灰域戦線、加護なき地にて【キャラ募集中】   作:雪兎の手

4 / 4
旅立ち

「――監獄塔が、魔物に襲われたんだとよ」

 

行商の老人は、さも一大事という顔で身を乗り出した。

ミスト港村を発って半日。フォート・グレイブへ続く街道の途中、南へ下る荷車の一団とすれ違ったときのことだった。

 

「ガモン島の監獄塔さ。詳しいことはとんと分からねえんだが、レイヴン騎士団が調査に出向いたって話でな。どさくさで囚人が抜け出した、なんて噂まであるくらいだ」

「へえ! レイヴン騎士団が? そりゃまた物騒だ」

レイナードが大袈裟に目を丸くしてみせると、老人は我が意を得たりと頷いた。

「ああ。滅多に表へ出てこねえ“鴉”の旦那方が動くんだ。よっぽどキナ臭いんだろうよ。あんたらも気をつけな」

「ご忠告どうも。そちらも良い旅を!」

 

荷車の軋みが遠ざかっていく。

レイナードはロバの綱を引き直し、しばらく何も言わずに歩いた。

横目に映るティリエは、涼しい顔で水筒を傾けている。その指が杖の上でかすかに動いたのを、彼は見ていないふりをした。

 

「……世の中、物騒だねえ」

「そうだね」

「キミも気をつけなよ? ファリナの綺麗なお姉さんが一人で歩いてたら、悪い奴に攫われちゃうかもしれない」

「もう一人じゃないよ。腕利きの護衛を雇ったから」

「おっ、信頼された! よーし、ロバくん、聞いたかい今の」

 

ロバは興味なさそうに鼻を鳴らした。

 

◇◇◇

 

旅は、今朝早くに始まった。

夜明け前の薄紫の空の下、村の北門で落ち合った二人は、レイナードが商人から請け負った荷運びのロバを連れて発った。

フォート・グレイブで荷を下ろし、その先は本格的な灰域を抜けて水都ラティーナ方面へ。目的地のガング窟湾までは、順調にいって十日かそこらの長旅になる。

 

「だからのんびり行こう。足が痛くなったら、最悪キミもロバくんに積んじゃうからね」

「……それは遠慮しておくよ」

 

そんなやり取りをしたのが、もう随分前のことのように思えるほど、午後の街道は長閑だった。

 

行き交う人もまばらになった頃、レイナードがふと首を傾げた。

「そういえばさ。さっきから気になってたんだけど」

「ん?」

「キミの周り、やけに精霊が騒がしくない?」

 

ティリエの足が、半歩分だけ遅れた。

「……あなた、精霊が見えるの?」

「いやいや、まさか。ボクに見えるわけないよ。でも、なんていうか――空気が浮かれてるんだ。お祭りの前の子供たちみたいに。キミが歩くと、道端の草の揺れ方まで機嫌が良さそうに見える」

 

ティリエは前を向いたまま、ほんの一瞬だけ睫毛を伏せた。

それから軽く指先を振る。ふわりと涼やかな風が起こり、汗ばみ始めたロバの首筋を撫でていった。ロバが気持ちよさそうに耳を揺らす。

 

「……精霊に好かれる体質なんだ。昔からね」

「へえ、羨ましい限りだ。ボクなんて好かれてるのは死神さまくらいだよ」

「それはそれで大物じゃないか」

「あはは、違いない!」

 

笑い声が途切れた後、レイナードは思い出したように続けた。

「ああ、そうだ。傷、治しておこうか? ボクの治癒は中級までなら使えるんだ。治癒汚染の説明は――」

「知ってるよ。回復のたびに肉体と精神が蝕まれる、だろう? 昔より、ずいぶん知られるようになったんだね」

「お、博識だ。一昔前まではゴート様の祟りってことにされてたらしいけどね。とんだ濡れ衣さ」

「ふふ。……でも、大丈夫。ほら」

 

ティリエが袖をまくる。

昨夜あれほど痛々しかった擦り傷や青あざが、もう薄い痕になりかけていた。

レイナードの三白眼が、わずかに見開かれる。

 

「翠命の雫――翠星の樹の加護だよ。元々、治りは早いほうなんだ」

「……へえ。翠星の樹からこんなに離れてるのに、大した効きだね」

「体質かな」

「……キミ、便利な体質だね。精霊にも好かれるし、傷の治りも早いし」

「でしょ?」

 

ティリエは表情ひとつ変えずに袖を戻した。

レイナードは数瞬その横顔を眺めてから、いつもの締まりのない笑顔に戻った。

「ま、治癒の出番がないならそれが一番だ。ボクの汚染管理も楽になるしね」

 

◇◇◇

 

夕刻、街道沿いの旅人小屋に着いた。

小さな祠が併設された、壁と屋根だけの簡素な避難所だ。聖域の内とはいえ、夜の野宿を避けたい旅人のために、街道のところどころに設けられている。

竈の跡には先客の灰が残り、軒下には旅の無事を願って結ばれたらしい、色褪せた布紐がいくつも下がっていた。

 

レイナードは背嚢から小ぶりの鉄鍋を取り出すと、慣れた手つきで火を熾した。

「さてと。今夜は干し魚と豆のスープにしようか」

マーサが持たせてくれた干し魚を木べらの背で叩いてほぐし、湯に放り込む。続いて乾燥豆と、村で分けてもらった根菜の切れ端。仕上げに、彼が道すがら街道脇でちょいちょいと摘んでいた小さな葉を、ぱらりと散らした。

 

「……それ、潮見草だね」

ティリエが鍋を覗き込む。

「海辺の聖域によく生える草だ。精霊の通り道に育つから、香りがいい」

「お、さすがファリナ、正解。ボクは『スープに入れると美味い草』って覚えてたけどね」

 

塩は小さな革袋から、指で量って二つまみ。灰域では塩も貴重品だ。

レイナードの背嚢に香辛料の類はほとんどないが、代わりに各地の「その辺に生えてる美味いもの」の知識が詰まっているらしい。

やがて、ことことと鍋が鳴り、干し魚の出汁と香草の澄んだ匂いが小屋に満ちていく。

 

配膳の前に、レイナードは祠へ向き直り、短い祈りを捧げた。

その姿は、昼間の剽軽さが嘘のように神々しかったが――祈り終えた途端、「あっ、スープ焦げる!」と慌てて鍋に飛びつくのだから、台無しだった。

 

木の椀を受け取ったティリエは、すぐには口をつけなかった。

両手で椀を包み込んだまま、立ち上る湯気を、長いこと眺めている。

それから、ゆっくりと一口すすり――ほう、と細い息を吐いた。

 

「……美味しい」

「でしょ? 旅は飯が八割だからね」

 

レイナードも自分の椀を傾ける。ほぐれた魚の塩気と豆のほのかな甘み、その奥を潮見草の香りがすっと抜けていった。うん、我ながら上出来だ。

 

「あ、ちなみに食前の祈りも宗派で違うんだよ。聖神派は『日々の糧に感謝を』、慈神派は『恵みの癒しに感謝を』。で、ボクらゴートの信徒は――」

「死神にも食前の祈りがあるの?」

「『今日も死なずに食えました』。……っていうのは冗談で、同じように命を頂くことへの感謝かな。魚にも豆にも、終わった生があるわけだしね」

 

冗談とも本気ともつかない調子で言って、レイナードは自分の椀を軽く掲げてみせた。

 

焚き火を挟んで、ティリエがぽつりと尋ねる。

「『ゴートの信徒』って、何を信じてるの? 死神に祈っても、加護で命が助かるわけでもないだろうに」

「うーん、信じてるっていうか……探してるんだよ」

 

レイナードは木匙でスープをかき混ぜながら、火を見つめた。

「死の意味と、生の価値。ボクらは一生かけてそれを考えて、死んだ後にゴート様と答え合わせをするんだ。まあ、信仰っていうより哲学だね。父の受け売りだけど」

 

「死の意味、か」

ティリエは炎の向こうの闇に、金色の瞳を向けた。

「……見つかったら、私にも教えてよ」

「いいよ。特別料金で」

「取るんだ」

「冗談さ。――でも」

 

レイナードは笑みの形のまま、少しだけ声を落とした。

「キミは、もう答えの近くにいるような顔をするね」

 

ティリエは答えなかった。

薪の爆ぜる音だけが、二人の間でぱちりと鳴った。

やがて彼女は空になった椀を置き、「先に休むよ」とだけ言って、壁際で外套にくるまった。

 

◇◇◇

 

夜半。

焚き火は熾火になり、小屋の中には穏やかな寝息と、時折薪の崩れる音だけが残っていた。

レイナードは火の番をしながら、大鎌の刃を布で拭う。

 

ひと通りの手入れを終えると、背嚢を探って小さな布包みを取り出した。

開けば、熾火の明かりに、赤黒い球体が鈍く照り返す。

 

――竜の眼。

昨夜、酒場で彼女が食事の代金代わりに転がしてみせたものだ。

拳大のそれを掌の上で転がすと、内側に走る血管めいた模様が、生き物のようにゆらりと光を孕んだ。

 

(……監獄塔が、魔物に襲われた、か)

昼間の行商人の声が、耳の奥に蘇る。

 

ガモン島は、カセンドラ湾に浮かぶ孤島だ。そしてミスト港村は、同じ湾に面した漁村。

ずぶ濡れの外套一枚で、海の匂いと一緒に酒場の扉を開けた女。

傷だらけのくせに、当たり前のような顔で差し出された、二つの竜の眼。

そして――抜け出した囚人がいる、という噂。

 

(考えたくなくても、繋がっちゃうのが困りものだね)

レイナードは苦笑いを一つこぼし、竜の眼を布に包み直した。

 

ふと、視線を上げた。

眠る彼女の周りで、夜気がかすかに揺れている。

見えないはずの何かが、寄り添うように、守るように、絶え間なく巡っている――そんな気配がした。

 

(……精霊に好かれる体質、ねえ)

レイナードは静かに目を凝らす。

――『摂理の眼』。

死神ゴートより賜った、生死を見分ける加護。

 

彼女は、生きている。

それは間違いない。

だが――ほんのわずかに、何かが引っかかる。

死人の昏さでも、アンデッドの淀みでもない。『歪な生』と呼ぶには、あまりに静かで、あまりに淡い。

強いて言うなら、生の輪郭が、焚き火の煙のように一瞬だけほどけて見えるような――瞬きをすれば見失う、それくらいの揺らぎだった。

 

(……なんなんだろうね、これは)

 

思えば昨夜、酒場で初めて彼女を視たときから、この小さな違和感はあった。

だから気になった。だから、放っておけなかった。

そして今日一日で、分からないことは増える一方だ。

精霊はやけに彼女を慕っているし、あの傷の治りの早さも――翠星の樹から、これほど離れた土地で、加護はあんなに効くものなのだろうか。

 

(ま、ボクはファリナじゃないからね。確かなことは何も言えないんだけどさ)

 

もし、噂の囚人が彼女なのだとしたら。

(普通なら、レイヴン騎士団への通報くらいは考えるところなんだろうけど)

だが彼女は温かいスープに肩の力を抜き、死の意味を問い、仲間の墓参りに行くと言った。

 

追われる罪人が――そんな顔を、するだろうか?

 

(……ま、いいか)

レイナードは肩をすくめ、新しい薪を熾火にくべた。

(旅は始まったばかりだ。答え合わせを急ぐのは、『ゴートの信徒』の流儀じゃないしね)

 

小さくなった炎が、ふたたび薪を舐めて立ち上がる。

遠く、灰域の方角から魔物の遠吠えが聞こえた。

聖域の淡い光に守られた街道の片隅で、夜は静かに更けていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。