「本当にあっという間に着きましたね……」
「まぁリンコドンとは一区跨いでるだけだしね」
「そう思うと、当初の歩みの遅さを痛感せずにはいられませんね」
空を優雅に泳ぐメガロシャークの勇ましさが少しばかり注目を浴び、門前に降り立つなり衛兵さんたちから事情聴取を受けはしましたが、移動手段という意味ではワイバーンやペガサスに跨る騎空兵と変わらないし、召喚士と魔法士という珍しい組み合わせではありますが冒険者が見知らぬ街に訪れることに不審はないはず、と二人で説き続けていると、あちらは少々しぶしぶという様子ではあったものの、見逃していただけました。
さて――そうして訪れたここはアクリアンティス王国ペラジクス地区の北西に位置する『プリオナス』という大きな街で、本来はリンコドンの北東にある『ミツクリナ』の一部がほんの少しリンコドンとプリオナスを阻んでいることで、直線軌道で北上すると実質的にミツクリナも跨ぐことになるという、なかなか面白い地理関係にあります。以前にも申し上げた通り、ペラジクス地区は王都セトリヌスからかなり離れた東側にあるため、ひたすら西へ西へと歩み続ける必要があるわけですね。
ペラジクス地区から王都に向かうには、北部に位置するトロピクス地区と、北西に位置するマザラ地区のどちらから抜けるのかを選ぶ必要があります。
マザラ地区から西に向かうルートは交通の便がよく、陸路もある程度は舗装されているところも多いため、馬を借りて移動するならこちらがいいでしょう。ただ、舗装されているということは人の手が多く及んでいるという意味でもあり、関所がやや多いのが難点です。空路を辿る際にも通行税を支払わなければ最寄りの騎空隊に通報されてしまいます。しかも、この通行税というのがそれなりに手痛い。旅と節約は切っても切り離せないもの。そんな状況で懐の割を大きく削る税金は、できるだけ数を減らしたいというアンの意見は理解できます。
安全かつ素早くセトリヌスに向かえる、というのは確かに魅力的ですが……少々の危険ならばわたしもアンも対応可能な範囲。加えて、遠回りではありますが空路なら道などなくとも進むことが可能ですし、何より人の手が届いていない分、大自然を眼下に進む旅路は新たなサメとの出会いがあるかもしれません。
「とりあえず、北の関所へ向かう前に数日ほど宿を取りましょ。ここまで来るのに採収した薬草とか昆虫を薬にして、お金にしたいわ」
「路銀稼ぎ、ですね。わたしも何かできないか、街を散策してみます」
「変な人についていかないように……って、言う必要もないわね、この街なら」
苦笑いするアンが、どこかを見るようにしてわたしへの警告を呑み込みます。
その視線を辿ってみれば、重厚な鎧に身を包んだ屈強な衛兵さんが盗賊らしき人を組み伏せていました。
盗賊は身軽な格好で、力ではもちろん衛兵さんには敵わないひょろりとした細身の男性ではありますが、隙を見て技を抜け出そうとしている視線の動き、やや下半身に集中しているもののバランスのいい筋肉量……かなりの手練れであることは間違いないはずなのに、あんなにも重々しい鎧を着けてなお、彼の身を捕えたのであれば、間違いなくあの衛兵さんの腕前は一流のそれであるのでしょう。
「このプリオナスの別名は『剛兵の街』って言ってね。王都セトリヌスの宮廷騎士もこのプリオナスから多く輩出されているわ。特に有名なのは、かつて「最強の宮廷騎士」と言われた剣士、マトヴェイ・リーシナかしら。ある時は怪我をした部下を守るためにたったひとりでドラゴンを討ち、またある時は千をゆうに越える敵兵を無傷で全滅させた、なんて噂もあるわね。まぁさすがにある程度の脚色はあるかもしれないけれど、そう思わせるほどの素晴らしい剣士であったのは間違いないみたい」
「すごい人がいるんですねぇ……」
「ま、今はもう引退しちゃってるみたいで、もしかするとこのプリオナスに帰ってきてるかもしれないわね」
そう言って話を終わらせようとするアンに、わたしが「引退?」と問うと、どうやらそのマトヴェイさんという方は、なんらかの強敵との交戦で利き腕を失い、早々に宮廷騎士としての立場を退いてしまったそうです。そのため、アンも彼の武勇伝を魔法学校で聞いたことはあれど、そのあまりに短い英雄譚に落胆したそうです。
盛るならもっと盛りなさいよ、なんて毒づく様子からして、アンはどうやら英雄譚をそれなりに好んでいるようですね。あるいは、本や物語といったものに心惹かれるものがあるのかもしれません。
「じゃあシルヴィ、宿探しと荷物運びはあたしがどうにかしておくから、あなたは自分のお仕事を探してきなさい。シルヴィなら身なりもしっかりしてるし、腕っぷしも強いでしょ? 接客業とかなら、そんなに苦労せず見つかると思うから頑張って!」
「え、でもわたしの荷物それなりに重いですよ?」
「大丈夫よ。さすがに戦えるほどじゃないけど、これでも大家族の長女として力仕事もけっこうやってた方だし、ちょっと重い荷物運ぶくらいならね」
「アンの体重の倍くらいありますけど」
「何が入ってんのよ!!」
実はさっき、メガロシャークの休憩とアンの薬草採収の時間にわたしだけやることがありませんでしたので、アンのお手伝いの意味も込めて数十匹ほどティタノスネイクを倒して肉と革に分けておいたんですが……ちょっと量が多すぎましたかね。どちらもきちんと防腐加工してありますから、お肉はわたしたちが今日明日食べる分を残して大部分はメガロシャークの奉納に捧げてしまいましたが、革ならお金になると思うんですけど……ダメですかね。あっダメそうですね。大量の革を見て「ひっ」という小さい悲鳴を上げて、直後ぎろりと恐ろしい形相でこちらを睨むアン。睨んでいてもキュートですよアン。誤魔化せませんか、誤魔化せませんよね。はい正座します。
周囲からの奇異の視線にも慣れたもの。リンコドンの街中でもこのやりとりは何度かやりましたからね。土の上で正座させられる時と違い、石畳に整備された街の路面は少々ごつごつしているものの、小石が畳んだ足を苛むこともなく快適な正座を可能にしています。これも職人の技ということでしょうか。
必死で足の痛みから逃げるべく思考をスライドし続けていたことがバレると、アンから「仕事が見つかるまで宿に来ないように」と言い渡され、彼女はわたしのカバンからお財布だけをわたしに手渡すと、その重いカバンを持って宿探しに向かってしまいました。あぁ……これはしばらくお互いにクールダウンしましょう、ということですね。わかりました、きちんと真面目に反省とお仕事探しをしてきますね。
◆
「日雇いのお仕事といえど、やはり甘くありませんねぇ……」
アンと別れてしばらく。日雇いのお仕事はいくつかあれど、なかなか頷いていただけないままそろそろ日も暮れ始めてしまいました。
困りましたねぇ。いくら屈強な衛兵さんがたが睨みを利かせているとはいえ、あまり暗くなると女性ひとりで出歩くのは憚られますし、もしかすればアンがわたしの心配をして宿を飛び出してしまうかもしれません。わたしと違って、アンは近接戦闘の心得などありませんし……せめて宿の近くに行きましょう。
そう思って街に響く日暮れの鐘を楽しみながら宿の方へと歩み始めると、わたしの前をひとりの人物が阻みました。
「……見ない顔だな、旅行者か。広場に行くならここはやめておけ、向こうの道を通ったほうがいい」
「つい先ほど、その道を通ってここに来たので、できれば知らない道は通りたくありませんね。それに、あまり裏道を通りたくはありませんし」
「人の助言は聞くものだぞ」
――痛い目を見たくないのなら。
そう告げる彼の瞳に宿る、あの昏い光……。まるでぴかぴかに煌めいていた星の光が鈍い音を立てて砕かれたような、あるいは子供の夢がめいっぱいに詰め込まれた宝箱をぐしゃぐしゃに潰されたような、そんな……『いつか光だったもの』が消えることも再び輝くこともなく、ただちょろちょろと残り火のように燻ぶっているようで……。
わたしはそんな薄昏い光を見つめて――背後に迫る気配から逃れるようにその場を飛び退きました。
がつり、と石畳を強く打ち付けるその音は、その勢いに反した殺傷性の低い軽そうな木の棍棒が立てていることに気付いた時、わたしは「なるほど」と合点がいきました。
数は4人。後ろでこちらを見つめる彼を数に入れるのなら5人。しかし、わたしがこれほど無防備に背を向けていてもなお、「彼」はその場を動くことさえしない。彼の整った顔立ち、身なりの良さ……おそらく「撒き餌」としての役割が彼にはあるのでしょう。ですが、一見しただけでは軽薄で無防備なように見える彼ですが、その所作や姿勢は間違いなく一流の武人のそれです。少なくとも、今こうしてわたしを攻め立てる4人よりも遥かに戦闘の経験も訓練もしているはず。となると……今ここで最も油断できないのは彼でしょう。
「チッ、この女……冒険者か! それなりに慣れてやがるのか、捕まえるどころか掴むこともできねぇ!」
「……衛兵を呼ばれても厄介だ、捕えられねぇなら殺しちまえ!」
「兄貴! せっかくの上モノだってのに、そりゃあさすがに勿体ねぇぜ!」
「ルカ! ボサっとしてねぇで仲間を呼んでこい!」
「……オレはお前たちの用心棒であって手先でも仲間でもない。その指示に従う理由はない」
――『用心棒』?