「フォレストシャークを喚べたらどれほど楽だったんでしょうねぇ……」
「もう夜なのにまだ上で
「不眠不休、補給なしで戦うつもりならオレは三日が限界だな」
補給に水分が含まれるのなら全人類ほぼ例外なく三日が限界なのでは、という指摘は敢えてしません。これまでの経験からわたしは学びました。ルカに体力や武術の話をする時、あらゆる「常識」が意味を為さないということを。
アンも一瞬わたしと同じような指摘を口にしようと振り返りつつ、何も言わずに前を向き直りました。普段からのんびりしていると言われがちなわたしに対して、アンは誰かがうっかりを発揮すると即座に指摘してくれる機敏さがあるのですが、無意識に口を衝く素早さに対して、意識的な呑み込みの素早さで制すのは「さすが」としか言えません。でもごめんなさいアン、あなたに魔法の話を振った時の常識の通じなさは、ルカともいい勝負をするのではないかと思っています。
「しかし、オレでも三日は戦えるのだから、宮廷騎士団ならその倍以上は余裕だろうな」
「それはもう人間の領域を逸しているのでは?」
「アンタの思う『宮廷騎士団』の基準ちょっと言ってみなさいよ」
「父だが」
「英雄マトヴェイを基準にモノ考えるのマジでやめた方がいいわよ」
アンの口ぶりからして、どうやら一般的な宮廷騎士団の体力はルカの想定を大幅に下回り、おそらくはルカと同じかそれよりも少し優れるくらい、なのでしょうか。
とはいえ少なくとも国防集団なわけですから、仮に魔法部隊だとしてもそれくらいの体力は――、
「普通、宮廷騎士団でもアンタみたいなバカ体力は持ってないわよ」
「「えっ」」
ルカの声に重なって、わたしもついつい驚愕が口から洩れました。
そんな様子を見て、アンが「なんであたしが少数派みたいになってるのよ」という感じの視線をわたしに向けてきました。え、だって国防集団ですよね?
「ルカのせいでシルヴィまでなんか誤解してるみたいだから言っておくけど、宮廷騎士団は別に『人間やめました』集団じゃないから。そういうのは団長とか部隊長みたいなごくごく限られた一部の人間だけ。普通は休みなくぶっ通しで一晩も戦ったらちゃんとへろへろになるのよ」
「え、じゃあ不眠不休かつ補給なしでも三日は戦えるルカは……」
「宮廷騎士団と比較してもだいぶ上澄み。ドがつくレベルのエリート。熟練の宮廷騎士が自信なくす程度にはフィジカルおばけ」
「これは褒められているのか? それとも蔑まれているのか?」
どちらでもあり、どちらでもないように思います。
しかし、そうなると今この森の上空で起きている戦いは紛れもなく終わりが近い、と考えていいでしょう。
既に交戦開始から半日が経過。最初は真上で起きていた戦闘も、かなりの距離を開けられました。もっとも、それでも森を抜けるにはまだまだかかりそうですが。
既にこちらは夜営の設置も済ませて晩ごはんもいただき、お片付けの作業中。火を使ってしまうと森林火災以前にわたしたちの居場所が知られてしまいかねないので、火はおろか一度ちゃんと煮沸しないと飲めない川水も使えない……ところでしたが、アンが「煮沸できないなら濾過と塩素消毒でなんとかしましょ」と仰ったことで解決しました。
塩素消毒、というものにはあまり聞き馴染みがなかったので発案者であるアンに訊ねたところによれば、塩素というものは人体に対して極めて強い毒性を持つマテリアルのひとつであるらしいのですが、同時にごくごく微量であれば人体に影響のない範囲で殺菌効果を発揮することもわかっており、一部のリンコドンの魔法士は「決して簡単な道のりではないだろうが将来的にはアクリアンティス王国全土に『飲める水』が行き届く日がくるだろう」と考えているそうです。
さて、あとは寝るだけ……ではあるのですが、今日の見張り番はわたしとソフィーが先ですね。
普段はアンが
「別に褒めてるつもりもバカにしてるつもりないわよ。事実を言っただけ。さ、洗い物も終わったし、さっさと寝ましょ」
「それならいいが……。じゃあ二人とも気を……いや、ヴィーは平気か。ソーニャ、気をつけてな。何かあったらすぐ起こせ」
「はい。ありがとうございます、ルカさま」
「あの……召喚術が使えないわたしも十分なほど心配するに足る存在ではありませんか?」
「ヴィーは自衛くらいならなんとかなるだろう」
そういうところですよルカ。そういう無遠慮というか、思慮不足なところがアンの怒りを買うんですよ。
別にか弱い女と見られたいわけではありませんが、それでも大型の野生動物が出てきてもおかしくないこの状況で「召喚術なしでも大丈夫だろう」はさすがに女として傷付きます。
いくらわたしでも
少なくともグレイテストベアーは間違いなく死にます。いえ、空のドラゴン、海のメガロシャークに並ぶ『陸のクラウンベアー』に敵う生物のほうが稀ですが。
「シルヴィアさま」
不意にかけられた声に振り向けば、ソフィーが「お隣、よろしいでしょうか?」といつものように穏やかな微笑みを
どうぞ、と言って膝の上に置いていた余りの防水
「……夜の見張りがこんなに緊張するのは、やっぱり火がないからですかね」
「そうですね。人は暗闇を……視線の行き場がないことを怖れるものですから」
人は暗闇そのものを怖れるわけではない、というのはどこで聞いた言葉だったでしょうか。
暗闇によって得られる安心や安堵というものも確かに存在します。安眠、というのはまさにその最たる例でしょう。
しかし、それでも様々な伝承や物語において「闇」とは明確なヴィランの記号になっているのも事実。それは人という生き物が「見えない」ということを極端に怖れるからだそうです。
人は他の生物よりも視覚によって得る情報がほとんどだと言います。だから――誰もに見えないものが見える人がいると、人はその人を怖れる。
「火は……光は、そこに在るだけで無条件に人を安堵させますよね。逆に、闇は無条件に人を不安にさせます。本来見えなければならないものを、見えにくくさせますから」
「…………」
「けれど、私はそうじゃないんです。私は……光が怖い。見えるべきものと見えるべきでないものを無差別に引き摺り出して、いったい何が「見えるべきでないもの」なのかわからない」
「…………」
わたしは、そう吐露する彼女にかけてあげられる言葉を持ってはいませんでした。
ルカの言う通りです。彼女は自分の目を恨んでいる。冷静になればわかることでした。彼女は「見えるべきでないものを見なくてもいいようにしたい」わけではなく、そもそも「見えるべきでないものを見えるその目を否定したい」のでしょう。けれど、目を穿つ痛みなど体感せずとも想像するだけで恐ろしい。そして、その想像でさえ及ばないほどに現実はそれ以上の苦痛を与えるでしょう。彼女はわたしたちのように「戦う」ことが当たり前ではない平民出身のメイドです。痛いということは、そのまま「怖い」ことであるはずです。
だから、どれだけ恨めしい目であってもそれを穿つことは怖くてできない。
目を穿ってしまいたいほど恨むことと、目を穿つ痛みに恐怖することは、どちらも同時に存在できます。そして、恨めしい目を穿てないことを臆病だと非難できる者もいません。人に限らず、生物はみな「痛み」を嫌います。彼女は間違いなく、生き物として正しい感覚を持ち合わせた素晴らしい人間です。むしろ、痛みに抗い自分を害することこそ、生物の基本原則に逆らう行い。即ち、モンスターでも生き物でもない『化け物』へと近付く行為です。
「シルヴィアさま。私はこのチームでは一番の新人です。戦いの役にも立ちませんし、メイドなのに料理もできません。ですから……次はもっと優秀なメイドを――」
「いませんよ」
「……え?」
「ソフィー。あなたは勘違いをしています」
これは、わたしの罪です。
ソフィーをチームに誘った時、いえ……その後からでも話すことはできたはずなのに、伝わっているだろうと思って口にしなかった、わたしの罪です。
どれだけ想っていても、伝えなければ、伝わっていなければ、その想いに意味などないことはわかっていたはずなのですから。
「わたしは確かに優秀なメイドを探して、トゥルシンさんにメイドを紹介していただきました。けれど、あなたをチームに誘ったのはあなたが
伝えなければ。
「あなたがたとえ料理どころか家事もろくにできないちょっと抜けたメイドだとしても、きっと変わらなかったはずです」
伝えなければ。
「そもそもわたしはあなたを「メイドとして雇った」わけではありません」
あなたは雇われメイドではなく、
「わたしはあなたを……メイドの仕事ができる『ソフィア・セーニン』を、チームの仲間に誘ったんです」
わたしの大切な仲間なんですって、伝えなければ。