桜の下で生きたい   作:空田空

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書き溜めてた雑文を投げていきます。


いっしょう

 

 私は冬が好きだ。寒さで心の痛みを誤魔化せるから。

 

「ねぇ、お姉ちゃん。」

 夕焼けに染まる部屋で、私はお姉ちゃんに話しかけた。窓から差し込む橙色の光が、お姉ちゃんの髪を淡く照らしている。

 「ん? どうしたの?」

 お姉ちゃんは振り向き、優しく微笑んだ。私は少し息を吸い込んでから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 「もし、私が今の私じゃなくなったら……お姉ちゃんは、それでも私のことを好きでいてくれる?」

 一瞬、部屋の空気が静まり返った。カーテンが風に揺れる音だけが、静かに響く。

 「……何それ? いきなりどうしたの?」

 お姉ちゃんは困ったように首を傾げる。でも、私はどうしても聞きたかった。

 「例えば、私の声が変わったり、性格が違う人になったりしたら、それでもお姉ちゃんは私を私だと思ってくれるの?」

 お姉ちゃんは少し考えるように視線を落とし、それからゆっくりと口を開いた。

 「うーん、そうだね。たぶん、最初は戸惑うと思う。でもね、どんなに見た目や声が変わっても、私はちゃんとわかるよ。」

 「……ほんとに?」

 思わず疑うような声が出る。お姉ちゃんはクスリと笑って、私の頭を優しく撫でた。

 「だって、私はずっと一緒にいるんだから。言葉の端々や、仕草や、ちょっとした癖、そういう全部があんたなんだもん」

 お姉ちゃんの言葉は、まっすぐに心に響いた。胸の奥がじんわりと温かくなる。

 「……そっか」

 それなら、大丈夫。

 私が私であり続ける限り、お姉ちゃんはきっと、私を見つけてくれる。

 

 

 私、空々空(うつからくう)は孤独だ。

 我ながら親のこのネーミングセンスを疑うが、奇しくも似たような境遇に陥ってしまい呆れる、というより、むしろ尊敬の念の域にまで達している。

 そう、私はとても寂しい。それはもう、同じ孤独をうさぎに与えてしまったらどうなるかは想像にかたくないほどに。だから私はこう考えた。

「それじゃあ、吐きたくなるくらいに重い想いを与えてくれる人を探せばいいのでは!?」

 しかし現実は非情である。私の思いを都合よく感じ取ってくれる人はいないし、私がこうなってほしいと思うようには上手くことが運ばない。

 その全てを当たり前だ、と冷たく一蹴できるほど私は強くない。

 なにせ私は優しいから。

 友達が誕生日の時には、前もって何気なく欲しいものを聞き出してプレゼントするし、さりげなくして欲しい事、言って欲しい事とかがあると気づいたらすぐにその望みを叶えてあげるし。

 その優しさのせいで友人たちからは一歩、線引きされている事にじわじわと気がついていき、自己嫌悪の波に揺蕩う。

 そう、私は言わば都合の良い存在なのだ。

 必要な時に現れては利用され、不要な時にはなぜか鉢合わせない。自分でも哀しい存在だ、と分かってしまいなぜ、と嘆く。

 そんなことを考えながら私は歩き続けている。平日の真昼に制服でまるでゾンビのように都会の街を歩いている。まるで要素を詰め込み過ぎて何を表現したいのか分からず酷評される映画のようだった。白昼堂々周りから白い目で見られている事にも構わず淡々と私は歩みを進める。いや、もう足を意識的には止めているのかもしれない。慣性で動いているだけだ、と説明した方が腑に落ちる。しかしそんな慣性で動いていた足も必然的に止まる。止まらないと私が永久機関になってしまうから。

「ん?なんだ?こんな所にカフェってあったっけ?」

 私の眼前には見た覚えも聞いた覚えもないカフェが建っていた。経年劣化なのか、そういうデザインなのかは定かではないが、少しばかりの蔦で覆われている。どことなく老舗の匂いを漂わせる事が設計者の目論見だろう。

 私が1つ確実に言えるのは全国展開していない、ということ。

「ヤンデレカフェ...?」

 こんな喫茶店があるならば必ず私の耳に入ってくるはずだからだ。

 英語で書かれており、何故かYが大文字でなく、Rが大文字であった。

 そんなことなど私の思考に関与せず、その店を見て、「これだ!」と直感した。

「これで私の欲望を思うがままに...!!」

 ぐははは、と真昼に一人、路上で不審げに笑っている私の背中に1つ、声がかかる。

「あのー、そこ邪魔なんでどいて貰えます?」

 反射的に私はすぐさまどく。

 肩まで伸びている髪はまるで夜空を映したかのように深く澄んでいた。光による髪のツヤがまるで夜空に浮かぶ月のようで、確かにそこにはあった。太陽に隠れながらも蒼天に溶け込む真昼の月が。

 風がそっと撫でる度に波のように揺れた。

 まるで古い詩から抜け出してきたかと思ってしまう彼女の手を私は掴んだ。

 私に手を掴まれた彼女は幽霊を見たかのように、こちらを凝視している。

「大好きです。結婚してください」

「はいはい、ありがとうございます...って、えぇぇ...!?ちょっと!?」

 そうして私はその麗しいお嬢さんの手を引き連れ、目の前にあったヤンデレカフェなる喫茶店へと足を踏み入れた。

 

 

「あ、あのー。先程は...」

 その後彼女の手を掴み目の前にあった店へと連れ込んだ私は一旦冷静になり、おかしな行動を取った事に気づく。

 女子高生と思われる彼女は手を掴んだ時の慌てふためいている姿とは打って変わって、非常に落ち着きのあるものとなっていた。

「いや、別にいいよ謝らなくて。ああいうのは別に慣れてるし。それよりもなんか注文したら?」

「え?けどあの店員が水くれたよ?だからしばらくは飲み物は大丈夫だと思うんだけど」

「は?え....それは店側が親切心で出してくれているだけであって、普通は飲み物とか、食べ物とかを注文しなきゃいけないでしょ」

 彼女は心の底からの困惑を表情に出し、私に説明する。

「え、そうなの?私はてっきりごゆっくりと、って言われたから別にいいのかと思ってた」

「アホなの?そんなの方便だよ。君って絶対に京都とか行かない方がいいと思うよ」

「それ酷くない?私に対しても、他の方に対しても」

「確かに」

 彼女は納得したかのように口を噤んだ。

「にしてもそんな堅苦しい暗黙の了解?みたいのに従って楽しいの?」

 私は率直に思ったことを述べた。すると彼女は怪訝そうな顔つきでこちらを見つめ直す。

「いや、楽しいか楽しくないか、では決めてないよ。周りがそうするから何となく自分もそれに従う、みたいな感じ」

「ふーん、そうなんだ。じゃあそこに自分の意思はないんだ」

「うーん。確かにそう言われるとそうかも。流されるままに、って感じだね」

 彼女はあざとく人差し指をその綺麗に彩られた唇に当て考える素振りをしていた。

「いいね。そういう生き方」

「は?急になに?人でも変わった?」

「自我がまるで無いみたいな生き方。私はそんな生き方をしたいとは思わないけど」

 私は一旦口を閉ざし、冬の朝の霜のように冷たいグラスを手に取り、口にする。彼女は変なものを見るようにこちらを覗いている。

「うん、その行く末を見てみたい」

「そう言われると怖いんだけど」

 彼女はそうして自分の身体を守るように両手で自分を抱く素振りをする。

 私は自分の思いが伝わらなかった事に気づき、話題を変える。

「それにしても暑いね。久しぶりに外出たよ」

 汗がじっとりと滲む。ワイシャツはその湿気を吸い込んでまるで皮膚の一部になったかのように体にぴったりと張り付いている。

「もしかしてあんま外に出ないの?」

「うん、あんまり外には出ないかな、もう」

 そう私が答えると目の前の彼女は顔を伏せ、わずかに悲しげな表情を浮かべた。

 こう言う時はどう言えばよいのだっけ

 そんな事を頭の中で考え、思いついた言葉を口にする。

「どうしたの?私で良ければ話聞くよ」

 すると彼女は人が変わったかのように悲しげだった表情を歪ませ、顔を上げた。

「あんたじゃだめに決まってるじゃない」

 その顔には悔しさや怒り、悲しさなどの様々な感情が込められているようだった。

「え」

 思っていた応えと違っていたため、私は柄にもなく情けない声を出す。

「なんでよ!?せっかく目の前にちょうどいい存在がいるんだから使いなよ!不満溜め込んだらストレス溜まって負の連鎖じゃん。そうなるよりかは私で妥協した方が良くない?」

 思いがけず感情的になってしまった声を諌めるかのように小学校の教師の諭すような話口調で話す。

 「確かに私じゃ力不足かもしれないけど、吐き出すだけでも気持ちは楽になると思うよ。それでも無理だと思うなら空中に話しかけなよ。私はたまたまその言葉を盗み聞きしてるからさ」

 私は精一杯の思いで彼女に言葉を紡ぐ。精一杯と言えば聞こえは良いが、本当は自分が頼られなかった事に対して納得がいかない、そんな稚拙で幼稚なエゴを吐いているだけだ。

 そんな歪な私の思いなんで知らない純粋そうな彼女はその美しい顔をあげる。

「最初の方で結構納得してたのに、盗み聞きとか言われたら空いた口も塞がっちゃうものだよ。もしかして君っておバカさん?」

「は...!?せっかく私がいい感じに先生ぽいことしてたのに。水を差すような真似は辞めて欲しいね。もしかして君って非モテさん?」

「ふーん、そんなこと言っちゃうんだぁ?そんな生意気な口叩いてもいいのかな?お、バ、カ、さ、ん」

「かっちーん!もう怒った。それはもう鬼の前でおにぎり食べちゃうくらいには怒りました!」

「ちなみにおにぎりと鬼の関連は後付けのようなものだからね。最初から鬼の魔除けのようなもののためにネーミングされたものじゃないからね。大丈夫?どバカさん?」

 彼女は感情的になっていた言葉をすぐさま冷静的な声色に変えて解説する。悔しいがその様はとても知的で、私の好みにピッタリだった。

「どうしたの?あ、言い返せなくて落ち込んでるのかな?ごめんねー。私ってば物知りなの」

「結婚して」

 先程の遠回しの表現なんて頭から抜けてしまったかのように私は直接的に話す。

「へ?」

 彼女は間抜けな顔を晒す。それは今まで見た中でも一番間抜けな顔だった。

「好き、結婚して」

「だから、どういうこと?」

「伝わらないかー、じゃあこうしてあげる」

 私はそうして机に乗り上げ彼女の耳元に自分の口を近づける。

「結婚を前提にお付き合いをしてください」

 そんな私の言葉がとどめになったのか、彼女はボーッとしたまま動かなくなってしまった。

 彼女に勝った、と言う勝利感に塗れ両腕を上にあげる。そして一つの視線に気づく。店員が一人こちらを冷たい視線で見ている。

「あのー、イチャつくなら外でやってもらっていいですか?」

 

 

 現在時刻六時前。店員に注意を受けてから早2時間以上経過している。彼女はショートしてから一度目が覚め、退店しようと促したが「疲れてる」と一言述べ、机に伏して寝てしまった。そんな彼女を店員が認めると「彼女、最近根を詰めているようだから、今日くらいは机貸切にしてあげる」と言い閉店時間まで入れることになった。しかし何も暇を潰すものを持っていない私にとっては苦痛でしかない。

 チッチッチッ、と秒針が絶え間なく音を奏でている。私の家の時計は連続秒針のため、最近この音を聞いていなかった。小学生の頃の授業中、早く校庭に飛び出したくてウズウズしていた時のようで少し居心地がいい。

 そんな懐古の泡沫を漂っていると、視界の端でもぞもぞと動き出した物が見えた。

「んー...良く寝た」

 そういい彼女は腕を上にあげ、身体を伸ばしはじめた。

「昼寝にしては随分と長いね」

「ん?今何時?」

「ちょうど6時」

 そう彼女に時刻を伝えると次第に表情が変わっていった。

「不味い、早く出ないと」

 そう言い彼女は席を立とうとする。しかし私はそれを手で制する。

「まぁまぁ待ちたまえよ。実はさっきそこの店員さんが閉店時間を迎えるまではここの席を自由に使ってもいい、って言ってたんだよ。だからもう少しゆっくりしてかない?」

 私がそう言うと、一瞬判断に迷いが生じたように動きが止まる。しかしすぐに再び身体が動く。

「店員さんがそう言っても私はそれじゃ納得出来ないの。他人にずっと甘えてたら自分がいつまで経っても成長出来ない気がする」

 そして彼女は席を立ち出口の方へと歩いていく。私は彼女とそれほど親しくないため、止める義理もない。少し惜しい気持ちはあるが、それで止めてしまっては自分が実に感情的な人間であることの肯定に他ならない。そう考え私は彼女のその背中を眺めていた。

「まぁまぁ、月白さん。僕は構わないからゆっくりしなよ。最近テスト勉強で疲れているんでしょう?」

 後ろから唐突に声がかかる。声の主の方向を見ると四半世紀は生きているであろうと推測される気前の良さそうな若い男性が立っていた。髪を整髪料でしっかりと整えており、とても好印象を持たせるような容姿だった。

「店長。けど、」

「いいんですよ。どうせ他に客はいないんですし、長居して貰っても構いませんよ。むしろそっちの方が喫茶店の様で良いではないですか」

 店長と呼ばれた彼は彼女を引き止めるよう話す。それに対して彼女は何かを言おうとして口を開く。しかしそんな間にいつの間にか店長の声が再び耳に入る。

「大方試験勉強が忙しい、と言って帰るつもりでしょう。優しいあなたですからこちらが気を遣っている、とお思いでしょうが本当に問題ないのです。うちは開業以来、一度たりとも赤字を見ておりません。ですから注文するお金がない、と言っても無駄足ですよ。そもそも水を提供した際に言ったではないですか。ごゆっくり、と」

 店長がそう言い私は「ほら!方便とかじゃなくて本当にゆっくりしてほしかったんだよ!」と子供のように声を大きくして彼女の背中に声をぶつける。すると彼女は鬼のような形相でこちらを睨みつける。

「あくまでそれは結果論であって、私の意見が間違っていることへの指摘にはならないわ」

「あ、確かに!頭良いね!」

 そう言い私は親指を上げ彼女を賞賛した。

 しかしそれが必ずしも好意的に捉えられるとは限らない。

「あのさー、馬鹿にしてるの?私はあくまで事実を言っただけ。当たり前の事を言っているだけ。それで褒められても全然嬉しくないんだけど。一と一の和が二であるのを言って普通褒められる?褒められないよね?私、高校生なんだけど。小学生だと思ってるの?」

 どこを見渡しても壁で、どこを歩いても出口がない迷路のように、八方塞がりになった。私が何を言おうと、彼女は必ず理屈付けて私を避難するだろう。

 私はどう答えるべきか、と悩んでいると店長が私の席の隣に立ち私の肩に手を載せる。まるで「あとは任せなさい」と言っているかのようだった。その安心さは父のように優しかった。

「まぁまぁ落ち着きなさい、月白さん。彼女は心から貴方の事を褒めているように私は見えました。そして恐らく彼ら彼女らもそう思っている事でしょう」

 店長はそうして後ろの方を指指した。そこには他の従業員達が厨房と思われる場所から覗き込んでいた。そしていたずらがバレてしまった子供のように一斉に隠れてしまった。

「月白さんの悪い癖ですよ。素直に賞賛を受け取れない、ということは。なぜそうなのか、ということは聞きません。あくまでそこはプライベートですから。しかし素直になる方が自分のためになる、ということを忠告させてください」

 そう言い、店長は頭を下げた。偉い人が下の立場にある人に頭を下げる、というのはないと、常識のように思っていたため、私は思わず口を開いたまま凝視していた。

 それに対し、彼女は少し納得がいかない、といった顔で不満そうに店長の下げられた頭を見ている。

「しかしそれだけだと納得出来ないです。素直になることがなぜ自分のためになることに繋がるのかが分かりません。十分な根拠が足りてません」

「それは私の経験から出た結論です。私は若いあなた達よりかは生きてますからね、それなりの説得力があるのでは無いでしょうか?」

「確かにそう考えられます。しかしそれは店長の人生においての結論です。私の人生ではないです。私のこれからの経験で素直になることが自分のためにならないことだってあるかもしれない。ゆえにその意見は実に主観的である、と判断せざるを得ません」

 その手厳しい評価を受けた店長は右手の指を顎にあて、少し下を向いて考える。数秒後には再び彼女と向き合っていた。

「月白さん、あなたは勉強が好きですか?」

「え?まぁ、好きか嫌いかで言えば好きに入ります」

「ふむ。それでは好きな教科はなんですか?」

 彼女は考える。

「えーと、理系の科目は好きです。日常に潜む謎を解き明かしてるみたいで特に理科が好きです」

「なるほど」

 そう言った後今度は店長が考える。

 その様がまるでチェスそのものだった。

 相手が駒を動かせば、こちらは次の動きを考える。そしてこちらが駒を動かせば、先程の自分と同じように相手も考える。ただひたすらチェックメイトのために。

「では、あなた。理科四科目の中では何が好きですか?」

 いきなり私に質問が投げかかってくる。

「え?え、と」

 唐突のあまり私の頭の中は真っ白になった。私が答えに詰まっている事に気づいた彼女は助言を挟む。

「化学、物理、生物、地学よ。まさか、地学のことを忘れていた訳じゃないわよね?地学は地球の歴史、更には宇宙の歴史まで学べるとてもいい教科よ。それに」

 淡々な話から段々と感情を帯させ、情熱的に地学への思いを語っている彼女を後目に私は考える。

 如何せん文系のため理科とはあまり縁がない。しかし文系だからといって社会の科目や国語が特別出来る訳でもない。分かりやすく言うと、私は勉強が苦手だ。そのため好きも嫌いもあまりない。

  (どうしよう)

 相も変わらず彼女は地学への熱い思いを吐き出しているが、店長は私の方をじっと見つめ、答えを待っている。

 (早く答えないと)

 私は心の中で焦る。たったの四択。いや、複数選択が可能だったら何択だ?と私は頭の中で樹形図を書き、本筋から逸れた事をする。

 ふと、頭の中で思い出す。それは幼い頃母と遊んでいた頃の記憶。家で紙飛行機を作り、それがあまりに会心の出来だった。そのため飛びすぎるあまり、家では壁にぶつかって満足に飛ばせないと思い、母を連れて公園に行った時のこと。

「ままー、見ててね!くうの飛行機今回は上手く出来たの!だから空に飛ばしたらアメリカとかまで行っちゃうんだよ!」

「あら、そうなの?それじゃあくうちゃんギネス取れちゃうね」

 そう言い母は微笑み、私が飛行機を飛ばすのを待っていた。

 そして私は足元を踏みしめ、ゆっくりと助走をつける。心の中でわずかな期待が膨らみ、思い切りその小さな紙飛行機を投げる。手から放たれたその瞬間、空気が静まり返り、まるで時間さえも息を呑んで見守っているかのように感じられる。紙飛行機は、軽やかに空を舞い上がり、その薄い翼は、まるで生きているかのように風に乗ってひらひらと広がる。その姿は、まるで天を翔ける羽根を持った鳥のように優雅で、無重力のように空を漂う。風はその翼をそっと抱き寄せ、まるで彼を故郷の大空へと帰すかのように、優しく導く。紙飛行機は、その広がりを意識することなく、軽やかな旋回を繰り返しながら、まるで自分が空の一部であるかのように自然に動いていく。時折、風の力で羽ばたき、時折、穏やかな旋回を織り交ぜながら、その小さな体は、力強さと繊細さが交錯する軌跡を描き、空に線を引いていく。まるで、風とともに生まれ、風とともに生きるかのように、どこまでも遠く、どこまでも高く飛んでいくその姿は、まるでこの世界を駆ける自由な魂そのもののようだった。空は夕陽の赤が広がり、まるで世界がひとときの夢に包まれていくようだった。薄紫の雲が空に浮かび、その隙間をひとしずくの赤い光が穿つ。紙飛行機はその光の中を漂い、まるで夢の中にいるように、空の広がりを無心で受け入れている。風がそっとその背中を押し、あたかも永遠の時間が流れていくかのような感覚を与えてくれる。彼は空の中で何もかもを超越し、まるで光と影の狭間を駆け抜けるように、その小さな体が無限の広がりに溶け込んでいく。

 という訳もなくすぐさま地面に堕ちた。

 堕ちた、という事実に私は直ぐには気が付かなかったと思う。紙飛行機の出来と結果のギャップを受け入れられなかった無の時間があった。その間に母は私の元へ近づき私の頭を何も言わずに撫で始めた。少しの時間が経ってから私は、慰められているのだ、と言うことに気づき泣き喚いた。

 やがて私が泣き止むと母は風に飛ばされること無く地面に張り付いていたかのような飛行機を地面から持ち上げ私の目の前に持ってきた。

「ねぇ、くうちゃん。くうちゃんはこの飛行機が凄く上手く出来たって言ったよね?」

 私は首を縦に振りながら先程まで流れていた涙を拭くように服の袖を濡らす。

「確かに私から見てもこの飛行機は上手く出来ているわ。じゃあなんで直ぐに落ちちゃったんだろう」

 しばしの時間私は考え、やがて結論が出たかのように涙を拭っていた右手を下ろし、答える。

「わかんない」

 そう答えた私を認めると母は笑った。それは決して嘲笑うかのような笑いではなく嬉しさから来るような笑いだった。

「それはね投げ方の問題なの」

「なげかた?」

「そう、投げ方。くうちゃんさ、さっき遠くに飛ばそう、遠くに飛ばそうってばかり思ってたでしょ」

 考えてた事が母に筒抜けだったことが恥ずかしく私は赤面した。そしてどうして考えていた事が分かったんだろう、と疑問を持った。

「ふふ、当たっているようね。なんで当てたか分かる?」

「ままがまほう使いだから」

 そう私が真面目に答えると、一瞬母は気が抜けたようなおかしな顔をした。しかしすぐさまその顔に笑顔が咲いた。

「確かに、魔法かもね。けどね魔法ってものは知識や技術に布がかかっているだけなの。だから結局魔法なんてものはなくて、そう思っていたものはすべて知識だったり技術なの」

 ファンタジー小説とかを好んで読んでいた私にとってその言葉はとても残酷なものだった。なんで魔法を否定するのか。それではまるで私の一部を否定しているではないか、と。だから私はムキになって反論した。

「けど、くうにとってはそれはまほうだと思ったの。だからまほうじゃなくて知識だって言うんだったら、どうやったら知識だ、って思えるの!説明して!」

 実に感情的で論理の欠片も無い稚拙な反論。しかし母はそんな私の意見に対して対等な目線、立場で考え、答える。

「それはね、勉強する事なの。くうちゃんも最初はテレビの付け方を知らなかったよね?けど今は付けることが出来る。そうでしょ?」

 私は再び流れそうな涙を頑張って抑えて、頷く。

「それは私やパパから学んだからなの。だから今は普通にリモコンを取ってテレビを付ける事が出来てる。あぁ、たまに休日の早朝にも付けてるね?」

 バレていないと思っていたたため、私は酷く驚いた。

「ふふ、別に怒ってないわよ。それは成長した証なんだから。なんで成長できたか。その正体が勉強。さっきの例えで言うとかかっている布を取ろうとすることが勉強ね」

 理解しようとして私は下を向き一生懸命頭を働かせ考える。そして理解したと同時に勢いよく顔を上げた。そこには沈む夕陽が最後に残したかのような美しさを纏っている母が待っていた。

「勉強すればまほうも知識になる。それじゃあ勉強すればまほうは消える」

「そうね、悲しいことかもしれないけれど、現実はそうなの。けれどね、こうも考えられるわ。まだ勉強してる途中の子供たちにとっては物知りな人は魔法使いなんだって。そう、くうちゃんが私を魔法使いだ、って思ったみたいにね。魔法はないけれど魔法使いにはなれるの」

 さっぱり訳が分からず私は子供ながらに頭を抱えた。

「けどくうのなかではまだ、まほうだよ?」

「ふふ、それじゃあ紙飛行機が飛ばなかった理由を説明するために私がくうちゃんの真似を最初にしてみるわね」

 そう言い私は手の中にある紙飛行機を母に渡した。

「それじゃあ見ててね」

 そして母は助走をつけ、飛行機を飛ばす。真下に。

「分かった?くうちゃんは遠くに遠くに飛ばそうと力を込めすぎて、ちゃんと方向を定めきれて無かったの。その結果真下に投げちゃって直ぐに落ちちゃったの」

「じゃあ前に真っ直ぐにとばせば遠くにとぶってことだね!」

 私は自分が上手く紙飛行機を飛ばせなかった理由を知り、そして反省し、改善策を考えた。しかし母は正解、とすぐには言わなかった。

「それじゃあ花丸はあげられないわね」

 私は「えー!」と声を出す。自分の中で勉強し、その結果を言ったつもりだが、思った通りにいかず落ち込む。

「真っ直ぐではなく少し上に飛ばすのが花丸よ」

「えー、なんで少し上に飛ばすの?まっすぐにとばした方が絶対ビューン!ってとんでくよ」

 そう私が言うと母は片目を瞑り私の唇に人差し指を当て口を開く。

「私は魔法使いなの」

 子供ながらに、こちらがまだ知らないことが多い幼い人間であることを利用して上手く躱された、と思って、私は母を煽る。

「えー、本当は知らないんじゃないの?」

 すると母は少し神妙な顔つきで私の言葉を受け止める。

「私はね、物理学者なの。だけれど私にも知らないことはある。しかし私の知らないことを知ってる人もいる。つまりは私の中にも魔法使いはいるの。だから」

 そう言って母は少しばかり口を噤み、数秒置いて口を開く。

「私をくうちゃんの魔法使いで居させてくれないかな?そしてくうちゃんも誰かの魔法使いになってあげて」

 この言葉から数年後、私が魔法使いを目指す理由は無くなった。

 それは空の涙が大地を覆うような土砂降りの日だった。

 

 

「あんた、大丈夫?」

 懐古との邂逅に耽っていた私はその声で意識を取り戻す。

 彼女はこちらを覗き込み心配そうに見つめている。

「なんかそんな神妙そうな顔してるの似合わないよ」

「え?そんな風な顔してた?」

 彼女はその長い髪を辺りにばらまくみたいに大きく頭を縦に動かし頷いた。

「それで、答えは出たかな?」

 ふと横を見ると、そこには笑顔の店長がいた。待たせてしまったというのに、店長は先程のまでの裏がなさそうな笑顔を絶やさずその表情に維持していた。

「はい、一応は...」

 私は少しばかり申し訳なさを感じ、おずおずと声を出した。

 そんな私が気に食わない、と言った風に彼女はこちらを向く。

「あんたが選んだ答えなんでしょ。なんでそんな風に自信がないの?あんたは不正解を選んだの?違うでしょ。正解を選んだんだから自信持ちなさいよ。例えそれが誰かにとっての不正解でもあんたの中では正解。それだけで十分でしょ」

 彼女はそう言い、私を励ましているようだった。

 出会ってから間もない私たちだが何となく彼女は人を励ます事とは対極にある人間だと思っていたため、少しの時間彼女の顔を見つめてしまった。

「な、なによ。何もおかしい事なんて言ってないわよ」

「いや?君がそんな事を言って人を励ますとは、思ってなくてびっくりしただけ」

 彼女は私の返答を聞き、こちらにがやがや何か言っている。

「店長さん。私の中で好きな理科の科目は物理です」

「ほう、良いチョイスだね。理由を伺っても良いかい?」

 店長は笑顔を無くして私に尋ねる。四択を選んだのか、好きな科目を選んだのか判断するように目を細めている。その鋭い視線を受け止めるように私は答える。

「母が物理学者だったからです」

 私はそう短く答え、店長の反応を伺う。果たして店長のお眼鏡にかなったのか。その答えを知りたくて手から汗が止まらない。

 どれだけ時間が経っただろう。実際はそんなに経ってないが、私の中での時間は何倍ものスピードで過ぎている感覚がある。そしてやっと店長は口を開く。

「ふ、ふははは!すまないすまない!そんなにこちらの態度を窺うような感じで来られると、こちらも興が乗ってしまうよ!」

 先程まで何となく感じていた空気の重さを消したかのように店長はその顔を喜びで綻ばせた。

「僕はただ月白さんに対してどう説得しようか考えていて、その選択を委ねているだけだよ。だからそんな君を試している訳じゃないから安心して」

 私はその返答に安堵し、伸ばしきっていた背筋を弛ませて椅子の背面に身体を預ける。

「はぁ、勘弁してくださいよ店長さん。めちゃくちゃ大事な質問を投げかけられているのかと思って、めちゃくちゃ気負っちゃいましたよ。めちゃくちゃ怖かったです」

 そう言うと月白さんが「あんたの言葉の方が滅茶苦茶よ!」とツッコミを入れていたが、誰も反応することなく店長がこちらに向き直る

「いやぁ、僕実は若い頃は役者を少しだけやってたからそれの名残だよ。まぁまだまだ実力が残ってた、と考えれば嬉しいものだね」

 そう言って店長は月白さんの方へと体を向ける。

「さて、大分話が明後日の方へと飛んでいってしまったね、話を戻そう。彼が物理が好き、という答えを出してくれたおかげで駒は揃った」

 そう言った店長は嬉しそうに月白さんを見つめる。

「月白さんは私の、素直になることが自分のためになる、ということを僕の人生からの経験に起因するから、他人の人生に影響することは無い、と主張したね?」

 裁判官のように店長は月白さんへと問う。

「はい。店長と同じような経験を私が必ずしもするとは限らない。だからその教訓は店長の人生の中のもので、店長の雰囲気という実に曖昧な理由で誰にでも当てはまるものだと錯覚してしまう」

 そう言って彼女はこちらを見る。

 私は何となく店長の方を見る。

「なるほど。僕はそんな雰囲気出しているつもりはありませんが、客観的に見た僕の印象に僕自身が口出ししてしまっては貴重な高純度の客観的意見にヒビが入ってしまう。だからその事については口出ししません」

 そう言って店長はいかにもこの状況を楽しでいるかの様に頷く。

「ところで月白さんは運動方程式を知っていますか?」

 急に会話の脈絡的に関係の無い話題が入り込み、月白さんは怪訝そうな顔をして店長の事を見つめる。

「それは、知ってますけど。それがどう関係しているんですか?」

「落ち着いてください。まぁ少ししたら月白さんは考えを改めないといけなくなる訳ですから、そうなるのも仕方ありませんね」

 店長はそうして月白さんを挑発する。

「はぁ、そうですか。私が考えを改める、というのは想像が出来ません。もしかして、人はいずれ死ぬのだから同じ結末に辿り着く、だから同じような経験をする、とかそういう哲学めいた事を言うのではないですよね?もしそうだったら少し失望します」

 月白さんは余裕ぶった態度で煽り返す。それに対し店長は顔を笑顔で満たし笑い出す。

 その様子に月白さんのみならず、私も驚きを隠せなかった。

「いやー、失礼。あんまりに今の月白さんに若さ、という物で満ち満ちていて思わず笑ってしまいました。あぁ、今のは演技ではなくて本当の思いですよ」

 そう言って店長は首だけ向きを変えこちらを見る。数秒経ったあとにまた月白さんの方へ戻す。

「すみません。怖がらせるつもりはなかったのですが...。そうですね、それでは確認しましょうか。運動方程式とはどのようなものですか?」

 月白が答えようとすると忘れてたかのように「一番馴染み深いもので構いません」と付け加えた。

「極めてミクロ、マクロなスケールを除いて、物体に力が加わると、その物体の運動の仕方が決まって、力が大きいほど加速も大きくなる。いわゆるF=maで表せられる式です」

「なるほど。いいですね」

 そう判断された白月さんは安堵の息を漏らした。そして店長が再び口を開く

「しかしスコアとしては八割と言った所でしょうか」

 そう言われた月白さんはその不満を露骨に表情に出す。

「今の説明に不手際は無かったかと思われますが、なぜでしょうか」

「確かに間違いはありませんでしたね。しかしちょっと足りない所があっただけです」

「足りない所、ですか」

 指を顎に当て考える。しかし問われた本人の中で答えが出る前に問うた本人が答える。

「質量が大きいと加速度は小さくなる、ですよ。月白さんはいつも試験でいい点数を取ってますが、満点を取ることはない。それは基礎が抜けているからです」

 それが本人にも自覚があるのか苦虫を噛み潰したような顔をして店長から目を逸らす。

「こちらを見なさい、月白さん。そちらを見ても満点はありませんよ」

 店長がそう言うと人を操ったかのように月白さんが店長の方を向く。

「よろしい。ではその運動方程式がどうやって導出するのかはご存知ですか」

「え、と」

 月白さんが俯き、黙る。しばらく無言の状況が続いた後、やがて言葉がこれ以上出てこない事を確認すると、店長は喋り出す。

「導出と言うと数学を思い浮かべますよね。しかし運動方程式は数学的に証明は出来ません。じゃあどうするかと言うと、それは実験です」

 やっと言いたい事が理解出来た、と言うかのように月白さんは顔を上げる。

「時にはニュートンが単振り子を用いたり、時にはガリレオが傾斜代を用いたり、時にはアトウッドが滑車を用いたり、時にはキャベンディッシュがねじり秤を用いたりなど。実験を行って確かめてきたんです。いわゆる経験則です」

 月白さんは静かに店長の話を聞いている。

「物理法則も最初は経験則の積み重ねから生まれたものです。でも、それを何度も検証して誰にでも当てはまるものにした。だから、僕の経験もそういう形で普遍的なものになるかもしれない。そうは思いませんか?」

 そう言ったのち、空白の無言が訪れる。

 秒針の音を聞いて待っていると月白さんは重いその口を開く。

「確かにそうかもしれません。すみません、ちゃんと考えたら確かに私に取って都合の良すぎる解釈をしていたかもしれないです」

 月白さんはふー、と深呼吸をして御手洗に行った。

 私は店長のさっきの発言について解せん箇所があったため厨房へと戻ろうとする店長の所へ向かうため席を立つ。

 一つは些か強引すぎる同調。もう一つヤンデレ要素はどこか。

 店長がこちらに振り向き人差し指を口に当てた。まるで「何も言うな」と言っているようだった。

 

  

  

 

 

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