小話   作:抹茶だった

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現代のヤンデレ

 朝の目覚ましは、ペットカメラの「起床検知通知」だった。

 僕の体がベッドの上でモゾリと動いたのを見逃さず、部屋の片隅に設置された黒い球体――カメラのレンズが、かすかに赤く点滅する。

 

 次の瞬間、天井のスピーカーから明るい電子音と共に、甘ったるい声が流れた。

 

「おはよう! 昨日もぐっすり眠れたみたいだね♡」

 

 いつもの一言。毎朝恒例、真白の“監視報告”。彼女がプログラムした音声メッセージは、なぜか抑揚がいやにリアルで、彼女の実際の声にそっくりだった。

 

「うん、今日も健康だ」

 

 僕はぼんやりとした目でスマートウォッチに視線を落とす。心拍数67、体温36.3度。異常なしだ。人間として、そして"管理対象"としても優秀。

 

「おはよう、真白ー。カメラ越しでも君はかわいいよー」

 

 僕は天井に向かって手を振る。レンズに笑いかけていると、まるでその先の彼女に直接話しかけているような気がしてくる。監視されているというよりも、見守られている感覚。慣れってすごい。

 

 重いまぶたをこすりながらリビングへ向かうと、キッチンのスピーカーが反応する。

 

「朝食はプロテインパンケーキと、バナナ。あと、君は乳糖に弱いみたいだから、豆乳を用意しておいたよ」

 

 冷蔵庫の横で光るAIスピーカーが告げる今日のメニュー。昨晩、真白がスマホから遠隔で仕込んでくれたものだ。

 以前、僕が朝ごはんを作ろうとしただけで包丁の取り扱いが心配と涙を浮かべられてしまい、それ以来キッチンの家電はすべて彼女の操作下になった。

 

 ……僕は、もはや火も刃物も使わせてもらえない。

 ある意味、令和最先端の“安全設計”と言えるだろう。

 

 黙々とパンケーキを食べながら、壁にある小型カメラのレンズがじっとこちらを見ているのを感じる。

 咀嚼のスピードを、彼女がデータ化していると知ったのはつい最近のことだった。

 

 そういえば、最初のカメラがついた日を、僕は今でもよく覚えている。

 

 

 深夜二時すぎ、「ヴィィィィィン」と、けっこう響く音がした。

 

 物音に目を覚ました僕がリビングに行くと、そこには――

 パジャマ姿の真白が、脚立の上で天井に電動のドリルを押し当てていた。

 

「あ、起こしちゃった? ごめんね。寝てていいよ」

 

 笑顔で言いながら、ドリルの設定やらアタッチメントやらを替え、ナットを締めはじめた。

 

「カメラの死角、どうしてもここだけ残っちゃってて。ちょっとレイアウト変えるから」

 

 彼女は電動工具を軽々と扱い、僕の生活空間を最適化していく。まるでインテリアの調整みたいなテンションで。

 

 数日後、その天井には新しい黒い球体が取り付けられ、レンズが僕の寝落ちポジションにぴったり合うよう角度調整されていた。

 

「これで、君がちゃんと眠れてるかチェックできるから安心だよ♡」

 

 真白はそう言って、得意げにスマホのモニターを見せてきた。そこには、僕がまるで標本のようにベッドで眠る姿が、4Kでくっきり映っていた。

 

 ……愛って、手作りなんだなぁ、と当時の僕は思った。

 

 

   〇 〇 〇

 

 

 食後はストレッチタイム。リビングの床にヨガマットを敷き、体をほぐす。

 スマートウォッチが動きを記録し、そのログは自動で真白のクラウドに送信される仕様だ。

 

 以前、腹筋を10回だけサボったことがあった。

 近くにあったスピーカーから「はい、やり直し。数えてるからね♡」という音声が流れてきたときは、正直ちょっと泣いた。

 

 ちなみに僕は、元・営業職だった。

 スーツを着て電車に乗り、会社で資料をめくっていたあの頃。

 

 でも今は違う。

 真白の言うところの「在宅フルサポート体制」、世間的に言うと……まあ、無職ってやつだ。

 「在宅のほうが私も安心できるし、何より君が一番リラックスできる環境じゃない?」

 そう真白が言ったとき、なるほどなと思って、深く考えずに退職届を出した。

 

 真白はとにかく仕事ができる女だ。

 大手IT企業でリモートワークをこなしながら、同時進行で僕の行動も24時間体制でモニタリングしている。

 たぶん彼女の業務時間のうち、3割が本業、残りの7割が僕の分析とフィードバックだと思う。いや、もっとかもしれない。

 

 でも、正直言って――この生活、案外悪くない。

 

 朝起きて、何を着るか悩まなくていい。

 出かけないから、ジャージ一択。楽すぎる。

 食事も完全栄養計算されていて、健康診断の数値も右肩上がり。

 美容室? 行く必要なし。真白が週一でバリカンを持ってきてくれる。最初は怖かったけど、今ではちょっとしたイベントになってる。

 

 以前、「外に出たいと思わないの?」と真白に聞かれたとき、「特に思わないかな」と答えたら、満面の笑みでこう言われた。

 

 「私の勝ちだね♡」

 

 ……どうやら、勝負だったらしい。

 

 もちろん、完全に自由がないわけじゃない。

 確かに家中にカメラがある。でも風呂場だけは湿気の関係でついてないらしい。スマホも一応僕専用のものがある。貸与制だけど。監視アプリ入りだけど。

 「自由とは、条件付きで許される範囲に存在するもの」

 これは僕がこの生活から学んだ、最も実践的な哲学だ。誰にも教えたことはない。たぶん真白も気づいてない。いや、たぶん気づいてて黙ってる。

 

 最近、僕は新しい趣味を見つけた。

 彼女が寝ている間――深夜1時から3時の間限定で、こっそりカメラの前でラジオ体操をするのだ。

 

 ひとりで第1と第2までこなして、達成感に浸る。誰にも邪魔されない、自由な時間。

 

 ……だったはずなんだけど。

 

 今朝、目覚まし代わりにスマホに届いていたのは、GIF画像だった。

 昨夜の僕の動きが、完璧なタイミングで編集されていた。

 

 腕を大きく振り上げている僕。伸び上がる僕。屈伸する僕。

 そして最後に添えられていたメッセージ。

 

「あなた、夜中に元気ね♡」

 

 スマホを手にしたまま、僕はしばらく天井を見上げていた。

 そこにあるのは、無言のレンズ。

 

「ありがとう真白、今日も一日、よろしくお願いします」

 

 

 

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