第一志望の受験が無事終わり、次に来るイベントはバレンタイン。今まであまり縁がなく、家族や親友という限られた相手に感謝を込めて作るくらいしかした事がなかった行事である。
今年は一年共に頑張ってきたクラスメイト全員分と、支えてくれた先生達……あとは本校舎の友達約3名に贈ろうと意気込んでいた。作る量が多い事もあり、同じ枚数でもただ溶かして固めるより量産しやすい生チョコトリュフをチョイスした。そして。
「……浅野くんは、甘いのって大丈夫なのかな……それに、私の事……好きって、あんなに真剣に伝えてくれて……」
なんとなく、他と違うものを作った方がいいような気がして。学秀にはガトーショコラを作る事を決めた。
作業に勤しみながら、ぼんやりと考えなから独り言ちる。
「私の事好きって言ってくれてるけどどこまで考えてるんだろ」
もし彼と恋人になったら、一体どうなるのか。恋人として付き合う事は容易ではない。安易な気持ちで付き合う事は出来ないのだ。恋人になったとして……それはこの先高校に進学して、大人になってからも続く関係なのだろうか。
「浅野くんと恋人になるなら……ずっと一緒にいられたらいいよなぁ……」
そこまで口にしてはた、と気づく。チョコを刻む手が止まる。
「……ん?あれ?おかしくない?私今……」
当たり前のように恋人になった時の事を考えた。そしてその先の事も。
「今結婚の事考えたよね私!!え、ちょっと待って何!?重!!え!?!?」
誰もいないキッチンで一人悶え始める。
「こんなんあれじゃん……好きでしかないじゃん……!!私、浅野くんの事大好きじゃん……!!」
ひえ〜!と頭を抱えながら叫んだ。そもそも一人だけ別のものを作ろうとしている時点で、それはもう完全に本命チョコとしか言い様がないという事実に気がつき更に悶えた。
「はぁ無理……無理……」
暫く一人で百面相をして落ち着いた後、チョコ作りを再開した。それでも頭の中は「私は浅野くんが好き」という事実に埋め尽くされている。勘弁して欲しい。こちとら恋愛免疫がないのだ。
完成した生チョコトリュフも焼き立てのガトーショコラも、しっかりと味見をする。
「……美味しい」
我ながら上手いこと出来たと思う。
「浅野くん、喜んでくれるといいな……」
バレンタイン当日。
「なー岡野、これ受け取ってくれよー!!」
「うるさい!!」
何故か前原が岡野にチョコを渡そうとしていた。いや、そもそも欧米では男性から女性へ贈り物をするのが主流のイベントなので別におかしくは無いのかもしれないが……ただ前原が物凄く必死なのが気になるし、岡野が不機嫌なのも気になる。岡野が短気なのは今に始まった事ではないのだけども。
「虎男、どしたんあの二人」
「昨日『男女が二人で仲良くしてれば先生は絶対に覗きに来るからそこを狙おう』って作戦やったんだけどな。一緒にいた岡野にそれを話してなくて怒らせちまったんだよ」
棗が近くにいた岡島に問えば、昨日作戦に参加したらしくそう教えてくれた。
「? それで、なんで怒ってるの?」
「岡野は策略とかに巻き込まれるの嫌いだからなぁ。あとは、純粋にバレンタインのチョコを渡そうとしてたのにそれを利用されたのがよっぽど癇に障ったんだな」
「……ふーん。なんかよく分かんないけど複雑なんだね」
「お前乙女心とは程遠いよな。俺もよく分かんねーけど、自分の気持ち利用されるのが嫌なのはなんとなく分かるぜ」
「まぁ、確かに信頼してる人からされるのは嫌かも……?」
それでもあまりしっくりは来なかった。前原は悪い人ではないし、自分がやってしまった事をきちんと理解している筈だ。当然反省もしている筈。誠心誠意謝ってくれたら棗ならあっさり許してしまいそうなものである。岡野とは決して仲が悪いわけではないが、クラスメイトの中でも特に価値観が違うのでよく分からない。
まぁ別に棗が気にしたところでどうにもならないし、気にしなくてもどうにかなるだろう。棗はすぐに興味をなくした。
「あ、そんな事よりこれ」
「そんな事よりってお前……。!! こ、これは……ッ!!」
「生チョコトリュフだよ。クラス皆の分作ったんだー。虎男にもあげる。いつもありがとね」
「うおおおお……!!!」
何故か歓喜に打ち震えている。そんな大したものではない筈だ。チョコひとつで大袈裟な……しかし喜んでくれているようなので気にする必要もないと思い直す。
棗はそれからもクラスメイト達に片っ端から声をかけまくりチョコを渡して行く。
「コータローくーん、ハッピーバレンタイーン。いつも仲良くしてくれてありがと!これチョコ」
「あぁ、ありがとう歌さん」
「渚くん、ハッピーバレンタイン。いつもありがとね。はい、チョコ」
「棗ちゃん。ありがとう」
「カエデちゃんハッピーバレンタイン!」
「わ、トリュフだ!ありがとう棗ちゃん!」
「寺坂くん達ー、ハッピーバレンタイン!!」
「おー、サンキューな」
「これ私の分もあんの?」
「うん、クラス全員分作った!!」
「殺せんせー、ハッピーバレンタイン!!これチョコです!!いつもありがとうございます!!」
「えっ、先生にもくれるんですか!?ありがたや……!!」
殺せんせーはまた給料がピンチらしく、思いの外喜ばれた。あと棗のチョコなら100%毒無しという確信があるからというのもあるらしい。
それからも烏間やイリーナなど、教師陣も含めて全員に渡して行く。前原と岡野は二人の問題が落ち着いてから渡す事にして後回しにした。二人の問題が解決したのは昼休みの事である。
そして本命の放課後がやって来る。
「浅野くん、お待たせ……」
「待つ時間も好きだから大丈夫だよ、歌川さん」
学秀は最早会えば口説いてくるのがデフォルトとなっていた。それでも慣れない。
「……あのさ」
「ん?」
後になればなるほど渡しづらくなりそうで、棗は今この場で渡してしまおうと声を出す。
「今日……バレンタイン、だから。これ……」
おずおずと紙袋を差し出した。持ち帰りやすいようにと学秀用に用意した持ち手のついた紙袋。
「!! 僕に?」
「う、うん……浅野くんなら他にもたくさん貰ってるかもしれないけど……」
「ありがとう、歌川さん。……とても嬉しい」
嬉しそうに微笑む学秀は紙袋を受け取ると、大事そうにそれを見つめる。
「僕からも渡したいものがあるんだ」
「え……浅野くんから?」
「うん。よかったら受け取って欲しい」
学秀が鞄から取り出したのは、いかにもお洒落で高そうなデザインのボックス。
「え、す、凄い高そうだよこれ……本当に貰っちゃっていいの……?」
「受け取ってくれ。そうしてもらえた方が嬉しい」
「う、うん……ありがと……」
ボックスには『LAD○REE』という文字が入っていた。その辺りに関しては全くと言っていいほど知識がないので知らないブランドだが、絶対に高級ブランドである。果たして中学生の小遣いで買うようなものなのだろうか。ともあれ、気持ちはとても嬉しい。
「……あの……浅野くん」
「どうかした?」
「その……わ、私……それ……義理とか、友チョコとかじゃ、ないんだ……」
「……え」
学秀の目が驚きで見開かれる。緊張しながらも、何とか言葉を絞り出す。
「え、えっと、その……だ、だから……本命チョコっていうか、ね……」
「……それは……君が僕の事を好き、という事?本当に?」
「あ、あう……」
直球で尋ねられてしどろもどろになってしまった。仕方がない、棗は恋愛初心者の中の恋愛初心者なのだから。言葉にならない声を上げていたら、すっと頬に手が添えられて「ぴょえっ」と声をあげながら肩を揺らす。
「教えて。君の口から聞かせて欲しい」
頬から唇へ流れてくる指先。真っ直ぐに射抜いてくる瞳に、脳味噌が沸騰するどころか湯煎にかけたチョコのように溶けてしまうのではないかと思った。
「う、あ……す……好き、でしゅッ……」
大事なところで思い切り噛んだ。
「ぅあー!か、噛んだ〜!死にたい……」
そして爆発して即萎んだ。
「大丈夫だよ。噛んでる君もとてもかわいくて好きだから」
「そ、そーいうのはやめてくれー!!耐性ないんだ!!心臓に悪いし脳味噌爆発するー!!無理ー!!」
うわああ、と心の叫びをぶちまけた。脳味噌もずっと溶けてしまうのではないかと思うくらいぐちゃぐちゃだし、顔も耳も真っ赤だしで、もう訳の分からない状態に陥っている。棗のそんな姿でさえも、学秀は愛おしそうに見つめていた。棗が初恋相手だと言っていた筈なのにこの余裕は一体なんだと言うのだ。
「僕は君がかわいすぎて爆発しそうだよ、棗ちゃん」
挙句、学秀のトンデモ発言が炸裂する。
「ワーーーーーッッ!!?エ!?何!?浅野くんそういうこと言う人……!?あと君ちゃん付けキャラじゃないやん……!!え、何なん!?は!?」
などと喚き散らすが、学秀が動じる事はなく。
「君が告白をしてくれたという事は……恋人になってくれる?」
挙句の果てには最終確認までしてくる始末。
「う、うう〜〜…………な…………なる…………」
声は控えめになってしまったものの、棗はついに承諾の返事をした。
「……かわいい。キスしてもいい?」
「早すぎる!!!もっと段階踏んでよ〜〜!!!」
初手から色々ぶっ飛ばして来た学秀に、棗は思わずツッコむ。
「……段階?」
「そうだよ!こういうのって、デートして、手を繋いで、……って、そんな感じで最後にき、キスでしょ!」
「……デートはしたし手も繋いだと思うけど」
「そうでした!!」
「はは、冗談だよ。……キスしたいのは本当だけど、無理強いしたいわけじゃないから。その代わり……抱き締めても構わないかな」
「……うん。それなら……いいよ」
「ありがとう」
ふわり、と優しく抱きしめられる。ただでさえ小柄な棗は、高身長の部類に入る学秀の腕の中にすっぽりと収まってしまう。
(ひえぇ……浅野くんいい匂いする……)
女の子の花のような香りとはまた違う、清涼感のある香り。イケメンは香りまでイケメンだとでもいうのか。
思考が溢れすぎて、いっそ目眩を覚えそうだ。
それでも、棗は行き場を失いかけた自身の腕を、学秀の背中へ回した。すると、ぎゅう、と棗を抱きしめる腕に少しだけ力が込められる。
(……そう言えば学校だよなここ……)
今更ながらそう思う。それでも、離れようという考えは浮かばなかった。暫く抱き締め合い、やがてすっと身体が離れて行く。
「……帰ろうか」
「……うん」
少し名残惜しいと思ってしまった。ドキドキして心臓に悪いけれど、触れ合っていると温かくて心地がいいとも感じる。
(好き、って事……なんだよな……)
そう思う度に顔に熱が集まりそうになる。と言うよりは、既に顔が赤いのだけども。
「棗ちゃん」
「なな、っ何?というかその、なんでちゃん付けなの……?浅野くんって女の子の事ちゃん付けしないよね?……多分」
本校舎とはほぼ縁がないせいで彼が他の生徒と話す場面を見た事はあまり多くはないのだが、近しい相手ならば例えば五英傑のように呼び捨てをしているのは知っている。体育祭の棒倒しの際、クラスメイトの男子を苗字で呼び捨てにしていたのも聞いた。そして棗の事は当初から「歌川さん」と呼んでいたので、女子生徒に対してはさん付けしている可能性が高い。
「しないね」
やはりしないらしい。
例え棗に対する呼び方が変わったとしても、てっきり「棗」と呼び捨てになるのだとばかり思っていたのに。
「君の事を呼び捨てにするのはなんとなくしっくり来なくてね。でも、棗さんと呼ぶのも何だか距離があるように思えて」
「そ、そうなんだ……」
棗も感覚で相手の事を呼ぶので気持ちは何となく理解出来る気がした。
「それと……棗ちゃんも僕の事を名前で呼んでくれたら嬉しい」
「えっ。あ、うん……えっと……学秀くん……?」
「何?棗ちゃん」
(バカップル!!!!)
あまりにもやり取りがバカップル過ぎる。だけど学秀はとても楽しそうだ。二学期が終わる前までツンツンしていた彼とは思えない姿である。
「学秀くん……あの……」
「ん?」
「……だいすき」
学秀の目を見て再度はっきりと伝えた。
「その……これからよろしく……」
最後は恥ずかしくて目線を逸らしてしまったが。
すると突然学秀が足を止める。不思議に思い、棗も足を止めて彼の方を振り返った。
「……棗ちゃん」
「う、うん。何?」
「結婚してくれ」
一瞬思考が停止した。今しがた放たれた言葉が頭の中で反芻する。結婚してくれ。……結婚してくれ?
「えっ、なななな何!?!?っけ、結婚!?!?聞き間違い!?!?」
「聞き間違いじゃないよ」
「聞き間違いじゃなかったかー!!」
聞き間違いではなかった。交際を始めたその日に求婚されるだなんて予想だにしなかった。というか、そんな事誰が予想出来るものか。
「私達中学生だよ!まだ法的に結婚出来る年齢じゃないよ、気が早いよ〜!」
「じゃあ、結婚出来る年齢になったらしてくれる?」
「んぇ!?そ、それは……まぁ……それなら……」
承諾してしまった。少し嬉しいなどと思ってしまった自身を我ながらチョロすぎると思ってはいるものの……そもそも棗自身チョコ作りの際に結婚の事を思い浮かべてしまっているので人の事を言えない。
その事に関しては……学秀には暫く内緒にしておこうと決めた。
LAD○REEはマカロンの高級ブランド、らしいです。
マカロンを贈る意味は「貴方は特別な人」。
ちゃん付け解釈違いな人もいるかもですが、特別な相手にだけちゃん付けする浅野君を見てみたかったんですよね。基本下の名前か苗字呼び捨てor苗字さん付けしか見た事がないので……もっとおもしれー男にしたい。