転校先で美少女ガールズバンドのデスボイスボーカルとしてお迎えされた件について 作:クワガタ信者
「うーん減ってるねえ」
「減ってるわね……」
俺の初ライブが終わって数日経つ。
いつものholicでの練習合間の休憩時間、恋と橘さんはスマホを覗き込みながらそう呟いた。
「まー、正直想定はしていたけどねー」
「やっぱり減っちゃうわねえ。登録者数」
シュガースポットの登録者数が、あの日から数千人ごそっと消えた。
原因はもちろん俺の加入だ。
シュガースポットにはカプ厨が多かった。
サクレンだのサクマコだのマコユキだの、その手の百合好きからの支持は強く、youtubeの動画のスレッドにも書き込まれていた。
その手の層が見切りをつけたのだろう。
無理もない。百合の間に挟まる男は万死に値する、というのは彼らの共通認識だ。
5chのバンド板には俺のアンチスレも立っていた。
ちょっと怖すぎる。夜道には気を付けよう。
「うわーん悲しい」
「だーから、わかってたことじゃんって。さくゥ」
「それでも、私達の音楽のことが好きなファンが減っちゃったのは悲しいよー」
橘さんは、しおしおとうな垂れてちっちゃくなる。
「あーん、先輩かわいそう;;」
そう言って真琴は橘さんに抱き着いた。
「大丈夫ですよー先輩。私がいつもそばにいますからね?寂しくないですよー❤」
「うわーん真琴ー」
いつも手慣れたようにあしらっている橘さんだったが、今回ばかりは真琴に泣きついていた。
やれやれ、と二人を眺めていた恋だったが、急に「ん?」と何かに気付いて様にスマホを見る。
「どうかしたか?」
「なんかコメントが来てる」
そう言って恋がコメントを開くと、
『この前のライブでファンになりました。すくりーも?ってジャンル?初めて聴きました。めっちゃかっこよかったです』
そう書かれていた。
同時に、登録者数がピコンと一名増加した。
「…………」
「…………」
「なになに?……ああっ!!」
俺と恋が目を合わせていると、橘さんが割って入ってきた。
コメントを見たかと思えば、急に叫び出した。
「新たな新規ファンゲットオオオオオオオ!!!」
恋からスマホをかすめ取り、両手で掲げた。
「しかもスクリーモ初心者じゃない。また新たなリスナーを一人この世界に引きずりこめたってわけ!」
「新たなと新規で意味かぶってんよー」
返してー、と恋は橘さんからスマホを奪い返す。
「そうよ!減ったのなら増やせばいいじゃない!」
なんでこんな簡単なことに気付かなかったのかしら、と橘さんは高々に笑う。
「……なんかはしゃいでる」
塚見さんがお手洗いから戻ってきて、そう呟いた。
「いつも先輩は素敵ってことよ♪」
元気に立ち直った橘さんを見て、真琴も嬉しそうにしていた。
「こうしちゃいられない!練習再開よ!」
ほらみんな位置について、と橘さんは意気揚々にマイクを取る。
立ち直りが早いなぁ。
そう笑って、俺も気合を入れるようにマイクを握りしめる。
「準備はいい?それじゃあ――」
青春は止まらない。
人々の心にいつまでも音楽が鳴り響いているように、
俺達は澄んだ群青を奏で続けた。
「それじゃあ、俺こっちだから」
holicからの帰り道、いつもの歩道橋で俺は皆に別れを切り出した。
「あ、ごめん私も」
踵を返して立ち去る俺を追いかけるように、橘さんはこちらに歩んだ。
「あれー、さっくそっちだっけー?」
「ちょっと野暮用があってね。今日はここでお別れ」
「そっか。おつかれー」
「あーん、せんぱいー;;」
「はいはい行くよ行くよー」
「ねむい……」
名残惜しそうに橘さんに手を伸ばす真琴を恋は窘めていた。
塚見さんは眠そうにあくびをしている。
「それじゃあ行きましょっか」
三人を見送った俺達は同じ方向に歩き出した。
「ねえ、須賀君この後ちょっと時間ある?」
しばらく適当に雑談しながら歩いていると、橘さんがそう切り出してきた。
「いいけど、橘さん用事あるんじゃないの?」
「へ?ああ。うん、いいの。急ぎじゃないから」
「それなら別にいいけど。俺は全然大丈夫」
「よかった。あ、ちょっとコンビニ寄っていい?」
そう言って橘さんはコンビニに入って行った。
俺も小腹を満たそうかと自動ドアの前に立ち寄ろうとしたが、橘さんに「外で待ってて」と言われ、仕方がなく駐車場にある銀の逆U字(あれなんて言うの?)にもたれかけながらプラプラしていた。
しばらくすると、橘さんが小さなレジ袋を腕に下げながら戻ってきた。
「おまたせ。はいこれ」
手渡されたのはおっきな肉まんだった。ほかほかしてあったかい。
「ピザまんの方がよかった?」
「いや、そうじゃないけど。どうしたの急に」
「なんか、一緒に食べたくなっちゃって」
満面の笑みで橘さんは破顔した。
「いくらだった?」
「いいのいいの。須賀君には世話になったし」
「そういうわけにはいかないって。どっちかと言えば、世話になったのは俺の方だ」
「いいからいいから。向こうの公園にベンチがあったはず。行こっ!」
俺の返事を待たずに橘さんはタタッと近場の公園に走り出す。
夏場の夜の風はどことなく涼しくて気持ちがいい。
俺はゆっくりと歩みながら橘さんを追った。
公園に足を踏み入れると、橘さんが自販機で飲み物を買っている姿を見つける。
「へいパス!」
放物線を描きながら飛来するドリンクを受け止める。
スポーツドリンクだ。
「いくらだった?」
「だからいいって」
「なんか悪いな。おごられっぱなしじゃないか」
「おあいこだよ。須賀君だって私にくれたでしょ?」
「何を?」
「スポドリ」
転校してきてすぐ、橘さんにバンドの勧誘をされた時、追いかけ疲れてひぃひぃ言ってる橘さんにスポドリを一本渡した。
俺がバンドを抜けて恋に説教喰らった後、橘さんの家に行ったときに彼女と鉢合わせ。逃げる彼女を追いかけた時にも一本。
計2本ってわけだ。
そんなこともあったな。
「だからこれ一本と肉まん一個でおあいこ」
橘さんは近くのベンチに腰掛ける。
俺もそれに続いて彼女の隣に腰を降ろした。
「にしても夏場に肉まんってどうなのさ」
「冬場にアイスとか食べたくならない?」
「え、ならない」
「嘘!?あったかいコタツの中でカップアイスを頬張る喜びを知らないの!?」
「それって温度上げ過ぎじゃない?電気代の無駄だよ。程々にあったかくして熱い鍋を食べてもっとポカポカにした方が合理的だ」
「かーっ、損してる!人生損してるよ須賀君!もっと『理』を捨て去って欲望のまま生きようよ!!」
「そんなこと言われても……あ、うまっ!この肉まんめっちゃうまいよ橘さん!」
「どれどれ……ほんと、美味しい!」
たわいもない会話をしながら女の子と公園で肉まんを頬張る。
こんな贅沢なことがあるのだろうか。
「ヘヴンの肉まんってこんな美味しかったっけ?」
「なんか新発売って書いてたよ?いい肉を使ってるだとかなんとか」
「へーっ、上げ底叩かれて本気出したってところかねえ?」
「かねえ?」
たわいもない。ほんとたわいもない。
ありふれにありふれた会話。
「あれ?じゃあこれ結構高かったんじゃない?」
「そんな大した値段じゃなかったよ。あ、見て須賀君――」
「――月が綺麗だね」
「…………へ?」
『月が綺麗ですね』
かの有名な小説家、夏目漱石の言葉である。
彼が英語の教師をしていた時、生徒の一人が" I love you " の一文を「我君を愛す」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことを直接的に言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言った。
つまり彼にとって『月が綺麗ですね』という言葉は、『貴方が好きです』という意味になる。
それを今、彼女が俺に向かって言った。
ということは――
「へ?……あっ……は?……」
「月よ、月。お月様。ほら、めっっっっっっちゃ綺麗な満月」
橘さんが指差す方へ顔を向ける。
遥か彼方上空には、綺麗な円を描いた真っ白なお月様が鎮座していた。
「いやー見事な満月ねー」
……ふぅー。
冷静になろう。
クールになるんだ須賀雅貴。
まずは『月が綺麗ですね』についてだが、これは漱石が確実に言った言葉ではない。
彼が死んで数十年経ってから、作家の豊田有恒から伝えられたものだ。
あくまで伝聞であって、漱石本人がそのような言葉を残した文献は一つもない。
なので正直、信憑性は薄いということ。
そしてそんな文学的なことを橘さんが知ってるかどうか。
答えはNOだろう。
橘さんは言っちゃあなんだが音楽バカだ。
漱石の『坊っちゃん』のような純文学を嗜む暇があるのなら、スコアや楽譜、もしくはデスクトップPCにかじりついているだろう。
こんな都市伝説なんて知りもしないはずだ。
故に、彼女発した『月が綺麗ですね』とは、文字通りそのまんまの意味の言葉にすぎないということ。
「あ、ああ。そうね……」
俺も声を上ずらせながら、満月を見つめて答えた。
考えてみればそりゃそうだ。
橘さんは、恋愛の類いを苦手に思っている。
自身が告白されやすいのもそうだが、ことバンド内に至っては特に敏感になるはずだ。
痴情の縺れでバンド解散、なんてことは夏目漱石の都市伝説なんかよりも身近で有名な話だ。
だから橘さんが俺に好意を持って告白することなんかあるはずが――
ちゅ
と右から聞こえたような気がした。
音のする方に首を捩じると、橘さんの顔が目と鼻の先にあった。
「なっ!?……はっ……?がっ……!」
その唇は艶っぽく湿り気を帯びており、奇しくも右頬に浸透する感触に関連性を感じさせた。
彼女は妖精のようにふわりと立ち上がり、数歩進んでこちらに振り返った。
「須賀君」
「いっ!?」
月光が彼女を迎えるように照らす。
「一生バンドやろうね」
かぐや姫が月に帰って行くように、橘さんは静かにこの場を去った。
「…………」
残された俺を照らすのは、無垢なる月の光ではない。
無粋で雑味のある、大味な街灯の光が俺をつまらなく照らしていた。
「……はああああああ~~~~~~っっっっっ!!!」
ベンチからずり落ちる俺。
どしゃっと背中に砂がつく音を聞いた。
なんとも滑稽な姿だ。
だが、
「そうだな」
答えは得ている。
「死ぬまでやろう」
翻訳家の二葉亭四迷が、ツルゲーネフの『片恋』という作品の一節をこう訳したことがある。
『死んでもいいわ』
意味は「あなたの意のままに」といったところ。
街灯がバチッ、と弾ける音を鳴らして消灯する。
暗闇の中、月の光だけが寝転がる俺を優しく照らした。