ヴァレン滞在、二日目。
朝の通りには、荷を積み替える隊商の喧騒に混じって、あちこちから鎚の音が響いていた。灰域へ出る者と、灰域から帰る者。その両方が立ち寄る町だから、刃物を打つ仕事は絶えないのだという。
カレリアは、布に包んだ双剣を胸に抱えて、その音のするほうへ歩いていた。
隣を歩くのは、背負子を降ろして身軽になったジェイである。
「……別に、一人でも良かったのに」
「なに、儂も刃物を見てもらうつもりじゃったからの。ついでよ、ついで」
そう言う老人の腰には、鞘に収まったナイフが何本も並んでいる。ついでにしては、随分な量だった。
カレリアは、それを横目で見て、口をつぐんだ。
――たぶん、そういうことではないのだろう。
昨日は一日、宿の裏で杖を振り回していた。今日は今日で、朝から一人で武具屋へ行くと言い出した娘を、この老人はどうも放っておく気がないらしい。
ジェイは、通りに面した何軒かの鍛冶屋を、次々と素通りしていった。
「……あそこじゃ、駄目なの?」
カレリアが振り返る。看板も大きく、間口も立派な店だった。客の出入りも、それなりにある。
「看板の立派さと、腕は別物じゃよ」
ジェイは顎で、その店先を示した。
「見てみい。鎚も鑿も、そのへんに放りっぱなしじゃ。道具を粗末に扱う職人に、人様の刃物を預けられるかね」
言われて目を凝らせば、なるほど作業台の周りには工具が散らかり、砥石は使ったまま、水気を拭かれもせずに転がっていた。
カレリアは黙って、次の店を覗き込んだ。それから、その次も。
やがて三軒目の前で、ジェイの足が止まった。
狭い間口の、古びた店だ。看板の文字は掠れ、軒先も傾いでいる。だが――炉の前に並べられた道具は、どれも柄が黒光りするほど使い込まれ、それでいて寸分の乱れもなく、大きさ順に立てかけられていた。床には、削り屑ひとつ落ちていない。
「……道具が、綺麗に並んでる」
「かっか。正解じゃ」
老人は満足そうに頷いて、暖簾をくぐった。
「腕を見たけりゃ、打ったものより、使っとる道具を見ることじゃ。あれは嘘をつかんでな」
この人は、と、カレリアは思う。
宿の選び方も、道端の獣の痕跡も、そして今の鍛冶屋も。この老人はいつも、他人が見過ごすような細かいところまで、しっかりと見ている。
◇◇◇
店主は、頑固そうな中年の男だった。厚い胸板と、火傷の痕だらけの太い腕。奥の炉が赤く息づいていて、店の中は朝から夏のように暑い。
カレリアが布をほどいて双剣を差し出すと、男の眉が、わずかに動いた。
「……ほう」
男は一振りを手に取り、窓からの光にかざした。刃の腹を指の背でなぞり、峰の側から刃筋を透かし見る。乱暴なようでいて、その指は決して刃には触れなかった。
「随分と使い込んどるな。だが、手入れはしとる。この錆の出方は、毎日拭いてる者のもんだ」
「……そう」
「刃こぼれが二つと、反りが少し。あとは目立った傷はねえ。……悪くない鋼だ。どこで打たせた」
「実家が、商隊をやってたから。……父の伝手で」
カレリアの声が、ほんの少しだけ小さくなった。
店主は、それ以上は聞かなかった。ただ、ふん、と鼻を鳴らして、剣を作業台に置いた。
「夕方までに直しといてやる。……嬢ちゃん、砥ぎは自分でやっとるのか」
「うん。自己流だけど」
「そうだろうよ。角度が甘い」
言われて、カレリアは黙り込んだ。
その横で、ジェイがからからと笑った。
「そらそうじゃ。誰にも教わっとらんのじゃからな」
「……ジェイさん」
「なんじゃ、恥じることはあるまい。誰でも最初は自己流じゃて」
老人は、腰のナイフを一本抜いて、カレリアの目の前に差し出した。
小ぶりな、飾り気のない一振りだった。だが刃はぞっとするほど薄く研ぎ澄まされ、光を吸うように鈍く沈んでいる。柄は握り込まれて艶が出るほど古いのに、刃こぼれのひとつも見当たらなかった。
「……綺麗」
「儂の手癖じゃよ。獣も魔物も、この一本でずいぶん捌いた」
ジェイはナイフを鞘に収めながら、事もなげに言った。
「――のう嬢ちゃん。剣が戻ってきたら、砥ぎ方を教えてやろうか」
カレリアが、目を上げた。
「……いいの?」
「かっか。魔術は儂には教えられんが、刃物のことなら人並み以上には語れるでな」
少女は、しばらく老人の顔を見つめてから、こくりと頷いた。
「……お願い、します」
「よし来た」
店を出ると、外の空気が急に涼しく感じられた。炉に炙られていた頬が、朝の風に冷やされていく。
ふと、ジェイが下からカレリアの顔を覗き込んだ。
「……ところで嬢ちゃん。ゆうべ、ちゃんと寝たかの」
「……寝た」
「目の下が、随分と賑やかじゃが」
「…………二時間ほど」
「かっかっか! あの魔術師どのに叱られるぞ」
「……言わないで」
珍しく慌てた声だった。老人は喉を鳴らして笑いながら、通りを歩き出す。
その背を追いかけながら、カレリアは、そっと目の下を指で押さえた。
◇◇◇
同じ頃、レイナードは町の東はずれ、宿の一階を借りた広間にいた。
朝の掲示で見つけた、一枚の依頼。
――水都ラティーナまで、商隊の護衛。三日から四日の行程。報酬、一人あたり金貨一枚。
破格だった。灰域を抜ける道行きとはいえ、この額を出す商人はそう多くない。
当然、応募者も多かった。
揃いの革鎧を着込んだ四人組は、いかにも場慣れした様子で談笑している。斧を担いだ二人組は、無言で他の応募者を値踏みしていた。奥には、片目に古い傷のある年嵩の討伐者が、腕を組んで壁にもたれている。ざっと四組ほどが、広間の卓を囲んでいた。
レイナードは一番隅の席で、麦酒の代わりに水を舐めながら、その顔ぶれを眺めている。
(さて、どうなるかな)
腕を見せろと言われれば、それなりに応える自信はある。だが、こういう場は往々にして、口の上手い者が勝つ。人数の多い組が有利なのも、常のことだった。
「――いやあ、すまない! 待たせちゃったな!」
扉が勢いよく開いて、明るい声が飛び込んできた。
入ってきたのは、若い男だった。
金髪をきっちりとオールバックに撫でつけ、上物ではあるが飾り気のない軽装。腰には短い剣を一本提げているが、鞘の擦れ方からして、飾りに近い代物だろう。
顔立ちそのものは、驚くほど平凡だった。道ですれ違っても、翌日には忘れていそうな顔。それなのに、表情の明るさだけが妙に人目を引いて、広間の視線を残らずさらっていく。
「オレはライゼンデ・ヴェルト! 今回の依頼主だ。水都ラティーナで商いをやってる」
男は広間をぐるりと見回して、嬉しそうに笑った。
「こんなに集まってくれるとは思わなかったよ。みんな、本当にありがとうな!」
和やかな挨拶だった。
そして、そこまでは、誰もが予想した通りの流れだった。
問題は、その次である。
「じゃ、さっそく決めさせてもらうか」
ライゼンデは卓の前に立つと、腰から一本のナイフを抜いた。
広間の空気が、わずかに張り詰めた。腕試しか。それとも、何かの試験でも始まるのか。革鎧の四人組が、目配せを交わす。
男はそのナイフを、卓の真ん中に、ことりと寝かせた。
そして。
くるり、と、指先で弾いて回した。
「…………は?」
誰かが、間の抜けた声を漏らした。
金属の柄が、古びた木の卓の上でからからと軽い音を立てて回る。誰も、身じろぎひとつしなかった。回転は次第に緩やかになり、たん、と一度だけ跳ねて――やがて、ぴたりと止まった。
切っ先が指した先は、広間の一番隅。
水の杯を持ったまま固まっている、黒いカソックの男だった。
「よし、君に決めた!」
ライゼンデが、ぱんと手を打った。
「おめでとう! これからよろしく頼むよ!」
「……ええと」
レイナードは、自分と、ナイフの切っ先とを見比べた。
「ボク、まだ名前も名乗ってないんだけど」
「あ、そうだったな! 名乗るのが遅れて悪い。改めて、オレはライゼンデ・ヴェルト。君の名前も教えてくれよ!」
「……レイナード。旅の討伐者だよ」
「よし、レイナードだな! 覚えた!」
「――ふざけてんのか、あんた」
低い声が上がった。斧を担いだ二人組の、片方だ。
「こっちは飯の種を取りに来てんだ。腕も見ねえで、賽子みてえに決めるのかよ」
「うん」
あっさりと、ライゼンデは頷いた。
「オレは戦いのことはさっぱりでね。誰がどれくらい強いかなんて、見たって分からない。分からないことで悩むのは時間の無駄だろ?」
「……はぁ?」
「それに」
男は、にっと笑った。
「オレは結構、運がいいのさ」
男たちは、しばらく信じられないという顔をしていたが、やがて舌打ちをして、次々と広間を出ていった。何人かは、去り際にレイナードを胡乱げに見ていく。
「たくっ、もうすぐ『冬渡り』だってのに……こんなことで一日潰しちまった」
「割のいい仕事は、あらかた埋まっちまうぞ。急ぐぞ」
そんなぼやきが、扉の向こうへ遠ざかっていった。
残ったのは、依頼主と、選ばれた男が一人。
「……いいのかい、本当に」
レイナードは、苦笑いを浮かべた。
「ボクが実は無能で、道中でキミの荷を全部持って逃げるかもしれないよ?」
「あはは! その時はその時さ」
ライゼンデは、悪びれもせずに笑って、椅子を引き寄せた。
「それに、これでも人を見る目はあるつもりだぜ。君、いい顔してるもん」
「そりゃどうも。……ああ、それと。ボクには連れが三人いるんだ。腕は保証するよ。まとめて雇ってもらえると助かるんだけど」
「なんだ、四人もいるのか! 最高じゃないか! いや助かるなあ、正直、荷が多くて人手が足りないと思ってたんだ」
その時だった。
広間の入り口から、丸い顔がひょっこりと覗いた。
「おや。レイナードさんじゃありませんか!」
ハモンドだった。あの日助けた、商人である。
「その節は、本当にお世話になりました。おかげさまで、荷も無事で……いやあ、あなた方がいなければ、私は今頃どうなっていたことか」
「あはは、元気そうで何よりだよ」
「ハモンドさん、知り合いかい?」
ライゼンデが首を傾げると、丸顔の商人は、ぱっと顔を輝かせて身を乗り出した。
「知り合いも何も! この方々ですよ、例のバッソ一味を捕まえたのは! 街道で商隊を消していた、あの連中を! 六人がかりの賊を、たった三人で叩きのめしたそうで――」
ライゼンデの動きが、止まった。
ゆっくりと、レイナードのほうへ首を巡らせる。
「……え。君たち、そうなの?」
「まあ、成り行きでね」
数秒の沈黙。
それから、ライゼンデは天井を仰いで、腹を抱えて笑い出した。
「――っはは! ほらな! 言ったろ、オレは運がいいって!」
卓の上のナイフを摘み上げ、くるくると指先で回してみせる。
「どうだい。運ってのはこういうことさ。……いやあ、今回も冴えてるなあ、オレ!」
「…………」
レイナードは、笑顔のまま、しばらく無言でその男を眺めていた。
――偶然、で片づけていいものだろうか。
この街に、腕の立つ討伐者は他にもいた。その中から、無作為に選んだナイフの先が、よりにもよって一番の当たりを引き当てる。
こういう手合いを、ボクは知っている。
神様に好かれている、という言い方をされる類の人間だ。
(……ま、悪い縁じゃなさそうだけど)
レイナードは残りの水を飲み干すと、差し出された手を握り返した。
「じゃあ、契約成立ってことで。よろしく、ライゼンデ」
「おう! こちらこそよろしく頼むよ、レイナード!」
握った手は、商人にしては、少しだけ硬かった。
指の付け根と、右手の三本の指先に、薄い胼胝がある。弦を引く者の手だ。
――なるほど。運だけの男でも、なさそうだ。
レイナードは笑みを深くして、その手を離した。
アロマ電撃3号さんの応募キャラ、ライゼンデさんが合流〜