「隣町の漁業ギルドとの対談、ですか?」
初ガツオのラストシーズンからしばらくして、朝早くからわたしの家に直接出向いてきたのは、この街で一番大きな漁船を持つハンス船長でした。わたしとしては、漁船の大小は特に関係なく依頼を受けているのですが、単純に乗組員が多く漁に出る頻度も高いので、他の船の方々よりも接する機会が少しだけ多い「お得意さま」ということになるのでしょう。
しかし、今こうして机を間にはさみながら対面しているハンスさんはいつもの豪快・快活とした様子とは打って変わって、少し困ったような、あるいは呆れているかのような、疲れを感じさせる顔つきでいらっしゃいます。事情は聞いてみなければわかりませんが、こういう顔をしている時のハンスさんの口から出る「お話」というものは、必ず一定の面倒を含んでいるものだとトーマスさんからお聞きしたことがあります。
「近頃、北隣のガレオセルドでは二大漁業ギルドのイザコザが起きてるらしくてな。まぁ対談つっても適当な近況報告をしながら酒を飲むだけのもんだが、念には念を入れておきてぇ。海の上じゃねぇから専門外だとは思うが、ルヴィーは腕っぷしもそれなりに立つだろう? どうか護衛として一緒に来ちゃくれねぇかな」
「確かに成人男性の喧嘩くらいであれば、仲裁くらいはできますが……」
「だろう? 報酬は色をつけて支払う! いや、本当はルヴィーにもこんなことを頼むべきじゃねぇんだが、隣街の面倒に巻き込まれてうちの漁師が怪我でもしたらこっちも黙っちゃいられねぇ。そうなったら今度は町を跨いだ問題に発展しちまって、今以上に大ごとになっちまう。向こうもそれは望んじゃいねぇだろうしよ……」
北隣のガレオセルドの漁業ギルド事情というのは、「この近辺では最も漁業海域の狭い港町で、二大ギルドである『
ですが、目の前のハンスさんの顔色から察するに、ガレオセルドでの漁業ギルド問題はそれとはまったく無関係なはずの
「その対談というのは、いつ行われるんでしょうか」
「こんなギリギリになって話すことになってすまねぇが、対談はランチを区切りに終えるってことになってる。ようはお前さんの準備ができ次第すぐに向かわにゃならん」
「それは……本当に直前までお悩みになられていたようで……」
俯いたまま何も言えないままでいるハンスさんを見ていれば、彼がどんな気持ちでこの家のドアを叩いたかも幾ばくかは理解できます。
語気の荒さのせいで誤解されることも少なくはありませんが、この街で一番大きな船の船長ということもあって、海だけでなく乗組員ひとりひとりの様子も注意深く気を配り、時には力強く激励し、時には皆々の父親のように寄り添う「海のオヤジ」と呼ばれる姿は、理想の淑女であらんとするわたしにとっても見習うべき「素晴らしい大人」の一人です。そしてそんなハンスさんだからこそ、未だ十五の齢を数えたばかりの
「わかりました。わたしも同行させていただきます。ただ、さすがに海でなければメガロシャークは本領を発揮できませんし、まして室内となれば召喚もままなりません。身支度をしてきますので、先に町境の門の前でお待ちいただけますか?」
「ああ。……こんなことに巻き込んじまって、悪りぃな」
「いいえ。海を行き交う者を守ることが『
とは強がったものの、玄関のドアを越えたハンスさんを見送ってから、わたしの中の不安は今までに感じたものではないことを自覚しました。
これまで、人を遥かに上回る力を備えた海のモンスターたちをメガロシャークと共に相手取ってきたわたしですが、それは彼らが普段どのような生活を営み、どのような食性を持ち、どのような行動をどのような判断で行おうとするのかを、彼らに立ち向かった先人たちの経験と教訓をまとめた「
曰く……「敵を知る者は賢く、己を知る者は聡く、強き者は決して相手に勝ると驕らない」というのだそうです。
召喚士はあくまでもモンスターの助力を得て、その望みに見合う奉納を与えることで互いに「契約上の対等」を持ちかける。けれど、それはあくまで契約上のものでしかないことを忘れてはいけない。たとえ人よりも遥かに小さなモンスターだとしても、人間はその小さき牙に決して敵うことはない。
故に知らなければならない。
けれど――今度の相手は「それを知る者」であっても楽ではありません。人はモンスターとは明確に違う部分があります。
それは「個性」……野生であるモンスターたちにももちろん個性はありますが、それでも「本能」を行動の指針とする彼らとは違い、人間には「理性」と「個性」が存在します。理性は「本能の指針を精査する性質」を持ち、個性は理性が精査した情報を元に「是非を決定する性質」を持ちます。
召喚士とはいわゆる「野生の本能」のスペシャリストとも言い換えられるかもしれません。即ち、モンスターが「野生」として思考し、行動を映す指針を「生態学」「生物学」として熟知しているからです。でも人間は野生でもなければ本能で動く生き物でさえありません。故に召喚士は誰もが、自分にとって無意味な争い……もっと極端な言い方をすれば「勝てるという確信がない戦い」を強いられる「人間」との争いを必要以上に避けるのです。
「けれど……ハンスさんはお得意さまですし、いつもご贔屓いただいているお客さまをお助けできないだなんて……淑女の名折れですものね」
誰に告げるでもなく、自分に言い聞かせるように。
懐の召喚杖を取り出して、精神を落ち着けるために深呼吸を少し。
「召喚士シルヴィアが求める――」
◆
「だから! 先にオレんとこに手ェ出したのはアンタのギルドだろうが! 相応の賠償を求めて何が悪りィんだ!」
「別に払わないなんて言ってないだろう! むしろそっちが何を言おうが賠償は必ず払う! だけどここ最近のうちらの海域じゃ小魚一匹とれないほどの不漁が続いてんのはお前さんも知ってるだろう! 今すぐにそんな大金が用意できるわけねぇってことくらいわからねぇくらい耄碌したのかこのクソジジイ!」
わたしとハンスさんが対談の場として用意されたビストロに到着した時、既にそこには威勢も体格もいい二人の男女が取っ組み合いの喧嘩をしていました。
ちらり、と視線を隣のハンスさんに向ければ、頭を抱えながら「やってくれ」とだけ言われてしまったので、あまり気乗りはしませんがお二人の仲裁に入りましょう。
「――じゃ、落ち着いたところでもう一度最初から順を追って話しちゃくれねぇか。こっちは又聞きに重なる又聞きで、お前さんたちの仲裁どころか、どっちにどんな非があるかもわかってねぇんだ」
しばらくの時間を「仲裁」に割いたのち、わたしがつけたものではない青痣や引っかき傷をわざとらしく気遣いながら、お二人は不満げな態度を隠そうともせずどっかりと椅子に腰かけました。
「チッ、隣町のギルドまで巻き込みやがってバカ女が……」
「うっさいね。お前さんがそうやって関係のない小言を挿むからこじれるんだよ。……っと、悪いね。何か間違いがあればこのジジイも注釈を入れるだろうから、まずはアタシ視点から説明させてもらうよ。そうさね、コトの発端はちょうど今から1か月くらい前のことだ……」
そう言って、不貞腐れたように椅子に凭れ掛かった『
元々、このガレオセルドの海域はこの近隣では最も小さいものでした。しかし、それ自体は不漁とはなんの因果もなく、特にニシンの漁獲量は国内でも上から片手で数え足りるほどだったそうです。
そもそも、漁業海域が広い割にたったひとつの漁業ギルドが全ての漁師や漁船を管理しているスフィルナとは違い、ガレオセルドでは漁業海域を二分し、時代や技術の発展によって変化していく漁獲方法を『
そして1か月前――ある嵐がこのあたりの地域一帯を襲いました。それは当然ながら隣町に暮らすわたしたちも同じように嵐の被害を受けたので覚えています。確かに大きな嵐の日がありました。なんてことのない自然災害のひとつで、そして同時にわたしたち人間にはどうすることもできないような、天災らしい天災です。
この嵐でふたつのギルドはそれぞれに大きな被害を受けました。『
「漁ってのは町ひとつ分の魚をとるだけで終わりじゃない。他の町、地域にも売りに出してる「商品」が急にゼロになっちまったんじゃ廃業コース待ったなしだ。最初の2、3日くらいは海の期限が悪いんだろうと笑ってたうちの漁師たちも、さすがに危機感を持ってきた。アタシもさすがにまずいと思って、このジジイに「一時的にでもいいから
「オレだって情けがないわけじゃねェ。ちゃんと筋を通して頭を下げて頼み込んでくるんなら、融通くらいしてやろうって気はあった。だがタイミングが最悪だった。あん時ァ、うちのギルドはオレも含めてみんなイライラしてた時期だった。そんな時になんの事情の説明もなく勝手にこっちのシマを荒らされちまって、中にはこっちをナメてきやがったバカの仕業だと頭に血が上ってる奴らが大勢いた。だから大金をふっかけてブンどらねぇことには、うちの奴らも腹の虫がおさまらねェんだ」
なるほど。どちらかの意見に嘘があるといった様子は見られません。ようはベントさんの言う通り、タイミングの問題だったわけですね。
しかし、そうなると少し気になることがありますね。
「あの……少しよろしいでしょうか?」
「なんだい?」
「わたしはスフィルナで『海の用心棒』を名乗っています、召喚士のルヴィーという者です。召喚士という仕事柄、生物学・生態学にもそれなりに精通している方だと自負しています」
「ほう、召喚士。モンスターに囲まれがちな海の上なら心強ェが、こんな辺境の港町に珍しいな」
召喚士――というよりも召喚術というものは、魔力を持つ者が魔法学を修め、一定の修業を経て使いこなす「魔法」よりも血筋や才能が強く影響します。
私の居た東の大陸では、優秀な召喚士というものはそれだけで本人だけでなく家まで国から多額の援助を得られましたし、この西大陸の小さな国『アクリアンティス王国』においても、相応の優待を受けられる才能と言えます。つまり、召喚士――あるいは召喚士の家族は、どれだけ立場が低くても「やや裕福な平民」であり、ほとんどの場合において「貴族」であることは間違いなく、ベントさんの言う「こんな辺境の港町」で用心棒をしている召喚士というのは、おそらく国中を探してもわたしくらいのものではないでしょうか。
「カーナさんのお話では、『
「ああ。あの嵐の日を境にぱったりだったからね」
「それは……少し考えにくいです。確かに大型のハリケーンや巨大竜巻などは海洋のバランスに影響を与えることがあります。そうでなくとも魚類は気圧や環境の変化に敏感ですし、餌場を変えるものも少なからず居るでしょう。しかし、水中に暮らす生き物は、基本的によほどの大規模災害でなければ水面上での出来事に影響されません。そこで思い出してもらいたいのですが、1か月前のあの嵐は……水中の生物が影ひとつ残さず消してしまうようなものでしたでしょうか?」
その場の誰もが、わたしの問いかけに対して言葉を噤みました。
当然と言えばそうかもしれません。わたしの言っていることはつまり、不漁の原因が「あの嵐」ではないということになります。そうなってしまうと、「別の原因」が必ずその海域にあるということになりますよね。例えば――凶悪なモンスターの移住とか。
「さっき、このビストロに入る前に『
ないはずがありませんよね。
驚愕の二文字を目に浮かべて、ベントさんは顔を青くしているようでした。
「水面上の影響を受けない水棲生物でも、水中の出来事はさすがに放置できません。ただ、それでも漁業海域ひとつ分がまるごと魚影なしというのは、船ひとつが起こした問題とは思えません。ですから召喚獣にはその船をより詳しく調べてもらいました。すると、海溝に挟まりながら海流に揉まれた影響で船底には巨大な穴が開いていたようです。おそらく、不漁の直接的な原因はその「穴」ではないでしょうか」
「穴……? 船に穴が開いたからって、何がそんなに……」
「キングクラーケンです」
キングクラーケンの名を聞いて、このテーブルだけではなく、こちらの様子に聞き耳を立てていた他のお客さまたちにも戦慄が走ったようでした。
そう、それほどにあれは……キングクラーケンは危険です。少なくとも、あれが住み着いた海域というのは、その地域だけでなく周辺の地域からも戦力を募って討伐隊を組み、何十隻もの船を犠牲にする覚悟で何日にも亘る死闘を繰り広げ、多大な犠牲を出して討伐を果たさなければ、その海域そのものが封鎖されてしまうほどです。
「キングクラーケンは海洋モンスターの中でも特に巨大で、かつその巨体をみっちりと隠す程度の狭い場所を好んで住処とします。巨大な穴が開いた沈没船などはまさしくその条件に合致します。そして、キングクラーケンの脅威性は戦いで発揮される力などではなく――」
「周囲一帯の魚介類を根こそぎ食い尽くしちまう、暴食の大王……!」
「その通りです。わたしもまだ実際にその姿までは確認できていません。あちらが船内に潜んでいる以上、無理に近付けばわたしの召喚獣が犠牲になってしまいますから。しかし、可能性は十分に考えられます。そしてもしこの予想が正しかった場合、『
――共に対策を練りませんか。