後字報告などなど、とても助けになっております。
先生も寝始めた頃、バイトが終わり、ようやく一息ついたセリカは、深く息を吐き出した。
冷えた夜気が肺を満たし、喉奥に残るラーメン屋特有の油の匂いを微かに洗い流していく。
「ホシノ先輩は前からたまに来てたけど……まさか先生も含め、全員で来るなんて...」
苦笑混じりにそう呟くと、セリカは軽く背伸びをしながら、静まり返った裏路地を大通りへと歩いていく。
頭上の街灯が点滅し、彼女の影を細く引き延ばしていた。
疲労は残っているが、それでも胸の奥には、少しだけ温かいものがあった。あのメンバーが笑い合う姿を見ると、自分の居場所が確かにあるような気がしたのだ。
「...あ、そういえばヘアゴム、校舎に忘れちゃった。ついでに取りに──」
何気ない独り言。その途中で、セリカの足がふと止まった。
夜風に混じって、どこか異質な気配が微かに揺らめいた。
視線が、無意識に右側の通路へと向く。
そこは普段なら誰も通らないような、細く暗い路地。
しかし、狙撃手として鍛え上げられた彼女の五感が、確かに"違和感"を捉えていた。
「...物音? 一体誰が──!?」
その直後、乾いた破裂音が夜を裂き、白い煙がセリカの目前で弾けた。
一瞬で視界を覆う白煙。
肌に刺さるような火薬の刺激臭が、彼女の危機察知を決定的な確信へと変える。
「っ、煙幕!?」
セリカは反射的に愛銃へ手を伸ばし、安全装置を外す。
だがその表情には焦燥が浮かんでいた。
「よりにもよって今...!」
この状況が、どれほど自分に不利かを瞬時に理解していた。
アビドス廃校対策委員会の中でも、彼女は単独戦闘を最も苦手としている。
後衛であり、狙撃を得意とする彼女にとって、視界を奪われることは"致命"そのものだった。
煙の中で舌打ちを零しながら、セリカは呼吸を整える。
(ヘルメット団...前哨基地を破壊された報復...?)
奥歯を強く噛み締め、内心を叩くように自分に言い聞かせる。
(今もし捕まったら...みんなに、迷惑をかけちゃう……!)
静かに瞼を閉じ、耳を澄ませる。
聞こえる足音、三つ。砂利を踏む間隔から、距離もおおよそ読めた。
装備の擦れる音が軽い。重火器ではない。
(傭兵みたいな重装備じゃない……数も三人。なら──行ける!)
呼吸が整った瞬間、彼女の中で"決意"が弾けた。
逃げるでも隠れるでもなく、迎撃。
狙撃手としての誇りを賭けた、殲滅の選択だった。
だが、セリカが地面を蹴り、身体を動かそうとしたその刹那──
──轟音。
まるで空気そのものが悲鳴を上げるように、街中に重低音が響き渡った。
砂漠の夜気を焼き裂く、閃光。
冷えきった路地が、一瞬にして昼のように照らし出される。
「きゃぁっ!? や、ヤバい...!」
耳を劈く衝撃波。
8.8cm対戦車砲──榴弾が一直線に、彼女の頭部を狙って放たれた。
凄まじい音圧とともに弾丸が掠め、セリカは悲鳴と共に地面へ叩きつけられた。
背中を打ちつけ、肺から息が漏れる。
視界がぐらりと傾ぎ、世界が遠のいていく。
「う、ぐ...意識、が...」
手探りで愛銃を掴もうとするも、その手は震え、空を切った。
あと少し──ほんの数センチで届く距離が、永遠に遠のいていく。
その願いは、叶うことのないまま暗転していった。
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「...始末しますか?」
薄れゆく煙幕の奥。
人影が、ゆらりと形を成した。
その声は冷たく乾いている。
「いや、生かさなければ意味がない。これで十分だろう。車に載せろ、ランデブーポイントへ向かう」
低く響いた命令に、影の一人が頷いた。
姿を現したのは、特徴的なカタカタと音を立てる金属製ヘルメットの男たち──ヘルメット団の残党だ。
「...はぁ、にしても本当に困りましたね。あの男……急に現れた上に、たった一人で暴れたせいで本拠地が跡形もなく破壊されて。物資も人手もボロボロですよ」
「だからこそだ。ここでその仲間を誘拐し、行方をくらませる……あの男もきっと後悔するだろうさ」
リーダー格の男は、表情を一切変えずに言い放った。
周囲の仲間たちは無言のまま頷き、拘束されたセリカの身体を持ち上げる。
そして、彼女を撃破した対戦車砲ごとトラックの荷台に載せ、エンジンをかけた。
低い振動音とともに、トラックは闇の奥へと消えていく。
煙が薄れ、夜の風が通り抜けた時、路地裏は静寂を取り戻していた。
────そして、誰も居なくなったその場所に、
わずかに遅れて、一つの影が現れる。
「...ここは、変わんないんだな」
その声には微かな苦味と、どこか決意めいた響きがあった。
暗がりの中、悠二は視線を遠くへと向け、軽く肩を回した。
「よし...俺は、準備しておこうかな」
夜風が頬を撫でる。
遠くで、砂漠を渡る車両の駆動音がかすかに鳴いた。
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アビドス高等学校にて。
アヤネは静まり返った教室の片隅で、セリカの帰りを待っていた。
校舎の外は夜の帳が降り、窓の向こうには砂漠の冷気が薄く滲み出している。
手元に握られているのは、セリカの忘れ物──青いリボンがついた小さなヘアゴム。
彼女がいつも髪を束ねるときに使っていた、大切なものだ。
「...」
その小さな輪を見つめるうちに、アヤネの胸には淡い不安が滲み始めていた。
気を紛らわせるように、タブレットを開き、今日の記録を整理し始める。
端末の明かりが頬を淡く照らし、静寂の中に微かな電子音が響く。
(今日は本当に色々あったから...愚痴のひとつくらい、聞いてあげないと)
思わず微笑む。
だが、その笑みはどこか苦味を帯びていた。
頭に浮かんだのは──先生の、あまりにも予想外な行動。
(...まさか、誤解を解くためにストーカーまでするなんて。大人の行動力は伊達じゃないですね)
心の中で呟きながら、タブレットを閉じる。
時間はすでに夜の八時を回っていた。
それでも、セリカの足音はまだ聞こえてこない。
校舎の時計を見上げた瞬間、胸の奥に冷たい予感が走る。
(...おかしい。ラーメン屋も、もう閉店してる時間なのに)
ただの寄り道なら、そろそろ連絡があるはずだ。
そう思う間にも、不安がじわりと増していく。
気づけばアヤネは立ち上がり、カバンを手にしていた。
「...様子を、見に行かないと」
心臓が小さく跳ねる。
理屈ではなく、直感がそう告げていた。
迷う間もなく、セリカの自宅へと足を向ける。
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「セリカちゃ~ん? ...入りますよ~?」
控えめな声が玄関に響く。
部屋の灯りはどこもついていない。
靴もそのまま、生活の気配すら薄れている。
冷たい静けさが、廊下全体を包んでいた。
一歩、足を進め、居間の扉を開ける。
そこも、誰もいない。
最後の望みをかけて、自室のドアノブに手をかけた──が、
開けた先にはやはり誰の姿もなかった。
「...まさ、か...」
背中を伝う汗が、喉元まで冷たく流れ落ちる。
嫌な予感が、もう確信に変わっていく。
アヤネは静かに扉を閉め、スマホを取り出した。
震える指先で番号を押す。
耳に押し当てた端末の向こうで、コール音が無機質に鳴り響く。
──20:29【セリカちゃん】応答なし
「っ、だめ...です...セリカちゃんが...!」
喉の奥が詰まり、呼吸が乱れる。
全身から力が抜け、壁にもたれかかったまま、ずるりと床へ崩れ落ちた。
どうすればいいのか分からない。
助けなきゃいけないのに、頭が真っ白で、足が動かない。
心のどこかで、誰かにすがるような声が響いていた。
(...誰か...誰か、助けて...!)
その瞬間、静寂を破るように声が落ちた。
「...何、泣いてるんだ」
「...ぇ?」
涙で滲んだ視界の中に、逆光を背負った人影が見えた。
立っていたのは、片手をポケットに突っ込み、もう片方の手をこちらに差し伸べる悠二だった。
その顔は穏やかで、どこか安心させるような熱を帯びている。
「...」
「ひゃっ!?」
不意に悠二が動く。
呆けて動けないアヤネを前に、彼は軽く溜息をつき──次の瞬間、彼女の膝裏と肩を支えて抱き上げた。
「お前が会議室に来るのを、皆が待ってんだよ。...ま、とりあえず飛ぶから、しっかり掴まってろ」
「ま、待ってくださいっ! 理解が追いつかな──!?」
言い終わる前に、空間が歪んだ。
風圧が一瞬にして室内を切り裂き、座標の歪みが残響を残す。
次の瞬間には、廊下には誰もいなかった。
そこに残ったのは、わずかに揺れるカーテンと、昇った太陽に照らされた風だけだった。
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「...よし、アヤネ。着いたぞ──って、どうした?」
「ふ、ふぇ...」
抱えられたまま転移してきた衝撃で、アヤネの顔は真っ赤だった。
悠二が手を離し、彼女をそっと床に下ろす。
それでも恥ずかしさに脚の力が抜け、膝がふらついた。
悠二は軽く溜息をつきながら、会議室の扉を開ける。
「戻ったぞ」
"おかえり。悠二、アカネ。無事に帰ってこれたみたいで良かったよ"
部屋の奥、いつも通りの穏やかな声。
先生が笑みを浮かべ、二人を迎える。
だがその目の奥には、深い緊張が隠されていた。
「はい、先生。無事...といえば、無事ですね...」
アヤネは指で頬を掻きながら答える。
その口元を慌てて押さえた。
何かを言いかけていたのを、ノノミが鋭く見逃さなかった。
「あら。その言い方だと、何か出来事が?」
「い、いえ、何も...!」
「...まぁ、アヤネが泣いてたこと以外は何も」
「ちょ、ちょっと!? 言わないでくださいよッ!」
悠二のさらりとした暴露に、アヤネの叫びが重なり、次の瞬間──
「ぐふっ!?」
乾いた音と共に悠二の頬に平手が炸裂した。
しかし、空気はそれで少し和らぐ。
アヤネは息を整え、場を引き締めるように顔を上げた。
「と、とにかく! 今皆さんがここに居る理由は...セリカちゃんの行方について、ということで間違いありませんか?」
「...はい」
「まぁ、そんなとこかなー」
ノノミの声が沈み、ホシノも表情を引き締める。
その静けさが、事態の重さを物語っていた。
アヤネが視線を向けると、先生と悠二は何かを操作しながら低く話している。
「先生と悠二さん...何をしてるんですか?」
「簡単に言うと、先生の持つ権限でセリカの携帯を強制的に起動して、位置を特定してるんだ」
「...へぇ、なるほどね?」
アヤネとシロコ、ノノミの三人が小首を傾げる中、ホシノだけが思案顔を見せた。
「つまり、電源を切られてたってこと...だよね?」
「うーん、そうだねぇ。電源を切るってことは、バッテリーが残ってるのに"誰か"が意図的にオフにしたってことだよ。
...つまり、そういうことだよ」
──つまり、連れ去り。
ホシノの穏やかな声に潜む鋭さが、全員の背筋を凍らせた。
緊張が走り、沈黙が落ちる。
だが、その静寂を破ったのは悠二だった。
「...場所が割れた」
「どこ?」
シロコが即座に反応する。
悠二はホワイトボードの地図に歩み寄り、指で一点を示した。
「ここだ。アビドス砂漠の郊外の路線...ヘルメット団で確定だな。先生、準備は?」
"問題ないよ"
「はい! オペレーターの方、しっかり務めさせていただきます!」
「ん、完璧」
「点検も弾薬も大丈夫です! 急いでセリカちゃんを助けに行きましょう!」
全員の声が次々と上がり、緊迫の中にも確かな意志があった。
悠二がホシノに目配せすると、彼女は頷き、自身のショットガンを軽く掲げる。
「よっしゃー! じゃあみんな、行ってみようか!」
『おーっ!』
決意の声が、アビドスの夜に響いた。
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トラックの荷台が、砂利道を進むたびに小刻みに揺れた。
セリカはその衝撃で目を覚ます。
視界の端に、金属の鈍い輝き──対戦車砲の砲身が見えた瞬間、胸の奥が冷たく縮こまる。
「う、う~ん...えっ、ここどこ...?」
縛られた手足を動かそうとするが、縄はびくともしない。
それどころか、食い込む痛みが肌を焼くように走る。
焦りが呼吸を荒げる。
「...わ、わたし...負けちゃって、それで...!」
理解が追いつく。
そして、その現実が、心を締めつける。
彼女の頭に、ラーメン屋での最後の言葉がよみがえる。
──早く出てって! 二度と来ないで! 仕事の邪魔だから!
──ホント嫌い!! みんな死んじゃえー!!
「...違うのに...そんなつもりじゃ...!」
震える声が、闇に溶けた。
唇を噛み、涙が頬を伝う。
「このまま、どこかに埋められちゃうのかな...」
誰もいない。誰も助けに来てくれない。
心の中で、何度もそう呟いた。
「...そんなの、ヤだよぉ...!」
その願いが、夜の静寂を裂いた瞬間──。
──────-龍鱗-──────
──────-反発-──────
─────番いの流星─────
──────【解】──────
空気が軋み、世界が揺れた。
音すら追いつけぬ速さで、圧縮された風が金属を切り裂く。
鋼鉄の壁が歪み、天井が吹き飛ぶ。
舞い込む砂塵の中、光が差し込む。
青空。
その中心に立つ影が、静かに言葉を落とす。
「──助けに来たぞ。セリカ」
"消えた天井"の先で、陽光を背に立つ悠二の姿。
その顔に浮かぶ微笑は、これまで見せたことのないほど、優しかった。
次回「完全詠唱」