灰域戦線、加護なき地にて【キャラ募集中】   作:雪兎の手

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参加キャラ2人目登場!


要塞都市フォート・グレイブ

 

 血の匂いは、嫌いじゃない。

 ただ、こうも呆気ないと興が削がれる。

 

 ガモン島の岩棚に、黒い山のような巨躯が横たわっていた。

 黒蝕領域を生み出す核を宿した魔物――蝕核持ち(エルサクス)。その身から立ち上る瘴気が、潮風に裂かれて薄く流れていく。

 巨躯は肩口から胸の半ばまでを斜めに断たれていた。

 断面はあまりに滑らかで、まるで上等な肉でも切り分けたかのようだった。

 

 大男は血振りもせずに大斧を肩に担ぎ、つまらなそうに死骸を見下ろしていた。

 浅黒い肌に刻まれた無数の傷跡が、瘴気の薄明かりに浮かぶ。

 まだ痙攣を繰り返す竜の頭部――その額から伸びた禍々しく捻れた角を、彼は無造作に踏みつけた。

 

 ぐじゃり、と。

 硬いはずの角が、湿った木の枝でも折るような手応えで砕けた。

 

「……張り合いがねえ」

 吐き捨てるように呟く。

 

「だ、団長殿!」

 背後の岩場から、聖域防衛を担う騎士団の一隊が駆け寄ってきた。先頭の隊長格の男は、両断された蝕核持ちを見て絶句し、それから興奮を隠しきれない様子で声を張り上げる。

「お見事です……! 蝕核持ちを、たった一撃で……! 我々が総出で挑んでも、半数は死を覚悟する相手ですぞ」

「あんたらが死ぬ覚悟をするのは勝手だがな」

 男は興味なさげに鼻を鳴らした。

 ――ゲオルグ・オースティン。

 滅多に表に出ることのない“鴉”、レイヴン騎士団を率いる団長その人である。此度の調査には、聖域防衛の騎士団に同行する形で加わっていた。

「俺はこいつを斬った手応えの話をしてんだ。――おい、騎士さんよ。あんた、これがおかしいと思わねえか」

「は……?」

「蝕核持ちだぜ? 黒蝕領域を背負って立つ親玉だ。なのに、皮も骨も豆腐みてえだった。瘴気の量も、こいつの図体にしちゃ少なすぎる」

 隊長格の男は、ゲオルグの言葉の意味を測りかねたように口ごもった。彼にとっては、伝説の魔物を一刀のもとに葬った事実だけで頭がいっぱいなのだろう。

「弱い相手が楽でいいって連中もいる。だが俺は気に入らねえ。――こんな出来損ない、誰がどこで湧かせやがった」

 答えを求めているわけではない、独り言のような声だった。

 ゲオルグはひとしきり死骸を眺めると、興味を失ったように背を向けた。

 

 ◇◇◇

 

 崩れかけた監獄塔の螺旋階段を、ゲオルグは大股で登っていく。

 隊長格の男が報告書らしき羊皮紙を片手に、慌ててその後を追った。

「現状を整理いたします。襲撃があったのは三日前の夜。この塔の囚人のうち、数名は無事に保護、数名は遺体で発見。そして――幾人かが、行方知れずとなっております」

「逃げ出した、ってわけか」

「断定はできませんが。問題は、その行方知れずの者たちです」

 男はそこで声を潜めた。

「逃げた者のうち、一名を除く全員が……禁忌の異端、『アーティエの子』として捕らえられていた者たちなのです」

「アーティエの子。悪神の信者どもか」

 ゲオルグの声に、信仰者への侮蔑も恐れもない。ただの羅列を読み上げるような響きだった。

「はい。それゆえ此度の襲撃、単なる魔物の暴走とは思えぬのです。第一に、竜種がこのような聖域内の孤島まで、海を越えて群れで押し寄せること自体が異常。そして第二に――」

 男は抉れた塔をちらと見上げた。

「この塔を覆っていた封印結界。それが、外からではなく、内側から破壊された痕跡があるのです」

「へえ」

 ゲオルグの相槌は、どこまでも気のないものだった。

 組織の思惑も、結界の謎も、彼の関心の埒外にある。彼が知りたいのはいつだって一つきりだ。

 ――誰が、どれだけやれるのか。

 それ以外のことは、上の連中が頭を悩ませればいい。

 

 ◇◇◇

 

 最上階の独房は、無残に抉れていた。

 外壁の一面が大穴を空けて崩れ落ち、そこから灰色の海と、低く垂れこめた空が覗いている。鉄格子はまるで巨大な手で握りつぶされたかのように、ぐにゃりとねじ曲がっていた。

 

「派手にやったもんだな」

 隊長格の男が痛ましげに頷く。

「竜の爪と顎にかかれば、魔術強化を施した鉄格子とて、このとおりで……」

「――待て」

 ゲオルグの声が低くなった。

 

 彼は片膝をつき、床を撫でた。

 石床の一部が黒く焦げている。放射状に走るその痕は、爪痕でも炎のブレスでもない。

 雷だ。

 ゲオルグの目つきが変わった。

 爪と顎で暴れ回るしか能のない竜が、こんな焦げ痕を残すはずがない。

 

 ゲオルグはゆっくりと顔を上げた。

 視線の先――独房の天井。

 そこに、深々と一筋の傷が走っていた。荒れ狂う竜が暴れて付けた打撃の痕ではない。研ぎ澄まされた刃で空気ごと薙いだような、明確な意思をもって振るわれた魔術の太刀筋だった。

 

「……竜が暴れた痕じゃねえ」

 ゲオルグの口の端がわずかに吊り上がる。

「逆だ。ここにいた奴が――竜を“やった”側だ」

「な……っ、しかし団長殿、相手は竜種ですぞ! いかに罪人とて、武器も持たぬ囚人の身で、竜を相手取るなど――」

「そこだよ」

 ゲオルグは立ち上がり、ねじ切れた鉄格子の残骸を蹴り飛ばした。

「見ろ。ここにゃ古い血の染みしかねえ。三日前にできた、新しい人間の死骸も血溜まりもねえんだ。竜に喰われたわけでも、潰されたわけでもねえ」

 彼は崩れた壁の大穴から、灰色の海を見渡した。

「弱い竜だった。確かに弱い。だが、囚人にとっちゃ十分すぎる化け物だ。武器もねえ、何十年もこんな石室に閉じ込められて鈍りきった体で――それでも竜を斬り捨てて、この穴から、どうにかして島の外に消えやがった」

 ぞくり、と。

 ゲオルグの背に久方ぶりの感覚が走った。退屈な戦場では決して味わえない、あの感覚。

「面白え。生きてやがるな、そいつは」

「し、しかし誰がそんな……」

「それを今から教えてもらうんだよ」

 ゲオルグは隊長格の男の手から、報告書の羊皮紙を奪い取った。

 無骨な指が、行方知れずとなった者たちの名を辿っていく。

 収監は、ざっと数十年も前。罪状の欄には、古い書式で「貴族及び騎士殺し」とだけ記されていた。

 他の囚人のように「アーティエの子」の括りには入っていない。ただ一人、別の罪で、ここに繋がれていた女。

 かつて英雄と讃えられた者が、同じ王国の貴族と騎士を手にかけ、人知れずこの島に封じられていた――そういうことらしい。

 そして、その名に添えられた二つ名。

 

 ゲオルグの目が、その一行で止まった。

 知っている。古い武勇の語り草で、幾度か耳にした名だ。

 もっとも、当時すでに過去の人として語られていた女が、まさかこんな辺鄙な島で朽ちかけていたとは。

 

 ゲオルグはその名を胸の内でなぞった。

 そして、にやりと好戦的な笑みを浮かべる。

 

「――『追憶のティリエ』、か」

 

 崩れた壁の向こう、灰色の海が波乱の予感を孕んで揺れていた。

 

 ◇◇◇◇◇

 

 フォート・グレイブは、灰域へと続く最後の砦だった。

 

 三日にわたる街道の旅の果て、レイナードとティリエはその威容を見上げていた。

 高くそびえる二重の城壁は、長年の風雨と幾度もの魔物の襲撃に晒され、補修の跡がつぎはぎのように残っている。聖紋の刻まれた巨大な門の上では、王国旗が潮風にはためいていた。ここを境に聖域の柔らかな加護は途切れ、その先には灰色の現実――本物の灰域が広がっている。

 

「さ、着いた着いた。ここがフォート・グレイブだよ」

 レイナードはロバの綱を引きながら、にへらと笑った。

「灰域に出る討伐者も、命からがら帰ってくる討伐者も、みーんなここを通る。だから人も物も、いろんなものが集まってくるのさ」

 

 門をくぐると、雑多な喧騒が二人を包み込んだ。

 石畳の大通りには露店がひしめき合っている。干し肉や塩漬けの魚、灰域で採れたという見慣れぬ薬草、魔石をあしらった護符、すり減った中古の武具。物売りの声と値切りの怒鳴り声、荷車の車輪の軋みが絶え間なく折り重なっていた。

 

 行き交うのは、その大半がテルムの民だ。王都カセンドラを擁するこの国の防衛拠点とあって、目につく顔のほとんどはテルムのものだった。だが、その中には分厚い肩に鎚を担いだドゥルガンの鍛冶師や、獣の耳をぴんと立てて荷を運ぶアニマスの姿もちらほらと混じり、雑然とした活気を生んでいた。

 

 ティリエは長く幽閉されていた身には眩しすぎる光景に、わずかに目を細めた。

「……人が、多いね」

「ね、すごい活気だろう? まずは荷物を届けちゃおうか。商談の相手は、この先の倉庫街にいるんだ」

 

 レイナードは慣れた様子で人混みを縫い、目当ての商人のもとへロバを引いていった。

 荷を検めた商人は満足げに頷き、約束の駄賃を渡してよこす。長旅を共にしたロバの背を、レイナードは名残惜しそうにぽんと叩いた。

「ご苦労さま、ロバくん。達者でね」

 ロバはやはり興味なさそうに鼻を鳴らした。

 

 これでミスト港村からの依頼は果たされたことになる。

 運送のついで、という建前は消え、ここから先は純粋にティリエの旅路に付き合うだけだ。

 その事実に、二人とも特に何を言うでもなかったが――歩き出す足取りは、どこか軽かった。

 

 ◇◇◇

 

 異変は、広場に差しかかったところで起きた。

 

 わっと歓声が上がり、人垣ができている。その中心で、軽快な笛と太鼓の音が鳴っていた。

「お、旅芸人だ。一座が入ってるんだな」

 レイナードが爪先立ちで覗き込む。

 円形に空けられた舞台の上で、色とりどりの衣装をまとった芸人たちが、火の輪をくぐり、皿を回し、観客を沸かせていた。

 

 そしてその只中を、一頭の灰色の狼が駆けていた。

 背には小柄な少女が乗っている。年の頃は十三ほど。緑色のショートボブが風になびき、頭からは猫の耳が、腰のあたりからは尻尾がぴんと跳ねていた。狼は少女を乗せたまま舞台を縦横に駆け、跳躍し、少女はその背の上で逆立ちさえしてみせる。

 

「すごいにゃー! みんな見てる見てるー!」

 少女は無邪気に手を振り、観客はどっと沸いた。

 演目が一区切りつき、芸人たちが投げ銭を集め始めると、その少女は身軽に狼から飛び降り、なぜかまっすぐにレイナードのほうへ駆け寄ってきた。

「ねえねえ、おじさん! 今の見てた? すごかったでしょ!」

「おじ……」

 レイナードの締まりのない笑顔が、一瞬だけ引きつった。が、すぐにいつもの調子を取り戻し、しゃがんで少女と目線を合わせる。

「見てた見てた、最高だったよ。特に最後の逆立ち、あれは大したものだね。お嬢ちゃん、名前は?」

「アナスタシアだにゃ! でもみんなはスターシャって呼ぶの。こっちは相棒のスコル!」

 灰色の狼が誇らしげに「わふっ」と一声鳴いた。

 

 レイナードとスターシャは、あっという間に意気投合した。

 子供に好かれる体質は伊達ではない。スターシャはレイナードの背負う大鎌を珍しがり、レイナードは一座の旅の話を巧みに聞き出しては、大袈裟に驚いてみせる。ほんの数分で、二人はすっかり旧知の間柄のようになっていた。

 

 その様子を、ティリエは一歩引いた場所からどこか遠い目で眺めていた。

「ねえお姉ちゃんも! 次のショー、特等席で見せてあげるにゃ! パパとママに言っておくから!」

 スターシャに袖を引かれ、ティリエは戸惑い気味に身を引く。

「……いや、私は……」

「まあまあ、いいじゃないか」

 レイナードがにこやかに割り込んだ。彼はティリエの背に手を添え、有無を言わさず舞台のほうへと押しやる。

「せっかくのお誘いだ。たまにはこういうのも悪くないよ。ね?」

「……強引だね、あなた」

 ぼやきながらも、ティリエは抵抗を諦めたように息をついた。

 

 二度目のショーは、特等席から眺めることになった。

 火を吐く曲芸、宙を舞う軽業師、観客を笑わせる道化。スターシャがスコルにまたがって駆け回るたび、子供たちが歓声を上げる。

 ティリエは最初こそ気乗りしない様子だったが、火の粉が夜空に舞い上がり、笛の音が高く澄み渡る頃には、その金色の瞳がいつしか舞台の輝きを静かに映していた。

 幽閉の石室には、こんな光も、音も、何一つ届かなかった。

 数十年ぶりに浴びる人いきれの喧騒を、彼女は何も言わず、ただまぶたの裏に焼き付けるように見つめていた。

 

 ◇◇◇

 

 ショーがはねると、日はだいぶ傾いていた。

 

 人垣が散り、二人が広場を後にしようとした、そのときだった。

「待って待ってー!」

 軽い足音とともに、スターシャが駆けてきた。その後ろを、スコルがのそのそとついてくる。

「もう行っちゃうの? ショー、どうだったにゃ?」

「最高だったよ。ボクなんて三回は拍手で手が痛くなったからね」

「えへへー。……お姉ちゃんは?」

 水を向けられ、ティリエは少し考えてから素直に答えた。

「……綺麗だったよ。火の粉も、笛の音も」

「そっかー」

 スターシャはにこーっと笑った。

 それから、その大きなアクアブルーの瞳が、じっとティリエの顔を見上げた。

「でもお姉ちゃん、笑ってるのに、ずーっと寂しそうな目をしてるにゃ」

「……え?」

 ティリエの声がわずかに揺れた。

 スターシャは構わず、腰の小物入れをごそごそと漁ると、何かを取り出してティリエの手に押しつけた。

 色鮮やかな糸を編み込んだ、小さな飾り紐だった。一座の演目で使う、他愛のない小道具だろう。

「これあげる! 元気が出るおまじないだにゃ。フェティス様の祝福つき!」

「……いいの?」

「いいのいいの! あたしたちの仕事は、落ち込んでる人を笑顔にすることだから!」

 えっへんと胸を張る少女を前に、ティリエは掌の上の飾り紐を見つめたまま、しばらく言葉が出てこなかった。

 数十年。誰も彼女の目の奥など覗き込もうとはしなかった。

 それを、出会って半日の子供がこともなげに言い当てていく。

「……ありがとう。大事にするよ」

「うんっ!」

 

「スターシャたちは、これからどうするんだい?」

 レイナードが尋ねると、スターシャは元気よく答えた。

「んーとね、しばらくこの街で興行して、そのあとはまたあちこち回るの! あたしたち、いっつも色んなところを旅してるから――」

 彼女はぴっと指を立て、いたずらっぽく笑った。

「お兄ちゃんたちも旅を続けてたら、きっとまたどこかで会えるにゃ!」

「あはは、違いない。旅人同士、縁があればまた――」

「じゃあね、おじさん! お姉ちゃん!」

「……ねえスターシャちゃん? さっきは『お兄ちゃんたち』って呼んでくれてたよね?」

「あれはお姉ちゃんとセットだからだにゃ! おじさんはおじさん!」

 けらけらと笑いながら、スターシャはスコルの背に飛び乗り、ひらひらと手を振って一座のほうへ駆け戻っていった。

 レイナードはがっくりと肩を落とし、ティリエはその隣で小さく――ほんの小さく、笑った。

 

 ◇◇◇

 

「さて、と。この竜の眼を、お金に換えに行こうか」

 レイナードは懐から、例の赤黒い球体を取り出した。ミスト港村でティリエが酒代の代わりに差し出した、竜の眼である。

「ここなら、買い取ってくれる店もあるだろうしね」

 

 二人は連れ立って、魔石や遺物を扱う仲買の店を訪ねた。

 店主はカウンターに転がされた竜の眼を、片眼鏡越しにためつすがめつ眺める。

「竜の眼か。……品としちゃあ、まあ並みだな。傷も多いし、抜いてから時間も経ってる」

 そう言いながらも、その指先は球体の表面を物珍しげに撫でていた。

「だが、こいつはちと珍しい。最近この界隈じゃ、竜なんざとんと見なくなったからな。……ふん、まあいい。これくらいでどうだ」

 提示された額は、法外でも破格でもない、ごく順当なものだった。

「うん、それで構わないよ。ありがとう」

 レイナードはあっさりと頷き、硬貨を受け取った。商人は出所を深く詮索することもなく――討伐者の持ち込む品にいちいち事情を聞くのは野暮というものだ――取引はそれで終わった。

 

 店を出ると、ティリエがふと足を止めた。

「レイナード。私、少し別行動をしてもいいかな」

「ん? どうかした?」

 ティリエは手にした古びた木の杖を軽く掲げてみせた。ガモン島の監獄で、気絶した看守から拝借した、あの間に合わせの杖だ。

「これ、そろそろ替えどきでね。まともな得物を、自分で見繕っておきたいんだ」

「ああ、なるほど。じゃあボクは宿でも探しておくよ。日が暮れる前に、広場の噴水のとこで落ち合おう」

「分かった。……すぐ済むよ」

 そう言って、ティリエは雑踏の中へと歩き出した。

 その背をレイナードはしばらく見送っていたが、やがて懐の硬貨を弄びながらひとりごちた。

「すぐ済む、ねえ」

 なぜだろうか。

 彼女が一人で買い物を済ませて戻ってくる姿が、どうにも上手く思い描けなかった。

 

 ◇◇◇◇◇

 

 ティリエは武具を扱う店が並ぶ一角に足を踏み入れていた。

 

 買うものは、二つある。

 一つは、新しい杖。今手にしている看守から拝借した間に合わせは、さすがに心許ない。魔術の媒体として、もう少しまともなものが欲しかった。

 そしてもう一つ――こちらは、あれば便利という程度のもの。剣の持ち手の部分だけが、一本。刃はいらない。

 ……我ながら、酔狂な注文だとは思う。だからこそ、レイナードを連れてこなかった。あの目ざとい男に理由を詮索されては面倒だ。ついでに済ませられるなら、それでいい。一人のうちに、さっさと回ってしまうに限る。

 通りに面した一軒の鍛冶屋から、炉の熱気と鉄を打つ音が漏れていた。ティリエは迷うことなくその戸口をくぐる。

 

 壁には剣や槍が立てかけられ、奥の炉ではいかつい体つきのテルムの店主が、赤熱した鉄塊を鎚で叩いていた。

 来客の気配に、店主は手を止めて顔を上げる。

 そして入ってきた人物を見て――あからさまに興味を失った。

 

 長い薄緑の髪に、長い耳。ファリナの女。それも武具の似合わぬ、戦士には到底見えない線の細い娘。どうせ護身用の短剣でも冷やかしに来たか、付き添いで迷い込んだだけだろう。店主の太い眉が、そう語っていた。

「……何の用だ」

 鎚を再び振り上げながら、店主は無愛想に問うた。

 

 ティリエはその態度を気にする様子もなく、ごく平坦な調子で切り出した。

「剣の、持ち手だけが欲しいんだけど」

 

 かぁん、と。

 振り下ろされかけた鎚が、空中で止まった。

 店主はたっぷり数秒の沈黙のあと、聞き間違いを疑うような顔でティリエを見た。

「……あぁ?」

「だから、柄の部分だけ。刃はいらない。持ち手だけを、一本」

「……」

 店主の顔が、見る間に不機嫌に歪んでいく。

 剣の柄だけ寄越せ、などという注文は、職人にとっては侮辱に等しい。刃こそが剣の本体であり、魂だ。それを「いらない」と言い放つ娘を、店主はぎろりと睨みつけた。

「帰んな。うちは玩具屋じゃねえ」

 にべもなかった。

 

 ティリエは軽く首を傾げた。

 それから、店の壁際に無造作に飾られていた一振りの安物の剣を手に取る。装飾も粗く、刃も鈍った、客寄せ程度の代物だ。

 彼女はそれを店主のほうへ差し出し、相変わらずの平坦な声で言った。

「じゃあ、これでいい。――この剣の、刃を外して。柄だけ売ってくれれば」

 

 店主の額に、青筋が浮かんだ。

 

 ◇◇◇

 

 ――数分後。

 

 ティリエは、鍛冶屋の戸口の外に立っていた。

 その手には、結局何も握られていない。背後で勢いよく扉の閉まる音が、まだ耳に残っている。

 

「…………」

 彼女は所在なげに、空になった自分の手を見下ろした。

 なぜ追い出されたのか、その理屈がいまひとつ呑み込めていない様子だった。持ち手だけが欲しい。ただそれだけの、合理的で簡潔な要求だったはずなのに。

 

 ティリエはふうと小さく息をつき、誰にともなく呟いた。

「……レイナードを、連れてくればよかった」

 

 あの締まりのない優男なら、きっとものの数分で店主を笑わせ、世間話のついでに望むものを手に入れてしまっていただろう。竜は斬れても、頑固な職人ひとり懐柔できない。それが自分という人間なのだと、ティリエは今さらながらに思い知る。

 

 とはいえ、これしきのことで彼を呼び戻すのも、癪な話だ。

 彼女は気を取り直し、再び雑踏へと歩き出した。

 刃のついた剣など、本来は望むところではない。重く、嵩張り、目を引く。

 追い詰められたとき、最後の最後に縋るもの。それだけがあればいい。

 ――刃の方は、そのときになれば、どうとでもなるのだから。

 

 幾つかの店を巡り、ティリエはささやかな買い物を済ませた。

 一つは、節くれだった木の杖。看守から拝借した間に合わせよりは、いくらか魔力の通りがいい。

 そしてもう一つは、装飾のない実用本位の短剣を一振り。望んだ持ち手だけ、とはいかなかったが、これはこれで構わない。いざとなれば、得物の一つもあって困りはしないし、それに――この柄なら、十分に役目を果たしてくれるだろう。今度の店主は何も聞かなかった。代金と引き換えに、鞘に収まった短剣を黙って差し出しただけだった。

 ティリエは短剣を腰に佩き、新しい杖を手に馴染ませる。

 当初の目論見からは少々遠回りになってしまったけれど、まあ、こんなものだろう。

 

 ふと、懐の中の飾り紐を思い出した。

 色鮮やかな糸で編まれた、あの子供のおまじない。

 取り出してしばし眺め――結ぶ場所を探すように杖と見比べ、少しだけ迷ってから、彼女はそれを杖の持ち手のすぐ下にきゅっと結わえつけた。

 揺れる飾り紐は、無骨な木の杖には少しばかり不釣り合いで。

 ……でも、悪くない。

 

 西の空が茜色に染まり始めていた。

 待ち合わせの噴水へ向かおうと踵を返したティリエは、ふと雑踏の向こうに視線を投げる。

 別段、何があったわけでもない。

 長く囚われていた者の癖なのか、賑わいの中にいてなお、彼女の意識のどこかは絶えず遠くの気配を探っている。

 

 灰色の海を越えた、遥か彼方。

 そこで誰かが自分の名を口にしたことなど、もちろん知る由もなかった。




と言うわけで、GALSさん投稿のアナスタシアちゃんの登場でした。かわいいね
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