遊戯王の主人公、武藤遊戯の故郷の名を関したその地はそれ故に遊戯王を愛する者が集まる聖地になった。
最も先進的なデュエルができる場所であり、どの場所よりもデュエルモンスターズのカードが集まる場所、それが童実野市だ。
「アアァアアアアーーーーー!!
その一角で奇声のような悲鳴が響いた。
デュエルディスクが開発されて以降、原作を再現するようなオーバーリアクションを取る人も増えた。
血糊を仕込んでダメージを受けた時に吐き出す・吹き飛ばされたようにごろごろと地面を転がると言ったもの、モンスターを呼び出す呪文がさもあるかのように召喚口上を述べるもの。人々は様々な形で遊戯王の世界を現実に持ち込もうと試みた。
しかしこれは常軌を逸している。
「いやだ!いやだ!いやだぁ!いやだぁー!!アルデクは嫌だー!!アルデクは嫌だああああーーーーーー!!!」
事件性すら帯びていると思わせるその悲鳴は否が応でも通行人の耳に入り視線を引き付ける。そして人々はその先の光景に背筋を凍らせた。
フィールドに佇むは青い水晶と青い装甲を見に纏う機械の竜。その名を《
りゅう座を構成する星々の名を冠した機械竜。流星のように空を駆けるそれらを併せ人々は『竜輝巧』と呼んだ。今先ほど騒がれた『宣告者』では決してない。
他に立つモンスターはいない。今はまだターン1。そこまでデュエルが進行していないからだ。
彼がやったことも初手でバンαを繰り出しただけ。しかし通行人はそれを見て全てを察し、被害者に哀れみの目を向けた。
またか。この人も『宣告者』の餌食にされてしまうのか。
そうして通行人達は加害者である少年に、竜輝巧を従える彼に殺意を向けた。
暇な時は可能な限りカードショップに通い、時に遠出してでも探しているがどうしても見つからない。
お目当ては海音の持つ『ドレミコード』デッキを強化するカードだ。しかし流石元書籍付録と言ったところか。流通量の少なさに海音は感心すら覚えていた。
カードの精霊を知覚できるようになり、彼女たちの力である程度都合の良い手札を引き寄せられるとはいえデッキに入れてなければそんな奇跡も起こりようがない。
精霊が支えてくれるとはいえカードを実際に扱うのは決闘者自身、海音自身なのだ。デュエリストがミスをすれば精霊の助力は簡単に不意にできてしまう。
つまり、この無駄な努力の背景には今まで持つわけがなかった『誠意』もあった。
誠意を見せるべき相手なんてどこにもいなかった今までとは違う。こちらでやれることはやっておかなければ勝利の為に力を貸してくれる精霊達に申し訳が立たない。
通信販売やフリーマーケットアプリを選択肢に入れ始めながらショップの扉を開けた時、海音は後ろに気配を感じて扉が閉じないようそのまま押さえた。
カードを持った男が海音に一礼し、先に外に出ていく。そのすれ違いざまに海音は男の表情と手に持ったカードを見た。満面の笑みを浮かべている彼は海音と違いお目当てのものを手に入れられたのだろう。
『満面の笑み』?
その顔と持っているカードに興味を惹かれた海音は彼を追いかける。
追いついた先で男はスマートフォンを三脚の上に置き、内蔵されたカメラに自分の全身が映るよう調整していた。
どうやら彼は動画配信者のようだ。
「えー!ここにあるのはですね!かの有名な《スマイルワールド》!20枚セットで御座います!」
そう言いながら取り出したカードは彼が宣言した通りのカード。子供が描くような笑顔を浮かべた星々の絵を携えた魔法カードだった。
《スマイルワールド》の効果はフィールドの全てのモンスターの攻撃力をフィールドにいるモンスターの数だけ上昇させるもの。お世辞にも強い効果とは言えず、買い貯めするという発想には普通はならない。
しかし、そのカードには特別な意味がある。
「今からですね!これをですね!えー!」
「こう!」
と言いながら彼は手に持った《スマイルワールド》を捻り破いた。手首のスナップを効かせて左右に放り投げる。紙片がひらひらと妙な軌道を描きながら地に落ちた。
「していきたいと思いまぁす!」
そう言いながら彼は2枚目の《スマイルワールド》を両手で握る。
「この、ゴミが!」
掛け声のような声と共に2枚目のカードを破る。それもまた放り投げて次のカードに手をかける。
「クソアニメがよぉ!」
カードを破る。捨てる。今度は変化が欲しくなったのか散らばった紙片を靴で何度も踏み付ける。
押さえつけたまま地面に擦り付けアスファルトがカードを切り付ける。
「ゴミ!」
破る。捨てる。次を手に取る。
「クズ!」
破る。捨てる。次を手に取る。
「クソ!クソ!」
破る。捨てる。紙片を何度も何度も踏み付ける。
「下痢便!下痢便!下痢便ンンンーーーッ!!」
「うわ」
海音は迂闊にも声を漏らしていた。その様子がもし聞かれ、見られていたのなら即座に異端と見做されていたかもしれない。
幸いそれは誰にも知覚されていなかった。
男は目の前を真っ白にしながら、眼球を震えさせながら、自分の鼓動で鼓膜を震わせながらカードを破いては捨てている。
金曜の夕方を迎えた子供のように、給料日に貯金残高を見るサラリーマンのように、砂漠で水を見つけた旅人のように、段々段々と目が輝いていく。その輝きが海音を隠していた。
そうしているうちに彼が用意した20枚のカードは全て紙片となってあたり一面に散らばった。
「はぁい処刑完了!」
「いやあほんとゴミですねぇこのカードも、アークファイブも!」
「この動画がいいと思ったらチャンネル登録と高評価をよろしくお願いしますぅ!」
動機は承認欲求。
何ともわかりやすい。過激な事をして人の気を引く。王道・盤石のやり方で彼はそれを満たそうとしていた。
しかし録画を切ったと同時に顔が切り替わる。あれだけの輝きがあっという間に無になる。感情の無い真顔に近い、唯一失望に近いものが顔から噴き出ていた。
彼は気付いていたのだ。今作り上げたものが失敗である事を。それでも万が一に賭けて投稿はするが恐らくは満足のいく結果にはならないだろう。
自分で考え、自分で作り上げ、自分で実施した当事者にも関わらず彼は客観的にそれを確信していた。
何故なら足りない。これでは足りない。
だからこそ彼はすぐに真顔に戻ったのだ。これではただ消費されて消えていくだけだ。
認められるには、賞賛されるには、消えてはいけないのだ。
彼に未だ残り続けている『もの』はこの程度ではなかった
この世の全てがつまらなくなるほどの激烈な幸福感。甘美な匂いすら誤認させるあの感覚が人を惹き付ける。
彼は一端のクリエイターとして、否人間としてそれを理解していた。
彼が『それ』の代替品として作り上げた作品は彼自身の中からもすぐに消え去り、一つ残らず味わい尽くして使い切った紙片だけが切手のように破られゴミとして地に散らばり残った。
思わず漏れた溜め息は一仕事終えた安堵であると同時に失望でもあった。
片付けもせずに立ち去る男の背中を見送った海音もその場を後にする。破られたカードなど、この童実野市では見慣れたものだ。
《スマイルワールド》が持つ意味はカードの効果以外の所にある。
遊戯王アークファイブの主人公榊遊矢の所持するカードであり、ストーリー上意味を持つカードという立ち位置にあるからだ。
《スマイルワールド》を遊戯王アークファイブの象徴として見做せる。だからこそ破くという行為にも価値を見出せるのだ。
そう状況を整理して海音は深呼吸をする。吐息に引っ張られるように海音の『何か』から心地のよい感触がした。
《スマイルワールド》を持つ彼を見た時に感じた心のまま追いかけてよかった。そう思うには十分な満足感だった。
その余韻をぶち壊しにしたのは何かが激突する音。音が出る何かに人間が激突したような、そんな非日常的で暴力的な音に続いて怒号が耳に届く。
流石に海音の身体が驚きで跳ねた。
「舐めやがって!このクソ野郎が!」
「えぇ!?アルデクのないドライトロンなんざに負けるわけねぇだろ!あぁ!?ビビらせがって!ふざけやがって!」
その言葉で大体察した。先ほどのあれは他人の勝手だがこれは見逃せない。
本来であれば関わるべきではないのはどちらも同じだろう。しかし海音の心は既に変質している。
精霊を視認し共存するようになって以来、海音の心は歪んだ。その鬱屈した感情をぶちまける力を得てしまった。カードを引き寄せる精霊の力。彼女達の力は現実に作用する。
その超常の力から万能感を感じ取ってしまうのは人間の性だろう。
「クーリア、お願い」
海音が虚空に語りかけると、海音の視野に人が形作られる。黒のドレスから伸びた染みも黒子もない手、皺のない指に指揮棒を絡ませその先端を海音が目指す先に突き付けた。
まるでとある映画の魔法使いのようなその格好は彼女の臨戦体制であり、不測の事態から海音を守るものでもあった。
未だ怒号が響く、音の出所を視界に収める。喧嘩、否一方的な私刑が行われていた。
倒れ伏す男を見下しながら蹴りを入れるもう一人の男。
それを見た海音はハンドジェスチャーでクーリアとやり取りをする。
一息置いた男が僅かに後ろに下がり、助走をつけて脚を振り切る。
クーリアの指揮棒が空を切り、蹴りも空を切った。
空振った勢いで体勢を崩した男はぴょんぴょんと片足で跳ねてバランスと感情の調整を試みた。
数回の跳ねで重心は取り戻したが、心の均衡はまだ取り戻せない。
確かにそこで寝転がっていたはずの少年が高速で移動した。一体何が起こっている。
男は自分の動体視力が微かに捉えた先を見たが、その答えは見つからなかった。そこにはもう何もいなかったのだから。
男はそこから先の情報を得る機会を永久に失ったのだ。そもそも、その資格すら持ち合わせていなかったのだが。
男の預かり知らぬ視野の外でクーリアが指揮棒を振るう。吹き上がる風がクーリアのプラチナブロンドの長髪を撫で流す。
タクトは喧騒とは違うリズムを刻み、風は大きな街の更に一角に存在感なく佇む街頭より遥かに小さな彼女のタクトに従う。
無音の小序曲、その終わりを告げる柔らかなオフサインに合わせ彼女の目の前で風が止まった。
「よぉしうまくいったね」
少年の両脇に両腕を回した海音が風に運ばれ現れる。
引き連れてきたのは海音だが、非力で小柄な海音の見た目からはそれができるとは到底思えず、逆に少年に背負われているようにも見えた。
勿論海音自身の力と運動神経で成したものではない。風属性である《ドドレミコード・クーリア》の力を使った高速移動と高速運搬。それがこの一連の種だ。
「瀬乃尾海音です」
「…
余計な事を聞かれる前に話題を振る。鞄から絆創膏を取り出し、暴行を受けていた少年、羽塚の手当てをしながら主導権を握り続けた。
「羽塚さん龍輝巧使いなんですか?」
「そうだけど。君は?」
「ドレミコード」
「あぁペンデュラム。変わってるね」
「羽塚さんこそ。
「あいつらは龍輝巧を見せたら真っ先に宣告者だと認識する。その瞬間、もう負けられないじゃないですか」
デュエルモンスターズというゲームは相手の初手でデッキを考察することが出来る。
例えば海音が『ドレミコード』を一枚でも出せば対戦相手は海音がペンデュラムを使う決闘者だと察知する、といったように。
あくまでそれは現状から見た考察に過ぎない。次の手で予想だにしないカードが飛び出してくる可能性はゼロではない。
それでもその考察はイメージが強ければ強いほど確信、盲信に変わる。
龍輝巧使いへの最も強いイメージは龍輝巧ではなく宣告者だ。故に人は龍輝巧が出ただけで存在しない宣告者を勝手に察知してしまう。
そして、宣告者を使う彼に敵意を向けるのだ。実際には持っていないにも関わらず。
「宣告者混合の龍輝巧は確かに強いです。龍輝巧を使ってる時点でもう負けられないんだから使ったほうがいいと思います」
宣告者使いと誤認されるならばいっそ本当に宣告者を使ってしまうのは一つの手だ。誤認された時点で手遅れなのだからと、海音はそう考えていた。
叩きのめしてやれば強気に出る事もない。身を守る手段としての提案だった。
「嫌だ。僕はそれでも龍輝巧で勝ちたい」
しかし真正面から提案を跳ね除けられた。
でも、と呟いたところで海音は思わず羽塚から視線を外す。彼の後ろに気配を感じてそちらに気を取られたからだ。
そして『それ』を視認した瞬間、絶句した。
数秒の沈黙の後、我を取り戻して再び唇を動かす。
「ごめんなさい。でも、本当に気を付けて」
それ以降、海音は宣告者の話題を意図的に止めた。
羽塚と別れ帰路に着く今でも、海音の頭には先ほどの光景が貼り付いていた。
「マスター、あの人の事が心配ですか?」
クーリアの声を認識するや否や海音は携帯を手に取り耳に当てる。そうすれば精霊相手に公然と歓談しようが周りは電話をしていると誤解してくれる。
ドレミコード達と生活を始めて数日経った後、ようやく気付けた知恵だった。
通話をし始めた海音は遠慮なく声に出してクーリアの問いに答える。
「そりゃそうだよ。あんなに蹴られる必要なんてないじゃない」
「ペンデュラムでなくてもこんな事が起こるんですね」
「そうだね。結局のところ何でもいいんだ。ペンデュラムでも龍輝巧でも何でも」
何でもいい。だからこそ海音は羽塚に『経験者として』警告した。『何でもいい』のだから自分に向けられている目はそのまま他の誰かに向けられる可能性がある。
逆に彼が置かれている状況は自分にも当てはまる。
赤の他人が預かり知らぬ他人に向けている目も、いつかこちらを見るかも知れない。
我関せずと対岸の火事を決め込んでいても、ふとした拍子にその火を持ってこちらに走り寄る何かがいるかも知れない。
そういう意味でも海音はアンテナを張り続けていた。
しかし、今の海音にはそんなものよりも判明したい謎がある。
「それよりちょっと聞きたいんだけど、クーリアから見て、あれどう思う?」
「何とも言えません。イレギュラーなんじゃないかとしか」
「イレギュラーか。やっぱりそうなんだ」
イレギュラーの形を思い返す。
白の祭服、虹色の翼、フードからはみ出し垂れ下がる紺青のお下げ。
海音は彼女の事を知っている。
《
その精霊が羽塚に付いている。
彼の言葉を信じ、彼が宣告者をデッキに入れていないとするならばこれは完全なイレギュラーだった。
「自分が所持していないカードの精霊」
海音と共にするドレミコード達はどれも海音自身が所有するカードだ。それに対して羽塚は宣告者を持っていない。にも関わらず彼の傍には神巫が控えている。
そもそも彼は精霊を認識できていない。認識できているのであればクーリア達にも気付き、それにあえて触れない理由も無い。
自分と同じでありながら、あらゆる要素が自分とは違う。それが海音を余計に混乱させていた。
「彼、見えてないよね? なのに何でいるんだろう」
「別に見えていないから一緒にいてはいけないという事はありませんよ」
「そうなの? でもそれなら一体どこで」
「一目惚れですよ」
あ? と声が漏れた。真面目な話をしている中に突如差し込まれたふざけた答えはクーリアから出たものではない。
「一目惚れですよ!あの子、あの人が大好きになっちゃったんですよ!でもあの人にその思いは届かない、顔を見てもらう事すらできない…あぁ!でもせめて!あの人のお側で支えてあげたい…!みたいな、ねぇ!」
《ラドレミコード・エンジェリア》
美よりも可憐という言葉が似合う小柄な女性が目を輝かせながら合意を求める。
キューティアよりだいぶ年上に見えるが正直言ってドレミコードの中で一番やかましい。それは美点でもあるが、今はそれを求めてはいない。
「イレギュラーって、そういう?」
「私に聞かないでください!」
「カマトトぶっちゃダメですよクーリア姉様ぁん。私達だってそうじゃないですかぁ」
「黙れぇ!」
あああ、という悲鳴と共にエンジェリアの声が小さくなっていく。
その妙な空気から逃げるように状況を推測する。
持っていないはずのカードの精霊が現れた意味を海音は予知と捉えた。
羽塚はいつか宣告者を手に取るような気がする。理由はどうあれカードの精霊がいるという事はそういう事なんだろう。
海音はそう信じることにした。
しかし、それはつまりどういう事なのだろうか。
精霊が干渉するまでもなく、海音が宣告者を使う事を提案している。
それでも羽塚はその提案を断った。それでも龍輝巧で勝ちたいと。龍輝巧が好きだからこその発言なのだと海音も理解している。
そんな彼が宣告者に手を伸ばす時。それがどういう時なのか。
海音はそれを明確にしないで逃げた。
逃げ続けた。
逃げ続けて、手遅れになった。
それに気付いたのは羽塚と別れて数週間経ったある日の事だった。
自分の目の前に、あの日羽塚の後ろに見たおさげの少女が現れた。
おさげの少女、《宣告者の神巫》はカードを差し出して海音に懇願する。カードに記された名前は《宣告者の神巫》。
彼女は自分自身を前報酬として海音に捧げていた。
海音が探し求めていたカードは自ら海音の下にやってきた。
「羽塚竜司を止めてください」
余計な代償を引き連れて。
このお話に少しでも感じる所が御座いましたら、感想を頂けますととても励みになります。