「知識は無駄にならないということを痛感しましたね……」
「薬学・栄養学ともにね。あたしは魔道具の研究開発がしたかったから専門外だったけど、魔法科総合の授業も真面目に受けてて本当によかったわ」
密猟者の処遇をリントヴルムにお任せして、わたしとアンは再び目的地であるスターヂャンに向けて歩き始めました。
リンコドンの中心部を離れて既に一日半。スターヂャンという名前こそありますが、魔法学校がある中心部と同じくリンコドンの集落です。
リンコドン自体がかなり大きいこともあって、馬車や陸上を駆け抜ける召喚獣を用いず徒歩で移動するとなれば、それなりに時間を要するのは致し方ないとはいえ……小柄で歩幅の狭いアンには少々厳しいようです。まして、精神鍛錬の一環として身体も鍛えたわたしと違い、魔法士であるアンは座学が本分。運動自体があまり得意でないというのは本人の談でした。
ここからスターヂャンまで、本来ならば日が落ちる前に到着するつもりでしたが、このままではもう一日ほど野営をしなければなりません。そうなると気掛かりなのは……。
「アン、少し地図をお借りしてよろしいですか? 少し、気になることがありますので」
「いいわよ。じゃああたしその間ちょっと休憩してるから、終わったら声かけて」
周囲をちらりと見まわしたアンは、こそりと近場の木陰に移動して一息入れつつ、水を補給し始めました。
しかし、わたしが気になったのもその「水」でした。アンはここまで、想像よりも少し早いペースで水を消費しています。このままいけば、今日中の飲み水は日暮れ頃には切らしてしまうでしょう。そこでわたしが調べたのは、この川がどこまで陸路と隣り合わせになっているのか、ですが……。困りましたね。ここから先は曲がりくねった山道。越えるまでは水を確保できません。
まだ川に面している今なら、水を確保することは可能です。ですがそれを飲み水とするのであれば、一度きちんと煮沸させなければなりません。しかし今から薪木を探し、火を起こし、水を汲み、煮沸させ、水筒に移して後片付けをし、再び歩き出すにはそれなりの時間を要します。ここで、わたしが取るべき選択肢は二つあります。
ひとつは、アンに水分補給のペースを落としてもらい、少しでも早くスターヂャンに到着し、身を休めてもらうこと。
もうひとつは、ここで飲み水を追加して、アンのペースに合わせてゆっくりスターヂャンに向かうこと。
「アン、少しお話が……アン?」
「……くぅ……」
それは、出逢ってからまだ数日ではありますが、アンがわたしに初めて見せた明らかな「隙」でした。
ここまでを顧みてみれば、アンはわたしの前で一度でも明確な隙を見せたことはありません。それは、当初はわたしに対する警戒心でもあったのかもしれませんが、こうしてリンコドンを出て旅路を共にするようになってからは、その警戒心の意味が変わっていたことに、わたしもうっすらと気付いていました。
成人男性と同じくらいの身丈であるわたしと、幼い子供のようなアンでは、どちらが年上なのか一見しただけではわからないでしょう。わたしはそれを気にしたことはありませんし、都度それを訂正するだけの手間を手間と思ったこともありません。ですが――アンは単純な年齢の上下以上の意味を、そこに感じていたようでした。
彼女にとって、わたしは間違いなく「年下」だったようでした。それはわたしの価値を軽んじる意味ではなく、ひとつだけでも年下であるわたしは、彼女にとって「守らなければならない対象」であったように感じます。それは多くの弟や妹を世話する長子として生まれた彼女だからこその価値観なのかもしれませんが、だからこそ彼女は必要以上に、わたしに迫る危機や脅威に対して常に警戒していました。しかし、それが同時にただでさえ体力を消耗しやすい彼女の小柄な体躯にさらなる負荷を与えていたのでしょう。
結果、アンはこうして無防備を晒すことになってしまいました。わたしの弟を取り戻すという、彼女にとってなんのメリットもない旅路に付き合うために。
「……召喚士シルヴィアが求める」
◆
「あぁ……ひんやり、気持ちい……いッ!? えっ、あたし寝てた!? え、じゃあこの冷たいの……あぁ、ゴーストシャークね……。シルヴィはどこ行ったの?」
ゴーストシャークの肌の冷たさに目を覚ました時、あたしは自分の顔が一瞬にして真っ青になっていくのがわかった。即座に周囲を見渡してシルヴィの姿がないことにさらに焦燥感を増したけれど、首元に巻かれたゴーストシャークが無警戒に昼寝をしていたことで、少なくともシルヴィが誰かに連れ去られてしまったり、今まさに何かの危険に巻き込まれているわけではないことはわかった。わたしはひと呼吸入れて落ち着きを取り戻し、ゴーストシャークにシルヴィの居所を訊ねると、彼はその鼻先を川の方へと向けた。
「川……? え、水汲み?」
確かに、手元の水筒を見てみればもうほとんど空っぽ。一日あたりの消費ペースを既に大きく超えていた。シルヴィの歩幅に合わせて早足がちになっていたせいか、足にもかなり疲労が溜まっているのがわかる。今のペースでいけば、間違いなくスターヂャンに着くよりも早く日が落ちてしまう。自分の体格を勘定に入れずペース配分したあたしのミスだ。
シルヴィにとっては、こんなところで足踏みしている時間だって惜しいはずだ。あの子は大切な弟を『アルターリ』なんていう巨大マフィアに捕えられて気が気じゃない中でどうにか自分を律しているのに、あたしのせいでそのペースを乱されている。……けど、それを悔いるのは今じゃない。少なくとも、シルヴィはそれでもあたしのことを見捨てるつもりなんてない。そうじゃなければ、あたしの護衛のために大切なゴーストシャークを貸したりはしないはずだ。シルヴィがあたしを不要だと言うまでは、あたしはシルヴィに必要とされ続けてる。あたしはそう判断してる。だから、今やるべきことは現状を悔いることじゃなくて……ちょっとでも体を休めて、できるだけ早く目的地に着けるようにすること。
「アン! 目は覚めましたか?」
「ああ、シルヴィ。さっき起き……どうしたのその格好!?」
「え? あぁ、そろそろお昼ごはんの時間になりますから、お水を沸かすついでに約束していた川魚を獲ってきたところです。見てください、手ごろな
川の方から聞こえる声に視線を上げると、あたしに向かって駆け寄ってくるシルヴィ……はいいんだけど、ガラスのように綺麗な銀髪はいつものようなゆったりとしたウェーブを失い、艶やかな湿気を纏ってほとんどまっすぐになっていて、素肌のほとんど出ない服装も少しだけ乱れているようだった。
一瞬、本当に何もなかったのかと疑ったけれど、その手の網にみっちりと詰まったナナイロマスやゴーストシャークの反応を見るに、さっきまで間違いなくすっぽんぽんで潜っていて、さっきのあたしの声に気付いて大慌てで服を着てきたんだろう。シルヴィの服は腰のコルセットのせいでただでさえ一人では着づらそうなのもあって、ああなってしまうのは仕方ない。
「あはは……ありがと、シルヴィ。でも服ところどころおかしいから、こっち来なさい。直してあげる」
「そうですか? やっぱり、一人で着替えるには鏡は必須ですね……。メイドでもいればいいのかもしれませんが」
「こんな危ない旅に着いてきてくれるメイドなんているわけないでしょ。それよか、腕の立つ剣士とかの方が欲しいわ。シルヴィも剣は持ってるけど、ほとんど使ってないみたいだし」
「このサーベルは大切な頂き物なので、できれば戦いでは使いたくありませんねぇ。それに枝木を切ったり動物の解体に使ったり、使い道はいくらでもありますから」
確かに、シルヴィの黒いショートサーベルは刀身の長さよりも剣幅の広さが印象的だ。海に生息する『
「なら、早めに剣士が欲しいわね。剣士じゃなくてもいいけど、近接武器の扱いに長けたやつ」
「うーん……メイド、欲しいんですけどねぇ……」
珍しく諦めの悪いシルヴィを見て、もしそんな稀有な存在がいるなら採用に文句は言わないことにした。
まぁ剣士の方はちゃんと頼りになるヤツじゃないと絶対にNO! だけどね。