烏間が体育担当教師となってからの体育の授業。
普通の学校ならばまず有り得ない、ナイフの素振りという物騒な授業だ。これも暗殺の訓練である。正直言って棗は運動が大の苦手であるが、普通の学校ではしないことが多いこの教室ならではの授業は、普通の体育よりかは楽しみを感じる部分もあったりする。……相変わらず暗殺への興味は沸かないが。
殺せんせーは烏間に『そこの砂場で遊んでろ』と言われ、砂の山を作っていた。
「酷いですよ烏間さ…烏間先生…私の体育は生徒に評判良かったのに…」
こんなことをぼやきながら。
「はぁ…嘘つけよ、殺せんせー。身体能力が違い過ぎんだよ。この前もさぁ…」
「異次元過ぎてねぇ…」
「体育は人間の先生に教わりたいわ」
殺せんせーの体育は、生徒たちから概ね不評である。生徒たちの言葉で更に落ち込んだ殺せんせーは、砂場に石を積み上げ始めていた。
「けど見てる分には面白かったよ」
あの動きをしろと言われれば百%不可能であるが、異次元な殺せんせーならではの体育は見ている分には非常に面白い。ずっと眺めていろと言われれば、ずっと眺めていられるくらいには。
「な、棗さん……!!」
どうやら棗の声が耳に入ったようで、殺せんせーはキラキラとした表情で棗の方を見ている。
「でも確かに実践ってなると人間の先生の方がいいと思います」
「にゅやーーーッッ!!?上げて落とされたーーーッッ!!!棗さんだけは先生の味方だと思ったのに!!!しくしく…」
殺せんせーを肯定した棗からの現実的な答えに、殺せんせーは再び落ち込んだ。
「あっでも、実際の授業じゃなくても、休み時間とかに先生の体育見てみたいです!流石に動きを真似するのは無理ですけど、殺せんせーの身体能力だから出来る体育ってずっと見てられるくらい面白いですし!」
「な、棗さーーーん!!!」
今度は感涙した。忙しい先生である。でも、棗の言ったことは本心だ。棗は基本的に嘘をつくのは苦手なタイプなのである。
「……よし。奴は放っておいて、授業を続けるぞ」
これ以上やりとりが長引けば授業時間が短くなると判断した烏間が言う。それに対して殺せんせーが抗議の声をあげているが、それをスルーし前原が烏間に質問を投げかけた。
「でも烏間先生。こんな訓練意味あんスか?しかも当の
「勉強も暗殺も同じこと事だ。基礎は身につける程役立つ」
基礎が出来ていないと応用することも出来ない。基礎が出来ていて損することはない。それは棗も理解している。興味があるかどうかは別として、だが。
「磯貝君、前原君、前へ。そのナイフを俺に当ててみろ」
「え、いいんですか?」
「2人がかりで?」
「そのナイフなら、俺たち人間に怪我は無い。掠りでもすれば、今日の授業は終わりでいい」
(あ、これ当たらないフラグだわ)
二次元が好きな棗は、そんなことを考える。そもそも烏間は防衛省の人間で、磯貝や前原含むE組生徒はほんの最近暗殺を始めたばかりの素人中学生なのだから、技術力の差というものがあるだろうし。棗は阿保だが、そういう現実的なことを考えられないわけでもなかった。
案の定、2人がかりでも全くナイフが当たらない。流石プロ。
「このように、多少の心得があれば素人2人のナイフくらいは俺でも捌ける」
そう言って、烏間は二人同時にかかった磯貝たちを軽くあしらった。こればかりは経験の差と言う他ないだろう。
「俺に当たらないようでは、マッハかさ20の奴に当たる確率の低さがわかるだろう。見ろ!今の攻防の間に奴は、砂場に大阪城を造った上に着替えて茶まで立てている」
烏間の言う通り、そこには砂で出来た立派な大阪城が聳え立ち、隣には着物に着替えて優雅に茶を立てる殺せんせーがいた。
「腹立つわぁ…」
「すごーい…!」
「棗ちゃんって殺せんせーのこと凄い褒めるよね…」
感嘆の声を上げる棗に、渚は思わずツッコんだ。
「クラス全員が俺に当てられるくらいになれば、少なくとも暗殺の成功率は格段に上がる。ナイフや狙撃、暗殺に必要な基礎の数々。体育の時間で俺から教えさせてもらう!」
そんな烏間の言葉に、生徒たちは皆真剣に耳を傾けている。烏間は厳格な雰囲気があって、どこか近寄り難い雰囲気もある。しかし、真面目で真っ直ぐな人間だ。恐らく今回の授業で、生徒たちの信頼を確実に得ただろう。
「烏間先生、ちょっと怖いけどかっこいいよね」
「ね〜。ナイフ当てたらよしよししてくれるかな〜」
「どうだろうね」
女子からの人気も高まったようである。倉橋たちの会話を聞いた殺せんせーは、戦々恐々としていた。
「烏間先生……ひょっとして私から生徒の人気を奪う気でしょう!!キィィ〜〜!!」
「ふざけるな。『学校が望む場合…E組には指定の教科担任を追加出来る』。お前の教員契約にはそういう条件がある筈だ」
烏間が投げたナイフを、殺せんせーはハンカチを触手に持ちながら受け止める。
「俺の任務は殺し屋達の現場監督だ。あくまでお前を殺す為のな」
「『奴』や『お前』ではありません。生徒が名付けた『殺せんせー』と呼んでください」
殺せんせーは、存外その名を気に入っているようである。標的と暗殺者とは言え、先生たち同士も仲良くなれればいいなと棗は思う。どちらも尊敬できるいい先生なので。
さて、教室へ戻ろうと踵を返した時、見覚えのある人間がそこにいた。
E組に来る前に同じクラスであった赤羽業である。同じクラスであったとは言え、彼とは話しかけられたら話すか、必要最低限の報連相くらいしかしたことがない。成績は特進クラスにも劣らない程優秀であるが、喧嘩っ早いのが玉に瑕。しかし、話してみれば案外話しやすい人間だし、悪い人じゃない…と棗は思っている。何せ棗は人を見る目がないので、実際カルマがどういう人間なのか…深いところまではわからないのである。
「あ、棗ちゃん。棗ちゃんも久し振り〜」
「うん、久しぶりカルマくん」
カルマは渚に声をかけた後、棗にも声をかけて来た。声をかけられたので、反射的に棗も返事をする。しかしカルマの意識は即座に棗から奥にいる殺せんせーの方へ移った。
「わ、あれが例の殺せんせー?すっげ、本トにタコみたいだ」
そう言いながらずんずんと殺せんせーの方へ近づいていく。
「赤羽業君…ですね。今日が停学明けと聞いていました。初日から遅刻はいけませんねぇ」
殺せんせーの顔が青くなり、バツ印が浮かぶ。カルマは苦笑を浮かべながら、「生活のリズム戻らなくて…」と言った。
「下の名前で気安く呼んでよ。取り敢えずよろしく、先生!!」
「こちらこそ、楽しい一年にしていきましょう」
カルマが握手の為に差し出した手を握った瞬間、殺せんせーの触手がドロォ…と溶けた。
「へぇ〜、本トに速いし…本トに効くんだ、このナイフ。細かく切って貼っつけてみたんだけど。けどさぁ、先生。こんな単純な『手』に引っかかるとか…しかも、そんなとこまで飛び退くなんてビビり過ぎじゃね?」
殺せんせーも、周りの生徒も唖然としていた。それはそうだ。今まで誰も殺せんせーに痛手を与えることが出来なかったのだから。
(おー…すご)
棗はアニメのワンシーンを見ているかのような気持ちでその光景を見つめていた。
「殺せないから『殺せんせー』って聞いてたけど……あッれェ、先生ひょっとしてチョロい人?」
カルマから煽られ、文字通り顔が赤くなっている殺せんせー。
これからどんなことが起こるのだろうと、少し面白くなって来てしまった棗であった。
ぷにょん、ぷにょん、という軽快な音が教室内に鳴り響く。殺せんせーが不貞腐れて壁を殴っている音だ。
ちなみに現在は小テストの最中。案の定岡野から『うるさい』と怒られていた。
「よォカルマァ。大丈夫かぁ?あのバケモン怒らせて、どーなっても知らねーぞー」
「またお家に篭ってた方がいいんじゃなーい?」
寺坂組がそう言ってカルマを煽るが、カルマの方も負けてはいなかった。
「殺されかけたら怒るの当たり前じゃん寺坂。しくじってちびっちゃった誰かの時と違ってさ」
寧ろ煽りに関してはカルマの右に出る者はいないレベルである。
「な、ちびってねーよ!!テメ喧嘩売ってんのか!!」
カルマに煽りに寺坂が声を荒げる。寺坂は煽り耐性がすこぶる低かった。
「こらそこ!!テスト中に大きな音立てない!!厳しい先生ならカンニングと見做されますよ!!」
先程までぷにょんぷにょんと音を立てていた殺せんせーが言えることではないと、恐らく全員の心の声が一致したことだろう。
「ごめんごめん殺せんせー。俺もう終わったからさ、ジェラート食って静かにしてるわ」
「ダメですよ、授業中にそんなもの。全く、どこで買って来て…ん?そっそれは!!昨日先生がイタリア行って買ったやつ!!」
(先生のなんだ。本場のジェラート美味しそうだな)
「あ、ごめーん。職員室で冷やしてあったからさ」
(それは下手したら窃盗では…ようわからんけど)
「ごめんじゃ済みません!!溶けないように苦労して寒い成層圏を飛んで来たのに!!」
よくわからないが、苦労して運んで来たようである。ちなみに成層圏が何なのかくらいはわかる。
「へー……で、どーすんの?殴る?」
「殴りません!!残りを先生が舐めるだけです。そう、ペロペロと……」
殺せんせーがカルマの席へ近づけば、再び触手が弾けた。対先生BB弾が床に撒き散らしてあったのだ。
「あっはー、まァーた引っかかった。何度でもこういう手使うよ。授業の邪魔とか関係ないし。それが嫌なら…俺でも俺の親でも殺せばいい。でもその瞬間から、もう誰もあんたを先生とは見てくれない。ただの人殺しのモンスターさ」
カルマはそう言いながら殺せんせーの服にジェラートをぐりぐりと擦り付けた。そしてジェラートを掴んでいた手を離して、ジェラートは重力に従い地面へボトリと落ちる。
「あんたという『先生』は…俺に殺されたことになる」
(えっ……食べ物粗末にした……?)
「はいテスト。多分全問正解。じゃね、『先生』。明日も遊ぼうね!」
棗の中でのカルマの株が少し下がった。棗は食べ物を粗末にする人は好ましく思えないのである。
そして迎えた翌日。
「……何これ」
学校に行ったら、教卓にタコが磔になっていた。
「あー、それね。俺がやったんだ〜。あの先生にとってタコはトレードマークらしいからね」
「…ふーん、そう」
笑みを浮かべて言うカルマに、棗は真顔でそれだけ返した。
よくもまぁ、こんなことが出来るものだ。しかし、自分が言ったところで彼には響かない気がする。やはり彼を変えられるのは殺せんせーだろうと思うので、棗はそれ以上何も言わなかった。
そしてHRの時間になり、殺せんせーが来た。教室はお通夜モードである。
「あ、ごっめーん!殺せんせーと間違えて殺しちゃったぁ。棄てとくから持って来てよ」
棄てる、だなんてまた随分な言い草である。確かに自分たち人間にとってタコは生きる為の食糧だが……流石にそういう扱いは良くないだろう。
殺せんせーは「わかりました」と言い、タコをカルマの元へ持っていく。かと思えば、触手がドリル状になり、どこから取り出したのかその手…否、触手にはミサイルが握られていた。
そうして出来上がったのが、何とも美味しそうなたこ焼きである。
(おいしそ…)
「その顔色では朝食を食べていないでしょう。マッハでたこ焼きを作りました。これを食べれば健康優良児に近づけますねぇ…はい、あーん」
(私も食べたいな…)
棗は隣の席をじっと見つめる。
「先生はね、カルマ君。手入れをするのです。錆びてしまった暗殺者の刃を。今日一日、本気で殺しに来るがいい。その度に先生は君を手入れする。放課後までに君の心と身体をピカピカに磨いてあげよう」
そこからは暗殺を試みる度にネイルアートを入れられたり、フリフリのエプロンドレスを着せられたり、髪型を整えられたり。珍しいカルマの姿をたくさん見ることが出来た。棗はカルマの顔を多くは知らないのだが、恐らくレアな表情なのではなかろうか。
そして放課後。どうなるか少し気にはなるが、まぁなるようになるだろうと思ってこの日はすぐに帰路についた。
後日見たカルマは、棗から見ても分かるほど憑き物の取れたような面持ちをしていたので、きっといい方向に向かったのだろうと思う。
それはそれとして。
「ねぇカルマくん。ちょっといいかな」
「あれェ、棗ちゃんから声かけてくれるの珍し〜。どったの?」
棗はカルマに言いたいことがあった。
「食べ物は粗末にしたらダメなんだよ」
そう、ただこれのみ。けれどどうしても伝えたいことだ。カルマはポカンとした表情で棗を見つめている。まさかそんなことを言われるとは露ほども思っていなかったのだろう。
「ジェラートとタコ!食べ物は私たちの身体を作るもので、命を戴いてて、誰かが一生懸命育てたり料理したりしたものなんよ。だから粗末にしちゃダメ!食べ物粗末にする人間はロクな大人にならんよ!」
「う、うん……ごめん……?」
「私に謝ってもしょうがないじゃん!心の中でちゃんと食べ物とか色んな人に謝らんと……あ、殺せんせーにはちゃんと謝った!?まだならちゃんとせんと!!」
「は、はい…」
今まで見たことがない棗の剣幕に、カルマは思わず敬語で返事をしたのであった。
皆さんは食べ物を粗末にしないでください。