苦手な方はブラウザバックを推奨します。
第1話
少女は山の中を歩いていた。
服が汚れようと、足が枝で擦れようと構わず。
ただ父を下した武人を求めて。
「オッタルさん…ですよね?」
「……お前は、誰だ」
ここはオルバ領のとある山の中。
そこで二人の人物が出会いを果たしていた。
「し、失礼しましたっ。
わたしの名はミリア・オルバ――五日前、貴方に敗れたオルバ子爵の娘です」
「……あの子爵の娘が一体何のようだ。
ここに滞在する許可はやつ本人からもらっているぞ」
「いえ、今回は一魔剣士見習いとしてお願いにきました。
わたしを貴方の弟子にしてください!!!」
「………」
ミリアの突拍子のない言動を受けて、彼は元々の仏頂面をさらに悪化させた。
オッタルは、ミリアを静かに見下ろした。
その眼差しは山岳の岩壁のように重く、揺るがぬ意思を宿していた。
「弟子は取っていない。帰れ」
一言だけ。冷たい声。
それがこの“猛者”の答えだった。
――だが、ミリアは引かなかった。
「父を倒した貴方の剣が……どんなものなのか、どうしても知りたいんです!」
「興味本位で学べるほど、戦いは甘くない」
「わかっています! でも、わたし……あの日、気づいたんです。
“わたしの憧憬だった父よりも強い者がいる″と。“今のままのわたしではミドガル王国は愚か、大切な家族すら守れない”と!!」
その叫びに、一瞬だけ、オッタルの瞳が細められる。
だが、それはほんの刹那のこと。すぐにその瞳から熱は消え、再び冷えた岩のような静寂が戻っていた。
「わたしは、強くなりたいだけです。何も失わないための力が欲しい。
母を失った父がもう何も失わないように…」
風が、木々の間を抜ける。
ミリアの髪がふわりと舞ったが、少女の意思を遮ることはなかった。
「だからお願いです。……たとえ、一太刀でもいい。教えてください。強さとは何なのかを」
オッタルは数秒の沈黙の後、低く、短く息を吐いた。
まるで、遠い昔を思い返すかのように。
「“強さ”とは、教えられるものではない……ましてや“冒険”も知らない小娘などには」
「それでもっ! ……目で見て、体で感じたいんです!」
オッタルは黙ったまま、視線をそらす。
そしてゆっくりと踵を返す。
「北西に山を下りる道がある。……ここにいる理由は、もうないはずだ」
そのまま彼は歩き出した。
だが、ミリアは一歩も動かなかった。
「……わたし、帰りません。どれだけ拒まれても、ここにいます。
あなたに認められるその日まで!」
その背に届くはずもない声を投げる。
だが、オッタルの歩みは、ほんのわずかに――ほんの、わずかにだけ――緩んでいた。
それをミリアは気づかない。
だが、その一歩は、少女にとって確かなる“始まり”だった。
◇
翌朝。
空が白むころ、ミリアは濡れた落ち葉の上で目を覚ました。
冷たい空気が肌を刺すが、火も避け所もないこの山中では贅沢は言えない。
それでも彼女は、目を覚ました途端に立ち上がり、迷いなくあの山奥へ向かった。
昨日、オッタルと出会った場所――彼が、断りながらもいた場所へ。
――だが、そこに彼の姿はなかった。
いない。けれど、ただの気まぐれで姿を消したとは思えない。
昨日の言葉、最後のあの微かな歩みの揺れ――ミリアはそれを信じていた。
「……オッタルさん」
呼んでみる。返事はない。
けれど、山の気配がわずかに揺れる。
そう、風の音に紛れて、乾いた枝を踏みしめる音がした。
左後方。
振り返ったとき、そこに立っていたのは、やはりあの男だった。
――“武人”、オッタル。
彼は相変わらずの無言のまま、じっと少女を見下ろしている。
「おはようございます」
ミリアは深く頭を下げた。
服は泥だらけで、髪も枝葉を絡めていたが、その姿勢には迷いがなかった。
「昨日は……追い返されましたけど、それでもわたしは残ります。貴方が去れと言うなら、それはそれで構いません。けど――」
「まだ言うか」
その低い声が、ミリアの言葉を断ち切った。
「“強さ”を教えろ、“剣”を見せろ……そんなものに意味があると思うのか」
オッタルはわずかに歩み寄り、無造作に近くの地面から太い枝を二本拾い上げ、片方を前に投げた。
「握れ」
唐突な言葉だった。
「……えっ?」
「覚悟を示せ。
俺の攻撃を受け、意識を保っていられたなら…一介の冒険者として稽古を引き受けよう」
オッタルは、拾った枝を剣のように構えた。
無造作に見えて、その立ち姿には一片の隙もなかった。
「一撃だ。一撃のみ耐えてみせろ。
どんな手段を取っても構わん」
「“稽古”ではない。“暴力”だ」
「……!」
ミリアの喉が鳴った。
恐怖が、首筋から背中へと冷たい汗を流す。
けれど、その足は動かなかった。いや、逃げなかった。
彼女は、震える手で足元の枝を拾い、両手で構える。
間違いだらけの構え。無防備。だが――彼女なりの“覚悟”は、確かにそこにあった。
オッタルの目が細められる。
次の瞬間――彼が、地を蹴った。
重い音もなく、まるで“気配そのもの”が迫るような動き。
ミリアは反射的に枝を振り上げた。力任せの一撃。
しかし、
――バキィッ!
「きゃっ!?」
枝が砕け、手から弾け飛ぶ。
視界が揺れ、風圧に体ごと吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられる。
「ぐぅ……っ」
息が、肺から逃げた。
痛い。苦しい。呼吸も乱れている。
――そこで彼女の意識は途絶えた。
◇
――冷たい感触が、頬に触れていた。
「……っ」
ミリアはうっすらと目を開ける。
ぼやけた視界の先には、朝霧のかかる木々と灰色の空があった。
体中が痛む。特に背中と腕。だが、それ以上に、胸の奥に残っているのは――悔しさだった。
「……負けた……」
呟いた声がかすれる。
だが、それでも彼女は、よろめきながらも体を起こした。
そのときだった。
――傍らに、包まれた何かが置かれているのに気づく。
「……パン?」
粗末な布にくるまれた干し肉入りのパン。
そして、湯気こそ立っていないが、温もりの残る木のカップがひとつ。
水だ。冷たいが、澄んでいる。
そのどちらも、彼女が持ってきたものではなかった。
ましてや、こんな山中に偶然落ちているはずもない。
ミリアは、周囲を見回した。が、誰の姿もない。
――けれど。
けれど、その背中に確かに残っていたのだ。
昨日、風のように通り過ぎた“猛者”の気配が。
「……来てたんだ……」
その実感に、ふっと笑みがこぼれる。
唇が切れ、顔に汚れがついていても、それは間違いなく“希望”の笑みだった。
ミリアはパンを食べ終え、カップの水をすべて飲み干すと、手に残った布を丁寧にたたみ、地面に置いた。
「……ありがとう、オッタルさん」
そして、足元に落ちていた太い枝を拾い、両手で構える。
震えている。踏ん張る足が定まらない。
けれど、それでも――
「もう一度……立ちますから」
音に消えぬ強い覚悟に、応える声はない。
だが、森の奥で風が揺れ、どこかの枝が軽くしなる音がした。
それはまるで――“上がってこい”とでも告げるように。
感想お待ちしております!