起きても現状が変わるわけがない。
変わった事といえば先程までの眠気と身体の怠さ、赤ん坊の場合、怠さという表現は違和感があるが。それらが解消されたこと。
にしても私は恵まれた立場すぎるのではないか。自殺した人間だというのに。
ちょっとばかり、昨日感じたものとは別の罪悪感が湧いてくる。
だが、時間は待ってくれない。
扉に向かって足音がしてきた。母親みたいだ。ご飯らしい。
そういえば、いや、そういえばじゃない状況なんだけど、赤ん坊ってどう振る舞えばいいんだよ。最初に目覚めたときなんかまともに声も上げなかったぞ。
だからか、何度も声をかけられたのは。
そんな心配に葛藤しながらノックの音を聞き取る。主人格の母親は心配そうに見つめてくる。
仕方ない。ある程度成熟している赤ん坊ということで通すか。
スプーン越しで離乳食というやつを口で受け取る。口移しではない。スプーンだ。スプーンを受け取って私の手で掬いたいのだが、それをするといよいよ主人格に顔向けできない。
ロールプレイに集中していた私だったが、主人格母親、面倒だから彼女の母としておくか、その人は杞憂そうな素振りが消えた様子だ。食事を摂ってくれたから落ち着いたということなのか。
私の解釈だから信用性に欠けるがそういうことにしておこう。食事が終わって、彼女の母がなにやら玩具を手に私の気を引こうとしている。
あぁ、わかってるよと。
最低限の付き合いでなんとかやり過ごした。学生時代、文化祭の発表会を観ていたが、あの時の記憶を再現したつもりなので少々心配ではある。あからさま過ぎる演技なんて前世でやったことない。直接見たことで覚えていたのだろうか。学生時代の記憶を借りた。
それにしても主人格が帰って来るまでどうしたらいいのやら。帰って来ないという最悪の可能性は考えない。そんなの罪悪感で耐えられない。
何よりも私は子供ではない。自己認識として、成人を超えた大人としての記憶がある。
当面の目的としては最低限、主人格が帰ってきた後の引き続き業務といったところか。
というかそれしかないだろう。なんだが働いているかのような表現だが的を射ているのではないか。
あれから5年が経った。
長いようで短いという陳腐な表現はまさしくそのとおりで、最低限不自然ではないくらい今世での振る舞い方が板についてきた。
この世界について得られた情報についてまとめてみる。まずは普通の世界だということだ。ここで言う普通というのはファンタジーじゃないというやつだ。
そこは安心した。
5年間過ごしてファンタジー現象と出会ってないだけと言われたらそこまでだが、サンプル数は十分だし、そういうことなのだろう。次に、やはりここが日本ではない。
両親が日本人に見えない時点で薄々でもなくほぼそうだろうと分かっていたが、なんともノスタルジックだ。
どうやらここはアメリカらしい。私はアメリカについて現地レベルの知識はなかったがここは〇〇州という。
それと我が家は両親2人に私というなんともこじんまりとしている。
日本と違って子どもが多そうなイメージがあったが()そうでもないのか。アメリカの出生数について気にしたことなどなかった。
もしかすると私が生まれた後、今後も私のような気味が悪い子どもが産まれる可能性を危惧したのかもしれないが、私としては他人であり身内である家族との接し方すら未だに分かってないのにそれが一人二人と増えたらもうキャパオーバーだ。
私の両親に失礼な想像だったな。
今の年代について、触れておくと21世紀、そして2010年あたりだろうか。
勉強で困ることはない。
いや、あった。
小学生あたりですらこっちの英語はネイティブ過ぎて難しい。こっちでは現代文や国語なのだろうか。
前世の年代とは多少ずれているがそれでも生活水準に明らかな差があるわけではないようだ。
前世に似た異世界だったらと思ったが本当に何もない。ダンジョンが突如現れる、とかそういうやつを想定したこともある。
前世のように小学校のようなものにもいずれ入学するようだ。性別も国も言語も違うので不安という身体年齢相応のような悩みが出そうになるが、今はそれはいい。
基本的なことは5年もあれば大体分かるが前世との相違点も探していた。
今朝、父と母と一緒になってブレークファストを取っていた。
前世日本で増えつつあった共働きのようだ。
私がゆっくりとイモムシ如くモソモソした動きでスクランブルエッグを口にぶち込んでいた、その合間に2人揃って玄関から出勤していった。
流石にお見送りくらいはしている。
というか主人格ならしなくてもいいかもしれないが、私にとってはそうではないので、習慣になっている。
やり始めた最初の方は彼女の両親も満更でもないみたいだったが、最近は遠慮しているのかもしれないと薄々感じている。
再び長い背もたれと脚の椅子になんとか座り、食べ始める。前世ではこのような椅子を見る度に手間取りそうだと感じていたが、成長していっても問題ないサイズになっているので今では躊躇いもない。
テレビの方に目をやるとニュース番組がやっているようだ。以前は日本語字幕をつけてくれよなんて心の中で駄々を捏ねていたが流石に気にすることもない。
一度、『私』の両親の前で字幕付きを観ていた時には勉強熱心だとなんだと、おだてられたがそれ以降は無意識の振る舞いにも意識を向けることになった。
10,11歳辺りの子供が同じ事をしていれば不自然でもないかもしれないが、5歳の未就学児の行動として物の怪の類にしか見えない。恐怖である。
どうやら近くの州で頻発している殺人事件についてらしい。
こういう所はアメリカだなあなんて以前から思っているが最近はどうもおかしい。何やら同じような事件が頻発しているらしく、さらに興味深いことに被害者の分類に一貫性がないことだ。普通何らかの一貫性や背後関係があるものであるし、加害者に関しては何の情報もない。
ジャック・ザ・リッパーでも出たのかと子供の頃の妄想のようなことを考えたがそもそもいつの話だ。しかも今世ではお隣の島で起きたことだ。
身支度を済ませた後スクールバスというやつに乗る。人生で乗るのは前世のとき以来かと思いつつ、乗り込むが周りに擬態出来ているかは不安である。
ここで2周目なら出来ることもあるだろう。しかし、良く考えてみるとそんなことする意味はない。
大人である自分を見せつけたところで、それは私が気持ちよくなるだけで、主人格がどうなるかは予測つかない。
その後は特に特筆することも無いが、保育士の方の手助けをすることはある。大人が疲れそうな様子を見せているのに擬態のために負担を増やすようなことが出来るほど子供にはなれない。
おかげで労働のようなことをしているわけだが、そんな1日が基本的だ。
帰って来ると両親はまだいないのでやることがある。日記だ。何を夏休みの小学生のようなことをしているんだと思われるかもしれない。もちろん絵日記を書くわけではない。
これは引き継ぎ業務の一環だ。
私の性格や行動、周りの人間関係を軸に日々の出来事なども詳細にメモする。私の行動指針を捉えるためでもあるが、主人格の記憶が引き継がれればいいがそうでなかった場合の保険でもある。
あくまでも起きたらだがな……。
そんなこんなでまた7年近く経った頃、
『えぇ……この世界って殺戮の天使なのか………』