ことね「元アイドル志望にVtuberは荷が重いデス……」   作:とるてぃーや

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第9話 その声を忘れない(後編)

 あたしは、詩歌の家の郵便受けに近づいている、大西と断定した人影に声をかける。

 少し遅れて、玄関近くのセンサー式のライトが周囲を照らす。詩歌は普段めんどくさがって点けてなかったらしいけど、今回は別だ。

 そのおかげで、今度こそ大西の姿がはっきりと見えるようになった。

 

 あたしの目の前に立つ大西は、なにが起こったのか分からないといった様子で、呆然と立ち尽くしていた。

 ライトの存在なんて気にも留めてなかったみたいで、パーカーを着ているにも関わらず、フードを被っていなかった。マスクくらいしろよな、間抜けが。

 あんなに煽るのは得意なくせに、実行犯としては3流らしい。

 

「ねえ、なに持ってんの? ちょっと見せてよ」

 

 語気を強めて、催促する。なんか持ってるかもしれないからと、厳重に注意されているので距離は保ったまま。

 

「……っ!」

 

 ようやく自身の状況を把握したのか、大西はあたしとは反対の方向に駆け出す。運動部のマネージャーやってるくらいだし、体力には自信があるのかも。

 でも、無駄なんだよなぁ。

 

「どこに行くんだい?」

 

 ずっと身を潜めていた麻央先輩が姿を現す。大西は腕で払って強引に押し通ろうとする。しかし、麻央先輩はスルりと躱すとあっという間に彼女の腕を捻り上げて拘束してしまった。

 大の男相手だろうと捻じ伏せたことがある麻央先輩だ。マネージャー程度が腕っぷしで敵うわけがない。

 痛みに呻いている様子だけど、知ったことか。

 

「ことね」

「あっ、はい……!」

 

 麻央先輩の許可が出たことで、あたしはアイツの近くに駆け寄る。

 まずは、見よう見まねで身体検査をする。ポケットとか、腰の辺りを確認してみたけど、流石に刃物は持ってないようだった。

 それだけ確認し、あたしは手に持っている封筒を取り上げた。道具を使って慎重に開き、中身を確認してみると、これまでと同じフォントの文字の羅列が並んでいた。

 

「ふーん、てめぇが大西か」

 

峰岸さんもやってくる。麻央先輩のいる方とは反対に逃げたときは、峰岸さんが押さえる作戦だった。

 そして、もう1人。

 

「本当に、大西さんだったんだ……」

 

 当事者の詩歌が姿を現した。その顔は悲しみで染まっている。

 大西が犯人かもしれないと言ったとき、詩歌は信じがたい様子だった。それでも、あたしたちの言い分を信じてくれた。代わりに、自分の目で見て納得したいと、全てを見守ることを選んだ。

 あたしとしては危ないから中にいて欲しかったんだけど、詩歌が頑固すぎてあたしの方が折れるしかなかった。

 

「くそっ、なんで……!」

「あんた、大宮であたしたちを見たって言ってたじゃん。なんで詩歌って分かったわけ?」

「そんなの見れば……っ!?」

 

 自身のミスに気づいたらしく、口を噤む。

 

「尾行でもしたんだろうけど、詩歌はあのデートのときしかコンタクトしてなかったんだよ」

 

 体育の着替えとかで外していたタイミングはあったかもしんないけど、それだけで遠目で見て判別できるほど印象に残るわけがない。しかも、最近は変装の為だったから髪型も違うし。

 

「……あんたのこと、可愛いだけでアイドルになれると思ってた馬鹿だって聞いたんだけどね」

 

 全くの嘘じゃないけど、それは平田が誇張しすぎだっての。

 

 拘束されてるからか、言い逃れできないからか、抵抗はしないけど、代わりにあたしたち全員を睨んでくる。麻央先輩がいなかったら、逃げ出したいくらい怖い。

 

 そんな中、詩歌が一歩前に出る。

 

「ねえ、大西さん」

 

 大西は、目だけを動かして詩歌のことを見る。

 

「なんで、こんなにわたしのことが嫌いなのに……仲良くしてくれてたの?」

 

 純粋な疑問。普通の感性だと、理解不能な行動。

 

 ……でも、そもそもコイツは普通じゃなかった。

 

「そんなの、あんたみたいなヘボと一緒にいれば、下がいるって安心できるからに決まってんじゃん」

「……はぁ?」

 

 ……なんだそれ。意味が分かんないんだけど。

 

 それからのことは、正直聞くだけ無駄だった。ヘボな詩歌に話しかけてあげる自分が最高だったとか、詩歌なんかが原田と付き合ったりVで人気になるのなんて生意気だとか、こっちが納得できるような理由なんて1つもなかった。

 

 結局、詩歌はコイツが思っていた以上に魅力的だったという、それだけの話。

 

 詩歌は痛みに耐えるような顔でそれを聞き続けていたけど、大西が喚き散らすのを終えるころになると、打って変わって毅然とした表情を浮かべていた。

 

「わたし……絶対にやめないから。あと、これだけは言わせて」

 

 大西が苛ついたような様子を見せるのも構わず、詩歌は続けた。

 

「ありがとう……仲良くしてくれて。嘘でも……あのときは話してくれて嬉しかった」

「なに言ってんの? あんたってほんっとに馬鹿なん……」

「そこまでだ。こっからは大人の話だ」

 

 峰岸さんが話をそこで切ると、手に持ったレコーダーを大西に見せる。

 

 その後、峰岸さんが録画と録音データの存在を仄めかし、法的措置を取らないことを条件に全ての嫌がらせを止めることを承諾させたのだった。

 こんなやつでも、法律やら警察やらにはビビるらしい。いや、だからこそ……かもしれないけど。

 

 

「大西さんに、あんな風に思われてたなんて、知らなかったな……」

 

 ことが全て落ち着いた後、あたしは詩歌の部屋で一緒に一息ついていた。夜も遅いし、あたしもここで泊まりだ。

 

「いろいろありすぎたけどさ、あんま気にしない方がいいんじゃない? 前も言ったけどさ、アンチの思考なんて理解できないんだから」

 

 この件に関して、峰岸さんは表向きは法的措置を取ったと告知するつもりらしい。犯人の1人を断定済みだと付け加えた上で。

 多分、これで騒動は収まっていくと思う。

 

「うん……ありがとう」

 

 詩歌は自分で淹れたばかりのホットコーヒーを口にする。ただのインスタントだけど。

 

「それよりもさ! ほら、これ見てよ!」

 

 ずっと続いていた嫌な空気を吹っ飛ばそうと、あたしはスマホに保存してあった動画ファイルを表示し、詩歌に渡す。

 なんだろう? という顔で受け取った詩歌は画面を見ると、弾むような声と共に頬が緩んだ。

 

「完成したんだ……」

「昨日ね。キャラのモデルは、テスト用のテキトーなやつらしいんだけど」

「これ、踊ってるのはことねちゃん?」

「まあ、一応。体のあちこちに機材くっつけられてさ。ちょっと踊りにくかったわ、アレ」

 

 音楽と共に、テスト用という割にはめっちゃクオリティが高い気がするモデルのキャラクターが動き出す。カメラがゆったりとモデルを追い、様々なエフェクトが動画を彩る。

 

「わあ……綺麗……」

 

 見入った様子で、MVのサンプルを眺めている。よっしゃ、満足そうな顔だ。

 調査の合間も手を止めずに撮影まで頑張ってよかったわ。

 

「ことねちゃんの踊り、やっぱり凄いね」

「えー? 今回のはバラード系だし、そんな大したもんじゃないって」

「ううん。自分のダンスを見返してるとき、いつも思うんだ。どうやったらことねちゃんみたいに指先まで綺麗に動かせるのかなって。なんていうか……すごい滑らかなんだよね」

 

 返答に詰まり、明後日の方向を見て頬を掻く。

 ……いや、別に照れてるわけじゃないケドさ?

 

「……とにかくさ、ちょっと邪魔が入ったけど、収録とかは予定通りにやるって」

 

 再生が終わったスマホを仕舞い、峰岸さんに聞いたスケジュールを伝える。

 

「だから、大体ここら辺までに完璧にしたいんだけど……どう、いけそう?」

「うん、頑張ってみる」

 

 力強い頷き。まあ、歌に関してはもう麻央先輩のお墨付きが出てるし、あとは振り付けを覚えるだけだ。最近はだいぶ動けるようになってきたし、そんなに心配はしてない。

 

「んじゃ、そろそろ寝よっか。張り込みしてて疲れたし」

 

 ふぁあ、とあくびが出る。ここ最近ずっと気を張りっぱなしだったもんだから、眠気がすごい。なんだかんだ、あたしも疲れてたっぽい。

 

 ちなみに、今日は詩歌のベッドの近くに布団を敷いている。この前も、最初からこうしてれば一緒のベッドを避けられたのかもしれない。

 

「……ことねちゃん」

「ん~?」

「本当に……ありがとう」

 

 何回目だよ、ったく。苦笑いを返す。だけど、詩歌も譲らない。

 

「わたしの為に、たくさん調査してくれて。弱気なわたしを、叱ってくれて。わたし、また閉じこもっちゃうとこだった……」

「お礼なら原田に言っとけよ。あいつがあたしに話しかけてくんなかったら、なにも分かんないままだったんだから。ずっとダンマリだったんっしょ?」

 

 からかい混じりにあいつの名前を出してやる。すると、分かりやすいくらいに顔を紅潮させた。

 

「う、うん……分かってるよ……」

 

 ……この分だと、まだ脈ありらしい。今度会ったら、背中蹴っ飛ばしておこう。

 

「……ねえ、ことねちゃん。もう1つ聞いてもいい?」

「もう一緒には寝ないよ?」

「ち、違う、そうじゃなくて……!」

 

 詩歌は両手を手前で振って必死に否定する。やっぱりあの甘え方は心が弱っているとき限定らしい。

 詩歌は咳払いを1つ入れて空気をリセットすると、続きを言う。そしてそれは、過去にも何度か話題になったことだった。

 

「ことねちゃんは……Vtuber、本当にやらないの?」

「ほぇ? いや、前にも言ったけど、あたしは……」

「ことねちゃんはそう言うけど、わたしは絶対に人気出ると思うよ?」

 

 いつものように否定しようとしたところを、詩歌に遮られる。

 

 そんなこと言われても困る……実際、あたしは初星では結果が出なかったんだから。

 ところが、それを伝えても詩歌は「それなんだけど……」と引き下がらない。

 

「麻央さんから聞いたんだけど、ことねちゃんって空いてる時間全部バイトに入れてたんだよね?」

「まあ、そうだけど。ファーストフードとか、引っ越しとか、工場とか……」

「それってつまり……疲れてただけなんじゃないかなって、思うんだけど……」

「……え」

 

 詩歌の指摘に戸惑いを覚える。だって、そんな単純なことなわけ……ないよね?

 

「最近、どれくらいバイトしてるの?」

「……週に3~4日」

 

 その内の半分は事務作業で、残りのレッスンもあたしがずっと体を動かしてるわけじゃない。

 

「働いてる時間は?」

「……去年の、半分くらい」

 

 そもそも時給が高いし、借金はあるものの、あたしが公立に移ったことで収支はかなり改善してる。

 

 ……あれ?

 

 それからも詩歌に色々と質問されるが、それに答えれば答えるほど、当時のあたしの激務っぷりが明らかになった。

 それこそ、フラフラでダンスや歌どころじゃなかったんだと、今のあたしでも理解できちゃうくらいに。

 

「え……待って……はぁ!?」

 

 頭を抱える。信じらんねー、あたし……そんな簡単なことで……?

 じゃあ、もしかしたら、もしかしたらしたかもって……ことぉ?

 

「えっと……大丈夫?」

「お、おう……大丈夫……ただ、自分の馬鹿っぷりに呆れてるだけ……」

 

 なぜかよく分からないけど、詩歌はあたしの背中をさすってくれた。もしかして、やってみたかったのか。

 

 ……まあ、でも。よくよく考えると、あのときは学費を稼がないといけなかったからバイトしてたわけだし。バイトを減らすという選択肢は最初からなかった。

 それこそ、プロデューサーがつくレベルのミラクルが起きない限り、どっちみちだったと思う。

 

 ……だけど……もし、そんな奇跡が起きていたら。

 今ごろ、あたしは夢見たステージに立てていたのかな……? 少なくとも、デビューくらいは……もしかしたら。

 

「ダンスは詳しくはないけど、ことねちゃんのダンスがすごいことくらいは分かるよ。翔くんだって、いつも褒めてたよ?」

 

 あのときは、もう途中からは心のどこかで『自分には無理なんだ』って気持ちが常にあった。一応最後まで諦めずに挑戦したけど、宝くじに当たることを祈ってるのと大して変わらなかったと思う。

 

 ……けど、今はそうじゃない。詩歌も……直接は聞いてないけど峰岸さんも……あたしのスキルに期待してくれている。

 

「この前、ことねちゃんはわたしに頂を目指してほしいって言ってだけど……」

 

 詩歌はあたしに視線を合わせる。詩歌の方から合わせてくるのは、かなり珍しかった。その曇りのない眼差しで彼女の本気度が伝わり、固唾を呑む。

 

 その目を見ていると、こう思わされる──

 

「わたしは、ことねちゃんにVとして一緒にいてほしいなって。今は、そう思うんだ」

 

 目指していた道とは違うけど……また、夢を見てもいいんじゃないかと。

 

「……考えとくわ」

 

 ……でも、あたしの臆病さが答えを先延ばしにした。これだけ背中を押されているのに、はっきりとした返事を返すことができなかった。

 

 それでも「うん、ありがとう」と言ってくれる詩歌の優しさが、心に染みるのであった。

 

***

 

「麻央先輩。本当に、ありがとうございました」

「気にしないで。ボクも、とても楽しかったよ」

 

 駅までの道を、一緒に歩く。久しぶりに会ったあの日のような夕暮れで、少し歩くだけでどんどん暗くなっている。

 

 あの事件からしばらく経ち、とうとうMVの本制作に入った。振り付けもしっかりと仕込み終わり、予定通りに収録に入った。

 

 その収録も無事に終わって、後は動画が出来上がるのを待つだけだ。

 

 それはつまり、麻央先輩が手伝ってくれる日々も終わるということ。収録後、まだやることがある詩歌たちと別れたあたしは、麻央先輩を駅まで見送りに来ている。

 

「月並みだけど、頑張ってね。これからは外からみんなの活躍を見守らせてもらうよ」

「はい、もちろんです!」

 

 そんなこんなで、駅が見えてきた。もうすぐ、またしばらくはお別れだ。

 そんなときだった、麻央先輩から全く別の話題が出て来たのは。

 

「ところで、詩歌から聞いたよ。……仲間に誘われたらしいね?」

「ほえ? ああ、アレのことですか」

 

 少しぼかして言ったのは、まだ人通りのある外だからだろう。あたしは少し考えてから、返事をする。

 

「……正直に言うと、誘いはすっごく嬉しいんです」

 

 嘘偽りのない本音。今更、麻央先輩に隠し事なんてしない。それにあたしはあたしで、麻央先輩が相手だと、少し甘えたい気持ちになる。

 

「ただ、あたしが臆病なだけなんです」

 

 胸に手を当てながら、ポツリと漏らす。

 

「あたし……麻央先輩と違って、『初』のライブすらできなかったんで……詩歌たちはあたしのことを褒めてくれますけど……あたし自身が、まだ自分のことを信じられなくて」

 

 詩歌に教えている間、自分の感覚では調子がいいと感じてはいたけど、初星にいたときみたいに、客観的に評価されたわけじゃない。

 詩歌は疲労が原因だったんじゃって言ってたけど……いまいち、確信が持てない。

 

 それを聞いた麻央先輩は、顎を摘みながら柔和な笑みを向けてくれた。

 

「……なんとなくではあるけど、ことねが初星をやめた事情は把握してるつもりだよ」

 

 お金のことですか。

 

「ボクは、初星の卒業を挑戦のタイムリミットって決めてた。だから、悔しさはあるけど現状は受け入れてるつもりさ」

 

 だけど、ことねは違うだろう? と視線で問われる。

 

「諦めたくて諦めたわけじゃないなら……形が変わっても、挑戦してみた方がスッキリするとボクは思うよ」

「……そういうもんですかね」

 

 それが、最後の会話だった。あたしがはっきりとした答えを出す前に、改札の前まで来てしまった。

 別れの挨拶だけ交わすと、麻央先輩は改札の奥へと消えてしまった。

 

 このまま裏方に徹する道と、Vtuberとして挑戦する道。天秤はほとんど右に傾いているけど、最後の踏ん切りがつかなかった。

 

 はあ、初星に入るって決めたときは、あんなに怖いもの知らずだったのになぁ。

 

 けど、どっちを選ぶにしても、まずはMVのことに集中しないと。もうあたしの仕事はほとんど終わってるけど、最終チェックとかは残ってるし。

 

 でも……峰岸さんと何度も擦り合わせて調整したし、結構自信はある。収録時の詩歌のパフォーマンスも、その場で拍手したくなるくらいヤバかった。

 

 楽しみだなぁ。早く、公開日が来てほしい。そう思いながら、あたしは駅を後にした。

 

 

***

 

~【MV】その声を忘れない / 古渡かすみ cover 【V-CACAO】~

 

 公開まで残り1分を切った。画面に映されたカウントダウンが秒数表示に切り替わる。

 

 コメントの流れが加速する。

 ──ペンライトを振って待機する古参たち。

 ──期待に胸を膨らませる登録者たち。

 ──おすすめなどで流れて来た訪問者たち。

 ──今回の騒動を知った野次馬たち。

 ──そして、今もなお誹謗中傷をするアンチたち。

 全員が、同じ場に集っていた。

 

 しかし、アンチの勢いはもう見る影もなかった。弱小事務所だと侮り、面白がって袋叩きにしていた連中は、法的措置を取ったという声明が出た瞬間に散り散りになった。

 そんな残党のコメントなど、あっという間に流され、ブロックされて消え去った。

 

 ──『00』 

 

 暗転。カウントが消える。

 

 いよいよ、始まる。

 

 テロップが静かに、ゆったりとした歩みで現れる。銀で象られた文字のフチが厳かに煌めく。溶けるようにテロップが消えると、とある劇場が映し出された。

 

 宮殿のような純白の柱や壁面に、深紅のカーテン。そして、複雑な金の装飾が至るところに張り巡らせられている。

 貴族や富豪の為だけに用意されたような、贅の限りを凝らして作られた劇場。座席の値段など、想像もつかない。

 

 しかし、観客はいない。照明もなく、薄暗い。人類など始めから存在してなかったかのように、その劇場は静まり返っていた。それこそが、完璧な状態なのだと言わんばかりに。

 

 そんな中、ステージにスポットライトが差し込む。いつの間にか置かれていたマイクスタンド。その目の前に、皆が待ち望んでいた歌姫の姿があった。

 コメントが湧く。いつもの配信のときの服じゃない。本当のオペラ歌手が着るような、月の光を閉じ込めた銀のドレスだった。

 同時に、どこからかピアノの伴奏が流れ始める。切なげな、世界で1人だけになったような音色が響く。

 

 彼女──『古渡かすみ』は閉じていた目を開く。一歩前に進み、体を揺らしながらマイクに手を添える。慈しむような、頬に添えるときのような優しい手つきで。長いスカートが穏やかに波打っていた。

 

 コメント欄が息を呑むのが聞こえた。仕様上聞こえる筈がないのに、確かに聞こえたのだ。

 

 初めてマイクに音が入る。深呼吸を思わせる、長くも細いブレス。

 

 ──来る。誰もが身構えて、その瞬間を待った。

 

『──もう 歌えない』

 

 決して、大きな声ではなかった。劇場が揺れるような、どよめきもなかった。

 しかし、彼方にまで届いたそのささやきは、聞く者全てを魅了した。

 

 ──座席の1つに、光が灯った。

 

『わたしは 閉じこもるばかり──』

 

 透き通った鈴の音色が水面を揺らす。波紋が跳ね返り、交差し、絶えず変化する。水月が、変わらぬ姿でゆらゆらと浮かんでいた。

 

 興奮に満ちていたコメントの勢いが止まる。堤防で削がれたように緩やかになり、最後には静まり返る。人が減ったわけじゃない。その証拠に、いいねの数が爆発的に増え始めた。 

 ただ、誰もコメントを打ちたい気分ではなかっただけだ。

 

『ある日 彼は言うの 新しい体があるよって──』

 

 隠れた名曲というものがある。歴史的に言えば、音楽家の死後に評価された曲もその類だろう。

 ボカロという文化がまだ黎明期のころ、多くの才能が産声を上げつつも誰に見られることもなく消え去った。その痕跡が、ネットに残されたまま。

 やがて人々は知ることになる。その原石の存在を。そして、待ち望むことになる。それを世間に届けてくれる存在を。

 

 ──その声を忘れない

 声を失った歌姫の為に、彼女を愛した科学者が代わりとなる機械の体を作り上げる物語。ただもう一度、彼女の歌を聞く為に。

 

『歩いては 転ぶ日々──』

 

 忘れられていた物語。

 それは次世代の歌姫の手によって、ついに開演へとこぎ着けた。

 

 ──また、別の席に光が灯る。

 

 深みのあるグラデーションによって紡がれる七色の音色が場面を照らし出す。淀みない指先の軌跡が感情を形にする。

 

『綺麗だと言ってくれた ねえ また言ってよ だから だから──』 

 

 声を失った歌姫の嘆きが聞こえる。

 彼女を愛す科学者の奮闘が見える。

 機械の体を手に入れ、声を取り戻した彼女の歓喜が伝わる……!

 

『──歌いたかった!!』

 

 感情が爆発する。空気の壁が、鼓膜を突き抜けた。

 朝陽が昇り、せせらぐ川が光を反射し、蕾が満開の花を咲かせる。

 大きく、長い、ビブラート。それは今度こそ、劇場もコメントも震わせた。

 

 ──全ての席に、光が灯る……そして溢れ出す……!

 

 そう、それはまるでペンライトのように。あるいは振り回した花火のように。光の尾を残しながら飛び回る。

 それは次第に数を増し、集まり……照明の代わりに劇場を明るく照らした。

 

 楽しそうに、嬉しそうに、誇らしそうに彼女は歌う。草花までもが踊っている。

 釣られて、思わず笑みが浮かぶくらいに。

 

 彼女をデビュー時から知る者は、彼女の見せた新たな境地に涙した。

 歌の配信をきっかけに知った者は、その上達スピードに驚愕した。

 偶然ここに辿り着いた者は、すぐにチャンネルを登録した。

 騒動を知っていた野次馬ですら、無言で見入っていた。

 

 3分。そう、たったの3分にも満たない短い時間は魔法のようで。

 曲が終わるころには、夢の国で遊んだあとのような名残惜しさと満足感が同居していた。

 

『……ありがとう』

 

 涙腺に響く呟き。その余韻と共に、幕が下りた。

 

 残っていたのは、とても控え目に右下に記された、『演出・振付 スタッフK』という字幕だけだった。

 

 

 ~Vtuberのトレンド~

 # 古渡かすみ

 # ことカス

 # その声を忘れない

 # V-CACAO

 

 反響は止まらない。過去の騒ぎなんて軽く吹き飛ばし、リンクが拡散する。

 各種SNSは騒然としていて、その結果はトレンド欄に如実に現れていた。

 

 

 

***

 

 やった……めっちゃ伸びてる! ほんとに……やったんだ……!!

 

 詩歌と峰岸さんと事務所で一緒に、公開された動画を見ていたあたしは、歌枠を初めてやったときの勢いすらも超えて伸びていく再生数と登録数を見て、何度も2人と喜びを分かち合った。

 

 勢い余って、峰岸さんはあたしたちに確認もせずに出前の寿司の支払いを完了させており、ピザがよかったと詩歌が文句を言ったのでピザとついでにコーラも追加された。

 それからは、ただのどんちゃん騒ぎだった。

 

 ──だからこそ、あたしたちは気づかなかった。成功を確信し、今後の展望を語り合うのに夢中で、途中からほとんどSNSを見ていなかった。

 

 そう……密かに『# スタッフK』までもがトレンドに載り、MVのコメント欄にて、その正体が議論され始めていたのだった。

 

 

 @yoshino

 歌うますぎる……また新しい推しが生まれてしまった…

  └@aho-meme

   同じく。マジでたまたまだったけど、一瞬で登録しちゃったわ

  └@aaa

   演出も神だった。スタッフKって誰?聞いたことないけど。それともただのスタッフってこと?

  └@hqrna88

   事務所でスタッフやってる、ことカスの友だちのことじゃないの?

  └@nattou2

   でもことカスって学生なんしょ? だとしたら、若すぎじゃね?

 

 @jfshi

 FPSの配信しか見てなかったけど、こんな上手かったのか。他の歌枠も見てみるか。

  └@sakuratesu

   正直歌枠やりすぎだけどな。前みたいにもっとランクやってほしい

  └@kokoko

   少なくとも、それはここで言うことではない

 

 @CookieDragon999

 1:27 ここの表情、マジで泣きそうになった。美しすぎる

  └@jj-3

   フェイシャル、マジで自然だよな。相当細かく調整しただろ、これ。

 

 @cs2120

 おすすめで出てきたので。可愛いすぎる~

 

 @omanjyuu

 とてもゴリラエイムでランクを破壊していることカスと同一人物とは思えない…

  └@koshian

   こんなに上手いのに、なんで最近まで歌枠やってなかったんだろね

  └@tubuan

   自分から歌のこと話したことなかったし、最初はゲームだけのつもりだったんじゃね?

  └@ohagi

   つまり、ことカスの友だちことスタッフKのMVP

 

 @kaaseki

 この曲、知ってる人少ないけどめっちゃ好きなんだよな。まさかこれのMVやってくれるVが現れるとは。これから追わせてもらいます。

  └@koudai

   同士よ。雰囲気もことカスの声に合ってるし、またこういうの見たいわ

 

 @kiyuu-notami

 なんか最近荒らされてて心配だったけど、負けずに3D出してくれて本当に感謝。

  └@peldeNring

   告知が出てから荒らしも減ったし、この規模の箱でやってくれた運営の神対応だった。

  └@abc67

   でも歌が微妙なのは事実じゃんw ビブラートきつすぎw

  └@L_top7034

   まだいんのかよ… 運営はちゃんと特定してるらしいし、どうなってもしらんぞ

 

 @tanpopo_soda

 最初の歌枠でもうまかったのに、なんかすんげー上手くなってたな。めっちゃ練習してたんだろうな

  └@sun-hima

   声の伸びとか、かなりよくなってた。それに合わせた光の演出も最高だった!

 

 @bet-love

 10万人突破、おめでとうございます! ずっと追っててマジでよかったです!

  └@lolyare

   再生数もえげつないくらい伸びてるw もっと伸びていいぞ

 

 

「えぇええ~~~っ!?」

 

 あたしがそれらの投稿に翌日の朝に気づいたとき、驚きのあまりチビたちがまだ寝ているのも忘れて大声で叫んでしまうのであった。

 

 

 

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