ということであけおめ。
すでにホグワーツは、塔の尖端にいたるまで雪に覆われ、城内のあちこちには――ハグリッドが運び込んだ背の高い樅の木が据えられていた。
それはグリフィンドール寮も同じで、夜が明けるたび談話室の飾りやツリーは増えていき、授業へ出ているあいだに寝室までがいつのまにかクリスマス仕様へ塗り替わっていく。
じわじわと近づく季節の気配が肌に触れるせいか、下級生たちは落ち着かず、皆どこか浮き足立っていた。
そして今日は、クリスマス休暇のために生徒たちがホグワーツ特急で帰省する日だ。
大量に出された宿題を少しでも片づけようとディーンとシェーマスが唸っている横で、デイヴはフレッドとジョージから借りた、赤と緑に塗装された謎の“爆弾”を、面白そうに指先で弄んでいた。
「お前ら、残るの?」
視線も向けずにそう言いながら、デイヴはその爆弾――仮に“クリスマス爆弾”と名付けたそれを、しげしげと眺める。
「本当は毎年帰ってるんだけどさ」
「クリスマスに残るやつは少ないだろ?」
「つまり、イタズラのしがいがなくなる」
「それなら兄貴たちに仕掛けたほうが楽しいしな」
今年はフレッドとジョージがホグワーツに残るらしい。両親が、ルーマニアにいる兄のところへ行く――そのせいだという。
「お前はどうするんだ?」
「もちろん残るよな!」
ジョージの言い切りに、デイヴは鼻で笑って返した。
「俺は帰るよ」
双子はそろって、わかりやすく残念そうな顔をした。
「残るもんだと思ってた」
「リーも帰っちまうしさ」
「悪いな。クリスマスにはマムが帰ってくんだ。ひとりにしとけねぇだろ?」
投げやりな言い方のくせに、声色だけが妙にあたたかい。
フレッドとジョージは一瞬だけ目を見開いて、言葉を失った。
デイヴは照れと苛立ちをごちゃまぜにしたような短い笑いを洩らすと、手の中の爆弾を二人へ放った。
ぱん、と軽い音。赤と緑のスパンコールが弾け、双子は一瞬で派手な飾りつけになった。
やがて談話室のあちこちから、「どこやった?」「見てない?」と探し物の声が広がりはじめる。
デイヴはフレッドとジョージに“お仕置き”のくすぐりを食らい、さらに肩を小突かれてから、寝室へ戻って着替えた。
談話室に戻ると、七年生から一年生までが入り乱れてごった返している。
デイヴはため息をつき、いっそもう一度寝室へ引っ込むか迷ったが、ポケットの中のタバコを指先で一度撫でて諦め、結局ディーンとシェーマスのほうへ向かった。
そうこうするうち、皆がぞろぞろと扉へ流れはじめる。
「メリー・クリスマス、マクゴナガル先生!」
「また来年!」
生徒たちは口々に言いながら、大広間へ、そしてやがて外へと歩き出していった。
太った婦人の口が、まだ何か言いたげに開きかけたところで、三人はすり抜けるように廊下へ出た。空気が急に冷たくなる。窓の外は真っ白で、ガラスの向こうに揺れる樅の影だけが黒い。階段の踊り場には、先を急ぐ生徒のトランクが列を作り、梟がばさばさと羽音を立てていた。
デイヴは肩に鞄を引っかけ、ポケットの上から指先で何かを確かめるように撫でる。煙草の感触があるのに、火をつける場所がないのが癪だった。
「さっきの、爆弾……あれ、絶対あとで先生に見つかるよな」
ディーンが顔をしかめた。
「見つかったら双子が笑って済ませるだけだろ」
デイヴは平然と返し、前を行く一年生の荷物を軽く避けるように身体を斜めにした。
「僕たちが巻き添え食ったら?」
「その時はその時。泣けばいい」
「泣くのはお前だけだよ」
シェーマスが即座に突っ込み、鼻で笑った。
廊下の角を曲がると、壁一面に飾りが増えている。銀のリボン、赤い靴下、天井から垂れた星の飾り。踏みしめる足音が、いつもより明るく響く気がした。
「で、ほんとに帰るんだな」
ディーンが歩幅を合わせてくる。
「帰るって言ったろ」
「残ると思ってたんだよ。君、基本ここに居ついてるし」
「ここは飯が出るだけで、家じゃない。マムが帰ってくるなら、帰る」
デイヴは言い切って、少しだけ口の端を歪めた。照れ隠しみたいな歪み方だった。
シェーマスが背中のストラップを直しながら言う。
「君のマムって、あれだろ。なんか……強そうな人」
「強いっていうか、怖い」
デイヴが淡々と言った瞬間、ディーンが吹き出した。
「“怖い”って言うやつ、初めて見た」
「笑うな。あの人の前じゃ、俺でも口が勝てねぇ」
階段を下りると、下の階はさらに人が多い。先生の声が遠くで響き、誰かのトランクが段差に引っかかって派手な音を立てた。三人は自然に壁際へ寄って流れをやり過ごす。
「帰ったら何すんの?」
ディーンが訊く。
「飯食って、寝て、フットボール観る」
「ユナイテッド? シティ?」
「両方」
デイヴが即答すると、ディーンは呆れた顔を作った。
「欲張りすぎだろ」
「人生だって欲張っていい」
「その言い方、なんか急に格好つけたな」
「黙れ。寒い」
シェーマスが肩をすくめる。
「僕は帰ったら、ママに“宿題やったのか”って聞かれるんだよ。やってないのに」
「正直に言えばいいじゃん」
ディーンが言うと、シェーマスは顔をしかめた。
「言ったら祈祷みたいなの始まる。僕が怠け者になる呪いを払うとかで」
「それ、呪いじゃなくてお前の性格だろ」
デイヴが言い放つと、シェーマスは「ひどい」と言いながらも笑った。
やがて石造りの玄関ホールが見えてくる。扉の隙間から、外の白い光が差し込み、冷気がすっと流れ込んだ。人の波がいよいよ一つの方向へ収束していく。
「……デイヴさ」
ディーンが少しだけ声を落とす。
「ん?」
「帰ったら、マムによろしく言っときなよ。君がちゃんと飯食ってるって、言っといた方が安心するだろ」
デイヴは一瞬だけ、面倒くさそうに眉を動かした。
「……わかってる。言う」
「素直」
「うるせぇ。今だけだ」
扉が開く。雪の匂いと、遠くで待つ汽車の気配が一気に押し寄せた。三人は肩をすぼめ、笑い混じりの小声を交わしながら、ホグズミード駅へ向かう流れの中へ溶けていく。
やがて三人はコンパートメントへと入った。
蒸気の匂いと人いきれが混ざり合い、ホームの白さが息の先に溶けていく。赤と金の車体は雪の中でもやけに鮮やかで、窓ガラスには薄い霜が張りついていた。
デイヴはディーンとシェーマスの背中を押すようにして乗り込み、通路を早足で進んだ。トランクの角が膝に当たり、誰かのフクロウ籠が揺れて羽がはみ出す。どこもかしこも「帰省」の熱でざわついていて、落ち着かない。
「ほら、ここ空いてる」
ディーンが指さした扉を、デイヴが短く引いた。コンパートメントの空気は外より一段ぬるく、座席の布地がじんわりと熱を含んでいる。三人はさっさと荷物を網棚に放り込み、窓際に腰を落ち着けた。
列車がまだ動かないうちから、外の景色は遠ざかる予感だけを漂わせている。廊下を駆ける足音、トランクの車輪がきしむ音、遠くで先生の声。小さな個室だけがふっと切り離されたみたいだった。
「……やっと座れた」
シェーマスが息を吐き、手をこすり合わせた。
「手、凍ってた」
ディーンも頷き、襟を立てる。
デイヴはコートの内側へ手を滑り込ませ、胸ポケットの感触を確かめる。煙草がある。火もある。――が、すぐには出さない。外は先生だらけだし、車内は人が多すぎる。面倒の匂いがする。
「ねえ」
ディーンが、ふと思い出したみたいに言った。
「僕ら、最近フットボールの試合ぜんぜん追えてないよな」
その言葉に、デイヴは一拍置いてから鼻で笑った。
「……そういやそうだな。土曜の結果すら知らねぇ」
「でしょ?」
ディーンは情けないような顔で笑う。
「家帰ったらすぐ見る。ニュースでもいいから」
シェーマスが「へえ」と間の抜けた声を出し、二人の顔を見比べた。
「そっか。こっちの新聞には載ってないから、結果が分からないのか」
「そうさ。フクロウって頼んだらThe Sunとか運んでくれないかな」
「フクロウは預言者新聞しか運んでくれないよ」
シェーマスは肩をすくめた。
「マグルの新聞をフクロウが配達してたら、今頃僕らは見つかってるね」
デイヴは口角だけ上げた。
「つまりクソってことだな」
「君はいつもクソとしか言わないよな」
シェーマスは冗談めかして言い、ディーンが「マンチェスターだから仕方ない」と乗った。
「皮肉ばっかのロンドン坊やよりマシさ」
デイヴはぶっきらぼうに言い、窓の外へ視線を投げる。
「口が悪いの自分でもわかってる」
それが妙に本音っぽく聞こえたのか、シェーマスがわざと明るく話題を変えた。
「追えてないってことは、それだけ学校が忙しかったってことだろ? あと……楽しかったってことじゃない?」
ディーンが「まあ、それは……」と曖昧に笑う。
デイヴは言葉の置き場に困ったみたいに、舌先で頬の内側を押した。
「楽しいとか、そういうガキっぽい話すんなよ」
照れ隠しの棘を立てて、わざと冷たく言う。
「お前らがトロくて宿題に時間食ってただけだろ」
「出た」
シェーマスが面白がって言う。
「照れたら悪口」
「悪口じゃねぇ。事実だ」
デイヴは即答した。
そのまま話題は、当然のように宿題へ流れた。
ディーンが膝を叩く。
「今回さ、ほんとに死ぬほど出たよね」
「死ぬほどって言うなら、スネイプのやつが一番だろ」
デイヴが言うと、シェーマスが嫌そうに顔をしかめる。
「魔法薬学、あれは……やらないと呪われそう」
「毒薬飲まされる」
「それ、普通に死ぬやつだよ」
デイヴは楽しそうに言った。楽しそう、というのが余計に腹立つタイプの楽しさだ。
「だからそこはやる。変身術もな。マクゴナガル先生は、やらなかったら虫に変えそうだ」
「虫はいやだな……」
ディーンが身震いする。
「じゃあ、他の科目は?」
デイヴは平然と言い切った。
「薬草学と呪文学はやる。あとは――やらねぇ」
「それでよく生きてるな」
ディーンが呆れると、デイヴは肩をすくめた。
「生きるのは得意なんだよ。死ぬほど嫌いなことはしない」
シェーマスがくすっと笑い、ディーンもつられて笑う。ちいさな個室の空気が、外の寒さとは別のところでゆるんでいった。
やがて汽笛が低く鳴り、列車がぐい、と引かれるように動き出す。窓の外で雪の白、マフラーの色、手を振る影が滑っていった。ガタゴトという規則的な揺れが、座席の温かさと混ざり合い、意識の角を丸く削っていく。
ディーンの声が途中で途切れた。
まぶたが重くなり、顎が少しずつ胸へ落ちていく。
シェーマスも同じで、窓の霜を指でなぞっていた手が止まり、肩がゆっくり沈んだ。
デイヴは小さく息を吐いた。――今だ。
誰もいないコンパートメントを見つければ、ようやく落ち着ける。煙草の一本くらい、先生の目も、友達の説教も、いったん忘れて。
彼は静かに立ち上がり、扉の取っ手に手をかける。廊下へ出た瞬間、ざわめきと空気の温度が少し変わった。通路は長い。とにかく長い。
ホグワーツ特急は外から見れば、赤と金で塗られた豪華な機関車にしか見えない。
だが中は、どれだけ歩いてもコンパートメントが途切れることはない。
扉、扉、扉。似たような窓、似たような灯り。笑い声の部屋、泣き声の部屋、トランクで溢れた部屋。
その果てしなさに、デイヴは一瞬だけ口角を歪めた。
――探すのは得意だ。
誰もいない場所も、誰にも見られない隙も。
その通路で、デイヴの耳にまとわりつくのは、機関車の規則的な揺れよりも、視線のほうだった。
扉という扉の向こうから、笑い声、紙袋のがさつく音、チョコレートの甘い匂い。どのコンパートメントも、どこもかしこも人で埋まっている。膝にトランクを乗せた子がいれば、通路側の席に腰掛けて身をよじらせる子もいる。空席は、まるでこの列車に最初から存在しなかったみたいに見当たらなかった。
デイヴが通り過ぎるたび、扉の小窓の向こうで顔が動く。囁きが走る。
十一歳にして――天使みたいな見た目だとか、やたら整った顔立ちだとか、そういう言葉が勝手に飛び交うのは、彼にとってはただの鬱陶しさでしかない。さらに悪いことに、スリザリンの四年生をぶっ飛ばした件が尾ひれをつけて広まり、彼は“綺麗な顔のくせに危ない”みたいな、面倒な種類の好奇心まで呼び寄せていた。
じろじろ見られるたびに、眉間が勝手に寄る。視線を返してやるほど律儀でもない。だが、無視しても無視しても、追ってくるような気配がある。
――いいから放っとけよ。
胸の奥で悪態を転がしながら、デイヴは扉を一つ、また一つと確かめていった。
開ければ「もういっぱい!」、閉めれば「え、今の……」という声。
その繰り返しに、彼の口元がわずかに歪む。さっさと、誰もいないところへ行きたい。ただそれだけなのに、この列車は意地悪い。
けれど、ふと。
次の扉の小窓の向こうは、妙に静かだった。
コンパートメントの中。たったひとりで、ぽつんと座っている女の子がいる。
髪はふわりと扇形に広がり、肩から先へ柔らかく跳ねている。膝の上には分厚い本。文字を追う目は真剣で、列車の揺れに合わせて小さくページが擦れる音だけが、薄く聞こえてきそうだった。
デイヴは足を止める。
その後ろから、別のコンパートメントにいた誰かが「今の子、あの……」と囁く気配がしたが、彼は振り返らなかった。代わりに、扉の取っ手に手をかける。大体、検討はついていた。
扉が小さく鳴って開く。
暖気と紙の匂いが流れ出し、女の子――ハーマイオニーは、本から顔を上げた。驚きより先に、状況を測るような目が動く。相手が誰かを認識した瞬間、その眉がほんの少しだけ上がった。
デイヴは何でもないふうに、入口に片手をついたまま言った。
「よお、ハーマイオニー。一人か?」
彼女は本を閉じかけて、閉じ切らずに止めた。しおりがずれないよう指先で押さえながら、落ち着いた声で返す。
「ええ。一人よ。……ディーンとシェーマスは?」
質問が返ってくるのが、彼女らしい。
デイヴは肩をすくめ、座席の空いている側に視線を投げる。――空席。ここには、ちゃんと空席がある。
「寝た。あったかいとこ入ったら、あいつらすぐ落ちるんだよ」
ハーマイオニーは「そう」とだけ言い、彼の足元から手元の本へ視線を戻しかけ、また戻した。何か言いたいのに、言葉を選んでいる顔だ。
デイヴはその“間”が妙に居心地よくて、入り口に立ったまま、わざと気軽に続ける。
「入っていい?」
ハーマイオニーは一瞬だけ迷うように唇を閉じ、次の瞬間には小さく頷いた。
「ええ。どうぞ」
デイヴは「サンキュ」と短く言って中へ入り、扉を背中で押し戻す。ガラス越しのざわめきが薄い膜一枚ぶん遠のいて、個室の空気が少しだけ静かになった。彼は網棚の端に自分の鞄を乱暴に押し込み、向かいの席にどさりと腰を下ろす。座席が沈んで、列車の揺れが足裏から伝わってきた。
ハーマイオニーは本を膝に置いたまま、彼の顔をまっすぐ見た。
「廊下、すごく混んでいたでしょう」
「どこも満員」
デイヴは肩をすくめ、窓の外へ視線を投げた。雪の白が、赤い車体の縁と一緒に流れていく。「息苦しいくらいだ」
「見られていたわね」
彼女の言い方は責めるというより、事実確認に近い。彼女らしい冷静さだった。
デイヴの眉間が、また自然に寄る。
「……見りゃいいじゃん。タダだし」
「そういう問題じゃないわ」
ハーマイオニーは即座に言い返し、すぐに言葉を整えるみたいに息を吸った。「気持ち悪いでしょう? じろじろ見られるのは」
デイヴは返事をしない。代わりに、ポケットの上から指で何かを撫でた。癖みたいな動きだ。視線が鬱陶しいのは確かだが、それを「気持ち悪い」と口にすると、もっと負けたみたいで嫌だった。
沈黙が数秒落ちる。その間にも、列車は少しずつ速度を上げ、ガタゴトという音が規則正しくなっていく。
ハーマイオニーが先に折れた。いや、折れたというより、話を変えた。
「それで、どうしてここを探してたの? 二人と一緒じゃなかったの?」
「寝た」
デイヴはあっさり言う。「あいつら、寒いとこから暖かいとこ入るとすぐ落ちる。ガキだろ」
「あなたも同い年でしょう」
ハーマイオニーは眉を上げたが、声は笑っていた。
デイヴは「俺は違う」と言いかけて、やめた。彼女の前でその手の強がりを言うのは、なんだか変に恥ずかしい。代わりに足を伸ばし、靴先で床を軽く叩いた。
「お前はなんで一人なんだよ。友達、山ほどいるだろ」
「みんな、席を確保するのに必死だったのよ」
ハーマイオニーは本の角を指で押さえながら言う。「私は……別に、どこでもよかったし」
その言葉の後ろに、いつもの“でも本当は”が隠れているのがわかった。デイヴはそれをわざと拾わない。拾うと、彼女はもっと意地になる。
「その本、なに」
デイヴは顎で示した。
「調べ物があるの」
ハーマイオニーは少しだけ誇らしげに、本の背を指先で撫でた。「休暇の間に、必要なところに付箋をつけておこうと思って」
「休暇に付箋」
デイヴは呆れた声を出し、口元を歪める。「最高だな。お前、ほんとに休む気ないんだ」
「休むわよ」
ハーマイオニーは即答する。「家に帰ったら、両親に……色々話したいし」
その「色々」が、彼女にとって大きいことを、デイヴは知っている。魔法がある世界へ放り込まれて、まだ数ヶ月。彼女はいつだって理屈で立っているけれど、その足元はまだ少し不安定だ。
デイヴはふっと鼻で笑って、わざと軽く言った。
「“今日ね、動く階段があってね”って?」
「からかわないで」
ハーマイオニーは小さく睨むが、瞳は怒りきっていない。「ちゃんと、伝えるの。私がどういう学校にいるのか」
「まぁ、お前なら伝えられるだろ」
デイヴは投げやりに言って、背もたれに深く寄りかかった。
その瞬間、彼の手がポケットに潜る。指先が細い紙の感触を掴んで、一本だけ引き出しかけた。
個室、静か、誰もいない――完璧。そう思った。
しかし、目の前のハーマイオニーの視線が、すぐにそこへ落ちた。
「……それ、やめて」
声は低くはない。ただ、迷いがない。
デイヴの指が止まる。
「なにが」
「それよ」
ハーマイオニーは真っ直ぐ言った。「ここ、閉め切ってるの。匂いが残るわ」
デイヴは一瞬、反射で憎まれ口を叩きそうになった。けれど、今は変に機嫌がいい。席を見つけたからだ。視線から逃げられたからだ。
だからその棘は、喉の奥で丸くなる。
「……うるせぇな、優等生」
口調は荒いのに、手はゆっくり引っ込む。「わかったよ。今はやんねぇ」
ハーマイオニーの肩から、力が少し抜けた。彼女は勝ち誇った顔はしない。ただ、当然のことが当然に戻ったみたいな表情で、また本に視線を戻す。
「“今は”って何」
ページをめくりながら、釘を刺す。
デイヴは小さく笑い、窓の外へ顔を向けた。
「休暇中は、マムの目があるからな。勝手に吸ったら殺される」
「あなたのお母さん、怖いの?」
ハーマイオニーが顔を上げる。
「怖い」
デイヴは即答して、さらに少しだけ言い足す。「でも、帰ってくる。だから俺も帰る。それだけ」
その「それだけ」が、彼にとって大きいことを、ハーマイオニーは多分わかっている。彼女は短く頷いた。
「いいことだと思うわ」
そして付け足す。「……あなたがそんなふうに言うの、少し意外だけど」
デイヴは顔をしかめ、わざと雑に言った。
「意外とか言うな。気持ち悪ぃ」
「気持ち悪いはひどいわ」
ハーマイオニーは眉を寄せる。でも声は柔らかい。「ただ、ちょっと……人間らしいと思っただけ」
デイヴは返事をしない。返事をすると、変なところを突かれそうだった。代わりに、指先でポケットの上から煙草をもう一度撫で――そのまま手を引っ込めた。
列車は揺れを一定にし、温かさがじわじわと眠気を運んでくる。廊下のざわめきも遠い。
この小さな個室だけが、雪の外界から切り離されたみたいに静かだった。
ハーマイオニーが読み進めるページの音を聞きながら、デイヴは目を細める。
――ここ、悪くない。
そう思った瞬間、扉の外で誰かが走り、笑い声が弾けた。彼は無意識に眉をしかめ、そして――ふと、また別のことを思いついたみたいに口角を上げた。
(この先、誰もいないコンパートメントが見つかるまで、どれだけ歩かされるんだろうな)
ホグワーツ特急は外から見れば、赤と金で塗られた豪華な機関車にしか見えない。けれど中は、歩いても歩いても、扉と通路が終わらない。
どこかに“空っぽ”があると信じて探し続けるには、やたら広い。やたら長い。
デイヴは、眠気に負けかける頭を振って、ハーマイオニーの本を一瞥した。
「なあ」
デイヴの声は、さっきまでの棘をわざと丸めたみたいに低く、けれど妙に軽かった。
「宿題、どれから片づける?」
ハーマイオニーは本の上に指を置いたまま、すぐに答えない。目線だけでページの端をもう一度確かめ、しおりがずれていないことを確認してから、膝の上で本を閉じた。分厚い表紙が静かに鳴る。
「優先順位をつけるの」
彼女は小さく言って、いつも通りの落ち着いた調子で続ける。
「まず、締め切りが早いもの。次に、やらないと先生が本気で怒るもの。最後に、余裕があるものよ」
デイヴは窓の外へ目を向けたまま鼻で笑った。
「お前、人生の説明みたいに言うな」
「そのつもりよ」
ハーマイオニーは平然と返す。負ける気配がない。
「あと、あなたの“やらない”宣言は、今この瞬間に却下します」
「へえ?」
デイヴは面白がるように片眉を上げた。
「俺、薬草学と呪文学と、魔法薬学と変身術だけやるって言っただろ。十分じゃん」
「十分じゃないわ」
ハーマイオニーは即答する。
「あなた、魔法史も天文学も、放っておくつもりでしょ」
「魔法史は寝る授業だ」
デイヴは悪びれず言った。
「教授の声、子守唄。天文学は寒い。俺の勝ち」
「勝ちじゃない」
ハーマイオニーの目が細くなる。怒っているというより、呆れている。
「あなたは“寒いからやらない”って言ってるだけ」
「それが理由として完璧だろ」
デイヴは肩をすくめ、椅子の背にもたれ直した。揺れが一定になって、体の奥まで温かさが染みてくる。
ハーマイオニーは言い返しかけて、ふっと息を吐く。言い合いの形を整えるより、今やるべきことをする顔だ。彼女は鞄から羊皮紙を一枚引っ張り出し、羽根ペンを取り、膝の上に置いた。
「じゃあ、現実的にいくわ」
彼女はさらさらと何かを書き始める。
「休暇中に全部は無理でも、最低ラインはあるの。あなたの場合……まず魔法薬学。次に変身術。学校であなたがしっかり授業に出てるやつね」
デイヴは小さく頷いた。
「それは生き残るためにな」
「それから呪文学」
ハーマイオニーはペン先を止めずに言う。
「実技が多いから、手が鈍ると授業で困るわ」
「困らねぇよ」
デイヴは反射で言いかけて、やめた。困るか困らないかで言えば、困る。彼はそれを認めたくないだけだった。
「薬草学も、あなたが好きならやるでしょう」
「好きだからやる」
「魔法史と天文学は……」
ハーマイオニーはペン先を止めて、彼を見た。
「“やらない”と言うなら、その代わりに、帰ってきた一週目で取り返す計画にする」
デイヴが目を細めた。
「結局やらせるのかよ」
「当然よ」
ハーマイオニーは勝ち誇らず、ただ当然のように言う。
「あなた、逃げるのが上手いけど、逃げ切れるほど先生たちは甘くないわ」
デイヴは笑いそうになって、口角だけを上げた。
逃げるのが上手い、と言われて腹が立つはずなのに、どこか当たっていて、妙にむず痒い。
「お前、俺のマムみたいだな」
「失礼ね」
ハーマイオニーは即座に返し、しかし少しだけ口元が緩む。
「あなたのお母さんに謝って」
デイヴは舌打ちの代わりに小さく息を吐いた。
「……帰ったら言っとく」
その一言が思いのほか素直に出て、彼自身が一瞬だけ黙った。ハーマイオニーも、そこに踏み込まない。踏み込めば、彼がまた乱暴になるのを分かっているみたいだった。
列車の外はまだ雪が残っている。白い畑が続き、低い木々が流れていく。窓ガラスの霜が、揺れのたびにひび割れた模様を変えていた。
「あなた、休暇はマンチェスターよね」
ハーマイオニーが言った。ペンが紙を掠る音が続いている。
「私はロンドン。両親が迎えに来るの。……たぶん、質問攻めになるわ」
「質問攻めはお前の得意分野だろ」
デイヴが言うと、ハーマイオニーは眉を上げる。
「私じゃなくて、両親がよ。『食事は?』『危なくないの?』『勉強は?』って」
デイヴは思わず笑いそうになり、喉の奥でこらえた。
「それ、普通の親だ」
「普通の親って、いいわね」
ハーマイオニーは軽く言った。軽い言い方なのに、胸の奥に芯がある。
彼女はふっと視線を落とし、また羊皮紙に戻る。
デイヴは窓の外へ顔を向けた。
“普通”がいいとか悪いとか、彼はうまく言えない。けれど、ハーマイオニーの「普通の親」に対する距離感は、彼の知っているそれとは少し違っていた。彼女は“失わない”側の人間で、だからこそ、何かを手放すのが怖いのかもしれない。
その考えが、自分の頭の中に生まれたこと自体が気に入らず、デイヴはわざと話を戻した。
「で、結局、俺は何やればいいんだよ。お前の計画、書けた?」
ハーマイオニーは羊皮紙をひらりと掲げた。
そこには、妙に几帳面な字で「デイヴ:魔法薬学(実験手順の復習)/変身術(理論+例題)/呪文学(復習)/薬草学(温室メモ整理)/魔法史(読むだけ)/天文学(星座表暗記・最低限)」と並んでいる。
「魔法史“読むだけ”ってなんだよ」
デイヴが言うと、ハーマイオニーは平然と返した。
「あなたが“書くのは嫌”って言いそうだったから」
「言う」
デイヴは即答した。
「読むだけなら、まあ……」
「じゃあ合意ね」
ハーマイオニーはさっさと羊皮紙を折りたたんだ。まるで契約書みたいな扱いだ。
デイヴはその手際の良さに、また笑いそうになる。
――こいつ、怖い。
怖いのに、嫌いじゃない。
その時、コンパートメントの外で寝起きの声が廊下に落ちる。
「……デイヴ?」
「どこ行ったんだよ、あいつ」
ディーンの声だ。シェーマスの声も続く。
眠っていたはずの二人が、ようやく目を覚ましたらしい。
デイヴは瞬間的に眉をしかめた。
――最悪のタイミング。
ドアの取っ手ががちゃりと回り、扉が開く。
ディーンが顔を覗かせ、次にシェーマスの頭が出た。二人ともまだ目が完全に開いていない。だが、室内の状況を見た瞬間、目が一気に冴えた。
「……あれ?」
ディーンが言う。
「お前、ここにいたのか」
「おいおい」
シェーマスが笑いをこらえきれない顔になる。
「探したぞ。通路で“天使”が歩いてるって騒ぎになってたのに、本人は女の子の個室に隠れてるってさ」
「隠れてねぇ」
デイヴは即座に言い返した。
「満員だったんだよ。空いてたのがここ」
ディーンはハーマイオニーのほうへ視線を向け、少しだけ気まずそうに、でも礼儀よく言う。
「ごめん、グレンジャー。邪魔した?」
ハーマイオニーはすぐに首を振った。
「邪魔じゃないわ。二人とも、座る? まだ空いてるし」
その自然な言い方に、ディーンが一瞬だけ驚いたような顔をした。
シェーマスは「いいの?」と聞くように目を丸くする。
デイヴはその反応が面白くなくて、わざと不機嫌そうに言った。
「お前ら、起きて早々うるせぇな」
「だってさ」
シェーマスは悪びれず、空いている席に腰を下ろす。
「デイヴが誰かと二人きりで静かにしてるって、珍しいだろ」
「静かにしてねぇ」
デイヴは低く言った。
「宿題の話だ」
「宿題?」
ディーンが眉を上げる。
「デイヴが?」
「失礼ね」
ハーマイオニーが即座に言う。
「デイヴだってやるときはやるわ」
デイヴは“やるときはやる”という言い方に、妙にむず痒くなった。
照れをごまかすみたいに、彼はディーンを睨む。
「お前、絵とか描いてる暇あるなら、変身術やれよ。虫にされるぞ」
「虫は嫌だな……」
ディーンが苦笑し、シェーマスが「俺も嫌だ」と大げさに肩をすくめた。
四人が揺れる座席に落ち着くと、コンパートメントの空気が少し変わった。
さっきまでの静けさが薄まって、その代わりに、温かい雑談の温度が生まれる。
「で、グレンジャーは何読んでたんだ?」
ディーンが訊く。
ハーマイオニーは本の表紙を見せた。
「現代の著名な魔法使い図鑑。少し調べたいことがあって」
「魔法使いの図鑑……」
シェーマスが感心半分、呆れ半分の顔をする。
「すごいな」
「すごくないわ。普通よ」
ハーマイオニーはきっぱり言い、しかしすぐに付け足す。
「もし良かったら、二人も見る?知識を増やすのはいいことよ」
その提案は、デイヴの耳にちょっとだけ新鮮に聞こえた。
ハリーとロンに言うのとは違う、もう少しよそ行きで、でも親切な声。ハーマイオニーが“友達を増やそう”としているのが、言葉の端から伝わってくる。
ディーンは一瞬迷って、それから笑った。
「じゃあ、魔法史で出てきそうなやつ、教えてくれる?」
シェーマスもすぐに乗る。
「僕も僕も!魔法史すぐ寝ちゃうから、今どこやってるかわかんないし」
「現代の魔法使いよ?」
ハーマイオニーが目を細める。
「でもどうせいつかはやるでしょ?」
シェーマスが真顔で言う。
「何千年も前の話されても、って感じでさ。歴史は……なんか、遠い」
「まあ、みんな基本的に寝てるしね」
ディーンは助け舟を出す
「それにデイヴは……、知っての通りだろ?」
ハーマイオニーが思わず吹き出した。
彼女の笑いは、いつもより少しだけ軽い。
デイヴはその笑い方を一瞬見て、すぐに目を逸らした。
見続けると、変な気分になるからだ。
「おい、グレンジャー」
デイヴはわざと乱暴に言った。
「笑ってる暇があるなら、俺の天文学の最低ライン、もっと楽にしろよ」
「無理」
ハーマイオニーは即答し、ページをめくる。
「あなた、星座くらい覚えられるでしょう」
「覚えられるけど、覚えたくねぇ」
「子どもみたい」
「俺は子どもだ」
そのやり取りに、ディーンとシェーマスがまた笑う。
笑いが、列車の揺れと一緒にコンパートメントを満たしていく。
しばらくして、通路の遠くからカートの車輪の音が近づいてきた。
「お菓子はいかが?」
おなじみの声が聞こえる。
ディーンが身を乗り出す。
「蛙チョコ、買う」
シェーマスも続く。
「百味ビーンズも」
ハーマイオニーは財布を探しながら言った。
「私は……蛙チョコだけでいいわ」
デイヴは「いらねぇ」と言いかけて、やめた。
彼は煙草の代わりに何か甘いものを口に入れるのが嫌いだったはずなのに、今日は妙に、そういう“どうでもいい選択”をしてもいい気分だった。
「俺も蛙チョコ」
彼はぶっきらぼうに言った。
ディーンが目を丸くした。
「珍しいな」
「黙れ」
デイヴは短く言い、しかし口元はわずかに緩んでいた。
四人はそれぞれ包み紙を開け、カードを覗き込み、誰が出たとか出ないとかで小さく騒いだ。
シェーマスが知らない魔法使いの名前に首を傾げ、ハーマイオニーが簡潔に説明し、ディーンが「へえ」と頷く。
それはごく短い時間だったが、ハーマイオニーの輪の中に、ハリーとロン以外の名前が自然に入り込んでいく瞬間だった。
窓の外の景色が、雪の白から、湿った土の色へ少しずつ変わっていく。
森が減り、家が増え、煙突が見え始める。空は低く、曇りの裏に鈍い光がある。
ロンドンが近づいている。
やがて車内放送が流れた。
「まもなくキングズ・クロス駅に到着いたします――」
その声に、ディーンが「あ、やべ」と言って立ち上がった。シェーマスも慌ててカエルチョコの右足を口に詰め込む。ハーマイオニーは本と羊皮紙を丁寧に鞄へ戻し、きちんと留め金を閉めた。
デイヴは一瞬だけ、扉の外の通路を見た。
さっきまで鬱陶しかった視線は、今はもう気にならない。コンパートメントの中の空気が、少しだけ味方になった気がしたからだ。
ディーンが、荷物を抱えたままニヤニヤする。
「ねえデイヴ。結局、君、個室探しに行った意味あった?」
シェーマスも笑いを堪えず言う。
「僕らが寝てる間に、ずいぶん居心地よさそうな場所見つけたね」
「うるせぇ」
デイヴは即答し、わざと不機嫌に眉を寄せた。
「ここが空いてただけだ」
「はいはい」
ディーンは楽しそうだ。
「じゃあ、グレンジャー。休暇明け、変身術よろしく」
「ええ」
ハーマイオニーはすぐに頷く。
「あなたも、ちゃんとやってきて。放置したら、私、本気で怒るわよ」
シェーマスが「それは怖い」と笑い、ディーンが「確かに」と同意する。
ハーマイオニーは少しだけ頬を膨らませ、でもすぐに、目元が柔らかくなる。
列車が減速し始め、車輪の音が変わる。
窓の外に、プラットフォームの屋根が見えた。人影が増え、煙と匂いと、都会の気配が押し寄せてくる。
デイヴは立ち上がり、コートの襟を直した。
胸ポケットの煙草に指が触れる。けれど、それを取り出す気にはならなかった。もうすぐマムの目があるし、それ以上に――今は、別に要らない。
「……じゃあな」
デイヴが言うと、ハーマイオニーが彼を見上げた。
「休暇、ちゃんと休んで」
彼女は短く言い、少し間を置いて付け足す。
「あなたのお母さんに、よろしく」
デイヴは一瞬だけ口を開きかけ、結局、ぶっきらぼうに頷いた。
「……言っとく」
その横でディーンが「うわ、素直」と小声で言い、シェーマスが肩を揺らして笑う。
デイヴは二人を睨みつけたが、怒鳴るほどではなかった。
汽笛が短く鳴り、ホグワーツ特急はキングズ・クロス駅へ滑り込んでいく。
四人の足元で、揺れが止まりかける。
それぞれの帰る場所へ向かうための、ほんの数歩手前で――今回の話は、そこでいったん幕を下ろした。
久しぶりすぎますねぇ!!
最新話書いといてなんですが、一回この作品自体を消して、一話と二話をつなげたり、やっぱり時系列原作に沿わせるべきか悩んでいる男です。基本的に題名がほとんど仮の状態で出してるし、ハリーポッターとマンキュニアンの少年もなんか安直すぎてダサい気がしてきたので、名前も変えようかな、なんて思ってます。
大体前の話が一か月とちょい前だし、みんな内容忘れてる気がするので、そこらへんも考慮して書きたいな、なんて思ってます。
転生どうこうがものすごく蛇足に感じるし、オアシス好きじゃなくてストーンローゼズ好きで、オアシスに四年のころで会うってのも悪くないかな?なんて思ってます。ということでアンケ↓
今年もよろしこしこ。結果がやり直してもいいよ!って感じならこの小説は消えます。それではまたどこかで。というかここか書き直し版でお会いしましょう。バイバイベイビー
書き直してもええか?
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書き直してもええで
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アホなことすな
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知らんがな、勝手にせえ