灰域戦線、加護なき地にて【キャラ募集中】   作:雪兎の手

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宿場町最後の夜

 会食の場は、ヴァレンで一番大きな宿の食堂だった。

 貸し切りにされた広間には卓が並べられ、すでに賑やかな声が満ちている。

 顔ぶれは、ざっと十五、六人。その大半は、ライゼンデが常から抱えている私兵たちだった。荷役も見張りも兼ねる、商隊の屋台骨である。八人か九人はいるだろうか。道中は交代で番に立つのだという。

 残りが、この区間だけの臨時の面々だ。

 

「みんな、今夜は好きに食ってくれよ! 酒もどんどん頼んでいいからな!」

 卓の間を、依頼主が上機嫌で歩き回っている。

「番はよろしいので?」

 私兵の一人が尋ねると、ライゼンデは手をひらひらと振った。

「荷はぜんぶ宿の蔵に入れてある。門は閉めたし、番人もついてるさ。……なにしろ明日から灰域だ。食えるうちに食っておくに限るだろ?」

「気前がいいことじゃの」

 早々に給仕と肉の焼き加減について交渉を済ませたジェイが、感心したように言った。

「護衛の飯まで丸ごと持つ商人は、そう多くないぞ」

「オレは運がいいからさ。持ってるやつが出す。それでいいんだよ」

 ライゼンデは、あっけらかんと笑って去っていった。

 

 ◇◇◇

 

「――あの、失礼」

 声をかけられて、レイナードは振り返った。

 立っていたのは、小柄な青年だった。

 陽に灼けた枯草のような、茶に寄った金髪。その頭に、丸みを帯びた大きな獣耳が二つ。振り向いた拍子に、房の膨らんだ短い尾が揺れる。アニマスだ。腰の左右には、長さの違う剣を一本ずつ提げていた。

「僕はフィン・スキューバといいます。傭兵団『荒野の牙』で団長をやってます。……で、そちらのお名前は?」

 人懐こい笑顔と一緒に、白い犬歯が覗いた。

「レイナードだよ。旅の討伐者」

「レイナードさんですね。よろしくお願いします」

 青年は、律儀に名前を繰り返して頭を下げた。

 

「団長? ……失礼だけど、随分お若いような」

「よく言われます。二十四です」

 フィンは、まったく気を悪くした風もなく笑った。

「団員は二十人ほど。二十人ぶんの晩飯が肩に乗ってると思うと、割の悪い仕事は受けられませんよ」

「なるほどねえ。……で、そちらの方は?」

 レイナードが視線を向けた先には、青年の背後に、岩のような男が立っていた。

 中背だが、胴が異様に太い。丸太のような腕。首がほとんど無いように見える。頭は見事に剃り上げられ、濃い眉の下の目つきは、黙って立っているだけで人を萎縮させるものがあった。装備らしいものは、使い込まれた手甲と脛当てだけだ。

 男は、レイナードと目が合うと、すいと視線を逸らした。

 そして、たっぷり二拍ほど置いてから、口を開く。

「……ヌルポだ」

「うちの団の最古参で、ヌルポさん。武闘家です」

 フィンが横から補足すると、ヌルポと呼ばれた男は、居心地が悪そうに顎を引いた。

「よろしく。……素手で戦うのかい?」

「……ああ」

 それきりだった。

 レイナードが小さく笑うと、フィンが慌てたように手を振る。

「すみません。この人、口より先に体が動く人なんで。悪気はまったくないんですよ」

「……すまない」

 ヌルポは、ぼそりとそれだけ言って、また黙り込んだ。

 その様子に、レイナードは苦笑しながら杯を傾ける。

「それで、フィンさんたちもこの隊の護衛?」

「ええ、道すがらの護衛って形で。……といっても、僕らの雇い主はライゼンデさんじゃないんですけどね」

 フィンは、杯を片手に、砕けた調子で続けた。

「別口の用でラティーナへ行くことになりまして。ちょうど同じ方角へ出る隊があるなら、道中の護衛も引き受けますよ、と。そのぶんの手間賃は、こちらの雇い主持ちです」

「へえ。ずいぶん気前のいい雇い主だね」

「まあ、そういう相手なので」

 青年は、そこで少しだけ言葉を選ぶような間を置いた。

「……レイナードさん。これ、あまり言い触らさないでもらえますか」

「もちろん」

「僕らを呼んだのは、〈勇者連合〉なんです」

 レイナードの相槌が、ほんのわずかに変わった。

「うちの団は、連合の協力団体として登録されてましてね。僕自身も籍を置いてます。……で、その連合が、ラティーナ方面に人を出したがっている」

「何かあるんだ」

「あるみたいです。詳しいことは、僕らも聞かされていません」

 青年は、あっさりとそう言った。

「本当に知らないんですよ。『向かえ』と言われて向かってるだけで。……ただ、連合がわざわざ人を集めるってことは、それなりの理由があるんだろうな、とは」

 

「団員は二十人いるって言ってたよね。今日はその二人だけ?」

「団は別口の仕事で、東のほうに出払ってまして。呼ばれたのが僕とヌルポさんの二人なので」

 フィンの笑みが、ほんのわずかに止まった。

 ほんの一瞬だ。すぐにまた、いつもの人懐こい形に戻る。

「……まあ、団長を名指しで呼ぶくらいには、向こうも真面目な用なんでしょうね」

 

「……で、それをボクに話すのは?」

「同じ隊で行くからです」

 フィンは、間を置かずに答えた。

「隊が襲われた時、こっちだけが身構えてて、そちらが吞気に歩いてたら、崩れるのは全体でしょう。手の内を全部明かす気はありませんけど、危ないかもしれないってことくらいは、共有しておいたほうが得です」

 損得の話だった。

 だからこそ、信用が置けた。

「……なるほどね」

 レイナードは、口の端を上げた。

「あんた、その若さで団長やってるだけあるね」

「団員の食い扶持がかかってますからね。臆病なくらいで、ちょうどいいんですよ」

 

 フィンは、そこで一度言葉を切って、少しだけ声を落とした。

「それと。……これは半分、与太話として聞いてほしいんですが」

「うん」

「連合が動いてる理由のひとつに、占星の結果があるらしいんです」

「星読み?」

「ええ。近いうちに、あの辺りで大きな災いが起こる、と」

 フィンは、自分で言っておきながら、ばつが悪そうに耳を掻いた。

「もっとも、今の星読みは当たり外れが大きいそうですけどね。なんでも、大昔には星の巡りから先を視る固有魔術があったとかで、今使われてるのは、それを後の連中が真似て組み直したものらしくて。……所詮は写しですから、精度は推して知るべしです」

「へえ。それでも、無視はできないと」

「まったくの出鱈目でもない、という程度には当たるそうですよ。……正直、僕はあまり信じてはいませんが」

 

 レイナードは、笑みの形を崩さないまま、杯を傾けた。

 水都ラティーナ。これから向かう街。

 ――ティリエの、目的地でもある場所。

(……なるほどね)

「――ま、教えてくれてありがとう」

 彼は、にへらと笑った。

「知ってるのと知らないのとじゃ、身構え方が違うからさ。……こっちも何か気づいたら、伝えるよ」

「助かります」

 フィンは、心底ほっとしたように笑った。

 

 ◇◇◇

 

 広間の反対側では、別の輪ができていた。

「――ほう、それで魔物の腹の中から出てきたと」

「そうそう! 旦那ときたら、真っ青な顔して笑ってるんだから」

 ジェイである。

 いつの間に打ち解けたのか、私兵たちに囲まれ、酒杯を片手に上機嫌だった。日に焼けた男たちが、われ先にと失敗談を披露している。

「あんたら、あの旦那とは長いのかね」

「三年になりますかね。給金はいいし、飯も食わせてくれる。おまけに――」

 私兵の一人が、声を落として笑った。

「あの人と一緒だと、妙に何も起きないんですよ。去年なんて、崖崩れの三十分前に休憩地を変えたんです。理由を聞いたら『なんとなく』でさあ」

「かっか。そりゃあ、大した理由じゃな」

「笑い事じゃないんですって。おかげでこっちは、三年ヒヤリともしないままだ。……そのぶん腕は鈍りますがね」

 男たちが、どっと笑った。

 その笑い声は、広間の隅にいた二人のところまで、遠く届いていた。

 

 ティリエとカレリアは、賑わいから半歩引いた卓に着いていた。

 ティリエは皿の上の魚を、匙の先でつつきながら食べている。急ぐでも味わうでもない、いつもの調子だ。

 その隣では、カレリアが膝の上に教本を開いていた。時折、落ち着かない様子で周囲を窺いながらも、視線はすぐ頁へ戻っていく。

 

「――やあ。こんな隅っこに、綺麗な花がふたつも咲いているじゃないか」

 声のしたほうを見上げると、長身の女が立っていた。

 背丈は頭ひとつぶん高い。膝下まで届く黒いロングコートに、黒ずくめの装い。まっすぐ切り揃えた銀髪と、大きな赤い目。髪の間からは、長い耳が覗いている。ファリナだ。

「私はセイン・フラワーガーデン。旅のマッサージ屋さ。……君たちの名前も、聞かせてもらえるかな?」

「ティリエ」

「……カレリア、です」

 カレリアが、教本を閉じて小さく頭を下げた。

「ティリエに、カレリアだね。うん、覚えたよ」

 セインは満足そうに頷いて、勝手に向かいの椅子を引いた。

「マッサージ屋、というのは」

 ティリエが匙を置いて尋ねる。

「討伐者じゃなくて?」

「そう、マッサージ屋。健全なほうだよ、念のため」

 わざわざ念を押すあたりが、かえって怪しい。

「腕っぷしはからっきしでね。魔物が出たら真っ先に逃げるけど、そのぶん傷の面倒は見られる。ラティーナまで乗せてもらう代わりに、みんなの体の手入れを引き受けてるのさ」

 

「ふうん。……なるほどね」

「そこでだティリエ。旅は長い。まずは親睦を深めるべきだと思わないかい? 今夜あたり、二人でゆっくりお茶でも」

「遠慮しておくよ」

「即答!?」

「疲れてるんだ。それに、あなたの言うお茶が、本当にお茶で済むとは思えないし」

「……いや、まあ、うん。否定はしないけども」

 セインは、ずるずると肩を落とした。

 あまりに速く、あまりに情け容赦のない断り方だった。当のティリエは、断ったことすら忘れたような顔で、杯の中身を飲み干している。

「はぁ……手強いなあ。……ん?」

 

 しょんぼりと視線を彷徨わせたセインの目が、ふと、止まった。

 隣のカレリア。

 ――ではなく、その座り方に。

「おや。君、そこの可愛いお嬢さん」

「……はい」

「左の肩を庇ってるね。腰も、右に逃げてる。……腹をやったろう。それも、ごく最近」

 カレリアの目が、丸くなった。

 服の下の痣は、誰にも言っていない。

「ふふ、驚いた顔も可愛いね。安心してくれ、私はこう見えて本職なのさ」

 セインは、しなやかな指をわきわきと動かしてみせた。

「せっかくだから、治してあげようか。私の治癒はね、ただ塞ぐだけじゃない。凝りをほぐしながら、じっくり、丁寧に、隅々まで――」

「け、結構です」

「まあまあ、そう言わずに。うつ伏せになって、服を脱いでくれるだけでいいんだ。ああ、恥ずかしがることはないよ、女同士じゃないか。それに私、手つきには自信が――」

「先生」

 カレリアが、椅子ごとティリエの側へ半歩ぶん寄った。

 

「……ふうん」

 当のティリエは、動じるでもなく、興味深そうにセインを眺めていた。

「今の、治癒魔術? 見覚えのない組み方だけど。……固有魔術か何か?」

「おや、分かるのかい?」

 セインの目が、ぱっと輝いた。しょげていたのが嘘のようだった。

「いいや、固有魔術じゃあないよ。これはね――私が一から組み上げた、私流魔術(しりゅうまじゅつ)さ」

 彼女は胸を張り、実に誇らしげに言った。

「名を『悦楽按摩(ドゥ・エロメンテ)』! 手技と治癒を掛け合わせた、この世でただ一つの術式だ」

「……へえ」

 

 ティリエの目の色が、変わった。

「掛け合わせた、というのは? 手で解した箇所へ、後から治癒をかけるという意味じゃなさそうだけど」

「おお、いい質問だね。そう、順番じゃないんだ」

 セインは、待ってましたとばかりに身を乗り出した。

「筋を押して緩める。その緩んだ瞬間に合わせて、治癒を流し込む。同時にね。……そうすると、術の通りが段違いになる。硬く縮こまった体に治癒をかけても、水を弾く布みたいなもので、半分は無駄になるだろう?」

「……ああ、なるほど」

 ティリエが、小さく頷いた。

「体側の受け入れを、先に整えるわけか。……同じ魔力でも、効きが変わる」

「そういうこと!」

「詠唱は? 手を動かしながらだと、間が取りづらいと思うけど」

「そこは苦労したさ。だから、手を組み込んだ」

「手を?」

「按摩の手つきそのものを、詠唱の一部として定義したんだよ。押す、撫でる、絞る。その一手ずつに意味を持たせてね。……そうすると、口で唱える節をごっそり削れる」

 ティリエは思案するように宙を見た。

「……言葉の代わりに、動作を式に組み込んだってこと? 戦士が使う武技みたいに」

「そういうこと。まあ、私にしか使えない代物だけどね。他人が真似しても、手つきが違えば形にならない」

 セインは、悪戯っぽく指を折ってみせた。

「いやあ、そこに食いついてくれる人は初めてだ。嬉しいねえ」

 

 二人の間で、話が急速に転がり始めた。

 カレリアは、置いてけぼりのまま、その様子を眺めていた。

 ……先生の目が、輝いている。

 昨日、自分が魔術の話をしていた時とは、明らかに種類の違う輝き方だった。

 

「――セインさんのマッサージは本物だぜ!」

 その時、離れた卓から、明るい声が飛んできた。

 ライゼンデである。杯を掲げて、こちらへひらひらと手を振っている。

「オレも前に一度やってもらったけどな、あれは効く! 肩の凝りが三日は消えたぞ!」

「ほらね?」

 セインが、得意げに胸を張った。

「そういうわけだから、お嬢さん。悪いようにはしないよ。ね?」

「…………」

 カレリアが、助けを求めるようにティリエを見た。

 だが師は、小さく笑って肩をすくめただけだった。

「せっかくだから、診てもらいなよ。明日から灰域なんだから、体は万全なほうがいい」

「せ、先生」

「本職なんでしょ。腕は確かみたいだし」

「そうそう、そういうこと!」

 セインが、ぱっと顔を輝かせた。

「よぉし、任せてくれ! 凝りの一つも残さないよう、じっくり、たっぷり、芯から蕩けるまで解してあげようじゃないか。なぁに、痛くはしないとも。むしろ癖になるくらい――」

「普通の治癒で結構です」

「えっ」

「普通ので。お願いします」

 カレリアが、教本を胸に抱えたまま、きっぱりと言い切った。

 セインは、いかにも残念そうに肩を落とす。

「……つれないなあ。まあいいさ、それも可愛いということにしておこう」

 

 結局、その場でカレリアの肩と腹に、順に手が置かれた。

 淡い光が滲んで、ものの数十秒。手が離れる頃には、あれほど鈍く痛んでいた場所が、嘘のように軽くなっていた。

「……すごい」

「だろう? これでも本職だからね」

 セインは得意げに胸を張り、それから、にんまりと笑った。

「――で、ティリエ。この腕に免じて、お茶くらいはどうかな?」

「遠慮しておくよ」

「そこは絆されてくれてもいいだろう!?」

 

 ◇◇◇

 

 宴も半ばを過ぎた頃。

 卓には、カレリアが一人で残されていた。

 あの銀髪の変わり者は、いつの間にかティリエを別の席へ引っ張っていき、まだ魔術談義を続けている。当分こちらへは戻ってこないだろう。

 

「ふむ」

 隣の椅子が引かれて、ジェイが腰を下ろした。手には湯気の立つ皿がある。

「災難じゃったのう」

「……体は、楽になりました。腕は確かなので」

「かっか。あれは筋金入りじゃ。悪気がないぶん、始末が悪い」

 老人は皿から肉を一切れ取り分けて、カレリアの前に置いてやった。

「ほれ、食え。若いうちは食っておくもんじゃ」

「……いただきます」

 

 しばらく、二人は黙って食べていた。

 やがてジェイが、ふと目を細めて口を開く。

「……のう嬢ちゃん。ひとつ、気づいたことがあるんじゃがな」

「なんですか」

「それじゃよ、それ」

 老人は、串の先でカレリアの鼻先を軽く示した。

「初めて会うた頃は、そんな喋り方はしとらんかったろう。『うん』だの『そう』だの、ぶっきらぼうなもんじゃった」

 カレリアの箸が、止まった。

「……そう、でしたか」

「そうじゃとも。それが、いつの間にやら、すっかり行儀のええ喋り方になっとる」

 ジェイは、面白そうに喉を鳴らした。

「別に責めとるわけじゃない。どちらでも構わんよ。……ただ、少し気になっただけじゃ」

 

 カレリアは、しばらく皿の上に視線を落としていた。

 ……気づかれていたのか。

 耳の先が、じわりと熱くなる。誰にも言っていないし、誰にも気づかれないと思っていた。

「……昨日の夜から、変えました」

 やがて、彼女は絞り出すように言った。

「ほう」

 膝の上の拳に、ぐっと力がこもる。視線は、皿の上の肉に向けられたままだった。

「私はずっと……誰の名前も覚えないようにしてきました。どうせ仕事の間だけの関係だから、無駄だって。……でも、名前も知らないまま、人が死にました」

 ジェイは、何も言わずに聞いていた。

 喉の奥が熱くなるのを堪えながら、カレリアは言葉を継ぐ。

「みなさんの名前を、私はもう知っています。知ってしまったから……前と同じようには、喋れません。だから、変えることにしました」

 自分で決めたことだった。

 昨夜、寝床でひとり、そう決めた。それだけの、小さな話だ。

「……変ですか」

「いいや」

 老人は、間を置かずに答えた。

「ちいとも変じゃない。ええことじゃ」

 あっさりとした肯定だった。

 茶化しもしなければ、大袈裟に褒めもしない。ただ、当たり前のことのように頷いただけだった。

「人は、決めた通りに変われるもんじゃない。じゃが、決めんことには何も変わらん。……嬢ちゃんは、ちゃんと決めた。それだけで大したもんじゃよ」

「…………」

 カレリアは、俯いたまま、皿の肉を口に運んだ。

 少しだけ、味が濃く感じた。

 

 ◇◇◇

 

 宴がお開きになったのは、夜も更けた頃だった。

 

 外へ出ると、冷えた夜気が火照った頬を撫でていった。宿までの道を、四人はゆっくりと歩く。

「明日から、いよいよ本番だねえ」

 レイナードが、大きく伸びをした。

「荷馬車の足だと、三日か四日ってのは、まあ妥当な見立てだね」

「かっか。飯の心配だけはせんで済みそうじゃ。あの旦那、道中の賄いも出すと言うておったぞ」

「本当かい? いい依頼主だなあ」

 

 その少し後ろで、ティリエは黙って夜空を見上げていた。

 水都ラティーナ。

 あそこには、確かめたいことがいくつかある。魔導書店のこともそうだし――その先、どこへ向かうのかということも含めて。

「先生?」

 カレリアの声で、我に返る。

「……なんでもないよ」

 短く答えて、彼女は歩き出した。

 

 その数歩前で、レイナードもまた、同じ夜空を見上げていた。

 ――近いうちに、あの辺りで大きな災いが起こる。

 外れることもままある、と青年は言っていた。眉唾と切り捨てるほどでもない、とも。

 厄介な言い方だ。信じるでも笑い飛ばすでもなく、ただ胸の隅に引っかかり続ける。

(……ま、備えるに越したことはないよね)

 彼は、その考えを胸の内だけで畳んで、いつもの笑顔で振り返った。

「よし、じゃあ今夜は早めに休もう! 明日は早いからね」

 夜の空には、細い月と、無数の星が瞬いている。

 その並びが何を告げているのかは、この場の誰にも読めなかった。




『スタルカの占星魔術』
 星を巡る魔術は数多あれど、体系として残ったものは少ない。
 星見(ほしみ)のスタルカ。数百年前の魔術師が遺した、未来を視る術。
 元は原理不明の固有魔術であった。

 彼女は、あるいはその弟子たちは、生涯を費やしてこれを人の手に降ろしたという。

 解き明かしたのではない。ただ、同じ場所へ辿り着く道を均しただけである。
 なぜ星が未来を語るのか。
誰も知らぬまま、人は今も星を読む。
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