灰域戦線、加護なき地にて【キャラ募集中】   作:雪兎の手

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いざ灰域へ

 日が沈みきる少し前、ティリエは待ち合わせの酒場に着いた。

 フォート・グレイブの大通りに面した、間口の広い店だった。灰域帰りの討伐者たちで席の半分が埋まり、ミスト港村の『波止場の灯り』よりも、漂う空気はいくらか荒々しい。壁のあちこちに古い得物の傷痕が残っているのは、この手の店では日常茶飯事ということなのだろう。

 

 ティリエはカウンターの端に腰を下ろし、水を頼んだ。

 新しい杖を膝に立てかける。持ち手のすぐ下で、色鮮やかな飾り紐が小さく揺れた。

 レイナードはまだ来ていない。宿探しに手間取っているのか、それとも道端で誰かのお節介でも焼いているのか。たぶん後者だろうな、と思いながら、彼女は杯の水を一口含んだ。

 

「――おいおい、なんだぁ?」

 濁った声が、背中に投げつけられた。

 振り向くと、大きなテーブルを囲んでいた討伐者の一団のうち、三人がこちらを見ていた。日に焼けた肌に安物の革鎧。腰の得物は使い込まれているが、手入れは雑だ。すでにだいぶ酒が入っているらしく、目が据わっている。

「ここは酒を飲む場所だぜ? お子様が水遊びしに来る場所じゃねえんだよ」

「見ろよ、その耳。耳長サマだ」

「女の耳長が、討伐者様の酒場に何の用だぁ?」

 げらげらと、品のない笑いが重なった。

 

 ティリエは杯を置き、振り向きもせずに答えた。

「人を待ってるだけだよ。あなたたちに用はないから、気にしないでくれると助かる」

「……あぁ?」

 男たちの笑いが、不快げに歪んだ。

 突っかかった相手が怯えもせず、かといって言い返して熱くなるでもない。まるで道端の石ころにでも触れたような、そのどうでもよさそうな態度が、酔った頭には何よりも癇に障ったらしい。

 一番体格のいい男が、椅子を鳴らして立ち上がった。

「随分と余裕じゃねえか、耳長。誰に口きいてるか分かってんのか?」

 男の手が、これ見よがしに腰の剣の柄にかかる。

 

 店内の喧騒が、すっと引いた。

 給仕が足を止め、近くの席の客が杯を持ったまま身を引く。

 

 ティリエはようやく振り向いて、男の目と、柄にかかった手とを順に見た。

 それから、心底不思議そうに、首を傾げた。

「……本当にやる気?」

 声に、怒りはなかった。挑発の熱すらなかった。

「最近の討伐者は、未熟な人が多いんだね」

 ただ、目の前の相手をそう査定した。それだけの、平坦な声だった。

 

「……ぶっ殺されてえらしいな、テメェ」

 男の顔から嗤いが消え、柄を握る手に力がこもる。残る二人も、じり、と椅子を引いた。

 一触即発。誰かが唾を呑む音さえ聞こえそうな、その時だった。

 

「――やめておいた方がええぞ、お前さんがた」

 

 しわがれた、けれどよく通る声が割って入った。

 店の隅の席から、一人の老人が立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 小柄なアニマスだった。真ん中が白く、両脇が黒い、奇妙な配色の髪。顔には年相応の皺が刻まれているが、背筋は真っ直ぐに伸び、足取りにも淀みがない。

「な、なんだジジイ。引っ込んでろ」

「まあ聞け。――ほれ、周りを見てみい」

 老人は、のんびりと店内を指し示した。

 男たちがつられて視線を巡らせる。いつの間にか、店中の目がこちらに集まっていた。杯を止めた討伐者たち、戸口で固まる給仕、そして表通りに面した窓の向こうには、巡回中らしい守護者の姿もちらりと覗いている。

「酒場での抜剣は御法度。ましてやこれだけの衆目の中、丸腰の娘さん相手に三人がかりとあってはのう。明日にはこの街中の笑い話じゃ。仕事の口も、なくなるかもしれんのう?」

「ぐ……」

「悪いことは言わん。今夜のところは、酒に免じて引いておくのが利口というものじゃよ」

 老人は、にこにこと人畜無害な笑みを浮かべている。

 男たちは顔を見合わせ、忌々しげに舌打ちをした。

「……けっ。白けたぜ。おい、行くぞ」

「命拾いしたな、耳長」

 精一杯の捨て台詞を残して、三人は肩を怒らせながら店の奥のテーブルへと戻っていった。

 店内に、少しずつ喧騒が戻ってくる。

 

 老人は、やれやれと首を回すと、ティリエの隣の席を指した。

「座っても構わんかの」

「……どうぞ」

 老人は腰を下ろし、店主に酒を一つ頼んだ。それから、隣のティリエに向かって、ひょいと頭を下げる。

「感謝するぞ、お嬢さん」

 

 ティリエは、杯に伸ばしかけた手を止めた。

「……礼を言われる筋合いはないと思うけど。場を収めたのは、あなたのほうだよ」

「うんにゃ」

 老人は運ばれてきた酒を一口舐め、静かに言った。

「儂が救ったのは、お前さんじゃなくて、あの阿呆どものほうじゃよ」

「…………」

「もしあやつらが本当に剣を抜いておったら――無事では済まなんだのは、彼奴らのほうじゃったろうて」

 

 店の喧騒の中で、そこだけが凪いだように静かだった。

 ティリエは、何も答えなかった。

 老人は、杯の中の酒に目を落としたまま続ける。

「なに、儂も昔は――随分と、荒れた生き方をしておってな。同類の眼は、見れば分かるんじゃよ」

「……」

「お前さん、人を殺すことに躊躇のない眼をしておる。それにな、いかに魔術師とはいえ、酔うた男三人に囲まれて、指先ひとつ揺れなんだ。ありゃあ度胸なんぞという可愛いものじゃあない。場数じゃよ。それも――獣や魔物相手だけの場数では、なかろうな」

「……私のことを、知っているの?」

「いいや、あんたのことは知らんよ」

 老人はこともなげに杯を傾けて、続けた。

「じゃがな、杖持ちの、それもファリナ族の魔術師を相手に、見た目だけで舐めてかかる――そんな真似が許されるのは、圧倒的な強者か、ものを知らん小物のどちらかじゃ。そして彼奴らは、どう見ても前者ではあるまいよ」

 

 ティリエは、初めてまともに、老人の横顔を見た。

 皺の奥の目は、酔ってもいなければ、笑ってもいなかった。ただ静かに、事実だけを見ている。修羅場の数を知る者の、値踏みでも敵意でもない目だった。

 ……ただ、見ていただけで。そこまで。

 彼女は小さく息をつき、それから、素直に頭を下げた。

「――なら、私からも礼を言うよ。場を収めてくれて、ありがとう」

「なんの。年寄りの節介じゃよ」

 老人はからからと笑い、杯を軽く掲げてみせた。

 

 ◇◇◇

 

 日没の鐘が鳴る頃、レイナードは両手に荷物を提げて大通りを歩いていた。

 背嚢には数日分の保存食と水袋、替えの砥石、傷薬に包帯。フォート・グレイブを出れば、次にまともな補給ができる場所は当分ない。買い忘れは、そのまま命に関わる。

(さて、と。……問題は、ここから先なんだよねえ)

 道すがら、彼はずっと考えていた。

 ここから先は本物の灰域だ。聖紋の加護はなく、魔物はいつ、どこから現れるか分からない。夜は交代で見張りが要るが、二人では体力の削り合いになる。前衛はボク一人。ティリエの魔術は頼もしいが、自分一人ではその身を守る壁が足りない。

 正直、二人で越えるには、些か心許ない道のりだった。

 本当は隊商に護衛として潜り込むのが一番だったのだが、あいにく水都方面へ発つ隊の護衛枠は、どこも埋まっていた。この時期は隊商が多い分、腕利きの取り合いになるらしい。

(というわけで、ティリエに仲間集めを提案してみよう……そう思ってたんだけど)

 

 酒場の扉を開けた、その瞬間だった。

「――ヴェスペリオ? ……ふふ。あの人、まだ生きてるんだ」

 

 ティリエの声だった。

 レイナードは、扉口で荷物を提げたまま固まった。

 カウンターの端で、ティリエが笑っていた。声を立てるような笑いではない。目元がふっと緩んで、口の端が上がるだけの、ささやかなものだ。

 それでも――ミスト港村の酒場に現れた夜の、あの何もかもが遠い目を思えば、ずいぶんと柔らかくなったものだった。

 その隣には、白と黒の奇妙な髪色をした、小柄なアニマスの老人。二人の間には木彫りの駒の並んだ小さな盤が置かれている。ゴロクスだ。枡目の上で駒を取り合う、酒場の暇潰しの定番である。

「おうとも、ぴんぴんしとるわい。3年ほど前かの、儂が仕留めた魔物の腹ん中に、頭から突っ込んでいきよってな。『新種の寄生虫や!』と、そりゃもう嬉しそうに」

「変わってないなあ。私のときは、魔術で焼けた魔物の痕をね、匙で削って舐めようとしたんだ」

「舐めよった?」

「止めたよ。そうしたら、むすっとした顔で『味も立派な学問なんや』って」

「かっかっか! 言いよる言いよる! あやつ、人の挨拶はろくに返さんくせに、魔物のこととなると、誰も聞いておらんでも喋り続けよるからのう」

 

 ……誰だい、ヴェスペリオって。

 レイナードの見立てでは、ティリエは自分から人と打ち解けるような性質ではない、はずだった。壁を作るわけではないが、扉を開けもしない。そういう人だと思っていた。

 その見立て自体は、たぶん今も間違っていない。現に今も、彼女は静かに話し、静かに笑っているだけだ。

 ただ――。

(……ふうん?)

 スープに肩の力を抜いて、ロバに風を送って、旅芸人の火の粉に見入って、子供のおまじないを杖に結んで。

 そうやって少しずつ、こうなってきたのかもしれなかった。

 

「やあやあ、お楽しみのところ失礼するよ」

 レイナードが歩み寄ると、ティリエが顔を上げた。

「レイナード。買い出しは終わったの?」

「ばっちりさ。……で、こちらは?」

「さっき、ちょっとした縁があってね」

「儂の名はジェイ。ただの死にぞこないの老いぼれじゃよ」

 老人はからからと笑い、それから盤上に目を戻して、ぱちり、と駒を進めた。

「ああっ」

 ティリエが小さく声を上げる。見れば、盤の上は彼女の駒がほとんど囲い込まれ、見るも無残な劣勢だった。

「うわ、ボロ負けじゃないか」

「……最後にやったのは、ずいぶん昔なんだよ。勘が戻れば、こんなものじゃないから」

 ティリエは、ほんのわずかに唇を尖らせた。また一つ、見たことのない顔が増えた。

「かっか。腕は悪うないぞ、お嬢さん。ただ、儂のような年寄りはの、盤の上でも罠を張るのが好きなんじゃよ」

 

 三人分の夕食を頼んだ。

 運ばれてきたのは、浅い鉄鍋のままの飯だった。香辛料で黄金色に染まった米に、川エビと貝、ほぐした鶏肉がごろごろと埋まり、鍋底の焦げた米が香ばしい湯気を立てている。それに、香草をまぶして炙った猪の骨付き肉。付け合わせと呼ぶには豪快すぎる大きさで、皿から骨がはみ出していた。

「豪勢だねえ」

「灰域帰りと灰域行きの客ばかりじゃからの。この街の飯は、とにかく精をつけさせる方に決まっとる」

 周りを見れば、なるほど、どのテーブルでも討伐者たちが骨付き肉にかぶりつき、鉄鍋の飯を競うように掻き込んでいる。明日をも知れぬ稼業だからこそ、食えるうちに食う。そういう飯だった。

 ティリエは、鍋の飯を一匙すくって、ゆっくりと味わった。エビの出汁と香辛料の香りに、金色の瞳がわずかに見開かれる。

「……美味しい。こういうお米の食べ方、初めてだ」

「じゃろう。ま、儂に言わせれば、貝はもうちっと火を止めるのが早うても良いがの」

 

 食事がひと段落した頃合いを見て、レイナードは切り出した。

「ときにジェイさん。これからの予定って、聞いてもいいかな」

「ん? なに、明日にでも灰域に出ようと思っとったところじゃよ。しばらく街で骨を休めたでな。そろそろ、狩りが恋しゅうなった」

「へえ、奇遇だね。ボクらも明日、灰域に出るんだ。水都ラティーナの方までね」

 レイナードはにこりと笑って、続けた。

「――どうだろう。途中まででいいから、一緒に行かないかい? 道中の飯代くらいは、こっちで持つよ」

 ティリエが、ちらりとレイナードを見た。彼はその視線に、片目をつぶって応える。前衛が足りない、見張りの手が足りない。それに何より、この老人は場慣れしている。損得だけでも、誘わない理由がなかった。

 ジェイは杯を置き、ほんの少しだけ、間を置いた。

 それから、皺だらけの顔をくしゃりと崩す。

「――こんな所で会ったのも、何かの縁じゃ。ええぞ、乗った」

「よし、決まりだ!」

「言うておくが、儂は狩りをしながら行くでな。道草は覚悟せい。その代わり――」

 老人は、にっと歯を見せた。年に似合わず、白くて丈夫そうな歯だった。

「飯だけは、美味いのを食わせてやるわい」

 

 ◇◇◇

 

 翌朝。

 夜明けの鐘とともに、三人は宿を発った。

 

 先頭を行くのは、黒のカソックに赤い腰帯を締めたレイナード。背には身の丈ほどの大鎌と、補給の品で膨れ上がった革の背嚢。足取りは、荷の重さを感じさせないほど軽い。

 その隣に、ティリエ。動きやすい旅装に、腰には買ったばかりの短剣。新調した木の杖の持ち手では、色鮮やかな飾り紐が朝の風に揺れていた。

 そして最後尾には、ジェイ。小柄な体に不釣り合いな大きさの背負子には、罠の材料やら小ぶりの鍋やらが器用に括りつけられ、歩くたびに、かたかたと涼しげな音を立てる。腰回りには大小のナイフが、使い込まれた鞘に収まって並んでいた。さらに背には簡素な弓矢も背負っている。

 

 聖紋の刻まれた巨大な門は、街道の果て、灰域との境に向かって口を開けている。門番の守護者たちが、出ていく討伐者の一団一団に、短い祈りの言葉をかけていた。旅の無事を、というより、無事に帰って来いよ、という響きだった。

 

 門を抜けて、しばらく歩いた頃。

 ふ、と。空気の質が変わった。

 肌を撫でていた柔らかな膜のようなものが、途切れる。音が少しだけ遠くなり、光が少しだけ、鈍くなった気がした。

 振り返れば、フォート・グレイブの城壁が朝日を受けて輝いている。聖紋の加護は、あの壁までだ。

 

 ティリエが足を止め、目を閉じて、深く息を吸い込んだ。

「……久しぶりだな、この感覚は」

「ん? ティリエは灰域に出るの、久しぶりなのかい?」

「――そうだね。ずいぶんと、ご無沙汰だった」

 それ以上は言わず、彼女は目を開けて歩き出す。レイナードも、それ以上は聞かなかった。

「ま、といっても、景色が急に変わるわけじゃないんだけどね。変わるのは、こっちの心構えのほうさ」

「儂に言わせりゃ、こっちの空気のほうが性に合うわい。街の飯は美味いがの、どうにも人が多すぎる」

 ジェイは大きく伸びをして、すんすんと風の匂いを嗅いだ。それから、目を細める。

「……今日のところは、風も機嫌がええようじゃ。行くとするかの」

 

 朝焼けの下、灰色の街道が地平の果てまで延びていた。

 遠く、どこかで獣とも魔物ともつかぬ声が、一つ。

 三人は、それぞれの得物を背に、灰域への一歩を踏み出した。




テレテテテーン! ジェイが仲間になった!
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