『お前のせいじゃないよ、ルカ。俺がお前を侮り、お前が俺を乗り越えただけさ』
世から聞くに『英雄』と名高きマトヴェイ・リーシナ。それがオレの父だった。
古くから口伝にて脈々と受け継がれてきた実戦剣術を駆使して、多くの武勲を携え王家に仕えた誇り高き剣士であり、オレの剣を導く師であった。
父によれば、オレの剣の才覚はさほど目覚ましいものではなかったという。むしろ、そういったものは二人の兄が確かに受け継いでいた。しかし……オレは諦めが悪かった。剣の才がないとしても、他者の才を凌駕する圧倒的な研鑽を重ねれば、父や兄たちにも認めてもらえるはずだと、鍛錬を積んだ。一年、二年……繰り返し繰り返した。兄たちの倍を食べ、寝る間を惜しんで肉体と剣術を鍛え、体を休める間は兵書に学び、武以外の全てを捨てて情熱と青春の全てを剣に注いだ。
そうして十年が経ち、オレはとうとう二人の兄を下すほどになった。
兄たちの驚愕と激昂の視線を受け、しかしそれでも兄たちはそれを口にしなかった。己が研鑽を欠き、オレはそうでなかったのだと、内心がどうあれオレを褒めてくれた。それが嬉しくて、オレは兄たちの胸を借りて泣いた。素晴らしい才を持つ兄たちが真剣にオレと向き合い、そしてオレを認めてくれたのだと嬉しくてたまらなかった。
だが――オレは強くなりすぎた。未熟な心と育ち切らない技術が、力と知識だけを持った末の悲劇だった。
『うあああぁぁぁぁッ!』
『と……父さんッ!!』
父との稽古の途中、オレの振るう剣が父の剣を砕き、その腕を切り落としてしまった。
もちろん、稽古には刃のない
父の悲鳴を聞いて駆け付けた母が応急処置を行い、兄たちが医者と魔法士を呼んでくれたおかげで父は一命を取り留めたが、利き腕を落とされた父は「最強の宮廷騎士」の名をそのままに宮廷騎士としての任を退き、オレは……逃げた。
父のようになりたいと思っていた。父のように、誰かを守り誰かを助ける剣士になりたいと願っていた。そんな剣士になることがオレの夢であり、それに近付くためと思って全てを捨てて剣の道を邁進し続けてきた……のに、オレは誰かを守るどころか、敬愛する父を斬ってしまった。この国から「最強の宮廷騎士」を奪い、この街から「英雄」を奪い、家族から「強い父」を奪ってしまった。オレは……こんなことのために剣を極めていたわけじゃないのに。
オレは家を出て、街の衛兵として働き始めた。訓練は木剣だったが、オレはそれでも細心の注意を払いながら剣を振るった。
単に衛兵と言っても、ここは『剛兵の街』プリオナス。そこらの街とは衛兵の仕上がりは宮廷騎士も一目置くほどだ。そんな街で悪事を働く愚か者など多くはない。稀に居たとしても、彼らがプリオナスの門を抜けられた
衛兵たちの練度を確かめる「全国衛兵試験大会」は、宮廷騎士だけでなく王族も訪れる天覧大会。そこでオレは、二度目の失敗をした。
使用する武器は棒剣。木剣と異なり、剣身が刃はおろか切っ先すらないシンプルな棒状となっていて、オレはそれに安心していた。最初こそ警戒していたが、決勝ともなれば相手の力量も確かなものとなり、こちらも手加減していられる状況ではなかった。だから思わず全力を出してしまい――棒剣ごと対戦相手の両手を斬ってしまった。
誰もが目を疑ったはずだ。棒剣に刃などない。それどころか物を斬れる形状すらしていない。武闘場どころか会場全域に探査魔法が施されていて、オレが魔法を使っていないことは宮廷魔法士たちが証明してくれた。だが――だからこそその場の全員がその「事故」を信じられなかったはずだ。
オレは衛兵仲間や上司たちから「あれは事故だ」「お前に非がないことはみんなわかってる」と何度も引き止められたが、衛兵としての職を降りた。
だけど……それでもオレは「誰かを守る」ことへの憧れを捨てきれなかった。
そんなオレの無意識の願望に付け入るように現れたのが、この街のならず者どものリーダーだった。奴らはオレに「俺たちの用心棒にならないか」と持ち掛けてきた。奴らはこの街の風紀を荒らすクズどもだ。オレの最も嫌う「悪」であるはずだ。こんな奴らから街のみんなを守るのがオレの憧れた「何か」の姿であったはずだ。なのに……オレは断れなかった。
たとえこんなクズどもだとしても、オレを必要としてくれるのなら、オレに守らせてくれるのなら。オレはもうそれでいいんじゃないかと思って考えることをやめた。
「――『用心棒』?」
でも、そんなオレの前に一筋の光が差したとすれば、きっとこの時だったのだと今になって確信する。それはガラスのように透き通った光だったのかもしれないし、朝焼けのように淡く力強い薄紫の光だったのかもしれない。だけれどその光は今、オレの世界の天を照らしている。
「用心棒とは悪しきを挫き、正しき営みを守らんとする弱きを助ける者。力なき者のために力を「用」い、力なき者の「心」を支える「棒」となる者。少なくともわたしはそう学びましたが、あなたの師はそれを教えてくれなかったのですか?」
オレの前でならず者のリーダーを組み伏せる少女は、オレにそう問いかけた。
『よいか、ルカ。正しき者とは、己の掲げた義に背かぬ者のことだ。故に、この世には正義などない。己を誤魔化さぬ限り、誰もが正義であるのだ。たとえそれが、この国に脅威をもたらす敵であれども、彼らは彼らの正義を掲げて我が国を侵すのだ。では正義と正義がぶつかる時、己は何を信じ敵の正義を挫くのか。何を握りしめ敵を穿つのか。それを己に問い続けるのだ。その問いかけをやめた時、人は真に悪へと堕ちるのだ』
人は自らの力に「士」の一文字を足して自らの生業を語る。魔法を使うのなら魔法士。召喚術を使うのなら召喚士。だから剣を使う者が剣士なのだと思っていた。
故に用心棒とは生業ではない。力を用いて弱き者の心を支える棒となる者……その心意気であるのだ。
そうだ、オレは見誤っていた。剣士とは剣を使う者ではない!
剣士とはーー剣を用いて弱き者の心を支える棒となる者!
弱き者とは――正しき営みを守りながら悪しき者の悪しき行いに涙する者!
今のオレはどちらだ!
「あなたの瞳に燻ぶるものが熱を失っていないのなら、あなたの魂もまた失われてはいないはず。だってあなたは……『用心棒』なのでしょう?」
「オレは……オレのすべきこととは……!」
「何をくっちゃべってやがる! おいルカ! てめぇも用心棒ならさっさとその女からアニキを助けろ!」
オレがすべきこと……オレの信じるもの……オレは何を信じてあいつらの正義を挫く? オレは何を握ってあいつを穿つ? オレは……オレは!
「…………」
「そうだ、オレは用心棒だ。だからオレはオレが守らなければならないもののためにその仕事を全うする」
「そうだ! さっさとやっちまえ!」
オレは己に問いかける。己が信じなければならないもの。己が握りしめるにふさわしいもの。正義を挫く理由。敵を穿つ理由。オレが――どうあるべきかを。
「すまないが、ここまでだ」
「…………」
「このアマをぶっ飛ばしても死体さえ残ってりゃそういう趣味のヤツもいる! さっさと売り飛ばして酒でも――へげぁっ!?」
「お前たちとの付き合いはな」
少女に組み伏せられている頭領の顔面を蹴り上げて意識を奪うと、オレはその少女を庇うように残った3人のならず者たちと対峙する。
「お前たちは何を信じて正義を挫く! お前たちは何を握って敵を穿つ!」
「知ったことかァ!」
「……お前たちは己への問いかけをやめた。ならば正しき営みを守る者を助けるため、その悪しき性根を挫いて挫く!」
父の腕を落としたあの日から、オレは剣を握れない。それどころか、刃物すら握れない。
だがオレは剣士。オレの心意気が剣士として相応しいものであるのなら……オレの握るもの全てが剣となる!
「使いますか?」
「これは……随分と大きな杖だな。まぁいい、借りるぞ」
少女から借りたその杖は、その先端になんらかの魚の意匠が施されていて、彼女の身なりと合わせて少女が高貴な立場にある者だということが理解できたが、今は構わない。
たとえこれが杖であろうと、たとえ道端に転がる棒切れであろうと、我が心に宿る剣士の心意気が絶えていないのなら、今この杖は剣なのだから。
「アニキの仇だ、やっちまえ!」
「おうよ、いくらルカだろうが三人がかりなら!」
「たとえ一人がやられようが第二第三の攻撃は避けられまいて!」
たった三人がかりとは、蛮勇な。