――――場所は人里、時間は正午を少し過ぎた頃。
人里の守護者、上白沢慧音は、目の前に広がった光景を理解出来ずに、ただ立ち尽くしていた。
………もちろん、全くすべてが理解出来ないという訳ではない。むしろ、一つ一つの事を抜き出してみれば、どれも理解出来るものばかりだ。
その事を確認する為に、慧音は現在の状況の整理を、頭の中で始めた。
――――まず最初に、今日は、何時もやっている寺子屋の授業を休んでいる。
理由は簡単で、今日は、魔法の森に住んでいる魔法使い、アリス・マーガトロイドによって上演される、人形劇がやっているからだ。
彼女は、時々人里に来ては人形劇を上演しており、それは人里の子供達から高い人気を得ている。
なので、それをやっているとなれば、子供達は授業に集中してくれない。
だから、寺子屋を休みにするのは可笑しくは無い。
次に、慧音自身も、アリスの人形劇を見に来ていた。
楽しむためと言うわけではなく、何か不穏な動きをするものがいないか、という監視のためである。
アリスが何か人里に害となるようなことをするとは慧音も思っていないが、それでもアリスが妖怪である以上は警戒しておくに越したことはないし、アリスが何かしなくとも、他で何かが起こる可能性も十分にあるからだ。
そして現在。監視のついでに町を歩き回っていた慧音は、今まで見たこともない光景に遭遇していた。
――――地面に倒れている、白い翼を持った妖怪に覆い被さるように、人里の子供達がまとわりついていた。
「………これは、何だ?」
慧音の口から、自然とそんな言葉が流れ出る。
前言撤回。一つ一つ整理してみても、最後の状況だけは理解が及ばなかった。
何故こんなことになっているのか。
何故子供達は目の前の妖怪に警戒心一つ持っていないのか。
何故妖怪の方は、自分が下敷きにされているこの状況で、振り払う事も、子供達を押し退けることもせず、ただ困ったように笑ってなすがままにさせているのか。
そんな疑問がぐるぐると慧音の頭の中を駆け回り、そして、
「お前達、一体何をやっているんだぁーーー!!」
そんな怒号となって、慧音の口から吐き出された。
◆
「………すみません、ありがとうございました」
慧音の怒号を聞いて、子供達が蜘蛛の子のように散っていった後。
子供達に倒されていた妖怪の少女は立ち上がると、服に付いた砂を手で叩いて払った後に、慧音に礼を言ってくる。
「いや、こちらこそ済まない。私の寺子屋の生徒達が迷惑を掛けたようだ。………所で、君は誰だ?見たことのない顔だが」
「ライラと言います。見ての通りの妖怪で、種族は見た目とは違って一応吸血鬼です」
「私は上白沢慧音だ。ここで寺子屋をやっている。………一応?」
丁寧な口調で自己紹介をしてきたライラに、慧音は同じように自己紹介をしてから疑問を投げ掛ける。
確かに、ライラの姿は全くと言って良いほどに吸血鬼―――悪魔の姿には見えないが、今のライラの言葉は、ただそれだけの意味には聞こえなかったからだ。
「いえ、大したことじゃありません。気分の問題ですから」
慧音の疑問に、ライラはあはは、と笑ってそう答える。
その口調はどこまでも丁寧で、優しげなものであったが、それ故にはっきりとした沈黙が含まれていた。
これ以上はこの事を聞いても答えてはくれないだろう、と判断した慧音は、それについて聞くのを止め、別の質問を口にした。
「しかし、君は本当に吸血鬼か?吸血鬼は太陽の光に弱いはずだろう」
「基本的には弱いですよ。今は能力を使って、『太陽の光に弱い』っていう特性を無くしてるから、こうやって外を歩けているんです」
慧音の質問に対してのライラの答えに、慧音はライラへの警戒を強める。
吸血鬼、という種族は、そもそものスペックからして、そこらにいる妖怪とは段違いの存在だ。
身体能力、妖力、知能。
全てを平均的に見れば、吸血鬼は妖怪として、トップクラスの実力を持っているとも言える。
しかし、その代償なのか、吸血鬼にはとにかく弱点、と呼べるようなものが多い。
太陽、流水、銀、杭を心臓に打たれる――――まぁ、最後のは殆どの生物がそうなので、弱点と呼べるかどうかも怪しいのだが、それはともかく。
特に、最初の太陽、という弱点はとても顕著で、日の元に出ただけで灰になってしまうらしい。
しかし、目の前にいる吸血鬼の少女は、その太陽、という弱点を無くす術があるらしい。
ならばそれは、人間にとって大きな脅威になることに――――
「あの、そんなに警戒しなくても良いですよ?人間さん達に危害を加える気はありませんし、この能力も万能って訳じゃないので、ちゃんと代償も………」
「話は終わったの?天使のおねーさん!」
ライラを警戒しながら、考え込むように俯いてしまった慧音に、少しだけ慌てたように弁明しようとするライラの後ろから、そんな声が掛けられた。
その声に聞き覚えのあった慧音が顔を上げると、そこには見慣れている、先程の慧音の怒号で逃げた子供達のうちの一人であり、半月程前に、夜中に一人で人里を抜け出して、その時に妖怪に襲われ、それが原因で人里に来る妖怪にも絶対に近づかなくなってしまっていた少女であった。
「あはは、天使じゃなくて、吸血鬼だって言ったでしょ?………それで、話はまだだけど、どうしたの?」
ライラも少女の方へと体を向けると、そう言いながらしゃがんで少女に目線の高さを合わせて、笑顔を浮かべる。
少女はそれにぱぁっと効果音の付きそうな笑顔を返してから、ライラの元へと走っていって、抱きついた。
「お、おい!危ないぞ!明菜」
「大丈夫だよ、先生。おねーさんは、私の恩人さんだから」
少女――――明菜の行動に驚いた慧音の忠告に、明菜は慧音の方を振り向いて、そう言葉を返す。
慧音はそれを聞いて、明菜が人里を抜け出した日、明菜自身も、明菜を連れて帰った妹紅も、同じ事を言っていた事を思い出した。
そう、確か――――天使のような姿をした妖怪に、明菜が命を救ってもらった、と。
「………あなたが、明菜を救ってくれたのですか。ありがとうございます」
「い、いえ。そんな、お礼を言われるような事じゃありませんし、私なんかに敬語を使う必要もありません。最初と同じ口調でお願いします」
突然丁寧な口調で礼を言われたライラは、慌てて慧音に元の口調で話してくれるように頼む。
慧音はその言葉を聞いて、珍しいものを見るような目でライラの方を見つめた。
「………どうしたんですか?」
「いや、何、珍しいと思ってね。君のように、人間に対して自分を下に見るような発言をする妖怪は、なかなか居ないからな」
「あはは。それは分かります。けど、私は人間が好きで、人間っていう種族を尊敬してもいるんです。なら、敬語を使うのは当たり前じゃないですか?」
「人間を、尊敬している?どういう所を尊敬しているんだ?」
ライラの口から放たれた、余りにも妖怪らしくないその言葉を、慧音はつい、聞き返してしまう。
ライラはそれにはい、と頷いた後、笑顔を浮かべながら、
「妖怪、それも大妖怪に勝てる存在が、人間の中に現れる所です」
と、そんなことを言ってみせた。
慧音はそれに少しだけ首を傾げる。
今の言葉だけでは、人間が馬鹿にされているようにしか聞こえなかったからだ。
「そもそも、人間と妖怪では存在のスペックが違うんです。筋力、速力、と言った、物理的な能力。妖力、霊力、魔力と言ったものの潜在量。どれをとっても、人は大妖怪には勝つことが出来ません。ですが、勝負になってしまえば、前提条件が大幅に負けているはずの人間は、大妖怪に勝ってしまうこともあるんです。………どうしてか、分かりますか?」
ライラの質問に、慧音は首を横に振る。
そんな事は、深く考えた事も無かったからだ。
「人間は、自分が弱い事を知っているからです。相手が自分より、遥かに強い存在だと知っているからです。だから人間は、相手より弱い自分が勝つために、頭を使います。動きの癖、相手の弱点、実力の差を覆す方法。沢山の要素が詰まった勝ち方を作戦として立てて、自分の世界に相手を引き込むことができるんです。妖怪はそんな事を考えもしません。………これって、凄いことだと思いませんか?」
にこにこと笑顔を浮かべながら、そんな事を言ったライラに、慧音は言葉を返せない。
彼女の言葉はどこまでも本心で、どこまでも本気なのが、分かったから。
彼女が心から、人間を尊敬しているのが、言葉の端々から伝わってくるから。
「………何て、少しだけ真面目な話をしてみました。面白い話でしたか?慧音さん」
そんな慧音の様子を見てから、ころりとその表情を軽いものに変化させたライラは、そんな事を言ってみせる。
慧音がそれに頷くと、少しだけ安心したように息を吐いた。
「あはは。それは良かったです。………それはそうとして、一つ聞きたいことがあるんですけど、良いですか?」
「あぁ、何だ?」
「幻想郷で、仕事をやってる妖怪っているんですか?………実は私、幻想郷に来たばっかりで、お金が無くて。今はアリスさんの所で居候させてもらってるんですけど、何時までもそれは流石に不味いから、何か仕事でもやろうかなって」
ライラの言葉に、慧音は考えを巡らせる。
確かに、人里の中ではないが、幻想郷で仕事をしている、妖怪はいる。
人を襲うより、そうやって金を稼いだ方が効率がいい、と考える妖怪もいるからだ。
ライラは効率、というよりは、人を襲う気が無いから、という理由の方が大きい様に見える。
なら、
「………良いんじゃないか?人里の中ではないが、仕事をしている妖怪はたまにいるからな。………ちなみに、何をしようと思っているんだ?」
「そうですね………『何でも屋』って言えば分かりますか?」
「あぁ。………しかし、出来るのか?全体としての難易度は、酷く高いと思うのだが」
ライラの言った言葉に、慧音はそんな疑問を返す。
ライラの言った『何でも屋』は、見方によれば何処までも難しい職業だと言える。
何せ、人によって千差万別の依頼を、依頼人が納得するレベルでこなさなければならないのだ。
しっかりとやろうとすれば、その難易度はきっと計り知れないものとなる。
「大丈夫です。一応、似たような事を外でもやってたんですよ?三百年位前の話ですけど。だから、そういう事には慣れてるんです」
あはは、と笑いながらそう言うライラの顔には、確かな自信が浮かんでいる。
………どうやら本当に、心配するような事でもないらしい。
「………ようやく見つけた。終わったから帰るわよ、ライラ」
と、そこで、慧音の後ろから声が掛かる。
慧音が振り向くと、そこには先程まで人形劇をしていた魔法使い、アリス・マーガトロイドが立っていた。
ライラはアリスの姿を確認すると、自分の服を掴んでいた明菜の頭を優しく撫でてから、服を掴んでいた手を解いて、アリスの方へと歩いていった。
「………今日はありがとうございました、慧音さん。それと、じゃあ、またね、明菜ちゃん」
ライラは最後に慧音達の方へと振り返ってそう言うと、先に歩き出したアリスを追って、慧音達の前から歩いていなくなった。