あれから一月が経過した。
しかしーーわたしはいまだ、オッタルさんの一撃を耐えれないでいた。
毎朝、同じ場所に立ち、同じように枝を構え、そして同じように吹き飛ばされる。
背中を打ち、肺の中の空気を奪われ、気づけば地面に横たわっている。それの繰り返しだった。
何度も、意識を落とした。
何度も、夢の中で父に叱られた。
けれど――それでも、わたしは立ち上がり続けた。
何故かって?
……
「構えが甘い」
そう言いながら、彼は容赦なく木の棒を振るう。
たとえ訓練用の枝であっても、そこには常に鋼のような“意思”が宿っていた。
それは教えでも、慈悲でもない。ただ、真実のみを突きつける刃だった。
「腰が浮いている。そんなものは“受ける構え”ではない」
倒れたわたしに、オッタルさんは一言だけ告げると、背を向ける。
助け起こすことも、手を差し伸べることもない。
でも――わたしは、それを求めてなどいなかった。
今日もわたしは意識を狩られた。
◇
一月の間起きては叩かれ、起きては吹き飛ばされ、起きては砕かれを繰り返し、不様を晒しているわたしですが……成長したところも実はあります。
それは――気絶から目覚める時間が短くなっていることです。
初日なんてそれこそ、昼前に一撃を喰らって、そのまま夜中まで昏倒。目を覚ました時には星が瞬いてました。
どう見ても修行というより“遭難”だったと思います。
でも、今は違います。
夕方前には起きられるようになったし、気合を入れれば火を起こすくらいの余力もある。
頬の腫れは三日もあれば引くようになったし、吐き気も一日あれば治まるようになった。
……成長してませんか? してますよね?
「……誰にも褒められないけど……わたし、けっこう頑張ってると思うんだけどなあ……」
しんと静まり返った山の中で、わたしは木に凭れながらぼやいた。
答えてくれる動物もいない。
寂しさを肌に感じたわたしはふとしばらく会っていない家族のことを思い浮かべた。
「お父様…怒ってるかなぁ。怒ってるだろうなぁ。
手紙だけは流石にまずかったよね」
貴族の令嬢としての勉強を放り出し来てしまったわたし――ミドガル王国の片隅、オルバ家の娘として生まれたのに、刺繍も詩作も舞踏も嫌いで、剣と冒険譚ばかりに憧れて。
そんな娘が、父に無断で家を飛び出してきたのだ。
怒っていないはずがない。
「お父様……カンカンだよね、きっと……」
わたしは小さく肩を竦めた。
冷えた風が頬を撫でる。
でも――知りたいと思ってしまった。
踏み込みたいと思ってしまった。
お行儀よくドレスを着て、侯爵家の舞踏会でニッコリ笑っているだけの人生じゃ、届かないものがある。
守れないものがある。
届かない場所がある。
わたしが
ミドガル魔剣士学園――名門と呼ばれるその場に入れば、こんな風に山籠もりしている余裕なんてなくなる。
だから今、どうしても学びたかった。
この人の背に、近づきたい。
そう思っていた。
◇
家を出てから一年が経過した。
翌朝も、変わらなかった。
霧が立ち込める薄明の森。
いつものように枝を拾い、立つ。
そして、いつものように構える。
今日も、きっと吹き飛ばされる。
今日も、きっと砕かれる。
それでも、今日という一日が、昨日のわたしと違うことを信じて。
「……お願いします!」
気合と共に踏み出す。
空気が唸る。風が震える。
オッタルの一撃が、唸るように振り下ろされる――
反射で、わたしは両腕で枝を振り上げた。
“魔力”も棒と体に全て注ぐ。
受け止めるでも、かわすでもなく、ただ“耐えるために”。
――バギィッ!
大きな音と共に、枝が砕ける。
視界が一瞬で歪み、足元が浮く。
けれど、そのまま倒れこむのではなく、身体が反射的に“転がった”。
背中から落ちるのではなく、肩から地に滑り、肘を突いて体を支える。
「っは、はぁっ……っ!」
荒い呼吸。視界の端に霞む影。
でも――意識はある。
地面を這うでもなく、起き上がって、座ることができる。
「……!」
わたしは、何も言えずにオッタルさんを見上げた。
彼は黙ったまま近づき、しばらくの間、無言でわたしを見下ろしていた。
そのまま去るのかと思った。
だが――彼の右手が、背中から何かを取り出す。
投げられたのは、木剣だった。
黒ずんだ木材でできた、明らかに訓練用のそれは、枝よりも重く、鋭い意志を帯びているように見えた。
「それを、明日から使え」
彼はそう言った。
「枝は“耐える道具”。だが、木剣は“戦う者の道具”だ」
「……!」
「……“覚悟”は見えた。
申し出通りお前と剣を交わしてやる。準備はできているな?」
わたしの胸が、音を立てて震える。
小さな、小さな一歩かもしれない。
でもこれは間違いなく、“わたしが選び取った”前進だった。
「……はいっ! ありがとうございます、オッタルさん!」
その声に彼は返事をしない。
だが、去っていく背中が、ほんの少しだけ――満足げに見えた。
それをわたしが“錯覚”だと思えなかったのは、きっと、今日だけじゃなかったからだ。
何十回、何百回と叩かれ、倒れ続けてきたからこそ、わたしは“この瞬間”を感じ取れた。
――わたしは、ようやく、“この人の前に立つ”資格を得たのだ。
◇
「……オルバ子爵の娘。か」
薄暗い石造りの室内。魔力障壁に囲まれた水晶球の中には、少女の虚像が淡く揺れている。
その前に立つフードの男は、仮面の奥でうっすらと笑みを浮かべた。
「“悪魔の素質”があるなら、回収して”教会”に。なければ、ただの駒として使い潰せ――ネルソン様の御言葉です」
「相変わらず慈悲深いね、我らが司教様は」
ワインを片手に男が嗤う。黒衣の裾をなびかせ、ゆっくりと水晶の周囲を歩く。
「とはいえ、オルバを掌握できるなら、素質の有無にかかわらず大きな成果だ。あの家の名声は未だ健在……貴族の中にもあの男を買っている者は多い」
「ええ。“娘”という鍵があれば、あの頑固な子爵ももはや飼い犬でしょう」
「“家族こそ、最も忠実な首輪”。ネルソン様も本当に嫌らしいお方だ」
くぐもった笑い声が石の壁に反響する。
そして、フードの男――ラニン子爵は一歩前に出て、静かに口を開いた。
「……娘の行方は、こちらでも探らせてもらおう。代わりに――」
その顔が歪む。丁寧さを保ったまま、いやらしい笑みが唇を吊り上げた。
「“ラウンズ”十二席の候補に……わたしの名前、推してくれるんだろうね?」
「はい。ラニン子爵の忠誠と貢献は、間違いなくネルソン様に伝わるはずです」
「うんうん。なら、ひとつだけでも首”を献上しとこうかね」
ラニンは虚像の少女を見下ろす。
「悪魔の素質があろうとなかろうと……壊し甲斐がありそうだ」