キングクラーケンの繰り出す規則性の無い猛攻は、わたしたちの攻めの手を大きく遅らせました。
あの大木のような触腕は、そのひとつひとつをがむしゃらに振るうだけでも必殺級の威力を持ち、まして絡めとられて締め上げられてしまえば致死率100パーセントの凶悪性を孕んでいます。特に後者については、人はおろか船ですら巻き付かれればひとたまりもないのですから、メガロシャークには「触腕を優先的に排除せよ」と命じてあります。それでも、作戦の開始から8時間が経過した今になってもなお、キングクラーケンはまだ6本近い触腕を健在させており、さすがのメガロシャークにも疲労が見えてきました。
しかし、これでひとつ、元々は単なる推測の域を脱していなかったひとつの仮説が真実味を帯びてきました。というか、今に至っては既に確信のようなものを得ています。
それは――このキングクラーケンが単なる野生の流れ者ではなく、今もこの戦いを見られるような場所から、このキングクラーケンを操る者がいる。即ち、このキングクラーケンは悪しき目的を持つ召喚士によって使役された召喚獣なのだということです。
「シャアアアアッ!」
キングクラーケンの触腕のひとつが、メガロシャークの巨躯に巻き付いて締め付けようとしますが、身動きに不自由はあれど、その程度でメガロシャークを仕留められるとは思――いえ、違いますね。あのキングクラーケンの狙いは……!
「弓撃隊のみなさん! キングクラーケンの眼を狙って撃ってください! 早く!」
メガロシャークを睨みつけるキングクラーケンの瞳は、他のあらゆるものを歯牙にもかけず、目の前の海の王者へと集中していました。わたしの必死の呼びかけに、同じ船の弓撃隊のみなさんが一斉にキングクラーケンの眼に無数の矢を放ちますが、時すでに遅し。メガロシャークを掴んだ触腕はそれを離すことなく、キングクラーケンの最大威力を発揮するためのアンカーとしての機能を保ち、その一撃を放ちます。
「デッドリーインクです!」
「防壁隊、前へ! 装甲の薄い者は防壁隊の後ろに隠れろ!」
「メガロシャーク! 『
長丁場が予想されるこの戦いで、あまり使いたくない技ではありましたが、さすがにキングクラーケンのあれを直撃すればメガロシャークといえども無事では済みません。
メガロシャークの持つ技のひとつ、鋼よりも遥かに強靭な鱗を自ら剥がし、それらを盾のように重ね合わせることで発揮される防御力は、個体によればドラゴンのブレスさえも防げるとされています。ですが……!
「くるぞ!」
キングクラーケンの放ったデッドリーインクを、
しかし……状況は最悪の結果を免れただけで、間違いなく悪化したと言えるでしょう。なぜなら……、
「他の船にいるみなさんに伝えてください。今後、メガロシャークでみなさんを庇うことは難しくなりました、と」
「どういうことです」
「さっきの攻防……メガロシャークを触腕で捕え、回避不能状態に陥らせてから放ったデッドリーインクは、間違いなく戦況をあちら側に傾かせました。あの状況では、メガロシャークは「
そう、メガロシャークの
召喚士にとって、何より優先すべきなのは自分の召喚獣です。召喚獣の犠牲は、召喚士であれば何がなんでも避けなければなりません。でも、それはこのキングクラーケンを使役する者も同じはず。既にこのキングクラーケンは触腕を半分も失っています。これ以上の重傷を負って帰還させれば、相応の「奉納」を要求されることは避けられない。そうなれば召喚士も無事では済みません。きっと、もうすぐこのキングクラーケンを撤退させるはず。そこまで粘れば……!
「うわあああああっ!」
わたしがメガロシャークとキングクラーケンの観察に意識を向けていると、同じ船の弓撃隊の一人がキングクラーケンの触腕に捕まり、海へと引きずり込まれました。
すぐさまメガロシャークに触腕を追って食い千切らせましたが、既に遅く……メガロシャークは彼の亡骸を船に投げ込み、キングクラーケンへと食って掛かりますが、その様子には明らかな怒気が含まれていることが、彼の主であるわたしには痛いほどに伝わってきます。
召喚獣とはそもそも野生動物であり、それと契約を交わすことで召喚士はどうにか使役に応じていただいている関係です。ゆえに、召喚獣側は召喚士以外の人間に対して友好関係を結ぼうとはしませんし、そもそも歩み寄ろうと思うことさえありません。
でも……それでも、メガロシャークにとってはそうではなかったようです。たった8時間……人間にとってもメガロシャークにとっても、さほど長い期間ではありません。それでも、この8時間という貴重な「生」のひと時を共にしながら命を預け合う戦友だったという意識は、メガロシャークにもあったようです。
許せない、絶対に倒さなければならない……そんな、義憤の灯りがメガロシャークの中で輝きを増しているのがわかります。……ならば、わたしも召喚士として、そんなメガロシャークの想いに応えないわけにはいきません。
「アルベルトさん、短剣を貸していただけますか?」
「構わないが、何をするつもりだい?」
「……切り札を使います」
痛いのは好きではありませんが……この戦いで失われた命と、それに義憤を燃やすメガロシャークを思うのなら、この程度の痛みなど些末な問題です。
「……ッ!」
「ルヴィーさん!?」
アルベルトさんから受け取った短剣の刃を手のひらに当てて滑らせると、わたしの薄い皮膚を裂いて流れる真っ赤な鮮血。
わたしは短剣を床に置くと、メガロシャークに呼びかけ、わたしの乗る船の真下へと来てもらいました。
「メガロシャーク! 追加奉納です!」
「シャアアアッ!」
そう言ってわたしが拳を開くと、その手から落ちていく無数の赤い雫を、メガロシャークの大きな口が受け取りました。
すると、メガロシャークの巨体はさらにサイズを増し、鱗を失ってなお強靭さを見せつける紫色の表皮、何よりその怒りが具現化したかのような真っ赤な魔力を纏った威容は、キングクラーケンをひと睨みで威圧しています。
このキングクラーケンを操る者がいるのなら、血の追加奉納で激闘態へと変貌したメガロシャークを相手に戦闘を続行させたりはしないはず。このまま続ければ、間違いなくキングクラーケンはメガロシャークの餌になります。召喚士が召喚獣を見捨てることなど――、
「ケェェェェッ!」
「シャアッ!」
触腕を向けた!? よもやこの状況でなお戦闘を続行するつもりですか!? そんなことをすれば、キングクラーケンの命は……!
メガロシャークの怒りも既に最高潮。これ以上は留められません。無情とは思いますが……。
「メガロシャーク!」
「シャアッ!」
「『激昂のメガローー」
――随分と
最後の一撃を手向けようとしたその時、この海の底を揺らし空を震わせるような、邪悪と混沌を内包した重苦しい声が響き渡りました。
その声は召喚士であるわたしだけでなく、この場にいる誰もが同じように聞いたようで、みな互いに顔を合わせて声の主を探しますが、見つかる様子はありません。むしろその声の重圧に耐えかねるようにキングクラーケンは萎縮し、メガロシャークも興奮状態に入ってわたしの制御を今すぐにでも振り切ってしまいそうな勢いです。
今すぐにでも帰還させてあげたいところですが、メガロシャークの要求はキングクラーケンの体の50パーセント……せめて触腕は全て刈り取りたいところ。加えて、キングクラーケンを声ひとつで萎縮させるほどの敵を相手に、メガロシャークを欠いて対面するのは自殺行為も甚だしいところでしょう。
加えて、さっきまで声の主を探していた仲間たちがひとり、またひとりと船の床に縛り付けられるかのように倒れ、意識はあるものの体を起こすことさえできないでいます。しかしどういうわけか、わたしだけは「それ」を免れているようで、声の主が間違いなくわたしに対して何かを求めようとしていることが窺えます。
『小さき者どもの小さき諍い、昏き深みよりゆるりと見物させてもらおうと思ったが……我が魂の軛を解き放つ「巫女の魂のかけら」が落とされたとあれば、そのじゃれ合いに混ざる資格もあろう……』
じゃれ合い……? メガロシャークとキングクラーケンの死闘を「じゃれ合い」と一笑に伏すほどの存在が、どうしてわたしを……?
『その小さき者を討ちとり、その小さき者に骸を捧げたいのであろう? その小さき者を退け、その小さき者どもを陸へ帰したいのであろう? ならば――我を喚べ。我が名は――』
そう言われた次の瞬間、わたしはまるで何かに導かれるように、無意識のうちに体を動かしていました。
手にした召喚杖を横に構え、精神統一と共に魔力液の込められた試験管を召喚杖の柄頭に装填し、サメの意匠をあしらった身の丈ほどの杖、『契約杖』へと変化させました。
「昏きもの、深きもの。悪しきはらからを従えし王たるもの、聖なるはらからに背きし王たるもの。清らかなる魂の加護を喰らわんとするもの、穢れた魂の奔流を喰らわんとするもの。水鏡が月の光を受け入れるように、深淵が日の光を呑み込むように。都を呑み込む波を侍らせ、命を呑み込む渦を侍らせ、もがきあがく生命の営みを断ち切る牙となれ。召喚士シルヴィアが求める……邪悪なる牙を持つ者よ、滅亡の深淵より来たれ」
――レヴィアシャーク!