エンドのE組
椚ヶ丘学園中等部3年E組。
成績不振者や素行不良の生徒が在籍する、特別強化学級……と言えば多少聞こえはいいだろう。しかしその実態は、差別や侮蔑の対象となっているクラス。校舎は山奥にある別校舎で、エアコンなどの設備もない。本校舎の教師や生徒からの理不尽な扱いも容認され、それが当然の風潮になっている。E組のみに適用される理不尽な校則すら存在する。一度堕ちてしまえば終わり。そんな意味合いを込め、E組は通称『エンドのE組』と呼ばれていた。
そんなE組には、他とは違う奇妙な点がある。
ガララッ…
古い校舎の引き戸の音。そして、ペタンペタンという粘着性の音と共に教室内に入って来たのは、何とも奇妙な黄色いタコの様な生物。
パタン、と教卓に出席簿が置かれた。
「
「…き、起立!!」
日直である潮田渚の号令により、生徒たちは一斉に立ち上がり、謎の生物に対し
「気をつけ!!れーーーーーーい!!!!」
その掛け声と共に、教室のあちらこちらから銃声が鳴り響いた。
「おはようございます。発砲したままで結構ですので、出欠を取ります。磯貝君」
「──!!」
「すいませんが銃声の中なので、もっと大きな声で」
「…は、はい!!」
「歌川さん」
「はいっっ!!」
「岡野さん」
「はい!!」
「片岡さん」
「はい!!」
銃声が響き、銃弾が飛び交う中で、謎の生物による出欠確認は続く。出欠確認を取りながら、謎の生物は飛び交う銃弾を器用に躱していた。
「遅刻無し…と。素晴らしい!先生とても嬉しいです」
出欠確認が終わると、謎の生物は表皮に丸印を浮かべそう言った。
「残念ですねぇ、今日も命中弾ゼロです。数に頼る戦術は個々の思考を疎かにする。目線、銃口の向き、指の動き…一人一人が単純過ぎます。もっと工夫しましょう。でないと…最高時速マッハ20の先生は殺せませんよ」
そう。3年E組は『暗殺教室』。
生徒は殺し屋、そして標的は担任教師であるこの謎の生物だ。
「本当に全部避けてんのかよ先生!どう見てもこれただのBB弾だろ?当たってんのにガマンしてるだけじゃねーの!?」
生徒の一人である前原
謎の生物は一瞬無言になった後、
「では、弾をこめて渡しなさい」
と言いながら岡野ひなたの手元からそっと銃を取る。
「言ったでしょう。この弾は君達にとっては無害ですが…」
謎の生物が自身の腕に銃を突きつけ、パン!と撃つ。ドブチュッ!という音がして、弾け飛んだ腕が床に落下し、ビチビチと蠢いた。
「国が開発した対先生特殊弾です。先生の細胞を豆腐のように破壊出来る。ああ、勿論数秒あれば再生しますが」
謎の生物が話をしている最中、失われた手首──といっても良いのかは微妙だが──から先があっという間に再生する。
「だが、君達も目に入ると危ない。先生を殺す以外の目的で室内での発砲はしないように。殺せるといいですねぇ、卒業までに」
先程まで黄色だった表皮が、黄色と緑の縞模様へと変化した。
「銃と弾を片付けましょう。授業を始めます」
そうして今日もまた、始業の
棗達が今この状況下に置かれたのは、3年生になってすぐのこと。
月が7割蒸発し、世間が大騒ぎした時のことだ。その生物はいきなりやって来て、こう言い放ったのである。
「初めまして。私が月を
あまりの現実味の無さに、初めは着ぐるみか何かかと思ったものだ。しかし、うにょうにょと蠢く関節の曖昧なその腕は、本当にそういう生き物なのだと思わせるには充分な要素であった。
そして思ったのだ。
(漫画みたいな展開じゃん!)
と。
謎の生物を連れてやって来た防衛省職員の一人、烏間
「この怪物を君達に殺して欲しい!!」
詳しいことは話せないらしいが、謎の生物の言うことは事実であることを告げる。この事実を知る者は各国首脳のみ。世界がパニックになる前に、謎の生物を殺す努力をしているのだと。成功報酬は百億円らしい。
何故この生物がこんなところに現れたのかと言うと、「殺されるのはゴメンだが、椚ヶ丘中学校3年E組の担任ならばやってもいい」とこの生物本人が直談判したらしい。全く持って意味不明ではあるし、暗殺にもあまり興味は沸かないが、楽しい一年になるような気がするので細かいことは気にしないことにした。
キーンコーンカーンコーン…
昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴る。
「昼休みですね。先生ちょっと中国行って麻婆豆腐食べて来ます。暗殺希望者がもしいれば、携帯で呼んでください」
謎の生物は、そう言ってあっという間に空の彼方へと吸い込まれるように消えていく。
「マッハ20だから…ええと」
「麻婆の本場四川省まで10分くらい」
「確かにあんなもんミサイルでも落とせんわな」
困惑の色を帯びた笑みを口元に漂わせながら、全員の視線が謎の生物の飛び去った方向へ集まっていた。
「しかもあのタコ、音速飛行中にテストの採点までしてるんだぜ」
「マジ!?」
「うん。俺なんかイラスト付きで褒められた」
「てかあいつ何気に教えるの上手くない?」
「わかるー、私放課後に暗殺行った時ついでに数学教わってさぁ。次のテスト良かったもん」
謎の生物について盛り上がっていたクラスメイトたちだが、段々と雲行きが怪しくなってくる。
「…ま、でもさ。所詮俺らE組だしな」
「頑張っても仕方ないけど」
その一言には、諦めの色が乗っていた。
冒頭でも述べたように、E組は特別強化学級とは名ばかりの被差別学級。学校ぐるみでの差別が容認されたクラス。
E組というだけで落ちこぼれの烙印を押され、当然のように軽蔑され、罵詈雑言を浴びせられる。故に、皆劣等感が色濃いのである。
棗も他の生徒たち同様、3年に上がる前にE組行きを通告された身だ。元々勉強はそんなに好きではなく、入試に受かったことさえ最早奇跡だと思っていた。だから成績もずっと伸び悩んでいて、こうなるだろうと言うのは予測していたから、特に何とも思わなかった。前の担任には「お前のせいで担任であるオレの評価まで落とされる」と言われたけれど、まぁそれもあまり気にしていない。小学生の頃から一人で過ごす方が楽だったし、仲良くするにしても趣味の合う人と付き合うというスタンスの棗には、そもそも友達という友達が本校舎にはほぼおらず、あまり未練はなかった。
それに、
先生も生徒も皆優しいし、趣味の合う友達もいる。自分のペースで無理なく勉強が出来る。
ただひとつ、前の担任である雪村あぐりが突然退職してしまったことだけは、残念に思っていた。
午後の授業。
そこで事件は唐突に起こった。
「お題に添って短歌を作ってみましょう。ラスト七文字を『触手なりけり』で締めてください。書けた人は先生のところへ持って来なさい。チェックするのは文法の正しさと、触手を美しく表現出来たか。出来た者から今日は帰ってよし!」
(短歌かぁ…)
棗は現代文は得意だが、古文や漢文はそこまで得意ではない。短歌など上手く作れる自信がなかった。
そもそも触手は季語なのかという疑問がクラスメイトたちの方から飛び交っていて、「確かに…」と思うのだった。
「先生しつもーん」
「…? 何ですか茅野さん」
「今更だけどさあ、先生の名前なんて言うの?他の先生と区別する時不便だよ」
茅野カエデからそんな疑問が投げかけられ、クラス中の視線が謎の生物へと集まる。皆彼の名前が気になるようだ。
「名前…ですか。名乗るような名前はありませんねぇ。なんなら皆さんでつけてください。今は課題に集中ですよ」
「はーい」
(私たちがつける…か。にこちゃん先生とか?)
にこにこマークみたいなかわいらしい顔から、棗はその名前がぱっと頭に浮かんだ。しかしそれよりも短歌の方が優先だと思い出し、そちらに意識を戻す。
すると、ガタッと音をたて、渚が立ち上がった。
「お、もう出来ましたか、渚君」
一番後ろの席である為見えてしまった渚の手元には、短冊の裏にナイフを隠し持っているのが窺えた。今、このタイミングで暗殺に踏み込む気なのだろう。他の席の生徒も、渚が通る際にそれに気づき、緊張を隠さぬ面持ちで行く末を見守っている。
教卓まで辿り着いた渚は、隠し持ったナイフを思い切り振りかざした。それはあっさりと止められてしまったが…どうやら本命はそうじゃないらしく、そのまま謎の生物へと抱き着く。
そして次の瞬間、バァァンと物凄い音がしたかと思うと、BB弾があちらこちらに散らばる。
「ッしゃあ、やったぜ!!百億いただきィ!!」
近くの席の寺坂竜馬たちが、そう叫びながら前の方へと走っていく。
「ざまァ!!まさかこいつも自爆テロは予想してなかったろ!!」
「ちょっと寺坂、渚に何持たせたのよ!」
明らかに危険物を持たせた寺坂を咎める声が茅野からあがる。
「あ?オモチャの手榴弾だよ。ただし、火薬を使って威力を上げてる。三百発の対先生弾がすげぇ速さで飛び散るように」
「なっ…」
「人間が死ぬ威力じゃねーよ。俺の百億で治療費ぐらい払ってやらァ」
そう言って確認しようとする寺坂であったが……渚はあの爆発を受けて無傷で、火傷ひとつ負ってはいない。そして彼を覆う膜。何かと思って寺坂がそれに触れた時、頭上から声が降って来た。
「実は先生、月に一度程脱皮をします。脱いだ皮を爆弾に被せて威力を殺した。つまりは月イチで使える奥の手です」
そう言葉を並べるその生物の顔色は、顔色を見るまでもなく真っ黒だった。まるでデビルカー○ィのような表情だ。
「寺坂、吉田、村松。首謀者は君等だな」
「えっ、いっ、いや…渚が勝手に」
あろうことかこの期に及んで自分は無関係であると、渚に全ての責任を擦りつけようとする寺坂。するとその生物は、即座に教室から去り即座に教室へと戻って来る。その手元には、山のような表札。クラスほぼ全員分の家の表札だ。棗の家には表札がないので、恐らくあの中には棗に関する物はないだろうが。
「政府との契約ですから、先生は決して君達
そうは言うが、この生物は普通にいい先生である。これもまた教育的指導のひとつかもしれない。棗は前向きに考えることにした。
「なっ…何なんだよテメェ…迷惑なんだよォ!!いきなり来て地球爆破とか暗殺しろとか…迷惑な奴に迷惑な殺し方して何が悪いんだよォ!!」
完全に怯えた寺坂が、涙目でそう喚き散らす。
その言葉に、その生物はぱっと顔色を戻す。…否、表皮に丸印を浮かべた。
「迷惑?とんでもない。君達のアイディア自体はすごく良かった。特に渚君。君の肉迫までの自然な体運びは百点です」
渚の頭に、ペタンと掌が乗せられる。
「…………!!」
「ただし!寺坂君達は渚君を。渚君は自分を大切にしなかった。そんな生徒に暗殺する資格はありません!人に笑顔で胸を張れる暗殺をしましょう。君達全員それが出来る力を秘めた有能な
「…さて、問題です渚君。先生は殺される気など微塵もない。皆さんと3月までエンジョイしてから地球を爆破です。それが嫌なら君達はどうしますか?」
渚は、一拍おいてこう言った。
「…その前に、先生を殺します」
その答えに、その生物は縞模様を浮かべながら、
「ならば今殺ってみなさい。殺せた者から今日は帰って良し!!」
と言う。
「殺せない…先生…あ、名前。『殺せんせー』は?」
ついでに、この謎の生物の名前も決まった。