おくるもの 作:葬儀屋
死人とお付き合いする仕事で、切っても切り離せないものと言えば。一般的な人からすればやはりこう考えるのではないでしょうか?
お化け、怪異、幽霊。
しかし私も同僚もそういった"幽霊"というものを基本的に信じてはいません。なにせ一年で二百人以上もの人を送るわけですから、もしそんな物が本当にいるとしたらこの世はとっくの昔に足の踏み場もないでしょう。
ただ、実際の話として理屈では片付けられないような事も目の当たりにしていますから"基本的に"という訳ですね。
誰も止めていないのに、何故か図ったように同じ階で止まるエレベーター。
通夜を終えての葬儀当日、供えられた生花が必ずぐちゃぐちゃに荒らされている式場。
"誰かがいる"とよく喪家からクレームが入る安置室。
しかしどれも明確な意思というよりはどこか反射に近い物を感じます。幽霊とは何か訳があって存在するのではなく、こびり付いた残留思念のような物なのかもしれません。なりたくてなった訳ではなく、"なってしまった"。
葬儀場という場所は、どうしてもそういった澱が溜まりやすい場所なんでしょう。職場ではありますが、本音を言うと用がなければあまり居たくはないですね。
ただ葬儀場に泊まって寝ずの番をする人もいる以上、夜間に何かあった時のために人は置いておく必要があります。どうしても葬式では御布施に香典といった大金を持ち歩く人もいるので、物騒ですしね。
通夜を終えた私達と交代で葬儀場を預かってくれる守衛さんには、いつも頭が上がりません。
今日はそんな守衛さんから聞いた話を一つ。
まあ守衛と言っても、やる仕事はそんなに多くないそうです。定期的に葬儀場を巡回し、喪家からもし何か要望があればできるだけ応える。後は亡くなった方が夜間に発生すれば、安置室の準備。
基本的には事務所でテレビでも見ながら過ごしていればいいので、定年退職したご老人が小遣い稼ぎに勤めている事が多いです。皆さんとても穏やかで、どうしても神経を使う私達の仕事の中で彼らとの会話は清涼剤のようなものです。
私達は特定の葬儀場にずっといる訳ではなく、その日その日によって何処に行くかを割り振られます。古い葬儀場、新しい葬儀場、何名でも入れる大きな所、家族葬に寄せたコンパクトな式場。
ある日、私が割り当てられたのはかなり初期の方に建てられた大きな葬儀場でした。家族葬で数名の見送りではありますが「主人と同じ所で送ってほしい」という故人の遺言で、喪家はそこに決めたそうです。
本当にシンプルな式で大した準備も必要なかったため、通夜が始まるまで私も事務所で時間を持て余していました。
それで一つ、同じように欠伸している守衛さんに暇潰しに尋ねてみる事にしたんです。
「昔はこの葬儀場、結構幽霊だとか"そういう噂"が立ってたって聞いたんですけど。今はそんな事ないのってやっぱお祓いとかしたんですか?」
長年勤められているその葬儀場の守衛さんは、若い私の不躾な質問に気分を害した様子もなく少し考えた後で一言呟きました。
「お祓いというより、自浄作用かな」
古くからある葬儀場ほどそういった不思議な事がよく起こるようで。今でこそベテランで多少のトラブルでは動じる事のない彼も、勤め始めの頃は巡回一つでもびくびくしながら回っていたそうです。
誰もいない葬儀場で祭壇に登って遊んでいる子供がいる。
安置室に泊まっていると誰かがドアノブを頻りにガチャガチャと回す。
廊下に濡れたような足跡が付いている。
けれど当時はそんなクレームが頻繁に起こる葬儀場でしたから、初めの内は怯えていた彼もその内慣れてしまったそうです。別に直接害を与えられる訳でもなかったし、慣れてしまえばこんな楽な仕事はないからと。
だからそれを見た時、最初はこう思ったそうです。
「ああ、またか」と。
いつだったかの深夜。事務所で本を読んでいると、磨りガラスの向こうにぼやけてはっきりとは見えませんが、誰かが歩いているのを見つけたそうです。その日は通夜も入っていなければ、本部から「安置室に今から故人がお連れされる」といったような報告も受けておらず、普通に考えれば不法侵入者です。
ただ数日前に式をした人が忘れ物を取りに来たという事もありますから、即座に通報なんて真似はしません。まあ深夜にそんな人が来る訳ないですけど、その守衛さんにとっては所謂「ああ、またか」でしかなかったと。
けれど規定の巡回時間が近付いてきたから、とりあえずは事務所を出なければいけない。懐中電灯を持って事務所のドアノブに手を掛けた時、気付いたそうです。
カクカクと動く人のように見えていたシルエットが、どこかおかしい事に。
ぼやけて気付かなかったけれど、壊れた人形みたいにぷらぷらと揺れる腕が1、2……3、4、5、6。何かを探しているかの如く、四方八方へそれを伸ばしながら這いずり回っていたと。
幽霊が元は人間だとしたら、あれはそれから外れた"何か"だ。咄嗟に"それ以上見てはいけない"と目を伏せたそうです。刺激しないように、気付いた事すら悟られないように。夜が明けて事務員が来るまで、ただただじっと息を潜めていた、と。
それが出た翌日から、何故かそういった幽霊だのお化けだのといったクレームを喪家から受ける事はなくなったそうです。それについて守衛さんはこう話していました。
「人が死んで何かが溜まるんなら、あまり溜まり過ぎるとそれを掃除する物も生まれるんじゃないかなあ。自然界だってそうでしょ?動物の死体を分解する蛆とか微生物みたいに」
目を伏せる前、磨りガラス越しのシルエットは這いずりながら何かを掴んで"吸っていた"そうです。蝸牛を捕食するマイマイカブリみたいに。何を吸っていたかは、まあ考えれば大体お分かりかと思います。
その話を聞いて死ぬ前に未練なんて残す物じゃない、と強く思いましたね。
「見てないから何があったか分からないけどさ、ずっと悲鳴みたいな金切り声が聞こえてたんだよ。ずずず、って何かを吸う音と一緒に」