ことね「元アイドル志望にVtuberは荷が重いデス……」   作:とるてぃーや

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第8話 その声を忘れない(前編)

 駅前で峰岸さんに拾われ、家から着替えを持って、詩歌の家に向かった。家にほとんど食材がないという連絡があったので、スーパーにも寄った。

 

 移動中、あたしはずっと車内の助手席で足を揺すり続けていた。熱はそれほど高くないと聞かされても、変わらなかった。

 

 詩歌の家に到着すると、麻央先輩が出迎えてくれた。どうやら、詩歌は今は寝ているらしい。

 リビングで詩歌の容態を聞く。本当にただの熱のようで、薬を飲んだらだいぶ落ち着いたとのこと。それを聞いて、ようやくあたしはほっとする。

 

「むしろ問題なのは、体調を崩した原因の方だと思います。……これを」

 

 そう言って麻央先輩が取り出したのは、数枚の紙と写真だった。

 なんだろう? と思って麻央先輩が差し出した1枚を受け取ってみたら、怖気が走った。

 

「これ……あたし?」

「ちなみにボクのもあるよ。明らかに隠し撮りのやつがね」

 

 角度的に、あたしの写真も絶対に隠し撮りだった。多分、買い物の帰りだ。

 いつ撮られたのかも分からない。ごくりと、固唾を飲む。

 

「それと、こっちも」

 

 続けて、手紙っぽい方の紙を受け取る。気が進まないけど、ゆっくりと開いてみる。

 目に入ったのは、刑事ドラマとかで見る新聞とかの文字を切り貼りして作った言葉の羅列だった。本当に切り貼りしているわけではなく、そういう文字を使ってプリントしたようだ。

 

『今すぐVをヤメロ。コイツラがどうなってもいいの? やっちゃうヨ?』

『ゴミみたいな声で媚びるなカス。キショイんだヨ』

 

「うわ、なにこれ……気持ちわる」

 

 テレビ越しでもヤバかったけど、本物は比べもんにならない。喉を締め付けられるような……魂が怖がっているような感覚。

 

「さっき郵便受けを確認したら入ってたんだ。その内の何枚かは詩歌の部屋にあったものだよ」

 

 よく見ると、手紙の内の数枚はクシャクシャになっていた跡があった。やったのはきっと、詩歌だ。

 

「こんな嫌がらせまでされてたのか……クソが、ふざけやがって」

「詩歌の性格的に、ボクたちには相談できなかったのかもしれません。だから、1人で耐えて……」

 

 耐えすぎて、倒れてしまった。

 今回は軽い症状で済んだけど、今後どうなるかは分からない。なんとかしないと、絶対に悪化する。

 

 あたしはここ何日かで集めた情報を共有する。しかし、やっぱり情報としては不完全で、あまり意味はなかった。

 

 結論が出ないまま時間だけを浪費し、麻央先輩が出る時間になってしまった。峰岸さんは麻央先輩を送ってから事務所に戻るらしい。なにかあったら呼んでくれとだけ言われた。

 

「こんなときなのに任せてごめんね、ことね。この時期は大学の方も忙しくて」

「気にしないでください。最近ずっとお任せしてばかりでしたし、ここはばっちし引き受けますよ!」

 

 心配させないように、大げさに胸を叩いてみせる。

 ……いってぇ。強く叩きすぎた。

 

「ふふ、心強いね。それじゃあ、お願いするよ。詩歌によろしく頼むよ」

「はい! お疲れ様でしたぁ!」

 

 バタン、と玄関が閉まった。車のエンジン音が響き、遠ざかった。

 あたしは「よーし!」と口に出して気合を入れる。ぶっちゃけ空元気だけど、今は詩歌のことだ。

 

 家に寄ったとき、お母さんには友達の家に泊まるかもって言ってある。明日は学校だけど、朝早くに戻れば大丈夫っしょ。

 

 あたしはキッチンに向かい、早速調理に取り掛かった。

 と言っても、ただの卵がゆなんだけどね。一応、梅干し付き。

 

 

「起きてるー?」

 

 小声と共に、そっとドアを開く。麻央先輩の話が本当なら、寝始めてからそれなりに時間が経ってると思うけど、念の為。

 

「……ことねちゃん?」

「お、よかった起きてた。調子はどう? おかゆあんだけど、食べれそう?」

「う、うん、大丈夫。……ありがとう」

 

 断りを入れてから明かりのスイッチを入れる。急に明るくなったことで、ベッドに入っていた詩歌は眩しそうに目を細める。

 

 あたしはベッドの近くで膝をつき、おかゆを乗せてあるお盆ごと彼女の膝辺りに置いた。詩歌は上体をゆっくり起こした途端、腹の虫が鳴った。

 

「っ……ち、違うの……これは」

「女同士なんだから気にすんなって。でもよかった、食欲はあるっぽくて」

 

 額に手を当ててみると、まだ少し熱いけど、もうかなりよくなってそうだった。

 

 詩歌はスプーンを手に持つと、梅干しを崩してから口に運ぶ。おかゆなんて失敗しようがない。彼女はそのまま2口目、3口目と掬っていき……あっという間に空になった。

 

「一応まだあるけど、どうする?」

「もう、平気。ごちそうさま。えへへ、おいしかった」

「……そっか。じゃあ残りは明日の朝一緒に食べよっか」

 

 詩歌が「どういうこと?」と聞くので今日は泊まるつもりだと伝えた。かなり驚かれたけど、反対はしてこなかった。

 

 食器を片付け、順番に風呂に入る。ドライヤーを使わないという詩歌に衝撃を受けたあたしは、ベッドに戻った彼女の髪をドライヤーで乾かしてやる。

 ……同い年なのに、なんか妹の面倒みてるみたいだ。

 

「もう、髪くらいちゃんと乾かした方がいいよ?」

「でも別に……あんまり家出ないから」

「最近はよく事務所に来てんでしょーが。ったく……」

 

 アンチの話題だけは避けながら、他愛もない話をする。詩歌の心が少しでも安らぐようにと、なるべく明るい声で、秘蔵の面白エピソードを次々と披露する。

 それを聞いた詩歌は「あはは、なにそれ……!」と声を上げながら楽しそうに笑う。よかった、なんとか元気づけられたっぽい。

 

「ほい、終わり。まだ乾いてないとこある?」

 

 詩歌は自身で軽く髪を触り、「大丈夫」とだけ告げる。あたしはドライヤーを置くと、その場で立ち上がる。詩歌の許可をもらい、隣の部屋には布団を敷いてあるのだ。

 

「じゃ、あたしはそろそろ隣行くね?」

「え……もう、寝るの?」

「いや、まだ起きてるけどさ。もうすぐ3連休なんだから、ちゃんと治さないとっしょ?」

「う、うん……そうだけど……」

 

 これでも合間を縫ってちゃんと作業を進めて、演出はほとんど出来上がっているのだ。3連休に入ったら、本番に向けた練習を本格的に始める予定だ。

 

「まあ、なんかあったら連絡してよ。それじゃ、おやすみ~」

 

 手を振って、部屋から退散しようとする。

 

 ……しようとしたんだけど、寝間着代わりのランニングウェアの裾を引っ張られてしまった。もちろん、犯人は1人しかいない。

 

「詩歌?」

「ぁ…………ぇ……ト」

 

 思わず摘んでしまったんだろう。真っ赤にした顔を伏せながら瞳を潤ませ、唇を固く結ぶ。

 

 ……なんか可愛いな、コイツ。

 

 ムクムクとした気持ちが湧き上がる。ちょっとからかってやりたくなって、ニヤリと口角を上げる。

 

「詩歌ぁ、どうしたのぉ~? 離してくれないと、移動できないんだけどぉ~?」

「だから……その」

「なぁに? 言いたいことがあんなら、ちゃんと言いなってぇ~」

 

 睨みつけられるが、ちっとも怖くない。まあ、病み上がりみたいなもんだし、この辺にしとくか。

 

「ごめんごめん、分かったから。寝るまでは一緒にいるよ」

 

 デスク近くの車のシートみたいな椅子をベッド近くまで持ってくると、それに座る。安心した様子でベッドに潜り直した詩歌を見たあたしは、ついでに手を握ってやる。

 

「あ、手……」

「どうせ近くにいんなら、こうした方が安心っしょ? あ、それとも一緒に寝てあげた方がよかったぁ~?」

 

 あたしとしては、もうちょいからかってやろうかと思ってのセリフだった。流石に、これは断ってくるだろうと。ベッドもシングルだし。

 

 ところが……だった。詩歌はあたしの手を強く握ったかと思うと、迷わず頷くのだった。

 

 えっと……マジ?

 

 

 照明を完全に落としてからしばらく経つ。目が暗闇に慣れて、周囲のシルエットがはっきり分かる。

 まだ眠気はあまりない。背中からは詩歌の体温を感じる。女同士とはいえ、やっぱりシングルに2人はかなり狭く、背中合わせのまま体勢を変えられない。

 口は災いのもとってか……今度から気を付けよう、マジで。

 

 一方で、それだけ心細かったのかも、とは思う。峰岸さんに聞かされた話を思い出す。

 

 物心つく前に両親は離婚し、父親も仕事で単身赴任中らしく、家ではずっと1人。配信中も、コメントが流れることはあっても基本的にはモニターの前で1人。

 

 そんな中でネットで叩かれ、知人にあることないこと言い触らされ、あげくの果てには手紙での誹謗中傷や脅迫。

 病み上がりのことも考えれば、むしろ当たり前の反応だったのかもしれない。

 

「……ねえ、まだ起きてる?」

 

 この世界が漫画だったら定番のセリフが飛んできた。あたしは「起きてるよ」と背中越しに伝える。

 

「やっぱ、ちょっと狭いね。……わがまま言ってごめんね」

「……いいけどさ。ただ、詩歌がこんなグイグイ来るとは思わなかったなぁ」

 

 詩歌が身じろぎをする。毛布が、少し引っ張られる。全部取られないように、ちょっとだけ抵抗する。

 

「おかゆとか、髪とか、嬉しくて……つい。そういうの、あんまりなかったから」 

「今の詩歌は病人だからね。特別だっての、特別っ」

 

 『特別』の部分を強調する。元気なときだったら、絶対こんなことしてやんねー。

 

「うん、分かってる。……最後かもしれないから、こうやって甘えられてよかった。ずっと、お姉ちゃんがいたらなって思ってたから」

「あっそ。そりゃどうも」

 

 話している内に睡魔が少しずつ襲ってきた。そろそろ目を閉じようとし……意識が覚醒した。

 

 ……最後?

 

「詩歌? 今、なんて……」

「ありがとう。今日、ずっと気を遣ってくれてたよね」

「……なんの話?」

 

 咄嗟にとぼける。でも、バレてたのか。やっぱそんな簡単に気を逸らせないか。

 頭を動かし、耳を詩歌の方に寄せる。

 

「あのね……まだ翔くんには言ってないんだけどね……」

 

 その言葉に、思考が止まる。

 

 直感で、理解してしまった。詩歌が、今からなにを言おうとしているのかを。

 でも待って、詩歌。その先は、言わないでほしい。ねえ、お願いだから。

 

 だけど、願いは届かなかった。

 

「――わたし、Vtuberやめようと思うの」

 

 疲れたような声が、闇に溶けて消えた。沈黙の中、遠くのバイクらしきエンジン音だけがはっきりと響いていた。

 

 Vtuberをやめる。その声が、こびりついたように頭から離れない。全力で走った直後のように、心臓がバクバクと胸を突き破ろうとする。手汗がはっきりと浮かんでいた。

 

「ちょ、ちょっと、詩歌……」

 

 なにか言わないと。そう思って咄嗟に声をあげたけど、言葉が続かない。

 カーテンの隙間から覗く光が、今はうっとうしい。

 

「たくさん、色々教えてくれてありがとう。仲良くしてくれて、嬉しかった」

 

 あたしを無視したまま、言いたいことだけを一方的に言ってくる。

 まるで、事前に用意した録音を再生しているかのようだ。

 

 一拍、間が置かれる。再生が一瞬止まったような、奇妙な間だった。

 

「だから、今だけはずっと、一緒にいて……ほしいな。朝ごはん食べたら……ちゃんと、終わりにするから」

 

 悲痛に満ちた詩歌の言葉が右から左へ流れていく。その間、あたしは原田が別れを切り出されたときの話を思い返し、必死に頭を回転させていた。

 

 これじゃ、原田のときと一緒だ。一方的に別れて、距離を取って、それで……また閉じこもって。

 

 それは……ダメ。ここしばらく調べ回ったことが無意味になっちゃう。また詩歌が傷つくだけで終わっちゃう。

 

 体に、急に力が戻った。

 

「待って、詩歌……!」

 

 あたしは勢いよく体を起こすと、近くのベッドランプを点けた。

 詩歌の姿が浮かび上がり、彼女の影が床に落ちた。その詩歌は、未だ背を向けたままだった。

 

 逃げ出そうとしている猫に慎重に手を伸ばすような心境で、語りかける。

 

「やめるって、なに言ってんの。……ほら、こっち向いてよ」

 

 懇願するも、詩歌は微動だにしない。肩に手を添えると、すぐに振り払われる。

 一瞬、なにをされたのか分からなかった。

 

 ……なに、いまの。

 

 一方的な拒絶。話し合おうとすらしないその姿勢に、段々と心配よりも苛立ちが勝ってきた。とろ火でじっくり熱されていた鍋の水から、ポコポコと泡が浮かび上がってくる。

 

 大きく息を吸い、一気に吐き出す。ちょっとは落ち着いたけど、依然として胸の奥が熱い。

 

 ああ、そう……そっちがその気なら、いっそのこと、言いたいこと全部言ってやる……!

 あたしはツマミを一気に右に回し、感情に委ねるがままに、今度こそはっきりと口を開いた。

 

「じゃあなに? アンチの言いなりになるっての?」

 

 返事はない。寝てるフリでもしているかのように静かだ。

 ふーん……この程度じゃ反応しないか。なら、もっとだ。

 

「詩歌、いっつも楽しそうに配信してたじゃん。歌枠のコメントだって何回も見返してたじゃん。それ全部できなくなるけど、いいわけ?」

 

 微かに……注意深く見ないと分かんないくらい、少しだけ肩がピクリと揺れた。

 その間もあたしのボルテージは上がり続け……熱した水面がゆらゆらと、凹凸を絶え間なく作り出す。

 

「毎日ランニングしてたんだろ!? MVの為に、歌の練習もめっちゃ頑張ってたじゃん! それを、アンチなんかのせいで諦めるってんのかよ!?」

 

 夜遅いにも関わらず、声が荒くなっていく。相変わらず反応はないけど、毛布を全部引っ張って、それにくるまってしまった。

 

「あたしみたいに踊りたいって、言ってくれたじゃん! あれは嘘だったの?」

 

 詩歌は体を丸め、さらに強く毛布にくるまる。その姿はまるで、さなぎのようだった。

 でも、このさなぎは羽化する気がない。殻にこもって、永遠に終わらない嵐の中で一生を終えようとしている。本当は、綺麗な蝶になれるのに。

 ――だから、強引に引っ張り出さないと。嵐のない場所に、飛んで行こうよと。

 

 怒りを深く秘めたまま、冷静に言葉を選ぶ。そして、確信を持って選んだそれを声に出した。

 

「……あーあ、原田のやつも可哀そう。こんなヘタレに入れ込んでたなんて。ちょっと小突かれただけのくせにさ」

「……ぇ」

 

 効果はてき面だった。今までで最もはっきりと体を揺らし、露わになった耳がピンと立っていた。あたしの口から原田の名前が出るなんて、夢にも思ってなかったに違いない。

 

「この前、学校で声かけられてさぁ。聞いたよ、詩歌のこと」

 

 1つずつ、丁寧に、原田から聞いたことを語り聞かせてやる。付き合ってたことも、いじめのことも、最終的に勝手に別れを切り出されたことまで全部。

 

 毛布が震える。それを見てほくそ笑んだあたしは、黙って聞いてる詩歌に向かってさらに畳みかける。

 

「まあでも? ちょっと見る目がなかったよなぁ。こんな自分勝手なやつだったなんてねぇ? あたしなら絶対相談するし、別れるなんてしねーのに。いいやつそうだし、いっそあたしが……」

 

 そこまでだった。最後まで言い切る前に、先に詩歌が動き出す。

 

 あたしの言葉を遮って、ガバッ! っと毛布が舞った。毛布が床に落ちるころには、敵意すら孕んだその怒気で、詩歌があたしを睨みつけていた。

 

「んー、どしたぁ? 別に詩歌には関係ないっしょ?」

「……あのとき」

 

 唇を震わせての一言。多分、ようやく待ち望んだ瞬間が来た。

 あたしは手番を彼女に譲り、言葉を待つ。

 

 ……目の前の道路を車が通ったらしい。車のライトが横切り、一瞬部屋を照らした。

 

「わたしが、どんな気持ちで……あのとき……!」

「いや、知らねーっての。だって詩歌、まじめぶってなんも言わねーじゃん」

 

 なるべく馬鹿にするような感じで言い放つ。すると、視線がますます鋭くなった。それに対しても、挑発的な笑みを返す。

 

 ……正直、心が痛い。心の片隅から、今すぐに謝ろうと訴えてくるのが聞こえる。それでも、その罪悪感を怒りで塗りつぶして平静を装う。

 

 きっと、ここが本音を引き出せる最後のチャンスだから。

 

「だって……」

 

 ささやきよりも小さな声。俯き、シーツを両手で強く握っている。

 

 それは、感情の発露の前触れだった。ぎゅう、と彼女の周りの空気が凝縮する。

 彼女が次に顔を上げたとき、目元には大粒の涙が浮かんでいた。 

 

「でも……だって……! そうしないと……今度こそ……! みんなが酷い目に遭うかもしれないから……!」

 

 歌以外では初めて聞く、詩歌の大声。顔を歪ませ、溢れ出した涙がボロボロと頬を伝っている。

 

「わたしだけならいいよ……! でも、わたしのせいで誰かが怪我したり……死んじゃうかもしれないのは、いや……っ!」

 

 紛れもない詩歌の本音が部屋で反響する。ずっと我慢して隠していた、心からの叫び。それは間違いなく、あたしの心にも響いた。

 ……でも、それであたしが納得するかどうかは話が別だった。

 

「前も、わたしが我慢してれば全部平気だった! だから、今回も……!」

 

 そう、それだ。その言葉が気に食わない。そうやって、すぐに自分を犠牲にすることばかり言いやがって。

 

 ……ふざけんじゃない。

 

 ついにあたしの怒りは頂点に達し、沸騰した水が爆発した。

 

「――舐めんじゃねーよ!」

 

 ステージのスピーカーからしか出ないような声量で、詩歌の嘆きをかき消した。ビリビリと空気が震え、驚きのあまり詩歌は涙を引っ込めてしまった。

 

 ……別にこの怒りは、詩歌にだけ向けたものじゃない。

 

 だって、守ろうとしていた筈なのに、いつの間にか詩歌に守られようとしていた。こんな情けないことなんてない。

 アイドルと同じで、ライバーを守るのは事務所の仕事なのに……!

 

 そんな複雑な感情で頭をごちゃごちゃにしながら、あたしは自分の覚悟を口にする。

 

「こちとらアイドル目指してたんだ! こんなしょぼい脅しなんかにビビるわけねーだろ!」

 

 ほんとは怖い。あんな盗撮写真送ってくるようなやつ、怖いに決まってる。

 でも、それは詩歌には決して見せない。それが、事務所で働く人間としての覚悟の証。

 

「カッター入りの手紙でも虫の入った袋でもなんでも送ってこいっての。あたしはぜーったいにやめねーから!」

 

 自信満々に胸を張り、鼻を鳴らす。まあ、爆弾とかは流石に勘弁だけど。

 

 一方的な宣言が終わり、ライブ後のような耳鳴りを伴う静寂が訪れる。

 

 きっと、互いに本音で叫んだことで感情の昂ぶりが収まってきたのだろう。沈黙が続き、あたしはスゥーっと心が落ち着いてくるのを感じた。

 

「……言っとくけど、原田だって同じだったと思うよ? 今だって、詩歌のこと気にしてたんだし」

 

 詩歌はなにも答えない。ただ、それは拒絶の沈黙ではないことは確かだった。

 

「あたしはさ、そりゃ最初は時給に釣られてこの仕事始めたし、今もお金は大事だよ?」

 

 なんならMV上手くいったら時給上がんないかなとか思ってるし、事務所がめっちゃでかくなったら、ボーナスだって欲しい。

 

「けど、それと同じくらい、この仕事は好き。それは、詩歌が一生懸命だから。才能があるから。……あたしが見れなかった景色を見てほしいと思ったから」

 

 かつての一番星であり、今もトップアイドルの最前線を走っているあの人の姿を思い出す。

 あの人のようになりたかった。でも、無理だった。けど、あたしの代わりにそこまで辿り着けそうな才能が目の前にいる。

 

「詩歌なら、きっと会長と同じところに行けると思ったから。それを一番の特等席で見たいと思ったから。だから、あたしは……」

 

 それ以上は、上手く言葉にできなかった。代わりに、あたしは直近の配信のコメント欄を開く。相変わらずの荒れ具合だけど、気にせず見せる。

 

「ほら、見なよ。今も詩歌のことが好きな人だって、いっぱいいるんだよ? これからもっと、増えるかもしんねーよ? いいの? ほんとにここでやめちゃって」

 

 本当のことを言いなよと、視線で訴える。

 今ならこれで、十分伝わる筈だ。

 

 あたしは急かすことなく、じっくりと待つ。互いの呼吸音が混ざり合う。自分の鼓動が、よく聞こえる。その間、詩歌はずっと画面に流れるコメントを追っていた。

 

「……やめたくないよ」

 

 ぽつり。その呟きは、大きな水滴がこぼれ落ちたときの様子に似ていた。

 

「最初は翔くんに言われて無理やりだったけど……今は、とても大切な場所。配信も、事務所も……ことねちゃんたちも」

 

 詩歌は、またもや泣いていた。あたしのせいで無理に堰き止められていた涙が、再度流れ出す。

 嗚咽の混じった声で、本音を懸命に本音を紡いでいた。

 

「もうずっと1人だと思ってた。でも、ことねちゃんが友達になってくれた。たくさん褒めてくれた。だから……あの写真を見たとき、怖くて……ほんとうに怖くて」

 

 詩歌は再びシーツを握りしめ、背中を丸める。屋根から流れ落ちる雨水みたいに、あっという間に涙でシーツに大きな染みが生まれていく。

 ……さっきまでのが感情の爆発だとしたら、今は感情の洪水に呑まれているかのよう。

 

「……大丈夫だって。大丈夫だから」

 

 あたしは、偶にチビどもにしてやるみたいにそっと抱きしめる。詩歌は一瞬身を固くしたけど、すぐに脱力しながら頭を胸に押し付けてくる。

 服が涙で濡れるけど、そんなのどうでもいい。……あ、おい、鼻水はやめろっての……!

 

「ねえ、ほんとにいいの? こんなことになってるのに、迷惑じゃない?」

「大丈夫だっての。それに、犯人はもうすぐあたしが捕まえてやるからさ。もうちょっとの我慢だって? な?」

 

 背中をさする。体温と共に、彼女の小刻みな震えが伝わる。今の軽口がどう受け取られたかは分からないけど、少なくともやめるなんてことはもう言いそうになかった。

 

 なんとか、一件落着……かな? まだ事件が解決したわけじゃないけど、それでもどこか心は楽観的だった。あたしたちなら絶対なんとかなる、って気持ちで満ち溢れている。

 

 いやマジで、スッキリしたぁ~。言いたいことを全部吐き出したからだろうか。胸のモヤモヤが綺麗さっぱり消えている。心なしか、頭も少し冴えている気がする。

 

 今から寝直すのは大変そうだなぁと思い、詩歌の頭を優しく抱え込む。

 ……そのときだった。急に、点と点が繋がった。

 

「……あれ?」

 

 待てよ。アイツ、なんであのとき……?

 

 疑問が溢れ出す。一度出てきたら、もう止まらなかった。これまで集めた情報の全てが、ある1人の名前を導き出す。

 

 いやでも、本当に?

 

「……ねえ、詩歌」

 

 あたしはいくつかのことを詩歌に確認する。急なことで質問の意図が分かってなかったようだけど、戸惑いながらも詩歌は淀みなく答えてくれた。

 

 今度こそ、疑念が確信に変わる。だけど、これだけじゃ証拠がない。

 

 現場を確実に押さえないと。そう考えたあたしは、寝るまでの間必死にその為の作戦を考えるのであった。

 

 

 

***

 

 

 

~???~

 

 ……おかしい。

 

 前と同じなら、もう引きこもりに戻ってないとおかしいのに。

 なんなら、前よりも徹底的にやってるのに。

 

 なんでいつまで経っても、引退の知らせが出ない……?

 

「……?」

 

 スマホの通知が鳴る。驚いたことに、アイツからのメッセージだった。

 

 久しぶりだと前置きした後、長々と感謝の言葉が並んでいる。藤田ことねから聞いたらしい。

 

 握り潰すつもりで指に力を込めるも、スマホはビクともしなかった。代わりに、『よかったら、これも見てね』とリンクが添えられたメッセージが出る。

 

 リンクを踏む。公式からの告知らしい。それは、『古渡かすみ』のMVの告知だった。

 

 MVの告知? アイツの? ……なに、ふざけてんの?

 

 全然効いてない。なんで? いや、もしかしなくて……藤田ことねか?

 

 ……くそがっ、舐めやがって。

 

 こうなったら、今度こそ思い知らせてやる。お前のせいでアイツらが怪我したんだぞって。お前が消えないと、周りが傷つき続けるぞって。

 

 2通の手紙を持ち、出発する。1通はいつもの場所に。そして、もう1通は大事なお友達のとこに。古典的だけど、最初の仕込みとしては十分だ。

 

 まずはいつも通り、アイツの家に向かう。歩き慣れた道を通り、すぐに到着する。

 住宅街は静まり返っており、周囲を歩いている人はいない。最後に、窓が暗いのを確認する。

 

 郵便受けに近づき、手紙の入った封筒を――

 

 

 

 

 

「――なにしてんの? 大西ちゃん?」

 

 ピタリ、と冷たいナイフの刃を首筋に当てられた気がした。

 慌てて振り返ると、そこには鬼の顔を浮かべた藤田ことねの姿があった。

 

 

 

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