ことね「元アイドル志望にVtuberは荷が重いデス……」 作:とるてぃーや
夏休みが終わり、平田が事務所に所属してからしばらく経った。相変わらず平田には嫌われてるっぽいけど、事務所として表向きは上手くいっていた。
それはやっぱり、『古渡かすみ』と『エリカ』のコラボ配信の成功が大きかった。
あれからも何回かコラボ配信を行い、詩歌が平田をボコったり分からせたりすることもあったけど、チームを組んでランクを回したり、運要素の強いパーティゲームを混ぜることでなんとかバランスを取ることができた。
詩歌も平田に対してまだ不満はあるみたいだけど、少なくとも配信上ではそれを出すことはなかった。
おかげで、互いのリスナーが互いのチャンネルの新しいリスナーになり、それが話題となって新しいリスナーがやってくるという好循環が生まれた。
単純計算でも詩歌レベルの配信者が2人になったみたいなもんだから、収益的にも倍増でウハウハだ。最近は収支に関するデータを眺めてるだけで、ニヤニヤが止まらなくなる。
……とまあ、事務所に関してはこの通りずっと順調なんだけど……あたし個人のことに関して言うと、あまり順調とは言えない。
あれからずっと、自分のデビューに関する相談ができていないし。
峰岸さんが忙しそうなのもそうなんだけど、どっちかって言うと平田が問題だ。あたしがデビューするなんてことを聞いたら、絶対ぐちぐちグチグチうるさいのは分かりきってるし。
一応それとなく嫌われてる原因を探ろうとはしてみるんだけど、アイツ事務連絡以外には全く反応しねーもんだからどうしようもない。嫌味言ってこないだけマシだけど。
……けど、どうしよう。このままダラダラと時間だけが過ぎて、最後までタイミングを逃し続けちゃったら。今よりもっと事務所が大きくなったら、峰岸さんはあたしをトレーナーに固定しちゃうかもしれないし。
それに、デビューしたところでちゃんと戦力になれるかも分からない。人気上昇中の2人に挟まれる形になるわけだけど、あたしは2人と違ってゲームは全然だし。
今はスタッフKとして騒がれてるけど、その勢いがデビュー後も続くかはあたし次第なわけで。
「はぁ、どうすっかなぁ……」
「お姉、どうしたの?」
「ん? あ、わりぃ、声出てた?」
登校前、朝食でちびたちと食卓を囲んでいたところ、隣にいた一番上のちびに声をかけられる。あたしは目玉焼きを乗せたトーストをかじりながら、質問に答える。うーん……目玉焼き、ちょっと半熟過ぎたなぁ。
「ちょっとバイト先でなー。まあ、内容は言えねーんだけど」
「ふーん。バイトって大変なんだね」
あたしにとっては大事な悩みでも、ちびにとっては雑談以上の意味を持たなかったらしく、呑気にトーストにマーガリンを塗っている。
いや、言えないのはマジだけどさ……ちょっとは聞いて欲しいと思うのは長女としては欲張り過ぎなのか……?
「あ、そうだ。お姉ってさ、今週の土日ってどっちか空いてる?」
「土日ぃ? 日曜なら空いてるけど」
「じゃあさ、ちょっと練習付き合って欲しいな」
「練習? なんの?」
「バスケ!」
あー……なるほど、来週球技大会があるのか。そういやあたしのときも、こんくらいの時期だったか。
「別にいーけど、あたしだってバスケ上手いわけじゃねーよ?」
「いいの。対戦相手が欲しいだけだから」
球技大会ってことはチームメイトが友だちとも限らないし、学校外での練習相手が欲しいってことかぁ。
まあ、いつも下のちびどもの世話とか任せちゃってるし、偶にはあたしもお姉ちゃんらしいことしてあげないとか。
「分かった。じゃあ日曜に近所の運動公園でな」
「ほんと? ありがとー!」
「はいはい。ほら、早く食べなって。遅刻すっぞ?」
しょーがねーなぁ、ったく。運動は得意だし、最近は基礎トレで体力も戻ってきた。ここはいっちょ揉んでやるか。
……そう、朝は思ってたんだけど──
「……え? 日曜、ですか?」
今日のバイトに出勤したところ、困ったことになってしまった。それは、事務所で峰岸さんに聞かされた話が原因だった。
「ああ。プロ用のモーキャプスタジオの予約がやっと取れたんだ。今後の企画で使う前に、ちょっとテストがしたくてな」
予約できたのがよっぽど嬉しかったのか、「大変だったんだぜ?」なんて呑気に言ってる峰岸さんだけど、あたしはそれどころじゃなかった。
「あの~、それってぇ……朝から?」
「ああ。初めて使うからな。テストだけだが、トラブルも考慮して、今回は半日くらい借りてる」
「場所は……」
「車で行くけど、渋谷の方だな」
ってことは……終わるのは早くても夕方か……? さすがに、そこから公園に行くのはなぁ……でも、やっと予約取れたって言ってたし……どうしよ。
「……もしかして、なんか予定あったか?」
黙ったまま返事をしないあたしの事情を察したのか、申し訳なさそうに確認される。その優しさに触れた瞬間、天秤が一気に傾いた。あたしは心の中でちびに謝り、慌てて否定する。
「いえいえ! 調整できるやつなんで、大丈夫ですよ!」
「……ほんとか? 無理なら、別の日でも……」
「ほんとですって!」
そういう配慮の気持ちだけで十分だった。あたしは再度、決心を固めた。
その日の夜、あたしはちびに謝り倒して、必ず埋め合わせをすると約束したけど、ちびは寂しそうに「大丈夫だよ」と言ってくれるだけだった。
……ほんとにごめん、ちび。もし早めに終わったら、なる早で帰るから。あと、お土産とか買ってくるから。
***
日曜日。日課のランニング後に支度をしたあたしは、峰岸さんの車に揺られて予約のスタジオに向かった。
スタジオの建物は一見するとどこにでもあるような普通の雑居ビルっぽい感じだったけど、中はその真逆だった。スタジオに足を踏み入れた途端、あたしは驚きの声が漏れた。
「ほぇええ……すっご。周りのやつ、これ全部カメラですか?」
「ああ。これで全周囲から動きを取るんだ。事務所の個人用のやつとは大違いだろ?」
あたしは大きく頷く。傍から見たら、目を輝かせているように見えたに違いない。みっちりと等間隔で設置されたカメラ、壁一面のグリーンバック、たくさんのモニターやパソコン、そして協力してくれるスタジオのスタッフたち。
めっちゃ広いってわけじゃないけど、ザ・プロのスタジオって感じが堪らない。小学校のときの修学旅行で、国会議事堂に入ったときの感動に似ているかも。ちびには申し訳ないと思いつつも、心は正直だった。
「おはようございます。伊藤と申します。本日はよろしくお願い致します」
そうやってスタジオを眺めていたら、入室に気づいたスタジオのスタッフの方が声をかけてくれたので挨拶を返す。どうやら、メインで対応してくれるスタッフの方らしい。
「機材チェックがもう少しで終わりますので、その間に着替えの方をお願いできますか? あっちの方に更衣室がありますので」
「あ、はい、分かりました」
別の女性スタッフの今井さんという方の案内で控室も兼ねているという更衣室に向かう。そこで専用のモーションキャプチャースーツに着替えることになったんだけど……えと。
「あのぉ……ほんとにこのスーツでやるんですか……? なんかピッチリしてて、ラインが……」
「あはは、最初は恥ずかしいですよね。ですけど、正確に動きを取るにはこのスーツじゃないとダメなんですよ」
あたしは鏡の前に立って自分の姿を見る。表面がマジックテープのようになっているスーツは黒で統一されていて、ところどころに明るい青の線が入っている。
そのスーツはピッタリと全身を覆っていて、体格に合わせてるらしいけど……かなりキツイ。そのせいで、水着を着ているときみたいに全身のラインが丸わかりになっている。
露出だけで言えば水着の方が上だけど……これからこの格好でたくさんのカメラの前に立つわけで……まだ誰にも見られてないのに、腕で体のラインを隠そうとしてしまう。
「この後、トラッキング用のマーカーを付けたりしますし、私たちスタッフは慣れてるのであまり気にしなくても大丈夫ですよ。お医者さんに行ってるくらいの気持ちで行きましょう」
「えーっと……ハイ、がんばってみマス」
最後に水泳帽みたいな黒い帽子を被る。後は、さっきトラッキング用と言っていた小さなボール状のマーカーを全身に取り付けて終わりらしい。
1個ずつ丁寧に、今井さんがそれらを取り付けてくれる。
「それにしても、随分お若いですね。学生さんですか?」
「はい、そうなんですぅ。ちょっと、バイトでダンストレーナー的なことをやってまして」
「ええ!? てっきり演者さんの1人かと思ってたんですけど……その歳ですごいですね」
「あはは、ありがとうございます。ぶっちゃけ、最初は無茶ぶりだと思ってたんですけど……まあ、なんとか上手くやってるって感じです」
沈黙が長くならないように配慮してくれているのか、ちょくちょくと話題を振ってくれる。あたしはそれに対して愛想良く答えていく。
「なにかやっていたんですか? 新体操とか、フィギュアとか」
「あー、いやぁ……そういうんじゃないんですけどぉ……」
新体操はともかく、フィギュアなんて高くてウチじゃできねーし……っていうのは置いておいて。まあ、話の流れ的に答えないとダメかぁ。
「実はぁ……中学から高1まで、初星に通ってて……」
「初星!? それってあの100プロの!?」
ほら、やっぱりこうなった。大人からの尊敬の眼差しに居心地の悪さを感じ、あたしはつい否定の言葉を口にしてしまう。
「と言っても、あたしは大して成績良くなかったですよ。結局、転校しちゃいましたし」
「いやいや! それでもすごいですよ! それに、今トレーナーをやってるってことは、ちゃんと実績として評価されてるってことですよ!」
「っ……あはは、ありがとうございます」
ほんのりと頬に熱が灯る。初対面なのに、この人の褒め言葉はスッと心に染みる。トーンが感情豊かで、お世辞っぽくないからかな……?
「私って、ライブとかダンスとかがすごい好きなんですけど、運動が苦手で……自分で踊りたくても、全然ダメなんですよー」
でも諦め切れなくて、代わりにこうやってCGスタジオで働いてるんですよー、と教えてくれる。
へえ……そういう人もいるんだなって、ちょっとだけ世界が広がった。
「ゲーム用のアクションとか、ダンスとか、アクターさんのモーション見るのってすごく楽しいんですよ」
マーカーの取り付けが終わったらしい。今井さんがあたしから離れる。
「だから、テスト撮影とは聞いてますけど、今日も楽しみにしてます。がんばってくださいね」
──楽しみ。
間違いなく、そう言ってくれた。常日頃、たくさんのモーションを撮影していると言うプロの人が。
……そっか。
これから、プロの人たちに見てもらえるんだ。ちびの約束を破ったことばっか気にしてて、目の前のチャンスを見逃していた。そうだ、約束を破ったのはもう変わらないんだから、せめてこの機会を活かさないと。
ようやくそのことに気づいたあたしは、両手をじんわりと握りしめる。もし、この人たちに褒めてもらえたら……峰岸さんにも。
今井さんに促され、体を捩って動きに問題がないことを確認する。大丈夫そうだったので、あたしたちはスタジオに戻った。
「じゃあ早速ですけど、トラッキングのテストを行いますので、真ん中に立って動いてみてもらってもいいですか?」
言われるがままに真ん中に立つ。今井さんの言ってた通り、今のあたしの姿は全く気にしてないっぽい。不思議なことに、それだけであたしの中の羞恥心はほとんどなくなっていた。
まあ、プールで水着になってても気になんないのと同じか。
「あれ、これって……」
「ああ。事前にデータを渡しておけば、モデルもある程度自由に変えられるんだ」
演者の確認用に目の前に置かれていたモニターに、『スタッフK』のモデルが映っていた。既にあたしの動きと連動してるらしく、あたしが手をブラブラさせるとモデルも同じように動く。その精度はびっくりするくらい正確で、まるで鏡に映っているあたしを見ているみたいだった。
「うわ、すごっ……!」
「だろー? やっぱちゃんとしたダンスモーション取るなら、これくらいの精度がないとな」
面白くなってきて、あたしは軽くステップを踏んだりターンを入れてみたりする。そういった複雑な動きにもしっかりと付いて来て、プロレベルのモーションキャプチャーの性能に感動しっぱなしだった。
「トラッキングは問題なさそうですね。すぐに本格的なキャプチャーに入れますけど、どうされますか?」
「そうですね……今日はテストなんで、まずは1曲分の短めのダンスデータを撮りたいのですけど……」
峰岸さんが伊藤さんと今日の段取りについて再確認している。
あたしは今日のことを聞かされた時点で、テストで撮る曲については聞いている。もちろん、振り付けについても事前に練習したので完璧だ。
「じゃあ一旦撮ってみましょうか。藤田さん、準備はいいですか?」
「はーい、大丈夫でーす!」
カウントダウンが始まる。あたしは構えを取って、曲がかかるのを待つ。周囲のスタッフの集中を感じる。しーん、と部屋が静まり返る。強めに効いている空調の冷たい風が頬に当たる。
……こうしてちゃんと踊るのも久々だなぁ。でも、だからこそなのかもしれない。
詩歌の言っていた通り、昔のあたしは過労で実力を出せてなかっただけなのか。
当時の体力やフィジカルを取り戻せているのか。
あたしのダンスに……本当に価値はあるのか。
ちびとの約束を破ってここにいるんだ。それくらいのつもりで臨まないと、意味がない。
この場にいるのはプロのスタッフ。CGの仕事も手掛けているらしいし、きっとあたしのモーションにも点数を付けられる人たちだ。
だから……教えてほしい。今のあたしの可能性を。
ステージではない場所で、必死に理想のステージの景色を思い浮かべる。
観客のサイリウムの色や軌跡まで鮮明に見えるくらいに。
コールや歓声が、聞こえそうになるくらいに。
曲が始まった。リズムに合わせて力強くステップを踏み、腕を大きくしならせた。
流れ星のようにキラキラと。
柳のようにしなやかに。
あの人のように、堂々と。剣を掲げ、不適な笑みで、炎の中で舞っているつもりで。
鏡代わりのモニターに映る自分の動きを盗み見る。
……よし、大丈夫。ちゃんと思い描いた通りに動けている。かつての夢が、形を持って画面に映っているみたいだった。
確かな手ごたえを感じながら、あたしは汗を流し、息をちょっとばかり切らせながらも、最後まで踊り切った。
「はあ……すぅー……ふぅー」
再び静かになったスタジオの中、あたしは黙々と息を整える。汗が肌を伝っていく中、いつまで経っても周囲の反応がない。
……どうだったの? プロたちの目に……あたしはどう映った?
最終審査のときを思い出す。あのときは……審査員の様子を見るだけで大体の結果は明らかだった。
そもそもあたしに興味なさそうに手元の用紙を確認してたし、「お疲れさまでした」という言葉にはなんの感情もこもってなかった。
あのときはドキドキする間もなく結果が分かっちゃったけど……今回は爆発しそうなくらいに心臓がうるさいままだ。
……何秒経った? もしかして、ただ無反応なだけ? このまま淡々と、次のテイクに入っちゃうのだろうか?
そんな風に思っていたそのとき…………パチパチと、横からなにかを叩く乾いた音が聞こえた。
「ぁ……」
それは、ずっと欲しくて欲しくて仕方がないものだった。
同じような音が別の方向から重なる。伊藤さんだ。そこにさらに峰岸さんのものも加わって……大きな拍手になって、あたしの耳を包み込んだ。
周りを見渡す。3人の目線が、あたしに向いている。にこやかな表情で、あたしに拍手を贈ってくれている。
ライブのような、万雷の拍手ではない。全力で手を叩いているわけでもない。言ってしまえば、リハーサルの出来がよかったときくらいの温度感。褒められてるのは間違いないけど、称賛されているかと言うと、まだそこまでじゃない。
なんだけど…………なんで……っ……なんでなんだろう。
じんわりと……目の奥が熱くなる。どうしようもなく、心が満たされる。
呼吸はまだ荒いけど……息苦しさすら、どこかに行ってしまった。
「わぁ……! お上手じゃないですか! やっぱ初星出身ってすごいんですね!」
「ぇ……!? エ……ト……っ……そう、ですか?」
「そうですよー! 今のダンス、本当に上手でした!」
今井さんは目を輝かせながら両手をパンと合わせると、ねえ? と伊藤さんに投げかける。すると、伊藤さんはすぐに笑顔で親指を立ててあたしの方に突き出してくれた。
「仕事柄、ゲームのライブシーン用のダンスモーションの撮影をすることも多いですけど、撮影を担当するダンサーに全然負けてませんでしたよ?」
伊藤さんが手招きをしてきたので、あたしは彼が作業をしているパソコンの近くまで歩み寄る。峰岸さんと今井さんもやって来た。
「適当な背景と合わせただけですけど、ほら」
モニターを覗く。そこには、それっぽいライブステージの上で踊っているスタッフKのモデルの姿があった。
あたしから見ても、その動きはびっくりするほど滑らかで、キレッキレだった。本当に自分が踊ったのが信じられないくらいに。
「これ……あたしが?」
「そりゃそうだろ。よく動けてんじゃねーか」
ストレートな褒め言葉に胸が弾む。返答に詰まり、誤魔化すように映像に集中する。
「本番用の場合はこのまま軽く調整を入れたりしますけど……どうしますか?」
「いえ、今日は時間内で試すだけ試したいんで、データだけもらって、このまま続行でお願いします」
横で峰岸さんが伊藤さんと次の段取りを話しているみたいだけど、そんなのどうでもよかった。
あたしはただひたすらに、自分の踊りに魅入っていた。仮のステージを置いてあるだけだから演出は全くないし、表情周りとか指の細かい動きとか、調整しないといけない部分はたくさんある。あるんだけど……どうしても、目が離せない。
あたし……ほんとはこんなに踊れたんだ。
もしかしたら、実際に映っているのがあたしじゃなくてスタッフKのモデルなのがよかったのかもしれない。逆に先入観がなくなって、より客観的に自分を見れてる気がする。
でも、それだけじゃ足りなかった。もっと確信が……誰かに、背中を押して欲しいと思ってしまう。石橋を叩くような臆病さだって自覚はあるけど、長い年月で失った自信はそう簡単には取り戻せないのだ。
「……あの」
「はい、どうしました?」
近くにいた今井さんに声をかける。
「あたし……ほんとにちゃんと踊れてますよね? って、すいません、何回も同じようなことばかり……」
肩を縮こませてしまう。ちょっと卑屈過ぎたかもしれない。ただ、今井さんは特に気にした様子もなく、涼しげに笑う。これが大人の余裕なのだろうか。
「いいんですよ。こういうのって、自分だけだと不安になりますよね。うーん、そうですね……」
一瞬の間。今井さんは人差し指を自身の顎に当て、ゆったりと答えてくれる。
「お世辞抜きに、とてもよかったですよ? 最初はちょっと固いかなって思いましたけど、そこら辺は慣れもありますし……全然プロのアクターとしてもやっていけそうな感じです。トレーナーを任されてるのも納得だなーって」
「ほんとの、ほんとにですか……?」
「はい、もちろんです。踊ってる最中もご自身の動きをちゃんと把握できてたと思いますし、モーションには出てないですけど、指先の表現も綺麗でしたよ?」
「っ~~! そ、そうですか。……ありがとうございます、ほんとに」
我ながらワンパターンな反応だと思いつつも、体が熱くなるのを止められない。
でも、なんだかいい心地だ。ずっとあった心の中のつっかえが1つ、取れた気がする。
プロの人にここまで言ってもらえたんだ。……もう少し、自分のことを信じてみよう。やっと、そう思えるようになった気がする。
改めて、今井さんにお礼を言った。
「ことねー。次はライブ配信を想定したテストをしてーから……」
「あ、はい。りょーかいですっ!」
峰岸さんの合図で撮影スペースに戻る。足取りは、はっきりと分かるくらい軽やかだった。
そのおかげかどうかは分からないけど、その後の撮影も順調に進み……予想よりもずっと早く撮影が終わるのであった。
***
撮影が終わった帰り道、あたしは車の中で峰岸さんからお叱りを受けていた。と言っても、撮影に関することではない。
「ったく、やっぱ今日用事あったんじゃねーか。それくらいちゃんと言えよ、水臭えーな」
「いやぁ、あはは、すいません。でも思ってより早く終わったんで、急げばちょっとくらいは時間あると思いますから」
おどけた調子で謝罪する。そう、ちびとの約束より撮影を優先したことがバレてしまい、ちょっとしたお叱りを受けていたのだ。
まあ、バラしたのはあたしだけど。近所の運動公園に直接向かって欲しいと伝えたときに、理由を話さざるを得なかったのだ。
「次はちゃんと言えよ。なんの告知もしてねー段階なら、多少は融通利かせっからよ」
「了解でーす。けど、それはそれとして、今日の撮影に参加できてほんとによかったと思ってますよ、マジで」
少なくとも、デビューしてみたいという気持ちはずっと強くなった。平田との問題が解決したら、すぐにでも持ち掛けたいくらいには。
逆に言えば、平田との問題にケリが着くまでは、もう少し黙っていようと思っていた。
だけど、次に峰岸さんから飛び出した言葉に、あたしは度肝を抜かれることになる。
「──ならよ、今度こそ本当にデビューしてみねーか?」
「……え?」
今、なんて言われた? デビュー?
「次の企画なんだけどよ、あいつらの3Dライブ配信をやろうって思っててな。今日の撮影も、それを踏まえたテストだったんだけどよ……」
峰岸さんはウィンカーを出して、右折する。遠心力で体が揺れるのを感じながら、続きを待つ。
「その最後に、サプライズでことねのデビューとライブをやるのはどうかなって思ってんだ」
もう本当のモデルの制作も進めてるんだぜ、と衝撃の事実をサラッと言われてしまう。
「だからよ……」
「ちょ、ちょーっと待ってください! もうそこまで準備してるんですか? あたし、まだなにも言ってないのに……!」
「──詩歌に相談されてな。お前がデビューに前向きだって」
一瞬で犯人が明らかになる。
詩歌ぁ……あんのやろう……黙ってるように言ったのに、また勝手にそういうことを。事務員としてのあたしの頭は痛くなる一方だ。
「あんま責めないでやれよ? 多分、お前が明美と上手く行ってないのを見て、心配したんだろうし」
「……すいません。一応、話を聞こうとはしてるんですけど」
「それに関しては俺もすまん。まさか、こんなことになるなんてな」
峰岸さんが気にすることじゃない。こんなのは、誰にも予想できないだろうし。
「ただな、俺の気持ちは最初に会ったときから変わってない。ずっとずっと、ことねにはVとしてもデビューして欲しいって思ってる」
運転に集中しているので、視線を合わせることはできない。だけど、その声のトーンだけでどれくらい本気なのかはすぐに分かった。
詩歌の配信にお邪魔したときのリスナーとの一体感。テスト撮影でのダンスで感じたあの高揚感。どっちも、何度でも味わいたいと思った。
……デビューすることに、もう迷いはない。でも、心配事はある。せめて、それだけは解決してからにしたい。
「……ちょっとだけ、待っててもらえませんか? 来週中には、絶対に返事をしますから」
「構わねーけど……それって、もしかしなくても……」
「はい。──平田のやつと、ちゃんと話してみます。どっちみち、いつかはしないといけないことだと思うんで」
学校で無理やり捕まえれば、話くらいはできるっしょ。今までそれは避けてたけど、デビューするという目標を決めた今、ようやくその決心をする。
車のエンジンが加速に合わせて唸る。なんだか車に励まされたみたいで、思わず口角を上げてしまった。
峰岸さんは「そうか」とだけ言ってくれた。あたしには、それで十分だった。
話はそこで終わり、残りの時間は撮影の振り返りやら、他愛もない雑談へと移っていくのであった。
***
もうすぐ夕方と言える時間に差しかかかるころ。近所の運動公園まで峰岸さんに送ってもらったあたしは、お礼を言ってからすぐに車を飛び出す。
お母さんに確認したら、ちびはまだ外で遊んでるって話だったので、きっとまだ練習しているに違いない。
確か、バスケのスペースはこっちの方だったような。記憶を頼りに、公園内の入り組んだ並木道を進む。
スタジオや車内など、涼しい場所にずっといたせいか、全身を包むような蒸し暑さがつらい。歩いているだけで滲んでくる汗にげんなりしてくる。なるべく日陰を選ぶようにして進む。
やがて、簡易のバスケコートが見えてくる。同時に、ボールが地面を跳ねるような音が響いて来る。ドリブルの練習でもしてるのかもしれない。
「ちびっ! 遅くなってごめん……!」
ボールをついているちびの背中が見えたところで大声で呼ぶ。
「あ、お姉!」
すぐに気づいたちびは勢いよく振り返る。あたしもダッシュで駆け寄る。
駆け寄ったんだけど──
「「あ……」」
完全に予想外だった。ちびの側に別の誰かがいたことなんて。
しかも……それが平田だとは、夢にも思ってなかった。それは向こうも同じだったみたいで、珍しくなにも言わずに目を丸くしていた。
これは……一体なにがどうして?
そんな風に混乱していたあたしに、ちびは嬉しそうに説明してくれた。
あたしとしては信じられない話だったけど……平田が、ずっとバスケを教えてくれていたのだと。
マジで? そんな思いを込めて向けた視線の先に映った平田は……不機嫌そうに、腕を組んで唇を固く結んでいた。