その夜は分かれ道の近くまで戻って野営し、翌朝早くに発った。
街道に出てしまえば、あとは平坦な道のりだった。昼を回る頃には、木々の切れ間から宿場町ヴァレンの低い城壁が見えてくる。
道中、御者台のカレリアは手綱を握りながら、何度もちらちらと横へ視線を送っていた。
視線の先には、馬車と並んで歩くティリエがいる。
――昨日の戦いを、思い返す。
精霊魔術を使う身だから、視えるものがある。あの時ティリエの周りにいた精霊たちの動きは、明らかにおかしかった。
精霊とは本来、気ままなものだ。頼み、宥め、機嫌を取って、ようやく力を貸してもらう。それが――彼女の精霊たちは、まるで統率された軍隊のように寸分の乱れもなく動いていた。従えている、としか言いようのない在り方だった。
それだけじゃない。疑問なら、数えきれないほどある。
やがて意を決したように、少女が口を開いた。
「……ひとつ、聞いてもいい」
「どうぞ」
「昨日の、防護魔術。あなた、いつ張っていたの。詠唱どころか、素振りも見えなかった」
「ああ、あれ」
ティリエは前を向いたまま、こともなげに答えた。
「ずっとだよ」
「…………ずっと?」
「うん。ずっと」
カレリアの手が、手綱を握り直した。
それきり、少女は黙り込んだ。何かを必死に計算して、その計算が合わない――そんな顔だった。
隣を歩くジェイが、素知らぬ顔で、くつくつと喉を鳴らした。
◇◇◇
ヴァレンは、灰域の只中に、ぽつんと浮かぶ町だった。
砂漠のオアシスのように孤立した小さな聖域があり、その上へ、へばりつくようにして築かれている。城塞都市フォート・グレイブと水都ラティーナとを結ぶ街道のちょうど中継ぎにあたる要地で、周辺の村々との行き来も盛んだという。
もっとも、見た目は要地というより働き者の町だった。壁も家も飾り気のない実用一辺倒の作りで、行き交うのはほとんどが平民たち。旅人と、荷と、噂とが、毎日この町を通り抜けていく。
門前で事情を告げると、守護者の詰所はにわかに慌ただしくなった。荷台から降ろされた六人の賊を検めた守護者の隊長が、目を剥いたのだ。
「……こいつら、『バッソの一味』だ。この辺りの街道で商隊が消える事件が続いてな。手配がかかってたんだ」
護衛に紛れ込み、人気のない道へ誘い込んで、荷ごと消す。同じ手口の被害が、確認できただけで三件。
――何度も使ってるからよ。
あの言葉の本当の意味を、一行は今さらのように噛みしめることになった。
「よくぞ生け捕りに。賞金が出ます。それと……お仲間のことは、お気の毒でした」
隊長は、布に包まれた二枚の識別票を恭しく受け取った。詰所の記録に残し、刻まれた手がかりを頼りに、報せを縁者へ送るのだという。
小さな札が、係の手で棚の奥へ仕舞われていく。
カレリアは、その札が見えなくなるまで、じっと目で追っていた。
商人のハモンドは、約束の報酬に色をつけて支払った上で、何度も何度も頭を下げた。
「本当に、本当に、ありがとうございました……! 皆様は命の恩人です。ヴァレンには数日逗留しますので、御用があればいつでも!」
賞金と報酬の分け前を受け取る段になって、カレリアは首を横に振った。
「私は、護衛として失格だった。報酬を受け取る資格は――」
「はい、それ以上は無し」
レイナードが、ひらりと遮った。
「キミは最後まで戦った。商人さんも生きてる。なら受け取っていいんだよ。……それに、これから入り用になるかもしれないしね?」
含みのある言い方に、カレリアは怪訝な顔をしたが、押しつけられた革袋を結局は受け取った。
◇◇◇
弔いは、その日の夕方に行われた。
ヴァレンの外れ、街道を見下ろす小さな丘に、旅人のための墓地があった。灰域を行き交う途中で果てた、名も知れぬ者たちが眠る場所だ。
二つの墓穴の前で、レイナードは黒のカソックの襟を正した。
祈祷の声が、夕風に流れていく。
死神ゴートへの鎮魂の祈り。よどみなく紡がれる祈祷の文言も、ゆるやかに切られる印も、今まで見せたことのない、聖職者のそれだった。剽軽な討伐者の面影は、そこにはない。
ジェイは帽子代わりの布を取り、ティリエは目を伏せ、商人は鼻水をすすった。
埋葬が終わり、皆が丘を下り始めても、カレリアだけが墓前に残っていた。
やがて、誰にも聞こえないほどの小さな声で、彼女は言った。
「……果実。美味しかった。ありがとう」
名前は、最後まで呼ばなかった。
呼べる名前を、彼女は持っていなかったから。
丘の下で、レイナードが待っていた。
「……ちゃんと、届けてもらえるかな。あの札」
「届くよ。ああいう仕組みだけは、この世界、意外としっかりしてるんだ」
レイナードは、夕日に染まる墓地を振り返った。
「それに――ボクらが覚えてる。それだけでも、無駄にはならないさ」
◇◇◇
その晩、レイナードの音頭で、会食が開かれた。
宿の一階、食堂の隅のテーブル。並んだのは、川魚の香草焼きと、湯気を立てる根菜の煮込み、焼きたてのパンに、人数分の麦酒と果実水。
「はい、というわけで! 生還を祝して、それからお互いの無事を願って――乾杯!」
「乾杯じゃ」
「……乾杯」
杯がぶつかり、ジェイが早速魚の焼き加減に文句をつけ始める。皮目はもうひと炙り欲しかった、とのことだった。
食事がひと段落した頃。
カレリアが、杯を置いた。
背筋を伸ばし、真っ直ぐにティリエを見る。その所作だけで、テーブルの空気が変わった。
「ティリエさん。……聞かせてほしい。あなたは、何者なの」
「お、いいねいいね。それ、ボクもずーっと気になってたんだ」
すかさずレイナードが、身を乗り出して隣の椅子を引き寄せた。興味津々、といった顔で頬杖をつく。
「ほらほら、ティリエ。若い子も気になってるみたいだしさ?」
ティリエは、杯を傾ける手を止めた。じろりと、恨めしげにレイナードを一瞥する。
「無詠唱で、あの精度と威力。張りっぱなしの防護魔術。あの魔術士の詠唱を、途中で断ち切った何か。結界を一瞬でほどいた手際。……私も魔術を使うから、分かる。どれ一つ取っても、普通じゃない」
「……昔、少しだけ名の知れた魔術師だったんだ」
ティリエは、静かに答えた。
「今は見ての通り、ただの行き倒れだよ」
「……どうして、そんな人が、行き倒れに?」
「長く生きてると、色々あってね」
はぐらかされている。それはカレリアにも分かっただろう。
けれど少女は食い下がらず、代わりに、小さく息を吸った。
「……分かった。これ以上は、聞かない。その代わり」
テーブルに両手をつき、深く、頭を下げる。
「私に、魔術を教えてほしい」
沈黙が、落ちた。
レイナードとジェイが顔を見合わせる。ティリエは、頭を下げたままの銀髪を、黙って見つめていた。
「……理由を、聞いても?」
「私が弱かったから、人が死んだ」
カレリアは頭を下げたまま、絞り出すように続けた。
「私が力を隠していたから、あの人は私を庇った。私に六人を退ける力があれば、誰も死なずに済んだ。……自分の弱さを、あの日、思い知った」
「…………」
「それに、あなたは――私が今まで見た、どの魔術師よりも高い場所にいる。どれだけ高いのか、頂が見えないくらいに。……教わるなら、あなたしかいない」
ティリエは、しばらく何も言わなかった。
杯の中の果実水に、ランプの灯りが揺れている。
やがて彼女は、ゆっくりと首を横に振った。
「――ごめん。それは、できない」
「……どうして」
「私は、人にものを教えられるような、まっとうな生き方をしてこなかった。それに」
一拍、置いて。
「私の側は、たぶん、安全じゃない。いつか、あなたを厄介事に巻き込む。――それは」
彼女は視線を、レイナードとジェイへも巡らせた。
「あなたたちも、同じだよ。今のうちに、言っておくけど」
レイナードとジェイは顔を見合わせ、どちらからともなく、肩をすくめてみせた。
それ以上の説明は、なかった。
カレリアは顔を上げ、何かを言いかけて――言葉を、見つけられずにいた。
「――はい、ちょっといいかな」
軽い調子で、レイナードが手を挙げた。
「ティリエ。キミの事情に立ち入る気はないよ。でもさ、ボクらどのみち、水都ラティーナ方面に行くんだよね。で、カレリアちゃんの行き先は?」
「……決めて、いない。強いて言えば、討伐者の仕事があるところ」
「ならちょうどいい。水都までは道も同じだ。旅は頭数が多いほうが安全だし、彼女の腕は昨日みんなで見たとおり。同行を断る理由が、ボクには見つからないなあ」
「……迷惑、なのは分かってる」
カレリアが、俯きがちに口を開いた。断られたことを、それでも引き取らずに。
「でも、あなたたちは命の恩人で……悪い人たちだとは、どうしても思えない。それに――」
少女はそこで少しだけ言い淀み、視線をわずかに逸らして続けた。
「……その。女の人がいる旅は、安心、する」
ティリエが軽く目を瞬かせた。その言い淀みだけが、剣を振るう姿からは想像もつかない、年相応の娘のものだった。
「おやおや。じゃあボクとジェイさんの信用は、その程度かあ」
「かっか! 男二人旅に若い娘は乗らんよ。道理じゃ道理じゃ」
そしてレイナードは、笑いを収めて、ティリエに向き直った。
「弟子を取れとは言わないよ。ただ――水都までの道すがら、暇潰しがてら、少し教えてあげるくらいなら、いいんじゃない? それなら誰も損しないでしょ」
その目は笑っていたが、声はどこか、静かだった。
キミの事情ごと、分かった上で言っている――そういう声だった。
ティリエは、長い息を吐いた。
「……あなたは、本当に」
「うん?」
「……なんでもない」
ティリエは観念したように、長い息をもうひとつ吐いた。
「…………水都まで。それと」
彼女はカレリアへ向き直り、金色の瞳で、真っ直ぐに少女を見た。
「もし何か起きても、責任は取れない。それでもいいなら」
カレリアは、一瞬だけ目を見開いて――それから、深く頷いた。
「わかった。……ありがとう、師匠」
「師匠は、やめて」
「……先生」
「せん……」
ティリエは何か言いかけて、諦めたように黙った。
カレリアの中では、それで決まったらしい。
「よーし、まとまった! じゃあ改めて――新しい旅の仲間に!」
「かっか、賑やかになるわい! 乾杯じゃ!」
杯が、再びぶつかり合う。
テーブルの隅で、カレリアの口元が、ほんのわずかに緩んでいた。
◇◇◇
夜も更けた頃。
カレリアは早めに部屋へ下がり、ティリエも「先に休む」と席を立った。食堂に残ったのは、レイナードとジェイの二人だけだった。
卓にはまだ、飲みかけの酒が残っている。ジェイは手酌で杯を満たし、旨そうにひと舐めした。
「妙な取り合わせになってきたのう」
「まったくだよねえ」
レイナードは椅子の背に体を預けて笑い、それからふと、声の調子を落とした。
「ねえジェイさん。……ティリエのこと、何か知らない? ヴェスペリオさんとやらとも知り合いだったでしょ」
「うぬ……」
ジェイは杯を傾けたまま、記憶を辿るように目を細めた。
「あやつは基本、人間の話をせん男でな。魔物のことなら夜通し喋るくせに、他人の噂の一つも寄越さん。それにしても……ティリエ、ティリエか。どこぞで耳にしたような、せなんだような。はて」
「あはは、頼りにならないなあ」
「かっか。年寄りの引き出しは、埃をかぶっとるでな」
レイナードは笑って、杯の酒に目を落とした。
まあ、いいか、と思う。
得体の知れないところは確かにある。だが何日も同じ火を囲み、同じ飯を食い、あの少女を背に庇うのを見た。どう眺めても、根っからの悪人の類には見えなかった。
「……ま、急ぐ旅でもなし。ゆっくり行くさ」
「それでええ。退屈だけはせんじゃろうて」
ジェイは肩を揺すって笑い、残りの酒を呷った。
◇◇◇
こうして。
剽軽な僧兵と、老いた狩人と、行き倒れの魔術師の旅路に、無口な魔法剣士がひとり、加わることになった。
行き先は、水都ラティーナ。
窓の外では、ヴァレンの夜空に、細い月がかかっていた。
パーティのバランス◯