『リンコドン魔法高等学校・学年別中期学力テスト。一位:アンナ・アクロフ』
リンコドンの天才魔法士。
自画自賛も甚だしいけど、あたしはその呼び名が許される程度には優秀な魔法士だった。
得意な学問は主に魔道具の研究や開発だったけど、座学では常に満点を取っていて、調子の悪い時でも学年一位の座を譲ったことは一度もない。実技だって、難解な魔法式を要求する高度な魔法を同時にいくつも操るだけの魔力と技術を持ち合わせていた。けれど……それでもあたしは、リンコドン魔法高等学校を卒業することも、そればかりか進級することさえできなかった。わたしは……リンコドン魔法高等学校の教師や生徒の誰もが「リンコドンの天才魔法士」と認めるまま、そこを中退することになった。
あたしは――魔法士なのに攻撃魔法が一切使えなかった。
理由はわからない。どんなに高度な幻影魔法も開錠魔法も易々と使いこなしてみせるのに、どんなに強力な攻撃でも防げる防御魔法や結界魔法も楽々と成し遂げてみせるのに、どうしてか初等部の子供でも撃てる「ファイヤーボール」のような低級攻撃魔法でさえ、あたしには発動できない。
それが発覚したのは、高等部の前期実力テストだった。殺傷能力の高い攻撃魔法は、情緒の育ち切らない初等部・中等部では使用を禁止されている。
だから初めて公的に使用を許可された攻撃魔法の実技授業は、あたしにとっても楽しいものになるはずだった。でも……その期待は早々に裏切られる。
初めて感じる焦燥感と緊張感。嫌な冷たさが背中をぞわりと伝うあの感覚は、忘れようにも忘れられない。
授業中、あたしはとうとう一度も攻撃魔法を使うことができなかった。授業を終え、この嫌な焦燥を振り払うように保険医を頼ると、驚くほど素早く対応してくれて、あたしはリンコドン魔法学校と提携している病院で検査を受けた。そして、その結果を聞いて絶望した。
『こんな症例は初めて見ました。確かに、魔法の発動を妨げる機能不全はいくつか原因が挙げられますが……「攻撃魔法」だけが使えないというのは、さすがに聞いたことがない。似たような事例に、火を用いる魔法を使えない患者を診たことはありますが、それは心因性の理由から「火」そのものを拒んでいたためであって、彼女の経歴をみても「攻撃」に対する忌避感を連想できるようなエピソードはありません。身体機能に問題がない以上、可能性としては何かしらの要因が無意識のうちに嫌悪や忌避を掻き立てている恐怖症の一種、というのが最も有力ですが……少なくとも私の知る限り、彼女の状態と経歴と症状に見合った症例はありません』
つまりは、前例のない心因性の機能不全。病と称することさえ正しいのかどうかわからない。いっそこれが呪いに近いなんらかの魔法の一種なのだとしたら、その方が解呪は楽だったのかもしれない。けど、そうじゃないのは他の誰でもないあたしが一番よくわかってた。だってあたしは……あらゆる魔法を解析し、把握し、再現できる『リンコドンの天才魔法士』だから。
リンコドンの天才魔法士が抱える「魔法士として致命的な欠陥」が魔法学校中に広まるまでに、果たして月をひとつも跨いだだろうか。
人に恨まれる振る舞いをしたつもりはない。いや、優秀だということはそれだけで恨まれるのだということはわかっている。だけど、だからこそあたしは常に自戒していた。
あたしが優秀なのはあたしの才能と努力だけじゃなくて、裕福とは程遠い家ながら必死にお金を貯めてこの学校に通わせてくれたお父さんとお母さんのおかげだし、常にテストを切磋琢磨し合う同級生たちや、あたしだけではどうにも解決できない問題を共に悩んでくれた寮のルームメイト、そしてあたしに期待して何度も職員室へ質問しにいくあたしに熱心な教育をしてくれた先生のみなさんがいて、やっとあたしは「天才魔法士」になったんだって思ってる。
そのおかげか、多くの人々はあたしの欠陥を受け入れた上で心配してくれたし、教員会議ではあたしの進級試験には特例として攻撃魔法のみ免除してはどうか、という話題すら出たらしい。それは学園にとってもあたしという優秀な魔法士を欠くのが大きな損失になるから、という打算もあったのだろうけれど、多くの先生たちはそんな打算を知らないままそうしてくれていたのだろうと、希望的とも願望的ともいえるような思いが胸に残る。
けれど、あたしは学友や教師たちの惜しむ声を背にリンコドン魔法高等学校を自主退学した。
理由はふたつ。あたし一人を特別扱いする進級試験は、この学校で何か問題が起きた時、必ずウィークポイントのひとつになるだろうということ。そしてもうひとつは完全に個人的かつ、ともすれば高慢ともとれるような、プライドの問題だ。天才魔法士なんて呼ばれるあたしだけど、だからといって才能だけでここまで登ってこれたわけじゃない。今回のことも、あたしの努力が足りなかったから「攻撃魔法として代用可能な別種の魔法バリエーション」が進級試験に間に合わせられなかった。それだけのことなんだ。そう思わなきゃ、まるで「天才魔法士」というあたしの評価は、あくまであたしの才能だけを評価されているようで、あたしの努力を全て「才能」の一言にもっていかれるかのようで、腹立たしさや虚しさを堪えきれなかった。
「はぁー……これからどうしよ。今までは寮があったけど、田舎には帰りづらいなぁ。お父さんもお母さんも、兄弟たちも……あんなに頑張ってお金を貯めて、あたしを送り出してくれたのに……」
みんな、あたしにあんなにも大きな期待を寄せてくれたというのに、あたしはその期待に何一つ応えられないばかりか、裏切ることしかできなかった。
押し寄せる後悔をどう受け止めればいいかさえわからないあたしは、いよいよもって「天才魔法士」ではなくなったのかもしれない。
「この街の人たちもすごくいい人たちだった……。みんな、がむしゃらに勉強するあたしを応援してくれた。この街の人たちに報いることができるような魔道具を開発したかった……!」
だけど、それは完結を待たず終えてしまった物語の、紡がれるはずのない後日談だ。あたしは、そこに辿り着く前に本を閉じてしまった。閉ざされた本には鍵を掛けられて、あたしの手では決して開けられない。だから……あたしとその本が描く物語が交差することは二度とない。……わかってる。本を閉じたのはあたしだ。もっとみっともなく足掻いて、魔法学校にしがみつけば……たとえ「リンコドンの天才魔法士」でいられなくなったとしても、あたしの居場所はあったかもしれない。
……居場所がほしい。あたしが……天才魔法士じゃなくなった、ただのアンナ・アクロフが居てもいい場所が。ただのアンナ・アクロフを受け止めてくれる友達がほしい。
一緒に他愛もない話をしながらお茶をしたり、色んなところにお出かけしたり……あたしのやりたかった魔道具の研究の話を飽きずに聞いてくれるような、親友がほしい……。
でも、そんな夢物語に現れるような、あたしに都合がいいだけの理想の人物なんて――、
「あのぅ、そちらのお嬢さん。どこかお体の具合でも?」
気付けば、宛てもなくふらふらと歩いていたあたしはリンコドンの噴水広場のベンチに腰かけたまま俯いて泣いていた。そんなあたしを見かねたのか、女性の声が聞こえてくる。
しまった、と思った。もうなんの役にも立てなくなったというのに、この街のみんなはどこまでも優しくて、こんなあたしを放っておけずに声をかけてくれたんだろう。そう思って、せめて気丈に振舞おうと心を奮い立たせながら顔を上げた。
「でっか……」
「え? あぁ、はい。そうですね、人並みよりは少し……」
視線を上げると、小柄なあたしとは比べ物にならないくらい、それどころか大人の男と同じくらいの背丈の女性があたしを見下ろしていた。
腰まで伸びるガラスのように透き通る青みがかった銀髪はゆったりと波を描いて、大きな丸眼鏡の向こうにある朝焼けのような薄い紫色の瞳はまっすぐにあたしを見つめている。
背筋はまっすぐとしていて、飾り気はないけれど品の良い上質なブラウスとロングスカート。どこをどう見ても、高貴な立場にあるお嬢様だろう。そんなご貴族様が、どうして?
「それよりも、どこか具合が悪いのでしたら、お医者さんを呼んできましょうか?」
「ああ、いえ……そういうわけじゃないので、お構いなく。迷惑をかけてすみません。すぐに退きます」
今はあまり、こういう人には会いたくない。自分のみじめさを自覚して、八つ当たりしてしまいそうだから。
それに、この人はきっといい人だ。周りを見渡せば、遠巻きに見るばかりで声をかけることを躊躇っているような人は大勢いる。きっと、その人たちもあたしの心配をしてくれたんだろう。でも、声をかける勇気が出なかったんだ。そして……この人はそうじゃなかった。勇気をもって声をかけてくれた。それが、とても嬉しいから……放っておいてほしかった。
「……お体の問題でないのなら、お辛いのは心の方でしょう。わたしのような流れ者でよろしければ、お話をお聞かせください。お力になれるかはわかりませんが」
「……流れ者? あなたみたいな人が?」
「はい。この一年はスフィルナという港町で暮らしておりましたが、それまでは東の大陸に。この街へは新たな旅のための旅支度に訪れた次第です」
驚いた。旅には向かない服装だとか、こんなおっとりした女の人が一人旅かとか、言うことは他にもいっぱいあったけれど……それよりも見た目の立場とのアンマッチ感がすごかった。
あたしなんかよりもよっぽど、深い事情がなければありえないような状況に、あたしは反射的に「むしろあなたの方が何か抱えてるんじゃないの?」と訊ねてしまった。
「……そうですね。流れ者の旅情など楽しいものかはわかりませんが、何者かもわからない相手に胸中を打ち明けろというのも酷でしょう。あなたのお話を聞く前に、少しだけわたしのお話に付き合っていただけますか?」
そうして聞いた内容は、あたしの予想を遥かに上回る波乱万丈な物語だった。