいい。いいんだ。お前は……正しいことをした。なあ、母さん」
「ええ。宗谷、あんな教師の言葉なんて気にすることないわ。胸を張りなさい」
「母さん……」
思わず胸が熱くなる。 正しいって言ってくれた。 それがどれだけ救いだったか。
けれど、その後に続いた父の言葉が―― 空気を変えた。
「……そもそも、こうなってしまえば、もう……」
「えっ?」
「……高校進学について、何も考えなくていい。何もだ」
「いや、それはさすがに変だろ!? 今からでも──」
「いいんだ、いいんだよ」
優しさにも見える口調。 だが、それは明らかに“有無を言わせない”音だった。
父の目は、現実を悟った者の目。 その奥底に、静かな諦めの色。
「お前は……選ばれてしまったんだ」
その言葉が、 まるで死刑を言い渡すようなトーンで語られた。
ぞわ……と背筋を冷たいものが這う。
(選ばれた……?)
母が横からフォローするように言葉を添える。
「とにかく、中学卒業までは普通に過ごしなさい。ああ、友達と遊ぶのもいいわね。毎日遊びまくって。勉強のことは……うん、気にしなくていいのよ」
笑顔だった。 けれどその笑顔は、まるで余命宣告を受けた子に贈る慈愛のようで。
(……え?)
胸の奥がざわつく。 なぜ、何も言わずに勉強しなくていいと言うのか。 なぜ、遊べ遊べと勧めるのか。
まるで、 「今のうちに最後の贅沢を味わいなさい」 そう言われているようだった。
宗谷は、その場に座ったまま、言葉を失っていた。
壁の時計が、秒針だけを響かせる静寂の中で回り続けていた。
◆◇◆
翌朝。
食卓には温かい朝食が並んでいたが、宗谷の箸は進まなかった。
それでも両親は、どこか気丈に振る舞っていた。 特に父は、いつもならとっくに会社へ向かっている時間なのに、今日は妙にゆっくりしていた。
「父さん、会社は?」
「いいんだよ、宗谷。今日は……いいんだ」
優しく微笑むその顔に、不安が募る。
(なんで、そんな顔するんだよ……)
朝食を終えて一緒に家を出た。 玄関先で別れ際、父がぽつりと呟いた。
「宗谷、元気でな」
それは、まるで永遠の別れを告げるような声音だった。
気が重いまま、学校の門に近づく。
だが――
「……え?」
門の前には、大人たちが列を成して待ち構えていた。 校長、教頭、その他の教師たち(クソ教師を除く)。
何事かと訝しんでいると、ひとりの教師が宗谷を見つけて叫んだ。
「見つけたぞ!!!」
そのまま校長室へ連行される宗谷。
扉の向こうで、目にしたのは――大人たちの土下座だった。
「高槻君、申し訳なかった! あの教師の推薦取り消しの件は完全に我々の落ち度だ!」
校長の謝罪を皮切りに、教師たちが頭を下げていく。
「推薦取り消しは無効とします! 代わりにこちらを……」
差し出された封筒には、信じがたい名前が書かれていた。
――天壌学園。
世界中の大富豪の子息が通う、天上院グループが運営する超エリート校。 東京都近郊の海上に築かれた人工島に位置し、その島全体が天上院本家の支配下にある。
人工島そのものが“天上院の王国”と称されるほどで、 一般人が通うことなど原則として不可能。 唯一の例外は――天上院本家の推薦を受けた者のみ。
当然、宗谷が自力で願書を出すことすら不可能な学校である。
「……え? いや、無理です。絶対無理です。行きたくありません」
宗谷が断ろうとすると、大人たちが一斉に説得にかかる。
「頼む! どうか受けてくれ!!」 「これは我々の誠意なんだ……!」
あまりにも必死すぎる大人たちの圧に、宗谷はついに折れる。
「……わかりました。受けます」
その瞬間――
「ありがとう……ありがとう……!」
教師たちは涙を流して喜んだ。
宗谷はただ、天井を仰いだ。
(……もう何も考えたくねぇ)
どこで道を踏み外したのか。 いや、踏み外したんじゃない。 “選ばれた”のだ。
――あの少女に。
そして、運命に。
◆◇◆
東京都近郊・人工島 天上院本邸――
世界でも指折りの財閥、天上院家の本家。
その重厚な屋敷の一室に、異様な緊張感が漂っていた。
三人の人影――
中央に座る少女、玲香。
その向かいに、父と母。
その場の空気を裂くように、玲香が口を開いた。
「お母様、私……今日から“天上院”を名乗ります」
一瞬の沈黙。そして――
「……ええ。今日からあなたは、正式に天上院よ。私たちの誇り、そして未来」
母の声には、抑えきれない喜びがにじむ。
対照的に、父は深く、重たいため息をついた。
「……ああ、ついに選ばれしものが……」
だが、当の玲香は静かに背筋を伸ばしたまま――まるで王女のような気品すら漂わせていた。
以前の地味で陰気な少女の面影は、完全に消えていた。
瞳には鋭い光。
それは、獲物を見据える獣のような輝き。
「……高槻宗谷さん、ですね?」
母が尋ねると、玲香は微塵の迷いもなく頷いた。
「はい。高槻宗谷さん。ごく普通の家庭に生まれながら、文武両道、学年上位、他者への思いやりと寛容性を持ち、自己犠牲的精神に富み、教師や同級生の信頼も厚く、個別行動においても常に主導性を発揮しており――」
「玲香、長い」
父の震えた声が割り込んだ。手が震え、胃がきしむ音が聞こえそうだった。
だが玲香は構わず、凛とした口調で言い切る。
「宗谷さんは、私が知る限り世界で最も高貴な一般人です。
彼は選ばれし存在。そして――私が彼を選びました」
母は感嘆の吐息を漏らした。
「……素晴らしいわね」
それが玲香のことか、宗谷のことか。あるいはその両方か――判別はつかなかった。
父は、すでに敗北した将軍のような表情で、最後の質問を絞り出した。
「……で、玲香。君は、その宗谷君と、どうなりたいと思っている?」
知っている。答えは最初から分かっていた。
だが、親として、聞かねばならない。
「彼の妻になります。そして、子を産みます」
まるで「今日は天気がいいですね」と言うような自然さで。
母は目を細めて深く頷いた。
「……よく言ったわ。それでこそ、天上院の女」
父は机に突っ伏しそうになりながら、懇願するように叫んだ。
「せめて、せめて高校を卒業してからにしてくれ! 彼に猶予を与えてやってくれ……!」
母は穏やかに、しかし異様な確信を持って微笑んだ。
「ええ……自分の欲望を優先するのは、いけないことだわ。性交も、高校を卒業してからにしなさい」
「なぜですか!!」
それは雷鳴のような叫びだった。
玲香の顔が鬼の形相へと変わる。
「なぜですか!! なぜ、いけないのですか!!」
母は静かに応じる。
「一度でもしてしまえば、歯止めが利かないのよ。何度も、何十回も、止まらない。そして妊娠する。……ソースは私」
「やめてえええええええええええええええええええ!!」
母はため息をついた。
「貴女を宿してお腹を大きくしたまま卒業式に出た伝説。私は誇りに思ってるけど……彼には背負わせたくないでしょ?」
玲香は、唇を噛み、俯き、そして――
「……はい」
声は小さかったが、意志の力はこもっていた。
それは敗北ではなかった。
ただの“延期”。
燃えるような執念の炎は、消えてなどいない。
その夜、
玲香は正式に“天上院”となった。
そして――
彼女の、愛と執着と計画に満ちた「宗谷攻略戦」は、静かに幕を開けたのだった。
◆◇◆
「……すげぇ……」
高槻宗谷は立ち尽くしていた。
目の前にそびえ立つのは、豪奢を極めた白亜の門――天壌学園正門。
黄金の装飾、完璧な曲線で描かれたアーチ。
美術館と間違えるほどに荘厳な校舎が、門の向こうにそびえ立っている。
ついさっきまで、
宗谷は中学の卒業式でクラスメイトと笑っていた。
だが、突如校庭に**VTOL(垂直離着陸機)**が着陸し、メイド服を着た女性にこう言われたのだ。
「――高槻宗谷様、学園へお連れいたします」
そして、呆然とする同級生たちの目の前で連行された。
父は、目元に涙を浮かべながら笑っていた。
「……元気でな」
母は、無理に笑顔を作って手を振った。
「頑張ってね」
それが、“普通”の人生との決別だった。
(俺、マジでここ通うのか……)
全身から気圧されながらも、宗谷は門の前でしばし茫然と立っていた。
だが、そのとき――
「……貴方が、高槻宗谷さんですね?」
清らかで、よく通る声。
振り向いた瞬間、
宗谷の目に入ったのは、まさに“異次元”の存在だった。
艶やかな黒髪を揺らし、
完璧なプロポーション、170センチはあろうかという長身。
絵画の中から抜け出したような絶世の美女。
しかも――なぜか制服を着ている。
この学園の、生徒だ。
(え、待って、誰だこの超人……?)
初対面のはずなのに、
どこか既視感があった。
視線を合わせる。
微笑みを浮かべる美女。
そして――
「……君は、あの時の娘?」
宗谷の口から、思わず漏れた曖昧な言葉。
次の瞬間。
彼女の瞳が、大きく見開かれる。
「……っ!」
そして、破顔するように微笑んだ。
「……はい。あの時、貴方に助けられた女です」
まさに歓喜の声だった。
宗谷は、脳内で大声ツッコミを入れていた。
(いやいやいやいやいやいや!!
ちっちゃくて地味だった中学生が……なにこの美少女進化は!!?)
確かに印象的な目は、あの時のままだ。
だが、あまりに変わりすぎていた。
地味でおとなしかった“彼女”は、
今や誰が見ても一国の王女クラスの美女。
(成長ってレベルじゃねぇぞ!変態の域だよ!?)
ぽかんとしたままの宗谷に、彼女――天上院玲香は、静かに言った。
「……場所を移しましょう。お話したいことがたくさんあります」
「……あ、うん。わかった」
(今この人に「いいえ」って言える奴、たぶんいない)
玲香は優雅に踵を返す。
まるで舞台の幕が開くように。
高槻宗谷は、静かにその背中についていった。
それは、運命の中で再び出会ったふたりの、
本格的な開幕の一歩だった。
◆◇◆
これが、玲香との二度目の出会いだった。
……そして、それが地獄の入口でもあった。
いや、天国に偽装された地獄かもしれない。
*
天壌学園への入学と同時に、
俺――高槻宗谷は、「寮」なるものに入ることになった。
だが、連れて行かれたその建物は――
「……え、これ一軒家じゃね?」
見上げるような豪邸。庭付き。石造りの門。
セキュリティは指紋・声紋・虹彩認証。
全然“寮”じゃない。
「宗谷さん、この家が今後の住居になります。私の実家が所有していたものですので、使って構いません」
玲香は、当たり前のように鍵を開け、俺の前を歩いた。
俺はもう、この時点で何も言えなかった。
言っても無駄だと知っていたから。
だが、事態はさらに進む。
「部屋? 一緒でいいですよね?」
「……いや、いやいや!? 一緒って何!? 部屋数めちゃくちゃあるよね!?」
「ええ、でも共有したほうが管理がしやすいので。安心してください、ちゃんとカーテンで仕切りますから」
(いや、そのカーテンたぶん意味ないやつだよね!?)
*
そして始まった、玲香の管理下生活。
――朝。
「おはようございます、宗谷さん。朝食はこちらに」
完璧に整えられた食卓。和洋中全対応。
出されるたびに俺の好みを1mmずつ更新して最適化されていく。
――夜。
「お風呂、沸かしました。湯温は宗谷さんの好みに設定済みです。なお、洗髪は私が行いますか?」
「いやそこは自分でやるからあああああああ!!!」
――そして何より恐ろしいのは、
ラッキースケベの発生率の高さだった。
風呂場、部屋、廊下、着替え、寝起き。
まるでイベントフラグのバグかと思うほど自然に、しかし圧倒的に偶然を装って何かが起こる。
にもかかわらず――
「ごめんなさい、宗谷さん。タオルが……ふふっ、顔赤いです」
なぜか一切、不快にならない。
むしろ「ごめん俺が悪いんだ」みたいな空気になって終わる。
これが玲香の恐ろしさだった。
*
そして、学園生活。
当然のように、学園内の誰もが玲香の存在を知っている。
だが、それだけではない。
「おい高槻、お前って……マジで玲香様とどういう関係?」
「俺? いや、なんか気づいたらこうなってて……」
「くっそ、うらやま……いや、尊いな……俺たち、応援するわ」
なぜか学友たちが俺と玲香のカップルを全面推ししてくる。
しかもその面々は全員、世界的財閥の御曹司や王族の子弟。
誰一人として玲香を狙わず、モブとして“二人を盛り立てる”役に徹していた。
「今度の学園パーティー、ペアダンスは……やっぱ天上院様と高槻でしょ!!」
「文化祭の主演も当然この二人で!」
「デートスポットは全部予約しておいたよ!」
行く先々、
振り返れば常に玲香、玲香、玲香。
何かの罠か? 催眠か? そう疑った時期もあった。
でももう、俺は考えるのをやめていた。
これは――
そういう世界線なのだと。
玲香一色の学園生活。
どこまでも俺を囲い、封じ込める完璧な檻。
なのに、不快じゃない。
むしろ――ちょっと心地いいのが、怖い。
*
こうして俺は、
玲香と過ごす天壌の日々に、
少しずつ、しかし確実に染まっていった。
これは恋なのか?
洗脳なのか?
それとも、ただの敗北なのか?
……わからない。
ただひとつ、はっきりしているのは、
――逃げられない、ということだけだった。
◆◇◆
卒業式。
人工島に吹く風は穏やかで、
空は信じられないほど青かった。
天壌学園、最上級の制服に身を包んだ高槻宗谷は、式が終わっても校舎から動けずにいた。
(……終わったな)
ずっと遠くに感じていた“この場所”が、いつの間にか日常になっていた。
朝食は玲香と、
昼食も玲香と、
放課後も、イベントも、日々の生活も、すべて。
気づけば、天壌学園で過ごした三年間は、彼女と共にあった時間の積層だった。
そして今。
静かに歩み寄ってくる少女。
誰もが振り返る美貌、
けれどその目は今だけ――あのとき、出会った地味な少女と同じ色をしていた。
天上院玲香。
彼女は、凛とした足取りで宗谷の前に立った。
「宗谷さん」
その声も、変わっていない。
宗谷の心に、少しだけ波紋が広がる。
「……今日で、学園生活は終わりです。
けれど、私は――これからが本番だと思っています」
「……うん」
「ずっと、言おうと思っていたことがあります」
玲香は小さく息を吸い、
それから、笑った。
それは“計算されていない”、本当に素の笑顔だった。
「――好きです、宗谷さん。私は、貴方が、好きです」
花が咲くような声音。
その告白は、もはや誰も驚かない“完成された関係性”の最後の一欠片だった。
だが宗谷は、
なぜだろう。
どこか**“今さら感”**が拭えなかった。
(いや、ずっと前からそうだったよな……)
正直、告白されたところで驚きもしなかった。
この三年間、ラッキースケベも、共同生活も、謎のラブイベントも、
全部玲香とだけだった。
むしろ、このタイミングでようやく“自分の思いを言葉にされた”ことに――
「……今さら、かよ」
思わず、そんな言葉が漏れる。
玲香の顔が、わずかに曇る。
「……ごめんなさい。もっと早く、はっきり言えばよかった」
「いや、違う。俺が、だよ」
宗谷は、静かに目を伏せた。
この三年間、ずっと“圧”に流されて、戸惑って、呑まれて――
でも、確かに嬉しかった。
こんなにも一途に求められて、
誰よりも自分を理解しようとしてくれて、
どこまでも自分を見つめてくれた相手。
(困ったとこは……あるけど)
「……俺も、玲香のことが好きだよ」
それは、偽りなき事実だった。
玲香の目が、ほんの一瞬、大きく見開かれる。
そして――静かに潤んでいく。
「……嬉しいです。これ以上に、望むものはありません」
宗谷は苦笑する。
「望んでたのは、とっくに手に入ってたろ……」
「ええ。でも、“答え”はまた別です」
そして宗谷は――腹をくくった。
どれだけ騒がしくても、
どれだけ強引でも、
この娘はきっと、自分の一番奥に踏み込んで、
そのまま笑ってくれる。
だったら、逃げる理由なんてない。
「……覚悟決めたよ。俺、玲香と添い遂げる」
その一言で、玲香の目が一層輝いた。
「――はい。必ず、幸せにします」
(あ、逆なんだ……俺じゃなくて、される側なんだ……)
このとき宗谷は悟った。
自分はヒロインを攻略したわけじゃない。
ヒロインに攻略され尽くして、EDに到達しただけなんだ――と。
それでも悪くない。
悪くないどころか――たぶん、最高だ。
青空の下、
誰にも邪魔されず、
ふたりは静かに並んで立っていた。
その足元から、
未来という物語が、音もなく広がっていった。
――完
天上院とは
天上院(てんじょういん)とは、バイオテクノロジーによって世界トップの地位を築いた巨大財団にして、閉ざされた名家である。
その実態は「愛し続けること」を追求した、ある種の恋愛宗教的・生命工学的集団でもある。
・起源と目的
天上院のバイオテクノロジーは、元々――
**「天上院の女が、選んだ男と永遠に愛し合うため」**に生み出されたものである。
この技術は老化を止めるだけでなく、若返りや細胞再生すら可能とし、
肉体的な時間の制限を超越する愛の実現を目的にしていた。
その極めて高度な生命技術の一部が商業化され、
医療分野、特に再生医療・若返り医療において圧倒的な地位を築いている。
・影響力と支配構造
天上院の医療技術を必要とする国家首脳や財閥、要人は世界中に存在する。
つまり――
「天上院に逆らうこと=命と若さを手放すこと」
という公式が成立しており、事実上の世界影の支配者とも言える。
・天上院の女とは?
誕生と宿命
天上院の家系に生まれた女性は、生まれながらに圧倒的なポテンシャルを秘めているが、
それが開花するのは**「恋に落ちた時」**である。
この恋こそが、彼女たちの**“天上院姓”を正式に名乗る資格”**となる。
・恋の解放
恋をした天上院の女は、内に秘められた全能力が開放される。
身体能力、知力、感性、判断力、情報処理力すべてが超常的な域へ到達
容姿も進化し、**“人類の理想形”**のような魅力を放つ
執着心と愛情が極限に達し、選んだ男を逃さない
金・権力・法・武力、あらゆる手段を行使し、彼を囲い込む
すなわち、選ばれた男は“終わる”。
良くも悪くも、運命は決したのだ。
・後継者と血統
天上院の女が産む子の多くは女性である。
これは遺伝的特性として知られ、稀に男子が生まれた場合は外に出されることも多い。
表向きの運営者は男性であるが、
それは世間体と対外的な緩衝材としての存在であり、
実際の実権や未来の中枢は常に**“恋に目覚めた天上院の女”**にある。
・女の在り方と男の恐れ
天上院の女たちは、選んだ男に尽くすことを誇りとし、悦びとする。
その献身は、時に狂気的で、暴力的なまでに純粋だ。
故に、外部の人間――特に男たちは、
本能的に天上院の女を“恐れている”。
「選ばれたら最後」
「惚れられたら人生が変わる」
それは噂でも誇張でもなく、事実なのである。
ギャルゲーで大倉〇子さんがバグで最終形態から高校生活スタート!をイメージしましたw
んでもってヤベー要素を加えたいなと思ったら天上院の女というクリーチャーが出来ちゃったww