スフィルナを旅立って二日。最初に訪れた街「リンコドン」は、この国の王都『セトリヌス』の魔法研究に大きく貢献する重要地方都市のひとつです。そのため街のいたるところに魔導百貨店などが散見され、この街がいかに「魔法」によって発展し、栄えてきたかが窺えます。道行く方々の中にも、多くの冒険者が剣やナイフを携えるように、いくつかの機能ベルトに小さなポシェットをいくつもつけて、中には革製の拘束具によって厳重に縛られた書物を肩に担ぐ人も見られました。あれは数ある魔道具の中でも特に強力な力を発揮する『魔導書』と呼ばれるマジックアイテムなのでしょう。
そんな風におのぼりさん特有の雰囲気を隠しもせず街を散策していたら、一人の女性が公園のベンチに腰掛けたまま項垂れておられました。この街の魔法学校に通う生徒と同じような装いをしておられたので、その方が学生であることはわかりましたが、日も登りきらないようなこの時間に一人でいらっしゃったので、項垂れる様子も含め、どこか体の調子でも崩されて始業に遅れたことを悔いておいでなのでしょうと思い至ったわたしは、ひとまずご本人に声をかけてお医者さまを呼ぶかどうかを尋ねることにしました。
「でっか……」
「え? ああ、はい。そうですね、人並みよりは少し……」
すると第一声は、わたしの背丈に驚いたご様子でした。ご自身が小柄なせいもあるでしょうが、わたしは成人男性と大差ないくらいの身の丈をしておりますし、時には体の節々が痛む時がありますので、おそらくまだ伸びると思います。スフィルナの漁師さん方からは「人込みでもすぐに見つけられていい」「頼りがいのある体だ」と褒めていただいていたので、しばしば長身をコンプレックスと捉えられる女性のみなさんよりは、「大きい」という言葉を好意的に受け止めています。
「それよりも、どこか具合が悪いのでしたら、お医者さんを呼んできましょうか?」
「ああ、いえ……そういうわけじゃないので、お構いなく。迷惑をかけてすみません。すぐに退きます」
わたしが改めてお体の様子を訊ねると、その小柄な女性は少し言葉に詰まりながらも、ベンチから立ち上がって大きなキャリーバッグを引いて歩み始めようとします。その時、不意に彼女の目元に視線が行ってしまったわたしは、思わず彼女を引き止めました。
「……お体の問題でないのなら、お辛いのは心の方でしょう。わたしのような流れ者でよろしければ、お話をお聞かせください。お力になれるかはわかりませんが」
「……流れ者? あなたみたいな人が?」
「はい。この一年はスフィルナという港町で暮らしておりましたが、それまでは東の大陸に。この街へは新たな旅のための旅支度に訪れた次第です」
彼女の目元に、寂しさと悲しみを孕んだ涙が溜まっているのが見えてしまって、本来それとはなんの関係もないという自覚はありましたが、出過ぎた真似をさせていただきました。
すると彼女は、どこか訝しげな様子で「むしろあなたの方が何か抱えてるんじゃないの?」と返してきました。わたし自身、それほど重いものを抱えているという自覚はありませんでしたが、改めて実家を出て今に至るまでの経緯を振り返れば、彼女がそう仰るのも頷けるほどの奇々怪々な波乱万丈ぶりでしたので、ひとまず彼女の警戒を解く意味を込めて、わたしの身の上話をお話させていただきました。
「……そうですね。流れ者の旅情など楽しいものかはわかりませんが、何者かもわからない相手に胸中を打ち明けろというのも酷でしょう。あなたのお話を聞く前に、少しだけわたしのお話に付き合っていただけますか?」
そうして、たっぷりと時間をかけながらこの街に来た経緯を話すと、彼女は俯きながらわなわなと身を震わせておりました。
さすがに話が長すぎたでしょうか。空を見上げれば、さっきまで東にあった太陽はすっかり天辺まで昇っていて、彼女の苛立ちも納得できるほど時間が経過していたことを自覚します。
「……以上が、わたしがここに至るまでの道程となります」
恐る恐る、エンドマークを添えたことを告げて女性の方へと向き直ると、彼女はさっきまで溜めていた涙をとうとう溢れさせて、翡翠のような瞳を潤ませてわたしを怒鳴り付けました。
「バッカじゃないの! あなた人のこと心配してる暇なんてこれっぽっちもないじゃない! 何よその両親! それでも本当に親なの!? ちょっと変な体質があったって、親なら自分の子供を才能なんかで評価してんじゃないわよ! 少なくともあたしのお父さんとお母さんならそんなことしないわ! たとえあたしが魔法の才能がなくたって愛してくれたはずだもの!」
「あ、あの……」
「兄も兄よ! なんで自分の妹がそんなメに遭ってるのに助けようともしないのよ! あたしだったら弟たちが傷付くようなことされたらそいつが謝るまで絶対に許さないわ! それが仮にお父さんとお母さんでも同じよ! なのになんで父親に乗っかって自分の妹をいじめてんのよ! あなたも! 嫌なことはちゃんと嫌って言いなさい! 良い子ちゃんもたいがいにしなさいよ!」
「いえ、その……」
「で! 家を追放されて海を渡ってこっちの大陸きて平穏に暮らしてたらまともだったはずの弟がマフィアの仲間入り!? あなた前世でどんな悪行を積んだらこんな酷いメに遭えるのよ!」
「えっと……」
「そんなのが弟探しの旅して最初に寄った街で「具合悪そうだなー」って……声かけてる場合かッ! もっと! 自分と! 弟のことに! 集中しなさいッ!」
ぜぇぜぇと荒くなる呼吸をどうにかこうにか整えて、その女性はわたしの両肩をその小さな手でがっしりと掴みました。
こんな小さな手のどこにそんな力があるのか、というような、少なくともこちらを気遣うつもりはまるでないような力で掴むその手に、わたしは不思議と恐ろしさを感じませんでした。
「……あたしも行く」
「……はい?」
「あたしもあんたの弟探しを手伝う。あんたみたいなお人よし、放っておいたら弟に辿り着く前に野犬の餌よ!」
「あ、いえ、わたしこれでも……」
「それに! ……あんたはあたしに声をかけてくれた。さっきはああ行ったけど、もっと優先すべきことがあるはずなのに、あんたはあたしのことを放っておかなかった。見捨てなかった。だから……あたしもあんたを見捨てたくない。放っておきたくない。あんたみたいな……『友達』がほしい。だから、あんたさえよければ……あたしをあんたの友達として、一緒に旅をさせてほしい」
友達。それは、わたしにとって初めての響きでした。
わたしには実の父がいて、母がいて、兄弟がいて……その人たちの元を離れ、スフィルナで恩人や仕事仲間に恵まれた。スフィルナでの出会いはわたしに大切な思い出をたくさんくれて……それがわたしにとって何にも勝るような宝物になった。そして、わたしの愛するサメたちはどの子もみんな優しい子で……相棒と呼ぶに相応しい子だった。レヴィアシャークとはまだうまくコミュニケーションをとれていないけれど、いつかはそうなれると良いと思っている。けれど……そんなにも様々な「関係」に恵まれてなお、わたしには同年代の「友達」はいなかった。
目の前の赤い髪の少女は、力強くまっすぐな目をわたしにぶつけてくる。
「あたしはアンナ! リンコドンの天才魔法士、アンナ・アクロフ! あなたの名前を聞かせてもらってもいいかしら?」
「……シルヴィア・
「用心棒? あら、じゃあ意外と腕は立つのね! だったらあたしとはいいコンビになれそう!」
いいコンビ、という言葉にわたしが首を傾げると、アンナさんは少しためらいながらも、はっきりとした口調でこう言いました。
「あたし、リンコドンの天才魔法士なんて言われるくらいだから、どんなに高位で複雑な魔法だって解読できるし、再現できるわ。でも、どういうわけか攻撃魔法がなんにも使えないの。だから、あんたはあんたのやりたいようにやりなさい! あたしが完璧にサポートしてあげる!」
「攻撃魔法が使えない魔法士……」
「……やっぱり、こんな魔法士は不安?」
「あっ、いえ……そうではなく、なんだか親近感を感じてしまって……」
わたしは今ようやく、彼女が今ここにいる理由をなんとなく察しました。ここは魔法学校でも有名なリンコドン。
そのリンコドンの魔法学校の制服に袖を通している彼女は、この魔法都市の名を冠するに相応しいだけの天才魔法士でありながら、攻撃魔法が使えない。
そして……彼女の持っているキャリーバッグ。授業に行くにしてはずいぶんと大荷物だと思っていましたが……おそらく、彼女は。
「ひとつ、言い忘れていたことがあります」
「言い忘れてたこと?」
「わたしは東大陸ではそれなりに名の知れた召喚士の名家、アークバイト家の娘です。なので、わたし自身ももちろん召喚術が使えます」
「召喚士!? えっ、あなた召喚士なのに家を追い出されたの!?」
彼女が召喚士という職業そのものに驚くのも無理はありません。一般的には「召喚術は魔法の一種」と捉えられることもありますが、そもそも魔法と召喚術は完全に別物です。
魔力さえあればあとは勉強と実践という努力でどうにかなる魔法と違い、召喚術は努力でどうにかなる部分がほぼありません。完全に才能頼りの技術です。つまり、「魔力はあるけど魔法は使えない」ということもある魔法士と違って、召喚士は「契約できないなら召喚はできない。召喚ができないなら召喚士ではない」ため、「召喚士の才能があれば召喚士、ないなら召喚士ではない」ということになります。そしてその「召喚士の才能」というものが、絶対数が極めて少ないため、召喚士の才能がある者はそれだけで国の支援を受けられるほどのアドバンテージを持っていますし、当然その子供を養育する過程で親にも得の多い才能なのです。
もっとも、父はわたしの不出来を世に晒さないことに必死でしたので、国にはわたしの存在すら知らせていないでしょう。
「はい。わたしは召喚士ですが……サメしか召喚できませんので」
「……サメって、あの海のサメ?」
「そうですね。海で活躍できるサメは今のところ二頭だけですし、一頭は先日契約したばかりの問題児ですので、実質一頭ですが」
「海以外でサメが活躍するところなんてあるの?」
「え、今いますよ。ここに」
ほら、と言ってわたしが首元を撫でると、それまでわたしの首に巻き付いたまま姿を隠していたゴーストシャークがその色と形を露わにしました。
アンナさんはぎょっとしながらも、ゆっくりとゴーストシャークに手を伸ばし、その指がゴーストシャークの体をすり抜けました。
「これ……幻影魔法とかじゃないの?」
「この子はゴーストシャーク。霊魂のみで体を構成するサメで、主に墓場を活動拠点として、死者がアンデット化しないよう定期的によくない思いを抱えた死者の霊魂や怨念を食べてくれる益獣の一種です」
「え、じゃあこの子たちがいないと……」
「世の中アンデットだらけです」
「……いつもありがとね、幽霊ザメくん」
もっとも、ゴーストシャーク以外にも死者の魂を管理する生物は他にもいるのですが、墓場に常駐して管理するという生態上、最も素早く霊魂の対処が行えますから、やはりゴーストシャークの必要性は疑うべくもありません。他にも、墓荒らしに対しても威嚇を行ってくれるので、墓守としてはこれ以上に頼もしい存在はそうそういないでしょう。
「サメしか召喚できない召喚士と、攻撃魔法が使えない魔法士。あたしたち、やっぱりいいコンビになれそうね!」
「ですが、弟を……ブルノを追おうとすれば、アルターリとの衝突は避けられません。それでも――」
「それでも、よ! あなたがあたしをどう思うかはこれから決めればいい。でもあたしはあなたのことを友達だと思ってるわ! 友達が命懸けで成し遂げようとすることを、友達が放っておけるわけないじゃない!」
友達って……すごい、ですね。
「わかりました。では、わたしの無茶に付き合っていただけますか、アンナさん」
「ええ。でも「さん」はいらない、アンでいいわ! あたしもあなたのことをシルヴィって呼ぶから!」
「……はい、よろしくお願いします、アン」
これがわたしの、初めての友達との出会い。