鷹岡先生にこのあだ名最初につけた人天才的すぎる。
暗殺訓練が始まって早四ヶ月が経った頃。
最初の頃よりは棗の動きも多少マシにはなって来たものの、やはり他の生徒と比べると圧倒的に成長の遅さが目立つ。それも仕方の無いことだ。自主練に関しては誰かに誘われた時くらいしかしないのだから。
「先生、放課後皆でお茶して行こうよー」
訓練終了後、倉橋が烏間に声をかける。しかし、誘いは嬉しいがまだ仕事が残っているとのことで、やんわりと断られてしまっていた。
生徒たちは、そんな烏間との間に壁を感じている様子だ。
「私たちのこと大切にしてくれてるけど、でもそれって、ただ任務だからなのかな」
(どうなんだろ)
言ってみれば、棗だって相手によって一定の距離を保っていると言える。棗の場合は合う相手とは関わって、別にそうでもない相手とはそれなりに。合わない相手とはあまり関わらない。そうやって距離を保つことによって、自分にとって無理のない人付き合いをしているわけで、烏間のそれとはまた違うものではあるが。
(烏間先生が実際何をどう思っているかとかはようわからんけど…任務だから大事にしているのとは、違うような?いや、私の感覚やから違うかもしれんけど)
うんうんと考え込みながら、校舎へ戻る烏間の背中を見つめる。するとそこへ、見知らぬ男性が一人、何やら大荷物を持って現れた。
(誰だろ)
「新しい先生…?」
「やあ!今日から烏間を補佐してここで働くことになった、鷹岡明だ。よろしくな、E組の皆!」
これまた随分と明るくフレンドリーな先生だ。いい人そうだが、あまりグイグイくる人ではないといいなと思う。
鷹岡の持っていた袋にはたくさんのスイーツが入っていたようで、彼はそれらを気前よく生徒たちに振舞った。正直ブランドだとかそういうものにこだわりもなく、またスイーツ自体そこまで好んで食べない棗にはよくわからないが、どれもこれも高価なスイーツらしい。
「いいんですか、こんな高そうなの…!」
「おう、食え食え!俺の財布を食うつもりで、遠慮なくな!」
随分と太っ腹である。見た目も太っ腹だが。
「よくこんな甘いものブランド知ってますね」
「ま、ぶっちゃけラブなんだよ…砂糖がよ」
図体の割にかわいい嗜好である。いや、甘いものが好きだからこそのこの体型なのだろうか。
鷹岡は政府からの要請で烏間の負担を減らす為に出向して来たそうだ。明日からの体育の授業は彼が担うらしい。その説明の最中、甘いものに目がない殺せんせーがいつの間にか後ろにいて、涎を垂らしながらスイーツを見つめていた。
「おお、アンタが殺せんせーか!食え食え!まぁ、いずれ殺すけどな!」
殺せんせーにも気前よくスイーツを振舞おうとする鷹岡。現れたばかりだと言うのに、既に生徒たちの心を掴んでいる。
棗はスイーツはものにもよるがあまり得意ではない。しかし折角の厚意を無下にするのも良くないので、ひとつだけ戴くことにした。
(甘…)
ちなみにスイーツが得意ではないというのは、味が美味しくないからとかではない。単純に、甘いものはものによっては割と少量で胸焼けを起こしてしまうから出来れば避けたいというだけのことだ。逆に、たくさん食べられるタイプの甘いものもあったりする。チョコやクッキーは寧ろ好きな類だ。あとはアイスやマカロンも好きである。
(鷹岡先生の体育…どんな感じなんやろ)
と、この時は呑気にそんな事を考えていたが……翌日、棗含むE組生徒たちは地獄を見ることとなる。
鷹岡が赴任してから翌日の授業。早速鷹岡の授業が始まり、新たな時間割表が配られたのだが…その内容に、誰もが目を疑った。
21時まで…10時間目までの訓練。とても正気の沙汰とは思えない内容。こんなに訓練三昧だと色んな意味で死ぬ。
「このぐらいは当然さ。このカリキュラムに着いて来られれば、お前らの能力は飛躍的にあがる」
そもそも棗たちの本業は中学生であって、軍人ではないのだ。これでは学生の本分である勉学に励むことすらまともに出来やしない。前原もそう思ったのだろう、「待ってくれよ」と声を上げた。
「無理だぜこんなの!勉強の時間これだけじゃ成績落ちるよ!遊ぶ時間もねーし、出来るわけねーよこんなの!」
前原の言うことは、皆の気持ちを代弁していた。しかしそんな前原の鳩尾に、あろうことか鷹岡は蹴りを入れたのだ。蹴られた前原は苦しげに地面へと臥せてしまう。
「出来ないじゃない、やるんだよ」
棗は信じられなかった。昨日はあんなに気前よくフレンドリーに接していた鷹岡。目の前にいる彼は、本当に昨日の彼と同じ人物なのだろうかと。まるで創作に出て来る悪役のようで、現実味を感じられなかった。
「言っただろう?俺たちは家族で俺は父親だ。世の中に父親の命令を聞かない家族がどこにいる?」
(父親って言うのはそういうもんじゃないだろ…イカれとる…)
父親の言うことは絶対、父親が一番偉いだなんて、今時時代錯誤にも程がある。確かに棗は父の言うことは割と何でも聞くけれど、それは父を信頼していて、父が正しいと思うから。父は厳しいけど、理不尽なことはしない人だから、そうするだけのことだ。だが目の前の男はどうだ。理不尽以外の何モノでもない。誰が聞いてやるものか、こんな奴の言うことなんて。でも。
(怖い…)
棗は歳上の男性に若干の苦手意識がある。別に全員が苦手なわけではないけれど、鷹岡のような者は恐怖の対象だ。
大事な家族などと宣いながら、その家族に手を上げて無理矢理言うことを聞かせようとしてくる異様さ。怖い。そう言い表す他ない。
「な。お前は父ちゃんに着いてきてくれるよな」
そう言って肩を組み、神崎に問いかける鷹岡。
(ゆきちゃん…)
「は、はい…あの、私…」
問いかけられた有希子は遠慮がちにそう言って立ち上がり、鷹岡と向き合う。そしてはっきり、拒絶の言葉を口にした。
「私は嫌です。烏間先生の授業を希望します」
危ない、と思った。
案の定、鷹岡は神崎に手を上げる。女子も男子も関係ないようだ。心配した渚と杉野が即座に神崎の傍へ駆け寄った。
「お前らまだ分かってないようだな。"はい"以外はないんだよ。文句があるなら拳と拳で語り合おうか?そっちの方が父ちゃん得意だぞ〜」
気持ちが悪いと思った。こんなにも吐き気を催す邪悪、これまで出会ったことがない。自分の目の前にそれが存在するという現実が、信じられなかった。
「やめろ鷹岡!」
そこへ烏間がやって来た。すぐに神崎の元へ駆け寄り、「首の筋に痛みはないか」と気にかけてくれる。
「前原君は?」
「平気っす…」
平気そうには見えないが……
「ちゃんと手加減してるさ烏間。大事な俺の家族だ。当然だろ?」
家族などではないし、手加減しているしていないの問題ではない。もう恐怖を通り越して怒りさえ沸いてきた。
「いいや、貴方の家族じゃない。私の生徒です」
鷹岡の背後に、怒りの表情を浮かべた殺せんせーが立っていた。もし、先生を家族のように捉えるとしたら……殺せんせーや烏間、イリーナのような先生こそ家族のような存在だと言えるだろうと棗は思う。
「文句があるのか?モンスター。体育は教科担任の俺に一任されている筈だ」
今の罰は立派な教育の範囲内。短時間で殺せんせーを殺す暗殺者を育てるのだから、厳しくなるのは当然のこと。それが鷹岡の言い分だった。
「それとも何か?多少教育論が違うだけで、お前に危害も加えてない男を攻撃するのか?」
確かに、鷹岡の言うことはごもっともであり、殺せんせーは何も言い返すことが出来ずにいた。
結局、生徒たちは鷹岡に従う他なくなってしまった。
「冗談じゃねぇ…スクワット三百回とか死んぢまうよ…!」
スクワット三百回なんて、運動音痴の棗には出来るはずもない。棗は早々にバテて、倒れそうになる。
そんな時、鷹岡が棗の目の前で止まった。嫌な予感しかしない。
「おい。誰が休んでいいと言った?父ちゃんの言うことを聞けない悪い子には、お仕置きが必要だなぁ」
「ぁ…」
(逃げなきゃ、逃げなきゃ…)
だけど恐怖で身体が言うことを聞かない。動けない。どうしよう。そんな風に思考もぐるぐる回って、パニック状態だ。為す術もなく、鷹岡の拳が振り上げられる。
殴られる。
そう思った矢先、鷹岡の腕を止めたのは烏間だった。
「そこまでだ。暴れたいなら俺が相手を務めてやる」
「烏間ぁ…横槍を入れて来る頃だと思ったよ」
何とか暴力を振るわれずに済んだ棗は、安堵からその場にへたり込む。心配した竹林や原が傍に来て、声をかけたり背中を摩ったりしてくれた。
鷹岡は尚もこれは暴力ではなく教育であると言い張っている。
「暴力でお前とやり合う気はない。やるならあくまで教師としてだ。烏間、お前が育てたコイツらの中で一押しの生徒を一人選べ」
その生徒が自分と戦い一度でもナイフを当てられたのなら、自分はここから出て行くと鷹岡は言う。しかし鷹岡がその勝負で使用すると提示したのは、対先生ナイフではない。本物のナイフだった。
「よせ、彼らは人間を殺す訓練も用意もしていない!」
「安心しな。寸止めでも当たったことにしてやるよ。俺は素手だし、これ以上ないハンデだろ?」
これは鷹岡の策略だ。本物のナイフなど握ったことのない子どもが、それを人間に向ける。まともな感性を持つ人間ならば、相手を傷つけるかもしれない、殺してしまうかもしれないという恐怖で動けなくなる。そこを一方的に痛めつけて…逆らえなくする。それは、恐怖による支配だ。
「さあ烏間、一人選べよ。嫌なら無条件で俺に服従だ」
烏間の足元にナイフが投げられる。烏間は暫し考えあぐねた。考えて、考えて…選んだのは。
「…渚君。出来るか?」
渚だった。
誰もが戸惑う。渚は穏やかで、争いごとは好まない性格だ。男子の中でも最も小柄。鷹岡との体格差も大きい筈だ。それなのに何故…棗もそう思うが、烏間のことは信頼している。そんな烏間が選んだのだから、考えなしに選んだというわけでもあるまい。
「渚のナイフ、当たると思うか?」
「無理だよ、プロ相手に本物のナイフなんて…」
生徒たちは口々に言う。誰も渚が勝てるだなんて思えなかった。
「でも、烏間先生が選んだんだよ。勝てる可能性のない生徒なんて烏間先生は選ばんと思う……私は」
「そう…なのかな…」
今は、信じるしかないだろう。
渚を選んだ烏間のことも、烏間に選ばれた渚のことも。
「さぁ、来い!」
鷹岡は勝てると確信していた。負けるわけがないと、高を括っていた。
渚は…頬んで、普通に歩く。通学路を歩くように、自然な動きで。そこで鷹岡は自身が殺されかけている事実に気がつく。
気がついた時にはもう、仕留められていた。
(なんか凄いところで才能発揮されとるな…)
思わぬところで才能を発揮するというのは、創作でも、バラエティ番組などでも見かけるが……自分の目の前でそれが見られるというのは、中々感慨深いものがある。
「あれ…峰打ちじゃ駄目なんでしたっけ…」
先程までの雰囲気はどこへやら、いつもの渚に戻っている。なるほどギャップ萌えか…と棗は思った。
「勝負ありですね、烏間先生」
渚の手からナイフを取った殺せんせーは、そのナイフをボリボリと齧り始める。口の中が一体どういう仕組みなのか物凄く気になった。
「このガキ…父親も同然の俺に歯向かって、まぐれの勝ちがそんなに嬉しいか?もう一回だ…心も身体も全部残らずへし折ってやる!」
この世のものとは思えない形相の鷹岡が、往生際悪く言う。そんな鷹岡に、渚が啖呵をきった。
「確かに、次やったら絶対僕が負けます。でも、はっきりしたのは、僕らの担任は殺せんせーで、僕らの教官は烏間先生です。これは絶対譲れません」
父親を押し付ける鷹岡よりも、プロに徹する烏間の方が温かく感じる。本気で自分たちを強くしようとしてくれたことには感謝する。しかし丁重に謝罪をした。その上で、「出て行ってください」と、確かな拒絶を示す。
「じゃあ私は?」
イリーナが竹林の肩に片手を置き、もう片方の手で自身を指差しながら問う。問われた竹林は、
「僕らのビッチです」
と言って眼鏡をクイッと上げた。
「殺ス!!」
「私はイリーナ先生のこと綺麗でかっこよくてかわいい先生だと思います」
竹林に続き、棗も自身の中のイリーナへの印象を口にした。
「ナツメ〜!あんたは本当にいい子ね!」
ぎゅぎゅぎゅ〜〜っとイリーナに抱きしめられる。
そして、件の鷹岡はまるで化け物のような顔と声で今にも渚に飛びかからんとしていた。それを烏間がいなす。
「身内が迷惑をかけて済まなかった」
烏間は、これまで通り自身が教官を務められるよう、上と掛け合ってみるという。その言葉に、生徒たちの表情が明るくなった。
「交渉の必要はありません」
どこからともなく聞こえてきた低い声。
「あ、理事長先生や」
(なんかあれやな、速○さんみたいな声やな。奥さんは竹○さんボイスだったりするんかな。いや、そもそも既婚者なのか…?)
棗の思考が他所へ行ってしまうのはいつものことである。
學峯は鷹岡の傍まで歩み寄り、しゃがみ込む。ここへ来たのは、新任教師である鷹岡の手腕に興味があったからだと言う。
「鷹岡先生。貴方の授業はつまらなかった。教育に恐怖は必要です。一流の教育者は恐怖を巧みに使いこなす。が、暴力でしか恐怖を与えることが出来ないのなら…その教師は三流以下だ」
學峯は鷹岡の顎を掴むと、解雇通知をその口の中に捩じ込んだ。
「…ひょえー」
思わずそんな声が出た。穏やかそうな人なのに、そんなことするんだな…と思ってのことである。
「
そう言ってゆっくりと立ち去っていく學峯。そして鷹岡も、この場から逃げ出すように去って行ってしまった。
鷹岡が解雇されたということは、これまで通り烏間が教師として指導してくれることが確定したということ。生徒たちの反応は皆喜びに満ちていた。
「理事長先生ってなんか漫画みたいな人やねー」
棗の着眼点はやはりズレていた。
なんかこの前鷹岡先生が改心して本当にただの気さくな父ちゃん的な人になる夢を見ました。あれは一体何だったんだ…