夕日の差し込む細道で、時が止まっていた。
道の先には、得物を構えた男が六人。その輪の中心に、片方の剣を失った銀髪の少女がひとり。少し離れて、蔦に縛られたまま動かない若い男と、地面に転がされた商人。
――何があったのかは、まだ分からない。
ただ、分からないなりに、絵面だけで語っていることは多かった。
男たちは三人へ得物を向けたまま、動かない。こちらの出方を測っている。レイナードたちもまた、足を止めたままだった。
張り詰めた沈黙の中、ふとティリエが口を開いた。
「そういえば」
「ん?」
「武器、投げちゃって大丈夫なの?」
視線の先――男たちのすぐ手前に、レイナードの大鎌が深々と突き立っている。
「…………よくない、ねえ」
レイナードは、苦笑いを浮かべた。
「ちょっと格好つけすぎたかも」
「かっかっか! 言うと思ったわい」
ジェイが遠慮なく笑い、男たちの何人かが、毒気を抜かれたように顔を見合わせた。
「まあ、ちょうどいいや。回収がてら、ご挨拶といこう」
レイナードは丸腰のまま、のんびりとした足取りで歩き出した。
「やあやあ、どうも。何があったのかは知らないけど――ずいぶんと物騒なことになってるね? よかったら、事情を聞かせてもらえると」
男たちは、しばらく動かなかった。
丸腰で近づいてくる優男。値踏みするような沈黙が、数歩ぶん続いて――
不意に、一人が動いた。
「――舐めやがって!」
横合いから、剣の一閃。
レイナードは、ひらりと半歩で躱した。
空を切った男の腕を絡め取り、手首を捻り、流れのままに足を払う。男の体が独楽のように回って、背中から地面に落ちた。返す手で顎に短い当て身。男は白目を剥いて、動かなくなった。
「――うん」
レイナードは、にっこりと笑った。
「敵ってことで、良いんだね?」
その時、後方の弓手が矢をつがえ、レイナードへと狙いを定めた。
弦が引き絞られ――放たれる、寸前。
横合いから飛来した氷の一条が、弓ごと、それを撃ち砕いた。
『
弓手は、矢をつがえた姿勢のまま、握った弓の残骸ごと固まっていた。
ティリエは杖を軽く掲げたまま、涼しい顔で立っている。
「背中は、見ておくから」
「ありがたい! じゃ、遠慮なく前に集中させてもらうよ」
「て、てめえら、何なんだ……!」
男たちの間に、初めて動揺が走った。
その隙を、小さな影が縫った。
ジェイだ。老人とは思えぬ速さで男たちの間合いへ滑り込むと、手にした縄をしゅるりと走らせる。一人目の足首に絡んで引き倒し、返す縄の先が二人目の斧の柄に巻きつき、そのまま手元からむしり取った。
「ほれ、危ないもんは没収じゃ」
「くそ、ジジイ……!」
得物を失った男と、もう一人が、ジェイへ斬りかかる。
――が、その間にレイナードが割り込んでいた。いつの間にか、地面の大鎌が手の中に戻っている。
振るわれた剣を長柄で受け流し、石突きで鳩尾を突き、崩れたところへ足払い。もう一人の振り下ろしは体を開いて往なし、大鎌の柄で膝の裏を打って地に転がした。
刃は、一度も使っていない。
大鎌と体術とを一つに束ねて扱う――死神ゴートの象徴を得物とする僧兵、『代行者』の大鎌術である。
「ジェイさん、後ろがお留守だよ」
「なんの。お前さんに任せておったのよ」
道の上には、白目を剥いた男と、縄に転がされた男と、得物を失って尻餅をついた男が点々と転がっていた。
そしてその頃にはレイナードは、へたり込んだ銀髪の少女をさりげなく背に庇う位置へと移っている。
「もう大丈夫。あとは、ボクらがやるからね」
振り返らないまま、軽く言った。少女が何か答えたのかどうかは、風の音に紛れて聞こえなかった。
◇◇◇
残るは、三人。
そのうちの一人――物陰へ退がっていた杖持ちの男が、低い声で詠唱を紡いでいた。
足元の土が、微かに脈打つ。あの、闇色の蔦だ。
が。
詠唱の途中で、男の目が――こちらへ杖を向けるティリエの目と、合った。
男は、にやりと笑った。
杖を向けたところで、詠唱はこちらが先に終わる。その顔には、そう書いてあった。
男が、最後の一節を口にしようとした――瞬間。
「っ、ぁ……!?」
詠唱が、千切れた。
男の体がぐらりと傾ぎ、杖に縋ってかろうじて立つ。焦点の合わない目、青ざめた顔。船酔いのように喉が上下した。
――魔術妨害。
魔術の構築中、相手の体内へ己の魔力を忍び込ませ、編みかけの魔力ごと掻き乱し、暴発させる魔術。行き場を失った魔力は当人の身へと還り、強烈な不快感と酩酊をもたらす。大きな魔術を編んでいる最中であるほど、その返しは重い。
魔術師同士の戦いは、一に初見殺し、二に駆け引き、三に魔力量――そう言われるほど、「知らない手」はそのまま致命傷になる。心得のある魔術師なら、防護魔術なり、あるいは体内で魔力を巡らせる器官――魔導回路を己の魔力で覆い保護するなりして、当然に備えている類のものだ。
だがそれは、対人の魔術戦を師から学ぶか、命懸けの実戦で潜り抜けた者だけが知る領分。魔物相手の魔術しか知らずに育てば、「同業に術を乱される」という発想そのものがまず無い。
ティリエは、ゆっくりと男へ歩み寄っていく。
男は目を回しながら、それでも恐怖と魔術士としての意地とを掻き集め、震える声で詠唱を絞り出した。展開されたのは、攻撃ではなく――半球状の防護結界。
「……へえ」
ティリエの足が、一瞬だけ止まった。
「綺麗な構築だね。私の頃より、ずっと洗練されてる」
どこか感心したような、静かな声だった。
それから彼女は、杖の先を結界へと向け――
ぱきん、と。
薄氷を割るような音を立てて、結界は一瞬でほどけた。
男はへたり込んだまま、自分に杖を向けるティリエを見上げた。
喉から、乾いた笑いが漏れる。
からん、と。
男の手を離れた杖が、地面で軽い音を立てた。
◇◇◇
「――ティリエ!」
レイナードの警告が、飛んだ。
弓を失った男が、腰の剣を抜き放ち、ティリエへと駆けていた。レイナードとジェイは、バッソら残りの男たちと打ち合っている最中――割って入れる位置にはいない。
ティリエは、慌てなかった。
ゆっくりと男のほうへ向き直る。その間にも剣は振りかぶられ、細身の体めがけて振り下ろされ――
がぃん!
火花が、散った。
刃は彼女の体を切り裂くことなく、何もない空中で堰き止められていた。弾かれる刹那、火花に照らされて、透明な障壁が一瞬だけ像を結ぶ。
防護魔術。いつの間に張っていたのか、詠唱はおろか、素振りすらなかった。
「なっ……」
ティリエは落ち着き払って、杖の先を男へと向けた。
放たれたのは、名前すら持たない、極めて単純な攻撃魔術――魔力の塊に質量を持たせただけの一撃。
それが。
過たず、正確に、男の股間を撃ち抜いた。
「――――」
男の顔が、声にならない形に歪んだ。
少し離れて打ち合っていたレイナードの顔も、なぜか同じ形に歪んだ。
「うっわぁ……」
弓手だった男は両膝からくずおれ、泡を吹いて丸くなった。
その隙を突くように――得物を失って尻餅をついていた男が、転がされた商人めがけて駆け出した。人質を取る気だ。
「させんわい!」
横合いから飛びついたジェイが、男もろとも地面を転がる。上を取った老人が目にも留まらぬ手際で縄を回し、男は瞬く間に芋虫のように縛り上げられた。
残るは――バッソ、ひとり。
「……ちっ。使えねえ連中だぜ」
吐き捨てながらも、その太刀筋は今までの有象無象とは別物だった。大振りの剣が唸りを上げ、レイナードの長柄と噛み合う。受け、流し、石突きで突き返し――それでも決定打が入らない。
「へえ。あんた、ちゃんと強いんだね」
「抜かせ……!」
鍔迫り合いに蹴りが割り込み、レイナードが半歩を譲る。拮抗だった。
――その時。
銀色の髪が、ふわりと宙に浮いた。
カレリアだ。残った力を掻き集めるように深く身を沈めたかと思うと、何もないはずの空中をもう一度蹴って、さらに高く跳ぶ。『
バッソの頭上。夕日を背に、少女の姿が翻る。
「『
渾身の風圧の塊が、真上からバッソへと叩きつけられた。
直撃――とはいかない。大男は咄嗟に剣の腹で頭上を庇った。だが上からの重い一撃に膝が撓み、体勢が大きく崩れる。
「なっ……この、ガキ……!」
その隙を、レイナードは見逃さなかった。
滑り込むような踏み込みから、大鎌の石突きが鳩尾へ。息の詰まった顎先を、返す柄が跳ね上げる。
ごっ、と鈍い音。
大男の巨体が白目を剥いて傾ぎ、地響きを立てて沈んだ。そのまま、ぴくりとも動かなくなった。
それが、最後だった。
夕暮れの細道に、転がった男たちと、荒い呼吸の音だけが残された。
◇◇◇
後始末は、手分けして進んだ。
ジェイの背負子からは、まだいくらでも縄が出てきた。伸びている者も、呻いている者も、降参した者も、まとめて後ろ手に縛り上げていく。老人の縛り方は堅実で、そして一切の容赦がなかった。
「儂の縄はの、ボウリでも千切れんぞ。大人しくしとれい」
その間に、レイナードは商人と少女から、事情を聞き出していた。
護衛の依頼。六人組。分かれ道。そして、騙し討ち。
商人は涙と洟で顔をぐしゃぐしゃにしながら、少女は最低限の言葉を短く並べるだけだったが――起きたことの輪郭は、おおよそ掴めた。
「……そっか。災難だったね、二人とも」
レイナードはそれだけ言って、余計な慰めは口にしなかった。
ジェイが道の先から戻ってきたのは、その頃だった。
「……見つけたわい」
短い報告だった。それだけで、何を見つけたのかは全員に伝わった。
槍の男は、水場近くの茂みに打ち捨てられていたという。
商人の許しを得て、二人の遺体は荷馬車の隅へ丁重に乗せられた。蔦に縛られていた男の骸は、ティリエが蔦の魔術を解いてから、レイナードとジェイの二人がかりで運ばれた。
骸を寝かせる前に、レイナードは二人の首元から、革紐に通された小さな金属板をそっと外した。
討伐者の識別票だ。誰かに義務づけられたものではない。名と、故郷なり縁者なりの手がかりを刻んだ札を街の細工屋で作らせて、身につける――いつからか討伐者たちの間に根づいた、慣習のようなものだ。
灰域で果てた討伐者の骸は、故郷まで帰れないことのほうが多い。だからせめてこの札だけでも誰かの手で届けば、死は伝わり、報せはいつか縁者のもとへと渡る。
討伐者が最後に持ち帰ってもらうもの――それは得物でも稼ぎでもなく、この小さな札なのだった。
レイナードは二枚の札を検めることなく布に包み、懐の奥へと仕舞った。
それから、ティリエが進み出る。
彼女は杖を構え――珍しく、詠唱を紡ぎ始めた。
「――凍てつく大気の精よ。安らぎの褥を、どうか彼の人らに」
囁くような詠唱とともに、澄んだ冷気が二つの骸を包み、薄い氷の膜がゆっくりと張っていく。傷みを止めるための、弔いの氷だった。
戦いの間はついぞ聞かなかった彼女の詠唱を、その場の誰もが、黙って聞いていた。
氷が張り終えると、入れ替わるように、レイナードが骸の前へ進み出た。
胸の前で手を組み、目を閉じる。
「――死神ゴートよ。二つの魂が御許への道に迷わぬよう、どうか、お導きを」
短い祈りだった。けれどその立ち姿は、普段の剽軽さが嘘のように、どこか神々しかった。
目を開けた彼は、いつもの締まりのない顔に戻って、小さく付け足す。
「……ちゃんとした弔いは、街に着いたらね」
「それで――問題は、御者じゃの」
ジェイが、空の御者台を顎で示した。
ここまで手綱を握っていたのは、賊の一人だ。当然、今は荷台で芋虫になっている。
「……私が」
小さく手を挙げたのは、カレリアだった。
「実家が商隊だった。だから多少は扱える」
「お、そりゃ助かる! じゃあハモンドさんは、その隣へどうぞ。荷台は……ちょっと居心地が悪いだろうからね」
荷台には、縛られた賊が六人と、氷の棺がふたつ。商人を乗せない理由は、いくらでもあった。
荷馬車の後方の幌は、開け放したままにした。中の賊どもから、目を離さないためだ。
徒歩のレイナード、ジェイ、ティリエの三人が、馬車を囲むように位置につく。
出発の、間際だった。
御者台のカレリアが、手綱を握ったまま、ふいに振り返った。
「……最後に、ひとつ」
「ん? どうかした?」
「あなたたちの名前を教えてほしい」
真っ直ぐな、静かな声だった。
三人は顔を見合わせ、それからレイナードが、にへらと笑った。
「ボクはレイナード。しがない旅の討伐者だよ」
「ジェイじゃ。ただの年寄りの狩人よ」
「……ティリエ」
少女は三つの名を、ひとつずつ確かめるように胸の内で繰り返したようだった。それから小さく、自分の胸に手を当てる。
「カレリア。カレリア・フィオーレ。……助けてくれて、ありがとう」
一行はゆっくりと動き出した。
行き先は、宿場町ヴァレン。
暮れ残る空の下、車輪の音が、静かになった森に転がっていった。