最強孤高の青い春   作:兵器スキー

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奇跡は起きないと過去に言った。
でも、今は違う。
彼が生きている、そんな奇跡に私は暫くの間、縋っていた。
でも、行方不明の彼を捜索していた最中。
砂に塗れた断面を持ち、肉が腐敗した腕を見て──私の膝は奇跡と共に崩れ落ちた。
それから、自身に言い聞かせている。

“英一を殺した自分を許すな”

“奇跡なんて、そんなものは無い”

でも、それでも私は動き続けてきた。
彼が遺した、たった一握りの呪いを信じて。


浅い夜。

「...ホシノ、大丈夫?」

 

数秒の静寂。その間、後悔と自責で濁った瞳が悠二を凝視していたホシノは、誰かに声を掛けられたことにようやく気づき、表情を一度だけぎこちなく戻す。まるで呼び戻されたように、いつもの軽い空気が肩越しに滑り込んできた。

 

「うへ~...ごめんね先生。少し考え事を...ね?」

 

言葉はふわりと軽く、だがどこか針のように鋭い。ホシノは頬を指先で掻きながら苦笑いを浮かべる。指先の動きが焦りを消さないまま、周囲の空気は一瞬和らぐ。

 

「そっか」

 

先生が微かに相槌を打つ。ホシノに笑みを返すその光景を見て、対策委員会の面々は胸をなで下ろす──だが、安堵の後ろに影が一つ、静かに差していた。

 

(...嘘だ、今のは)

 

先生の内心は静かに、しかし確固たる呟きで満たされる。生徒たちの言葉は信じたい。裏切りや嘘などあってはならないと心底思っている。だが同時に、先生の胸には揺るがぬ予感があった。ホシノの視線、言葉の端に隠れた震え、それらが示すものは「はぐらかし」だった。

 

そんな彼の真っ直ぐな瞳を見つめられ、訴えられるような空気に押されてホシノは少しだけ動揺する。慌てて口を開き、場の空気を作り変えようとする。

 

「うへ、そんな事よりも一つ提案があるんだけど~」

 

その唐突な一言に、対策委員会のメンバーがざわつく。驚きと興味が同時に顔に出る中で、先生だけが一瞬困惑を見せる。唯一、仮面越しで表情が読めなかったのが悠二だけだった──彼だけが何も動けずにいた。

 

「えっ、ホシノ先輩が!?」

 

「うそっ...!?」

 

「いやぁ~、その反応はおじさんでも、ちょーっと、傷ついちゃうかな。おじさんもやるときはちゃんとやるのさ~」

 

ホシノは肩をすくめ、得意げに胸を張るふりをする。しかし声の端には真剣さが潜み、彼の軽口は緊張を和らげるための一種の盾のようにも見える。

 

「...それで、どんな計画なの?」

 

怪訝そうに眉を寄せるセリカの視線を受け、ホシノは少しだけ身を乗り出して続ける。

 

「ヘルメット団は、数日もすればまた攻撃してくる筈。ここんとこ、ずっとそういうサイクルが続いてるからね~」

 

部屋の空気が再び引き締まる。対策委員会の面々は頷く。彼ら自身が身にしみて感覚している事実だからだ。ホシノは言葉に熱を込め、そこにある必然性を強調する。

 

「だから、このタイミングでこっちから仕掛けてさ。襲撃直後で消耗してる奴らの前哨基地を、逆に襲撃しちゃおうかなってね。」

 

その狙いに、皆の顔に即座に計算が走る。消耗と隙を突く――戦略としては理にかなっている。しかし、その実行には勇気と補給の確約が必要だ。アヤネは困ったような表情を見せるが、隣で聞いていた大人の一人がすぐに言葉を返してくれる。

 

「い...今ですか?」

 

「そうだよ~」

 

予想外の大胆な提案に一瞬の躊躇が走るものの、シロコが冷静に口を開く。

 

「...あぁ、なるほど。先生の補給が受けられるからこそ、ですね!」

 

「なるほど。ヘルメット団の前哨基地はここから30kmぐらいだし、今から出発しよっか。」

 

シロコの言葉を皮切りに、対策委員会の誰もが素早く動き出す。ガンラックへと手を伸ばし、機材に触れる指先からは確かな決意が伝わる。装備の金属が擦れる音、コッキングの小さな感触──準備の音が部屋に小さく積み重なる。

 

その間、先生は自分の椅子の背にもたれかかる悠二に目を向け、さりげなく声を掛けるつもりだった。

 

「悠二、聞いてた?今から敵の前哨基地に...」

 

だが言葉は最後まで到達しなかった。理由を聞けば信じられないかもしれない──悠二の姿が、いつの間にかこの部屋にはなかったのだ。

 

「え、あれ、皆。悠二は?」

 

ドアが開かれた形跡はない。床にも靴跡は残っていない。対策委員会の連中も困惑し、首を振って「見ていない」と答えるだけだ。

 

(...まさ、か──!?)

 

先生の胸に冷たい驚きが走る。思わずシッテムの小さな箱を取り出し、画面に話しかけるようにして命令を送る。

 

「...アロナ、急にごめんね。セントラルネットワークを使って私と悠二の直線距離を測れるかい?」

 

「え? わ、分かりました...えっと...」

 

タブレットの画面でアロナは指先を滑らせ、ホログラムをなぞるように操作する。指の動きに連動して数値が浮かび上がり、場の空気は再び緊張で満たされる。

 

「...英、いえ。悠二さんは...少なくともこの校舎からは約29km離れています」

 

数字が告げられた瞬間、部屋の中の時間が少しだけ伸びたように感じられた。先生はそれを聞いて小さく息を吐き、安心と不安が入り混じった表情でタブレット上のアロナを優しくなでるように画面を撫でた。

 

「...やっぱり。ありがとう、アロナ」

 

アロナは照れたように画面越しに笑い、だがすぐに何かを思い出したかのように声を潜める。

 

「せ、先生...」

 

「ん? どうしたの?」

 

先生はタブレットに目を落とし、アロナの様子に視線を寄せる。

 

「悠二さんについてですが、今夜少しだけお話が...」

 

アロナは両腕の人差し指をつんつん合わせ、気まずさを隠しながら言葉を続ける。声の奥には伝えにくさと、しかし伝えねばならない重要さがこもっている。

 

「...分かった」

 

先生は短く頷いて了承し、アロナは「ありがとうございます!」と身振りを交えながらタブレットをスリープモードに落とす。その仕草に、部屋の空気が少しだけ和らぐ。

 

そして先生は再び対策委員会の方へ向き直り、全員が準備を終えたかどうかを簡潔に確認した。ただし悠二の行方については詳細を伏せ、一部だけを伝える。

 

「みんな、悠二が何やら勝手に前哨基地の方に向かっちゃったみたいだけど...準備は大丈夫?」

 

「べ、別に見たら分かるでしょ!?」

 

セリカは顔を赤らめながら腕を組み、照れ隠しにも似た強がりを見せる。

 

「うへ、おじさんはオッケーだよ~」

 

携行式のシールドを抱えるホシノは、準備を終えたことを伝えるために手をふらふらと揺らす。振る舞いはいつもの軽さだが、目は鋭く光っている。

 

「ん、私も」

 

シロコは自身の愛銃をコッキングし、安全機構のつまみを回してトリガーを確実にロックする。動作一つ一つに集中が宿る。

 

「私は警備も兼ねて、ここでオペレートを担当しますね」

 

アヤネは赤い眼鏡をくいっと上げ、タブレットを取り出して操作の準備を始める。彼女の視線は冷静で、画面には複数のウィンドウが整う。

 

「はい!先生からもらった弾薬、たっぷり詰めてきました!」

 

ノノミは胸を張り、ミニガンを腕に抱えながら元気よく宣言する。その声には頼もしさが満ちていた。

 

「よし、みんな問題なさそうだね。それじゃあ──」

 

短い合図とともに、部屋の全員が気合いを入れる。

 

──アビドス対策委員会...出撃!

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

元アビドス自治区。

かつては高層ビルが規則正しく立ち並び、街全体が活気に満ちていた場所だった。だが今、その景色は無残に変わり果てていた。ビルの壁はひび割れ、窓ガラスは散乱し、鉄骨はむき出しになって錆びつき、倒壊の危険を孕んでいる。かつての都市の息吹は完全に消え、残されたのは瓦礫と静寂だけだった。

 

その荒廃した中心部、元々ロータリー交差点だったであろう広場に沿って、対策委員会の面々は慎重に進んでいく。足元にはガラスやコンクリートの破片が散乱し、慎重に足を置くたびに微かな音が響く。周囲の建物の隙間から吹き込む風は冷たく、荒れ果てた街の匂いを運んでくる。

 

『半径250m圏内に、敵のシグナルを多数検知しました』

 

アヤネの冷静な声がインカム越しに届く。彼女の声には緊張の色は薄いが、内容は明らかに警戒を促すものだった。報告を受けた先生率いる対策委員会は、一瞬で警戒を強める。視線が互いに交わり、身のこなしや武器の握り方にも自然と力が入る。

 

『おそらく、敵もこちらが来たことに気づいているでしょう。ここからは実力行...?』

 

だが、アヤネの言葉はそこで途切れた。不自然な切れ方に、部隊全員の動きが一瞬止まる。足を止めたその瞬間が、言葉以上に危機を伝える信号となった。

 

「...アヤネ? 何かあった?」

 

数秒の沈黙が辺りを覆う。先生の頭の中では最悪の状況が瞬時に浮かんだ──“まさか、ほとんど無防備に過ぎない校舎を逆に狙われたのか”と。しかし、次に聞こえたアヤネの言葉は、その予想を軽く超えていた。

 

「...敵のシグナルが、消えて...います」

 

"え?"

 

『敵が、何者かに攻撃を受けている...? い、一体なぜ...』

 

アヤネの声には明らかに困惑が滲む。通信越しでも分かるほどで、誰もが一瞬息を飲んだ。目の前で迫る敵の存在が、突如として視界から消える──普通なら恐怖で身動きも取れなくなる状況だ。

 

「...アヤネちゃん、その反応が消え始めた場所の、具体的な位置は覚えてる?」

 

ホシノは眉をひそめながら問いかける。呼称はいつもののんびりした雰囲気を醸し出していたが、その口調には鋭さと冷静さが混ざっていた。

 

「は、はい...! 今座標を...」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ヘルメット団のアジト、及び"元"前哨基地の内部。

その光景は、言葉を失うほど無惨だった。建物としての体を成しておらず、壁や天井は崩れ、床には瓦礫が散乱する。家具や機材は破壊され、生活の痕跡だけがかろうじて残されていた。時間の経過が短いのか、まだパラパラと落ちるコンクリート片に、思わず同情の念すら湧くほどだ。しかし、その場に立つ一人の術師だけは違った。

 

「...ここに居たんだね、英一。一言ぐらい連絡が欲しかったけど...」

 

悠二の黒統一の衣服が、廃墟の天井に開いた穴から差す光に影を落とす。その漆黒は、彼自身の心の内を象徴しているかのように深く暗い。

 

「あ、まぁ...すまん。スマホは持っていたんだが...忘れてたよ」

 

悠二はポケットからスマホを取り出し、指先で軽く揺らす。その動作は、まるで“持ってたよ”と控えめに主張しているかのようだ。

 

"帰ろう、悠二。皆が廃墟の入口で待ってるから"

 

「...そうか、なら丁度良いな」

 

仮面の下で不敵な笑みを浮かべる悠二。先生の疑問符が浮かぶ目線に、何も答えずただ笑みだけを返す。

 

直後、黒い影とともに悠二の姿は先生の視界から忽然と消える。遅れて届く風を切る音に、先生は咄嗟に一歩下がろうとする。その時──。

 

「俺のことはあまり...詮索しない方が良い」

 

"ッ..."

 

後ろから伸びた手が先生の肩を掴む。背筋に冷たい感覚が走り、同時に強い恐怖が全身を包む。

 

「勿論、先生と敵対したい訳じゃないし、殺人なんて論外だ」

 

悠二は手をゆっくりと遠ざける。言葉には一切の嘘がない。しかし、その目の奥には計り知れない意思が光っていた。

 

「...まぁ、それらは先生の"選択"次第だけどな」

 

告げると、悠二は歩き出す。歩幅を合わせることもなく、たった一人で、黒い影のように静かに進む。

 

「もうっ、悠二くん? 何で先に向かっちゃったんですか~?」

 

ノノミは自身の出番を奪った悠二に向かって、少し怒りを混ぜつつも疑問を込めて問いかける。

 

「あははっ、対策委員会の力に少しでもなれたら嬉しいなって思ったんだ。迷惑だったらごめんな」

 

──でも俺には、強さしか取り柄がないしなぁ。

 

「ん、そう言えばその仮面はなんでつけてるの?」

 

純粋な疑問。シロコは悠二の腕を軽く突きながら聞く。

 

「まぁ、俺なりのファッションだ。シロコも今度作ってあげようか?」

 

──あと、いつか素顔も見せてやるから期待しとけよ?

 

悠二は対策委員会の質問攻めに、明るい色を含んだ声で答える。しかし心の奥には、転生する前に一度逃げ出したアビドスへの負い目と、決して消えない自責の念が潜んでいた。

それはきっと、永遠に消えない傷として彼に刻まれていくのだろう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

"...ふぅ"

 

重く、疲労の色を滲ませた溜息が狭い部屋に響く。

その音さえも、砂塵の舞う夜に溶けて消えていった。

 

ここはD.U.地区の一角。

ネオンの明滅が遠く霞むこの街で、先生は簡素なビジネスホテルの一室に宿泊していた。

壁紙の端は少し剥がれ、蛍光灯の光もどこか頼りない。

それでもこの場所は、彼にとって静かで、妙に落ち着く「現実」だった。

アビドス砂漠の外縁にほど近く、観光客がほとんど訪れないため、宿泊費も安い。

──だからこそ、今夜のように心を整えるには、最適だった。

 

先生はベッドの端に腰を下ろし、ぼんやりと天井を見上げながら、

「今日という一日」を思い返していた。

胸の中で、記憶が静かに繋がっていく。

 

──悠二と共に出張に出たあの日、広大な砂漠の真ん中で遭難し、

乾いた風に体力を奪われ、ようやく意識が薄れかけたその時──

一人の少女、シロコに救われた。

悠二はそう語っていた。

 

──そして、手紙に導かれて辿り着いた学校では、

本当に襲撃が起きていた。

瓦礫の中、息を整える暇もなく明かされた「借金九億」という数字。

現実離れしたその額が、逆に鮮烈に頭に焼きついている。

 

“(...柴崎ラーメンで見たセリカの衣装、可愛かったなぁ)”

 

そんな風に、ふとした記憶の断片がよぎり、思わず小さく笑う。

しかし次の瞬間、現実に意識を引き戻して息を整えた。

──これから先、確実に忙しくなる。

その予感が背筋を伸ばさせ、心の奥に再び「教師」としての灯を点す。

 

そして、先生は思い出したように口を開いた。

 

"...アロナ、起きてるかい?"

 

「はい、先生!」

 

──今日はお疲れ様でした!

 

声が弾んで返ってくる。

木製の小さなテーブルの上、充電器の隣に置かれたシッテムの箱。

その中から響くアロナの声は、金属の反響を柔らかく包み込むように温かかった。

先生は軽く微笑みながら、その箱に向かって言葉を掛ける。

 

"うん、こちらこそ。それで、明日の砂漠を横断するためのルートについてだけど..."

 

背もたれに寄りかかりながら、先生は穏やかに問う。

アロナが少し息を吸い込み、慎重に言葉を選ぶように話し出す。

 

「えっと...先生の徒歩ルートと、シロコさんが担いで向かった時のルートを最適化して、最短距離を作成しておきました!」

 

まるで授業の発表のような調子だった。

アロナの声は一つひとつの言葉を大事に区切り、丁寧に伝えようとする。

その裏にあるのは、あの日──古い地図を鵜呑みにしたせいで先生を危険に晒したことへの、静かな反省だ。

 

"ありがとう、アロナ...あぁ、遭難の件は気にしなくていいからね。誰だってミスはあるんだから"

 

先生の声には、諭すような優しさが宿っていた。

アロナの肩にかかる見えない重みを、少しでも軽くしようとする響き。

 

──頑張ってくれたお礼に、いちごミルクでよければ...

 

そう言って、先生はコンビニの袋から紙パックを取り出し、

冗談めかしてシッテムの画面に翳した。

 

「わぁっ! ありがとうございます! えへへ...」

 

一瞬で、画面の中に吸い込まれるようにいちごミルクが消える。

映像の中では、アロナが両手でそれを抱え、嬉しそうに微笑んでいた。

ほんのわずか、室内が明るくなったような気がした。

 

"(やっぱり、不思議だよなぁ...)"

 

先生はその様子を見ながら小さく息を漏らす。

液晶越しの存在なのに、確かに“生きている”と感じられる。

表情、声の抑揚、反応の間。

すべてが人間らしい温度を持っていた。

 

アロナは甘い香りのする液体を堪能していると、

ふと何かを思い出したように視線を動かす。

 

「あ、あんぉ。ゆぅじひゃんの──」

 

"えっと、飲みきってからでいいからね...?"

 

「あぅ、ひゅみまへん...」

 

"あはは......"

 

笑い声が小さく交差する。

アロナは慌ててストローを抜き、少し息を整えてから真剣な表情を作った。

 

「...えっと、先生もそろそろ寝なくてはいけない時間だと思うので...簡単に話すと──」

 

──過去に死亡したと、そう報道された英一さんと、悠二さんの生体情報の相違が殆どありませんでした。

 

その言葉に、室内の空気が少しだけ沈んだ。

先生の瞳に一瞬だけ緊張が走る。

 

"...続けて"

 

短く、しかし強い声音で返す。

アロナは頷き、次の情報を淡々と伝える。

 

曰く、腕は治っている理由は不明。

曰く、通常なら先生しか扱えないはずのアロナバリアが、悠二にも使用可能。

曰く、悠二はホシノが過去に失った同級生であり、三年生であること。

 

どの一つも現実味に欠けていた。

だが同時に、否定できるだけの根拠もない。

先生は頭を抱え、額に手を当てる。

胸の奥に冷たく重たい考えが広がっていく。

 

これは──本人に聞くべきなのか。

ホシノに伝えるべきなのか。

真実が誰かの心を壊してしまう可能性がある、その怖さを感じながらも、彼は思考を巡らせた。

 

"今日、詮索するなって言われたばっかりだしなぁ..."

 

ぽつりと呟く声は弱々しくも、どこか覚悟の色を含んでいた。

アビドスに来て、まだたった一日。

まだ全てのピースが揃っていない。

 

先生は考えを整理し、ゆっくりと結論を出す。

 

"...とりあえず、様子見かな"

 

その小さな声は、静かなホテルの部屋に溶けていき、

窓の外では砂風がひとつ、ガラスをさらりと撫でて過ぎていった。

 

―――――――――――――――――――――

 

アビドス自治区、深夜。

星の見えぬ曇り空の下、静まり返った住宅地の一角。

ホシノの自宅、その寝室の布団から淡い光が滲み出ている。

 

"大好きなホシノへ♡"と書かれた小さなボイスレコーダー。

その再生ボタンを、震える指で押す。

 

───マイクテストをしている時間は無いかな...まぁ、ホシノ。

 

─────これを見ている時には、僕はもうアビドスに居ないんだと思う。

 

───────時間が無いが、二つ言わせて欲しい。

 

─────────度合いにもよるが...好意は、便利な刃物だなと俺は思う。

 

───────────守るものがあるときは力強い武器に変わり。

 

─────────────失ったときには己を切り裂く凶器に変わる。

 

───────────────あと一つは...まぁ、ただの僕のエゴだ。

 

─────────────────本当なら、僕の死を超えろ...とか言うんだろう。

 

───────────────────でも、僕の場合は少し違う。

 

─────────────────────負けないでくれ、折れないでくれ。

 

───────────────────────絶対にそこで待っていてくれ。

 

─────────────────────────必ず、絶対に。

 

───────────────────────────君に、ホシノに...

 

─────────────────────────────会いに、行くから。

 

静寂の中で、電子音が止む。

しかし、部屋にはなおすすり泣く声が残っていた。

少女の小さな嗚咽が、夜気を震わせる。

 

「...ごめん、えいいち...ごめんっ...!」

 

声が震える。涙が枕を濡らし、握り締めた手のひらがわずかに白くなる。

 

「今まで頑張ってきたけど、もうっ...待てない、目を逸らしていられないっ...!」

 

怒りと悲しみと後悔が一度に爆ぜる。

ホシノはボイスレコーダーを掴み、布団の外へと投げつけた。

乾いた音が何度も響き、最後に"パキッ"と液晶の割れる音がした。

 

「...見限るかなぁ、嫌われちゃうかなぁっ...」

 

涙で滲む視界の中、ホシノは誰にともなく呟く。

誰かにすがりたいのに、そこにはもう誰もいない。

 

「でも......後輩もできたし、もう来年には卒業しちゃうしさぁ...」

 

「そんな"無能"な私を使い尽くして、もしアビドスの借金返済に貢献できたら...」

 

「きっと、えいいちもうれしいよね...」

 

そう言いながら、崩れ落ちた肩が小刻みに震える。

夜は静かに進み、窓の外では風が砂を運び続ける。

──そして、少女の小さな泣き声だけが、確かにこの夜の証として残っていた。




たった一握りの呪いとは、ボイスレコーダーのことです。
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