オッタルさんから剣を教わり始めて、半年が経ちました。
――この半年間は苛烈を極めていました。
“鍛錬”なんて言葉で誤魔化してますが、実態は“武人”による一方的な蹂躙。
毎朝、山の空気が冷たいうちから木剣を握りしめ、構えを取る。
そして一太刀。
「遅い」
そのまま岩場に転がり、あばらがきしんで、視界が真っ白になる。
でも不思議と、意識は落とさなくなりました。
オッタルさんは、言葉少なに、容赦なく、わたしの“甘さ”を見つけ出しては叩き潰します。
枝の頃は“耐える”訓練だったけど、今は“挑む覚悟”が求められる毎日です。
「一度の攻撃で終えるな。
攻勢であるうちは、攻め続けろ」
「はいっ!」
わたしは木剣を両手に構え、足を踏み出した。
踏み込んで、振りかぶって、振り下ろす。
「はあぁっ!」
風を裂く音と共に、渾身の一撃を叩きつける。
だが――ガンッ!
乾いた衝撃音。オッタルさんはただ腕を軽く動かしただけで、わたしの木剣を受け止めていた。
「力はついてきた。だが――」
すかさず、彼の木剣が横から鋭く滑り込む。
「軽過ぎる。もっと飯を食え、ミリア」
「っぐ……! は、はいっ!」
体が跳ね飛ばされる。地面を転がり、またあばらに鈍い痛みが走る。
最近、気づいたことがある。
オッタルさんはその方外の膂力繰り出される“攻撃”が秀でていると思っていた。
しかし、彼の真骨頂は“防御”にあるのだ。
敬するなら『完全防御』――彼の防御とは『技』と『駆け引き』の結晶。
揺らぐことのない強靭な足腰、いかなる攻撃にも対応するm単位の体捌き、ことごとくの『技』を見切る眼。まさに不動の要塞だ。
オッタルさんの防御を剥がすには一撃だけじゃ足りない。速く、速く走ってあの目を少しでも撹乱し、連撃を叩き込まないといけない。
分かってる。理解してる。――なのにッ!
(体が重い。喰らいつけない。思うように動けないッ)
言い訳のように聞こえるかもしれない。
しかし、事実として今まで出来ていた動きが出来なくなることが増えた。
ここに来て一年半、努力を欠かした事はない。ようやくこの人の強さの一端に触れれそうだというのに。
なのに、ここに来て何もかもが重く感じる。
「はあぁぁぁぁぁっ!!!」
渾身の叫びと共に、全力の斬撃を振るう。
……だが。
「……やめだ」
オッタルさんが、そう静かに告げた。
その言葉は、風より冷たく、岩より重く、わたしの胸に突き刺さった。
「……えっ?」
声が出なかった。いや、喉から漏れたのは声というより、息の音だった。
わたしの全力を、怒号を、振り下ろした剣を――オッタルさんは無言で受け止め、そして拒絶した。
「ちょ、ちょっと待ってください……! やめるって、何を……!?」
必死に、地面を蹴って立ち上がる。
崩れそうになる膝を押し留め、木剣を支えに、前へ一歩。
でも、オッタルさんは剣を収め、背を向けた。
「……今日の稽古は、もう意味をなさない。これ以上続けても、今のお前は進まない」
静かで、揺るがない声だった。
いつもの無愛想な言葉遣い。けれど、今はそれがひどく遠くに感じた。
「それって、わたしが……もう“成長できない”ってことですか?」
喉の奥が熱くなる。視界の端がにじむ。
そうだ――わたしはずっと、必死だった。
この人の背中に追いつきたかった。あの一撃を超えたかった。
それなのに。
「……違う」
オッタルさんは、立ち止まった。
ゆっくりと振り返る。その表情に、怒りも、嘲りもない。ただ、厳しさだけがある。
「今のお前の体は、鍛錬は適さない。
己の“魔力”も御せない、その体ではな」
見抜かれていた。
今回の不調、最も大きく影響を受けているのは指摘通り“魔力操作”だった。
その不自由さはまるで何かに呪われていると錯覚するほどに。
「っ……でも、でもわたしは――」
「剣士は、鍛えるだけで強くなるものでもない」
その一言が、胸に響いた。
わたしの握る木剣が、ガタリと音を立てる。
「食え。休め。そして、喰らえ。体が資本だ。力が乗らなければ、どんな技も無意味だ」
「……」
息を詰めて、彼を見つめた。
その背は、やはり大きかった。
だけど、今は少しだけ違うようにも見えた。
「俺は数日、ここを開ける。
それまでに満足に戦えるようにしておけ」
「……分かりました」
ようやく、それだけを絞り出すと、オッタルさんは無言で頷き、再び山道を歩き出す。
その背中を、わたしは見送る。
拳を握る。震えているのは、寒さのせいじゃない。
(……こんなんじゃ、終われない)
わたしは唇をかみしめ、ゆっくりと剣を地面に立てかけた。
悔しかった。情けなかった。だけど――
(絶対に、追いついてみせる)
その夜。
いつもより多く食べ、いつもより早く寝た。
翌朝、いつもより重い体で、また立ち上がるために。
◇
「ようやくですか」
暗がりの中、ラニンが呟いた。
その声に応えるように、影の一人が膝をついて報告を続ける。
「はっ。ミリア・オルバの姿を、オルバ領南西の山林地帯で確認したとの連絡が入りました。
どうやら山奥に住む剣士に稽古をつけてもらっていたようです」
「随分と時間がかかりましたね。
その場所にも目を配置していたはずですが……」
「申し訳ありません。
何者かの妨害により“目”が潰され、調査が遅れておりました」
「……“誰”ですか? まさか師の剣士が?」
ラニンの声は静かだった。しかし、そこに含まれる圧は、膝をついた影の者の背骨に鈍くのしかかる。
「確認は取れておりません。ですが――おそらく、“近頃
あの師とは違うと報告を受けております」
「……なかなか鼻の利く連中ですね」
ラニンは指先で小さな丸薬を転がす。
「“呪い”の兆候は?」
「観察報告によれば、既に“魔力暴走”が始まっているようです。時間の問題かと」
「ふむ」
ラニンは頷き、軽く指を弾く。その音を合図に、部屋の奥から一体の“仮面をつけた者”が現れる。
「護送部隊を呼びつけておきなさい。回収には念の為、私が向かいます。目に連絡を……ミリア・オルバが“壊れる”なら、その瞬間を見逃すな」
「了解」
◇
翌朝、ミリア・オルバは、独り訓練場に立っていた。
オッタルのいない山小屋は、いつにも増して寒く、静かで、そして少しだけ――心細かった。
(重い……)
木剣を握る手が震える。だがそれは、単なる疲労ではない。
(魔力が流れない)
体内の力の通り道に、何かが“詰まっている”ような感覚がある。うまく呼吸が整わない。指先の感覚が鈍い。
(わたし、どうなってるの……?)
それでも――
彼女は立っていた。
木剣を構え、ひとりで型を振る。足がもつれ、体が倒れそうになる。それでも立ち上がり、もう一度振る。
(オッタルさんが戻ってくる前に……少しでも、動けるように……)
その意志が、辛うじて彼女の体を支えていた。
だが――そのとき。
「……誰ですか?」
背後に気配を感じ、ミリアは即座に振り返った。
「よい感をしていますね。流石、オルバ殿の娘さんだ」
「ラニン子爵様……どうしてここに?」
声を出すだけで肺がきしむ。だが、ミリアは木剣を握りしめた。
「そんな顔をしないでください。わたしはただ、あなたを“保護”しに来ただけです。
お父様もとても心配されていた。お家へ帰りましょう」
ラニンの口元には、微笑が浮かんでいる。けれどその目は、氷のように冷たかった。
「“呪い”が進行しているその体では、もう家族としては扱われないかもしれませんが」
ミリアの眉がぴくりと動いた。
「……っ、何を……?」
「おや、聞こえませんでしたか? “悪魔憑き”が正規の後継になるなど、家の名に泥を塗る行為です。
オルバ殿も貴方をすぐに教会にでも引き渡すでしょう」
「お父様を侮辱するなァ!!」
木剣を振る。だが、その一撃はラニンの足元に届くよりも前に――
「おっと」
まるで影が滑るように、彼はミリアの背後にいた。
「――っ!?」
咄嗟に振り返り、剣を横に払う。
しかし空振り。ラニンの姿は、既にまた別の位置に移っていた。
「その程度ですか? なにやら家出までして修行していたようですが、いささか遅すぎます」
嘲りとも同情ともつかぬ声音。だが、その裏には確かな殺気があった。
ミリアは息を整える。
足が重い。魔力の流れが滞っている。体が、思い通りに動かない。
だが――剣を、構え直す。
「父への侮辱、訂正してください」
その言葉に、ラニンはわずかに目を細めた。
「……ああ、そうか。あなたも“あの娘”に似ている」
「……?」
「昔、似たような目をした子がいましてね。結局、泣き喚いて終わった。さあ、あなたはどうします? 最後まで立っていられるかな」
その言葉と同時に、ラニンの剣が動いた。
「四肢拘束し、致命傷は避けます。
教団の――引いては私の糧となれること誇らしく思いなさい」
「……っ!」
ミリアは地面を蹴った。
ラニンとの戦いが、幕を開けた――!