ハリー・ポッターとマンキュニアンの少年   作:キラキラ武士

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書き直さないことにしました!!!!!!!!!!!!!
書きたいように書けばいいかなって感じで、好きなように書いていきたいと思いまーーーーす!!!!!!!!!
ちょいちょい「ん?」ってなるところが出ると思いますけど、そこは許してもろて……。


Christmas Kid

マンチェスターは相変わらず曇りきっていた。空の色は鉛みたいに沈み、冷たい風が気分の皮膚まで削ってくる。

デイヴは寒空の下、長いベンチコートの襟を立て、玄関先で煙をくゆらせていた。吐いた息が白くほどけて、すぐ灰色の空気に溶ける。

 

エルサは今ごろ、法律事務所で休暇前の最後の事務の仕事をしているはずだ。夜になれば近所のパブに回り、店員として立ちっぱなしになる。しかし今日はクリスマスだ。いつもは夜遅くに帰ってくる彼女だが、クリスマスだけは早く帰ってきてくれる。

デイヴはそれが幼い頃からとても嬉しかった。

 

携帯なんて気の利いたものは持っていない。固定電話でライアンかゲイリーに繋ぐこともできるのに、受話器へ伸ばす気にはなれなかった。とりわけ、ライアンの顔は今の季節には見たくない。

胸の奥に、触れたくない角がある。冬はそれを、やたらと指でなぞってくる。

 

一本吸い終えるころには指先が冷えきっていた。外はさすがに寒すぎる。デイヴは吸い殻を始末し、重い空気を引きずるように家へ戻った。

暖房はついているのに、芯が冷たい。熱が壁に吸い取られてしまうみたいに、部屋の隅だけが冬のままだ。

 

窓辺では、ジャックがカーテンのあたりに止まり、首をかしげてこちらを見ている。黒い羽の艶が、くすんだ室内の光をかすかに返した。

 

「おいで」

 

デイヴが腕を差し出すと、

 

「ホウ」

 

と短く鳴いて――ジャックは狙いすましたように、彼の頭へ着地した。

 

「おい」

 

抗議は軽い。ジャックは満足げにもう一度「ホウ」と鳴き、頭の上で少し身じろぎしてから、楽しそうに目を細めた。

デイヴは手を伸ばし、くちばしの下を指でかりかりと掻いてやる。羽毛の温度が指先に伝わってくると、くだらない苛立ちがひとつ、ほどけた。息が漏れて、それがそのまま笑いに変わる。

 

……昼メシでも食うか。

 

そう心の中で区切りをつけ、彼はキッチンへ向かった。

 

キッチンは古びていた。流しの縁はところどころ擦れて艶を失い、床板も何度も踏まれて軋む。

調味料は使い終わった何かの瓶に入れられている。ラベルがまっすぐ貼られているものもあれば、蓋に太い字で調味料の名前が書かれているものもある。ラベルを貼ったのは母エルサで、蓋にでっかく書いたのはデイヴだ。性格がそのまま、棚に並んでいる。

 

デイヴはコートを脱ぐと、癖みたいに手を洗い、台ふきんで流しのしずくをふき取る。何も付いていないのを確認して、軽く息を吐いた。

外で見せる荒っぽさからは想像しづらい、細かいところに目が届く手つきだった。乱れているのが気に入らないのではなく――乱れている状態が、落ち着かないのだ。

 

ジャックは頭から肩へ移り、彼の動きを覗き込むように止まる。

デイヴは包丁を一本だけ取り出し、刃先を布で拭ってからまな板に置いた。やることが決まっている人間の動きで、迷いがない。パンを取り、卵を割り、フライパンを温める。油の量も火の強さも、目分量なのに外さない。

 

卵が焼ける匂いが立ちのぼるころ、台の端にはすでに殻がまとめられ、使った器具は順番に洗われていく。作りながら片づける――それが、この狭い台所で身についた癖だった。

腹を満たすためだけじゃない。手を動かしているあいだだけは、余計なことを考えずに済む。黙っていられる時間が、彼には必要だった。

 

焼けたパンの上に卵をのせ、デイヴはジャックの方をちらりと見た。

 

「……お前、見張りでもしてるつもりか?」

 

ジャックは答える代わりに、機嫌よく小さく鳴き、デイヴの耳を軽く甘噛みした。痛みというより、からかいだ。

デイヴは肩をすくめて鼻で笑い、窓を開ける。

ジャックは少しだけ名残惜しそうにデイヴの耳を甘く噛み、「ホオ」と鳴くと、窓から飛び立っていってしまった。

きっとそこらへんでネズミでも捕まえてくるんだろうな、昨日は部屋のど真ん中に置かれてて変な声でたな、なんてことを思いながら、デイヴは皿を片手に流しへ寄った。

 

やがて適当にバップを作ったデイヴは、流しに立ったままそれを齧った。

不味くはないが、決して美味いとも言えない。食べなれた、ありあわせで作ったバップの味。ホグワーツの朝食は美味かったな――そんなことを思いながら最後の一口を口に放り込んだ、そのとき。

 

玄関がノックされた。

 

「デイヴ! いるんだろ!」

 

扉の向こうから飛んできた声に、デイヴは思わず口角を上げてしまった。曇った朝に、やけに生きている音。

 

「待ってろ、今カギ開ける!」

 

デイヴはざっと手を洗い、濡れた指をズボンに擦りつけながら玄関へ向かった。ドアを開けると、冷たい風が一気に部屋に流れ込んでくる。思わず目を細めたが、上がった口角だけはそのままだ。

 

「ノア!」

 

外気に晒された相手の頬は赤く、息が白い。冬の匂いをまとったまま、ノアは肩をすくめるように笑った。

 

「デイヴ、久しぶりだな。去年のクリスマスぶりだ」

 

ノア――ノア・レイナードは、デイヴの家の向かいに住む幼馴染の一人だった。四つ上。背筋の伸びた、どこか「正しい」空気を纏う男の子で、イギリスでも指折りの名門――イートン校に通っている。

雑に生きているデイヴとは、噛み合わせが悪いくらい真反対だ。それでも昔から、なぜか途切れない。

 

「これ、フィッシュアンドチップス。あと、モーリーンさんからサラダも貰った。どうせまたバップしか食ってないんだろ?」

 

紙袋が差し出される。油と塩の匂いが、袋の口から冬の空気に混じって漂った。

まるで図星だったデイヴは、喉の奥で笑いそうになるのを堪えて、

 

「うっせえ」

 

とだけ返し、照れ隠しのまま受け取った。言い返すわりに、足取りは早い。彼はそのままキッチンへ向かい、紙袋を台に置いた。

 

紅茶を適当に用意する。水を沸かして、カップを温めて、ティーバッグを放り込む。砂糖の瓶の蓋には、彼が書いたでかい字がある。

フィッシュアンドチップスは皿に出し直し、サラダはボウルごと台に置いた。

 

背中に気配が増えた。振り向かなくてもわかる。ノアはいつだって、そこに居る時は居る。

デイヴは手を止めずに問いかける。

 

「砂糖は一杯でよかったよな。レモンも入れるか?」

 

返事を待つというより、確認だ。ノアが「うん」と言い終わる前に、デイヴはもう角砂糖を落としていた。

出来上がったマグを片手に、彼はノアのいるリビングへ戻る。ノアは勝手知ったる顔でソファに沈み、コートのボタンを外しているところだった。

 

デイヴはその顔に、マグをぐい、と押し付けた。

 

「あっつ!」

 

「ぼーっとしてんのが悪ぃんだよ」

 

デイヴは平然と戻り、チップスにモルトビネガーを容赦なくかけた。びちゃびちゃになるまで。酢の匂いが一気に立ち、鼻の奥がつんとする。

彼はチップスを何本かまとめて掴み、遠慮なく口に放り込んだ。

 

呆れたように笑いながら、ノアは紅茶をひと口すする。カップを持つ指先まで、きちんとして見えるのが癪だった。

ランプの光を受けたノアの瞳は、翡翠にターコイズを一滴落としたみたいな翠に見えた。――その目で見つめられると、デイヴはいつからか妙に機嫌が悪くなる。理由は自分でもわからない。

 

だからノアは、すぐ視線を逸らして、さらりと話題を投げる。

 

「で。お前、学校どこなんだよ」

 

デイヴはタラのバッター揚げを口いっぱいに頬張ったまま、うっかり喋りそうになって、慌てて飲み込んだ。喉が一瞬つまる。

 

「ホグワーツってところ」

「ホグワーツ? どこだそれ」

「どこだっけ。わかんねぇ。とにかく寒くて古い城の学校」

 

ノアは眉を上げた。城、と聞いた瞬間、冗談だと決めつけた顔になる。

 

「城? なんだそれ。お前とうとう宗教施設にでもぶち込まれたのか?」

「違ぇよ!」

 

デイヴは反射で声を上げ、フォークを握った手がぴくりと動く。言い訳がすぐ出ない。出したくない。

「なんか……その……」と続けたところで、ノアは肩を揺らして笑った。

 

「……ああ、うん。相変わらずバカだな、お前。治ってなくて安心した」

 

ニヤニヤしながらそう言って、ノアはサラダのボウルをデイヴの方へ押しやった。

 

「野菜も食えよ。太っちまうぞ」

「うっせえな。太んねぇよ。俺はお前と違って成長期なの!」

 

言いながら、デイヴはサラダをやけに勢いよく食べ始めた。シャキシャキという音が、負けず嫌いみたいに響く。

ノアはその額に、軽くデコピンを落とす。

 

「痛っ……!」

「口だけ元気だな」

 

ノアは背もたれに体を預け、時々チップスをひょいとつまむ。デイヴは一瞬だけ睨んだあと、何も言わず皿を少し押し出した。

素直に「食え」とは言えない。優しさを優しさの形で出せない。そういうところが、ノアが昔からデイヴを気に入っている理由でもあった。

 

しばらく、揚げ物の音と、紅茶をすする音だけが部屋を満たす。

その静けさを、ノアが先に割った。

 

「どうして夏のうちに言ってくれなかったんだよ。家にも来なかったしさ」

 

デイヴは視線を皿に落としたまま、酢で濡れたチップスを指でいじる。

 

「お前、夏は帰ってこねぇじゃん」

「でも俺がモーリーンおばさんのところにいたのは知ってただろ?」

「そりゃ知ってるけど」

 

デイヴは言葉を切って、少しだけ眉を寄せた。吐き出すみたいに、本音を雑に投げる。

 

「夏は……お前に会いたくねぇんだよ」

 

ノアは一瞬だけ黙った。からかい返すより先に、デイヴの顔色を読む間がある。

デイヴは悔しそうに口を引き結び、視線を落としたまま続けた。

 

「それに、しばらく俺ぁ……あの人たちんとこ、気まずいし」

「イアンさんのことか?」

「まあ、そう。俺のせいで色々してもらったし……」

 

ノアは溜息みたいに笑って、けれど声は軽くしなかった。

 

「でも俺には会いに来いよ」

 

デイヴは、返事が遅れた。遅れたぶんだけ、拗ねたみたいに吐き捨てる。

 

「うるせえ」

 

ノアは、その短い言葉の奥にあるものを、なんとなく掬い取ったような顔をした。

それがまた癪に触ったのか、デイヴは小さく舌打ちして、サラダをむしゃりと口いっぱいに押し込む。頬が不格好にふくらんで、噛むたびに葉の音がする。

 

それを見たノアは耐えきれず、ふっと吹き出した。

 

「リスみたいだぞ」

「ふふへえ」

 

くぐもった返事のまま、デイヴはごくりと飲み込み、残っていた魚を一気に平らげた。皿を乱暴に重ねる――かと思いきや、彼は何も言わずにキッチンへ持っていき、さっさと洗ってしまう。

油の匂いが水で薄まり、皿の白さが戻っていく。蛇口の音だけが、短い間、部屋を満たした。

 

拭き終えると、デイヴは濡れた手を布で乱暴に擦り、背もたれに沈んだままのノアを一瞥する。

そして、考える暇を与えないみたいに廊下へ向かい、壁に掛けてあったコートを手に取った。

何も言わずに見つめられたノアは、はいはいと言わんばかりに肩をすくめると、立ち上がった。

デイヴの横に立ってニヤッと笑い、二の腕を軽くパンチする。

 

「痛ぇな。何すんだよ」

「愛ある拳だよ、スナップス。効いたろ?」

「チッ、キメェな。もう少しまともなもんよこせ」

 

二人はあてもなく、サルフォードの住宅街へ出た。冬の湿り気が舗道に貼りつき、街灯の光が濡れたアスファルトを薄く光らせている。遠くでは車の音が途切れ途切れに響き、煉瓦造りの家々の窓は早い時間から橙色に灯っていた。

 

デイヴはコートのポケットに手を突っ込み、道端の小石を見つけては遠くへ蹴り飛ばす。気分のやり場を探すみたいに、つま先だけが忙しい。

ノアは腕を組み、時々わざと先に石を蹴って邪魔をする。デイヴが舌打ちすれば、ノアは楽しそうに笑うだけだ。

 

人が向こうから来れば、ノアは何気なくデイヴの肩を押し、進路をずらしてぶつからないようにする。風が強くなれば、寒くないかと低く訊き、フードを被せようと手を伸ばす。

まるで実の兄みたいに振る舞うその様子が、デイヴには鬱陶しくもあり――どこか、救いでもあった。

 

廃線のわき、背丈ほどの草をかき分けた先に、古いコンクリート管がいくつも転がっている。

二人の足は、自然とその場所へ向かっていた。

そのうちのいちばん奥、少し傾いて半分だけ地面に埋まった一本。

そこはかつて秘密基地と言っていつも集まっていた場所で、今では来るだけで胸が苦しくなるだけの場所だった。

 

デイヴが身をかがめて管の中に入る。

おととしまでは、こんなに小さく、寒々しい場所ではなかった。

 

中の空気は湿っていた。土と埃と、冬の冷えた鉄の匂いが混ざっている。

壁に残ったチョークの線は、雨と時間に削られて、もう花なのか星なのかも判然としない。ただ、子どもの指先で描かれたやわらかな丸みだけが、灰色のコンクリートにかろうじて残っていた。

 

入口の脇には、曇った瓶があった。

昔は光を受けると白くやさしく霞んで見えたのに、いまは底に泥水を溜め、縁のひびに黒ずみを抱えこんでいる。枯れた茎すら残っていない。けれど、そこに何かが挿してあるほうが自然だったことだけは、二人ともよく知っていた。

 

後からノアが入ってきて、無言のまましゃがみ込む。

大きくなったせいで、昔よりずっと窮屈なはずなのに、その狭さが妙に身体になじんだ。

彼は管の内側を見回し、壁にもたれたまま、靴先で転がっていた小石を軽く蹴った。

 

「ひでえな」

 

それだけ言って、口をつぐむ。

ひどいのは場所なのか、時間なのか、あるいは今日という日そのものなのか、デイヴにはわからなかった。たぶん、どれもだった。

 

隅には、空気の抜けたサッカーボールが半分土に埋もれていた。縫い目は裂け、白かった面は灰色にくすみ、触れれば指先に冷たさより先に古びた気配が移りそうだった。

脇には、ひっくり返ったスケボーがある。板の端は欠け、裏の絵は泥に擦れてほとんど見えない。

そのそばだけ、なぜだかまだ人の手の跡みたいに整って見えるのが、余計にやりきれなかった。

 

デイヴはしゃがんだまま、壁ぎわに目をやる。

そこには、昔、自分が集めて並べていた石がいくつか残っていた。濡れると色が濃くなる石。縞の入った石。つるりと丸い石。冬の薄い光を受けて、どれも鈍く沈んでいる。

 

けれど、ひとつだけない。

 

デイヴの手が止まった。

 

いちばん奥、瓶のすぐ横。

あったはずの場所に、小さなくぼみだけが残っている。

埃の積もり方がそこだけ不自然で、何かが長く置かれていて、そうしてある日、持ち去られたのだとわかる跡だった。

 

ノアもそれに気づいたらしい。

視線だけをそこへ滑らせて、しばらく何も言わなかった。

 

あの石は、少し変わっていた。

暗いところでは深い緑に見えて、光にかざすと青みが差す。子どものくせに妙に得意げな顔で、デイヴはそれを「よく似てる」と言ったのだ。何に、と聞き返される前から、もう答えはそこにあった。ノアは呆れたように鼻で笑って、けれどその石だけはふざけて蹴ったりしなかった。

 

デイヴはくぼみに指を触れた。

冷たい。ほんの少し湿っている。

誰も来ないまま壊れていく場所だと思っていたのに、そこだけが、まるで途中で手が入ったみたいだった。

 

「……誰か来た」

 

声に出した途端、自分の声がやけに幼く聞こえて、彼は顔をしかめた。

 

ノアは膝に肘を乗せたまま、入口の外を見ていた。

冬の草むらは白く霜をかぶっていて、その向こうの空は、もう夕方の色になりはじめている。クリスマスだというのに、祝うものは何もない景色だった。

 

「さあな」

 

ぶっきらぼうに答えてから、ノアは少し間を置いた。

 

「……でも、あれだけなくなるの、変だろ」

 

デイヴは返事をしなかった。

変だ。あまりにも、変だった。

瓶は残っている。ボールも、板も、壁の絵も、消えかけながらまだここにある。なのに、あの石だけがない。あれだけが、まるで選ばれたみたいに。

 

管の中は静かだった。

静かなのに、耳の奥では、ずっと昔の笑い声がうるさいほど響いている気がする。甲高く弾む声。からかうような調子。どちらかが何か言えばすぐ重なる、明るい、軽い、冬の空気に似合わない声。

いまはもう、ここにはいない声。

 

デイヴは壁にもたれ、天井の丸みに目をやった。

薄く残ったチョークの花の下に、小さな王冠の落書きがあった。線はほとんど消えているのに、その妙に気取った形だけはまだわかる。こんなのを描くやつは一人しかいなかった、と思った瞬間、喉の奥がひりついた。

 

ノアがポケットに手を突っ込み、何かを探る気配がした。

出てきたのは、潰れた煙草の箱でも、飴でもなく、どこにでもある安っぽいライターだった。火をつけるでもなく、彼はそれを指先で弄び、それからまたしまった。

 

「帰るか」

 

そう言った声は、帰りたい人間の声ではなかった。

ここにいたいわけでも、いたくないわけでもない。ただこれ以上いると、何かを認めてしまいそうで嫌なのだと、デイヴにはわかった。

 

彼は立ち上がろうとして、もう一度だけくぼみを見た。

石のない場所。

そこだけが妙に、空ではなかった。

 

持っていかれたのかもしれない。

誰かが、偶然、気まぐれに。

けれど、もしそうでないなら。もし、あれがただ失われたのではなく、選ばれて消えたのだとしたら。

 

デイヴは何も言わず、先に外へ出た。

冷たい空気が頬を刺し、吐いた息はすぐ白くちぎれた。

背丈ほどの草の向こうで、夕空がわずかに青を残している。その色がふいに、なくなった石のことを思わせたので、彼は舌打ちしそうになって、やめた。

 

後ろから出てきたノアが、管を振り返る。

デイヴもつられて振り返った。

 

荒れ果てたコンクリートの穴は、もう秘密基地には見えない。

ただの捨てられた場所だ。

それでも、二人ともすぐには目を離せなかった。まるであの暗がりの奥に、いまも誰かが足をぶらつかせて座っていて、遅い、とでも言いそうな気がしたからだ。

 


 

鍵の音がして、玄関の向こうで靴底が床を擦った。外の冷気を連れて、家の空気が一瞬だけ揺れる。

 

エルサが帰ってきたのだ。

 

彼女はコートの襟を片手で乱暴に払い、肩の力を抜くみたいに息を吐いた。頬は外気で赤く、髪の先には細かな湿り気が残っている。昼の事務仕事と夜のパブの匂い――紙とインクと、揚げ物の油と、ほんの少しのビールが混ざった匂いが、狭い家の中にふっと広がった。

 

「ただいま。……寒っ」

 

廊下の奥から覗いたデイヴとノアを見つけると、エルサは眉を上げるでもなく、目だけで二人を数えてから、いつもの調子で言った。

 

「ノアじゃん。来てたの?」

 

ノアは反射みたいに背筋を正して、軽く笑う。

 

「お邪魔してます。エルサさん」

「いいよいいよ。勝手に居な。そこの二匹、ちゃんと手ぇ洗った?」

 

言いながら靴を揃え、バッグを床に置く。疲れているはずなのに、声の温度は落ちていなかった。むしろ、その軽さがこの家の夜をかろうじて保っているみたいだった。

 

ノアは、帰る気配をわざとらしく作ることもしない。コートのボタンに手をかけはしたが、それは形式でしかなく、すぐに手を下ろした。

デイヴはそれを横目で見て、何も言わないまま鼻で息を吐く。追い払いたいわけじゃないくせに、歓迎の言葉も出ない。

 

エルサは二人の微妙な空気を気にするでもなく、キッチンへまっすぐ向かった。袖をまくり、冷蔵庫を開ける。昨日のうちに仕込んでおいたラザニアの皿を取り出し、手早くオーブンの温度をいじる。

慣れた動きだった。寝る前の時間を少し削ってでも、食卓の灯りを用意する動き。

 

「ほら、座ってな。今日、あたし無駄口叩く元気ないから」

 

そう言いながらも、エルサは笑っている。疲れは声の端にあるのに、家族の前ではそれをちゃんと丸めて見せる。

 

ラザニアを温め始めたあと、今度は別の袋を取り出した。パブの名前が印刷された紙袋。モーリーンから受け取ったものだ。

中から出てきたケーキの箱は少し潰れていたが、蓋を開けると、甘い匂いがぱっと広がった。クリームの白さが、灰色の一日に小さな反抗をするみたいに眩しい。

 

「モーリーンがさ、“今日ぐらい甘いもん食え”って。あの人、口悪いくせにこういうのはマメなんだよね」

 

箱を台に置き、包丁を探して引き出しを開ける。その手元が迷わないのを、デイヴは無意識に見ていた。自分の指が皿を洗う時と似た動きを、母の手もしていることに、妙に落ち着かなくなる。

 

オーブンの中で、じわりと香りが立ち始めた。チーズが温まり、トマトの酸味が丸くなる匂い。

エルサはその匂いを吸い込み、満足げに小さく頷く。

 

「デイヴ、皿。ノアの分も」

「……わかった」

 

返事はぶっきらぼうだが、デイヴはすぐ棚を開け、皿を二枚出した。手つきが速い。ノアも立ち上がりかけたが、エルサが目だけで制した。

 

「座ってて。客は客」

 

ノアは一瞬困ったように笑って、素直に腰を落とす。

デイヴはその様子が癪で、皿を置く音を少しだけ強くした。

 

「丁寧に置けってなんべん言ったらわかるんだい」

「うっせえな、丁寧に置いてんだろうが」

「だってさノア。どう思う?うちのこのバカ息子の言いぐさ」

「今のはどう考えても強く置いてたと思うね。あくまで俺の意見だけど」

「ほら~」

「はいはいはいはい!わかりましたよ!」

 

デイヴは不貞腐れ、置いた皿をもう一度手に取って、今度はわざとらしくゆっくりとした動きで机の上に置きなおした。

エルサは「生意気!」と言いながらカラカラと笑い、ノアは「お前はいつもそうやって……」と苦笑していた。

少し得意げなデイヴであった。

エルサはエプロンも何もつけず、勝手知ったる台所を迷いなく動いた。オーブンの前で屈み、焼け具合を覗き込み、つまみをひねる。

ラザニアの匂いが、家の冷えた角を少しずつ柔らかくしていく。トマトの酸味とチーズの甘い香りが混ざって、胃が先に起き出す。

 

「デイヴ、フォークとナイフ。あとコップも。割るなよ」

「割んねぇよ。俺をなんだと思ってんだ」

 

文句を言いながらも、デイヴの手はてきぱきしている。引き出しを開け、数を数えて、並べる。皿の位置も、椅子の間隔も、気になるところだけ微妙に直す。

十一歳にしては妙に手際がいい。生活がそうさせた、ということをこの家の誰も口にしないだけだ。

 

ノアは手持ち無沙汰に見えた。座っていろと言われた通りに腰掛けているが、視線だけが落ち着かない。台所と食卓の間を行き来する二人の背中を追って、何度か口を開きかけては、閉じる。

それでも、口角がほんの少し上がっている。昔、当たり前にあった温度が、ここにはまだ残っているからだ。

 

エルサが台にケーキ箱を置き、包丁を探して引き出しを開けると、デイヴが先回りして差し出した。

 

「ほら。こっちのが切れる」

「お、気が利くじゃん。たまには褒めてやる」

「上から目線やめろよ」

「母親は上からでいいんだよ」

 

そう言いながらも、エルサの声は楽しげだ。疲れが滲むはずの目尻が、笑って少し細くなる。

デイヴはむっとした顔を作ってみせるが、手は止めない。パン籠を引っ張り出し、袋を開け、パンをちぎりやすいように並べ直す。

 

ノアが小さく咳払いをして立ち上がった。

 

「俺、サラダ取り分けるよ。いい?」

「いいね。ほら、ノアはえらい。うちのは口だけだから」

「おい」

「事実だろ?」

 

ノアは笑いながらボウルを受け取り、皿へ分け始めた。手つきが上品で、量もきっちり均等だ。

その様子がまた癪に触って、デイヴはパンを置く音を少しだけ強くした。

 

「うるさいな……」

「今のも強かった」

 

ノアがさらっと言う。

 

「お前、なんでそっち側なんだよ」

「だって、そう見えたから」

「ね?乱暴なんだよお前は」

 

エルサが勝ち誇ったように言うと、デイヴは肩をすくめて口を尖らせた。拗ねたふりが、あまりにもいつもの流れで、ノアの笑いがまた増える。

デイヴは悔し紛れにパンを一つ掴み、ノアの皿へ投げるように置いた。

 

「はいはい、食えよ。お上品サマ」

「乱暴だな」

「うっせえ」

 

エルサはその応酬を聞きながら、オーブンの扉を開けた。熱気が一気に吐き出され、台所が一瞬だけ夏みたいになる。

ラザニアの表面はこんがり色づき、チーズが細かく泡立っている。エルサはミトンで皿を引き出し、テーブルにどん、と置いた。

 

「できた。熱いから近づくなよ。――デイヴ、切り分けな」

「俺が?」

「手、動くんだから動かせ」

 

言われてデイヴはナイフを握る。切り口が崩れないように、ゆっくり、でも迷いなく。

ノアはそれを見ながら、ふっと目を細めた。彼が知っている“乱暴なデイヴ”の横に、別のデイヴがこうしていつも居る。

 

皿が並び、湯気が立ち、三人分の夕食が整った。

いつの間にか、部屋の寒さが薄れている。窓の外は相変わらず灰色なのに、食卓の上だけ色がある。

 

「ほら、食べな」

 

エルサが先に、二人の皿へどんどんよそる。ラザニアが足りなくなるのを嫌うみたいに、遠慮という概念がない。

さらにパン籠を押し出してくる。

 

「パンも。ほら、若いんだから詰め込め」

「もうあるって」

 

デイヴが言うと、エルサは鼻で笑った。

 

「足りない顔してるよ」

 

ノアの皿にも、同じ勢いで追加が乗る。

 

「ノアも。細いんだよ、あんた。イートンってのは飯出さないの?」

「出るよ。出るけど……エルサさんの方が強い」

「だろ?」

 

エルサは満足げに頷き、フォークを持ってようやく自分も食べ始めた。

ノアは一口食べ、素直に「うまい」と言いかけて、照れたように笑って飲み込んだ。

 

しばらくは食器の音だけが続く。

デイヴはパンをちぎり、ソースを拭って口に入れる。エルサはそれを見逃さず、またパンを足す。ノアはそれを見て、笑いを堪えながら自分のパンを半分、デイヴの皿へそっと寄せた。

 

「いらねぇ」

「食え」

「……うるせえ」

 

言いつつデイヴは拒まない。ノアはほんの少しだけ肩の力を抜いた。こういうやりとりが、昔の記憶を無理に引っ張り出さなくても、勝手に体を温めてくれる。

 

エルサがふいにノアへ目を向けた。

 

「で、イートンはどうなんだい? 相変わらず堅っ苦しいの?」

 

ノアはスプーンを置き、少し考えてから答えた。

 

「堅いのは堅いね。授業も長いし、寮もいろいろ面倒。礼儀作法とか、どうでもいいことにうるさい人もいる」

「はは、嫌だねえ」

 

エルサが笑うと、ノアもつられて笑う。

 

「でも、悪いことばかりじゃないよ。友達もいるし……慣れた。たまに、息が詰まるけど」

「息が詰まったら食え。だいたい解決する」

「それ、ほんとに名言か?」

 

ノアが突っ込むと、エルサは肩をすくめるだけだった。

 

ノアは今度はデイヴへ顔を向ける。

 

「じゃあ、ホグワーツって……どんなとこなんだよ。城って言ってたけど」

 

その問いが落ちた瞬間、空気がほんの少しだけ変わった。

エルサは何も言わない。フォークを動かす手だけは止めず、視線も上げない。ただ、耳は確実に向いている。

 

デイヴは一口食べてから、わざと時間を稼ぐみたいに水を飲んだ。

口の中で言葉を選ぶ音が、本人にだけ聞こえている。

 

「……古い。寒い。階段多い」

「階段多いは想像つくな」

「あと、変なルールが多い。寮……みたいなのがあってさ。四つに分かれてる」

 

ノアは興味深そうに身を乗り出した。

 

「寮?お前が?やってけてんのか?」

「まあ……。でも、飯はうまい。朝とか、めちゃくちゃ出る」

 

そこは嘘ではない。デイヴはその部分だけ、少し声が素直になる。

エルサの口元がほんの少し動いたが、何も言わない。

 

「先生は?」

「厳しいのもいる。優しいのもいる。やたら怖いのもいる」

「最後のは何だよ」

「怖いんだよ。目が。刺さる」

 

ノアが笑うと、デイヴはむっとして付け足した。

 

「……でも、悪くない。退屈しない」

 

それは、ぎりぎり本音だった。

ノアはその一言を聞いて、安心したように息を吐く。デイヴがどこかに放り込まれて、ただ耐えているだけじゃないとわかったからだ。

 

「ふうん。じゃ、友達はできたの?」

「……できた」

 

即答できないあたりが、もう答えだった。ノアはそれ以上追わない。ただ、嬉しそうに目を細める。

 

エルサはそこでようやく口を挟んだわけではなく、ただパン籠を持ち上げて、デイヴの前に置き直した。

 

「ほら。話しながらでも食べな。冷めるよ」

「食ってるって」

「足りない顔してる」

「してねぇ」

 

ノアが小さく笑いながら言う。

 

「してると思う」

「お前まで言うな!」

 

デイヴが拗ねた顔を作ると、エルサはまたカラカラ笑い、ノアもその笑いに混じった。

いつもの流れが、いつもの調子で回り始める。

 

食卓の上で湯気が揺れる。外の曇り空は変わらないのに、家の中の温度だけが少しずつ戻っていく。

ノアはその輪の端に座りながら、居心地の悪さを抱えたまま、それでも口角を落とさずにいた。こんな夜が、どれほど貴重だったかを、彼はたぶん誰より知っている。

ケーキは箱から出されると、途端に「クリスマスの匂い」を部屋いっぱいに広げた。甘いクリームと、焼けた生地の香り。ラザニアの余韻をやわらかく上書きするみたいに、空気が少しだけ明るくなる。

 

エルサは包丁を迷いなく入れ、遠慮なく大きめに切り分けた。

 

「ほら。デイヴ、でっかいの。ノアも同じくらい。細いんだから食べな」

「でかすぎだろ」

 

文句を言いながら、デイヴは皿を受け取る。ノアも「ありがとう」と言いながら笑って、フォークを構えた。

三人が一斉に口に運ぶと、クリームの甘さが舌に広がり、短い沈黙が落ちた。食べ物が黙らせる沈黙は、悪くない。

 

エルサはふっと何か思い出したように眉を上げ、テーブルの端に置いてあった封筒を引き寄せた。少しくたびれた紙。けれど角は丁寧に揃えられている。

 

「そうだ。これさ」

「……あ?」

 

デイヴが顔をしかめるのと同時に、エルサは封筒をひらりと持ち上げた。

 

「デイヴから来た手紙。ほら、ノア。見てみな」

「おい!」

 

止めに入るような声が出たのに、デイヴは立ち上がらない。奪い取ろうともせず、フォークでケーキを崩しながら視線を逸らした。耳だけが赤くなっていく。

 

ノアは「え」と間の抜けた声を出して、封筒を受け取った。紙の匂いが、ほんの少しだけインクの匂いを連れている。

 

「……デイヴ、手紙書いたの?」

「うっせえ」

 

ノアは中身を抜き、目を滑らせた。最初は笑いを堪えるみたいに口元を押さえていたが、途中で眉が上がる。

そして読み終えるころには、完全に疑う顔になった。

 

「……これ、お前が書いたの?」

「書いたけど」

「嘘だろ。お前、こんな文章書けんのかよ?」

 

エルサが嬉しそうに「でしょ」と笑う横で、デイヴは鼻先を指で掻いた。視線は皿の上だ。

 

「……友達に手伝ってもらった」

「友達?」

 

ノアがすぐ拾う。

 

「誰だよ。お前の“友達”って」

「……いるんだよ。そういうやつが」

 

それ以上は言わない。言いたくない、というより、言えない言葉の壁がそこにある。

エルサは黙ってケーキを食べ続けている。わかっていて、言わない顔だった。

 

ノアは手紙をもう一度読み返し、面白そうに笑った。

 

「へえ。お前にもそういうとこあるんだな」

「うっせえ」

 

そのやり取りに、エルサがフォークをくるりと回す。

 

「うっせえばっかり。ほかの語彙ないのかい」

「あるけど使わねぇ」

「生意気」

 

笑いながら言った瞬間――窓が、コツコツと叩かれた。

 

音は控えめなのに、妙に耳に残る。硬いくちばしがガラスに触れる、乾いた合図。

ノアがびくりとして顔を上げた。

 

「……今の、何?」

 

もう一度、コツ、コツ。

ノアが恐る恐る窓へ近づく。カーテンの隙間から覗き、息を呑んだ。

 

「……鳥?」

 

黒を基調に、白や茶色が混じった大きな影が、外の窓枠にとまっている。丸い顔。鋭い目。耳みたいに見える羽角。

ノアはその場で固まった。

 

「え、ちょっと待って。……ワシミミズク?」

 

デイヴは椅子を引く音も乱暴にせず、すっと立ち上がった。さっきまでの照れや拗ねが、切り替わる。

 

「ジャックだ」

「ジャック?」

 

デイヴは窓の鍵を外し、隙間を作る。冷たい空気がすっと入ってきた瞬間、鳥は迷いなく室内へ滑り込んだ。

そして――狙いすましたみたいに、デイヴの頭へ着地する。

 

「ホウ」

 

低く短い声。誇らしげに、そして当然のように。

 

「……おい」

 

デイヴが小さく文句を言うと、ジャックはもう一度「ホウ」と鳴き、頭の上で居心地のいい位置を探して身じろぎした。

 

ノアは口を開けたまま見ている。目だけが大きい。

 

「何だよそれ……お前、鳥飼ってんの?」

「飼ってる」

 

デイヴはぶっきらぼうに言いながら、少しだけ顎を上げた。

 

「ジャック。俺のフクロウ。……人懐っこいから、触っても平気」

「触って……いいの?」

「噛まねぇよ。たぶん」

「たぶんって何だよ」

 

ノアの声が裏返る。エルサは黙って見ているが、口元には笑いが残っている。初めて見る光景ではない顔だ。

 

デイヴは両手を上げ、ジャックの羽を抑えるように、そっと掴んだ。押さえつけるというより、落ちないように包む形だ。

ジャックは嫌がるどころか、満足そうに目を細めた。

 

「ほら」

「……すご」

 

ノアは恐る恐る手を伸ばし、指先で羽毛に触れた。

ジャックは噛みもしない。気持ちよさそうに喉の奥で小さく鳴き、

 

「ホオ」

 

と、今度は柔らかい音を落とした。撫でられることが当たり前みたいに、首を少し傾ける。

 

ノアは思わず笑ってしまった。

 

「なにこれ……可愛いじゃん」

「可愛いとか言うなよ。調子乗るだろ」

 

言いながら、デイヴの声は少しだけ軽い。

ジャックはそのままご機嫌で、デイヴの髪に爪を軽く立てて体勢を整える。

 

「……お前、痛くないの?」

「慣れた」

 

デイヴは頭の上の重みをそのままに、廊下へ向かった。

 

「戻してくる」

「今のまま行くの?」

「このままだと部屋に落とされる」

 

デイヴはぶっきらぼうに言い捨て、ジャックを頭に乗せたまま自室へ消えた。

扉が閉まる間際、ジャックがもう一度「ホウ」と鳴いた。まるで、自分の家だと言いたげに。

 


三人のおしゃべりは、甘いケーキと紅茶の湯気にほどよく溶けて、気づけば時間の角を丸くしていた。エルサは笑いながらも時々欠伸を噛み殺し、デイヴはそれを見て見ないふりをし、ノアは「そろそろだね」と言い出すタイミングを何度も逃していた。

 

壁の時計が十時に近づいたころ、ようやく空気が「お開き」に向かって動き出す。

 

「じゃ、俺は――」

 

ノアが立ち上がると、デイヴが即座に口を挟んだ。

 

「送る」

「いい。玄関先で十分」

「送る」

「だから、いいって」

 

ノアは苦笑して靴を履きながら、軽く肩をすくめた。

 

「どうせ途中でチンピラに絡まれるんだろ。俺が一緒にいたら、余計に目立つ」

「……は? 俺が絡まれる前提なの、失礼すぎだろ」

「前提じゃなくて統計。去年も一昨年もそうだった」

 

エルサはそのやりとりを聞きながら、台所の明かりを落とし、玄関までついてきた。

 

「デイヴ。外に出るならフード被ってきな。風が切れるよ」

「はいはい」

「はいはいじゃない。ノアも、気をつけな。帰ったら一回電話しな」

「うん。ありがとう、エルサさん」

 

ノアが笑うと、エルサは「いいよ」と手を振った。疲れた夜の終わりでも、その仕草だけは軽かった。

 

玄関の扉が開くと、外気が容赦なく入り込んだ。

外は寒い。二人の吐く息が白く立ち、街灯の下でほどけて消える。

 

デイヴはポケットに手を突っ込みながら、タバコを咥えた。火をつける。赤い点が一瞬だけ夜に浮かび、煙が白い息と混ざっていく。

ノアはそれを見て何も言わない。ただ、いつものように少しだけ眉を寄せる。昔ほどきつくは咎めない。もう、そういう年齢じゃないという顔だ。

 

ノアはそっとポケットに手を入れ、薄い包装の何かを取り出した。白っぽい紙に包まれて、角がきちんと折られている。手のひらサイズの、小さな四角。

 

「これ」

 

デイヴが煙を吐きながら視線だけ寄せる。

 

「クリスマスプレゼント。お前が持ってろ」

「……俺に?」

「そう。お前に」

 

デイヴは一瞬だけ口を開けかけ、すぐ閉じた。受け取る手の動きが、妙に慎重になる。

薄い包装が、寒さで少しだけ固い。

 

「開けていい?」

 

ノアは頷くどころか、少し笑った。

 

「むしろ今開けろ」

 

デイヴは舌でタバコの位置を直し、片手で包装紙を破いた。指が冷えていてうまくいかず、少し苛ついたように紙を引き千切る。

中から出てきたのは、写真立てだった。安っぽくはない。無駄に豪華でもない。控えめな木の枠で、角が丸い。持った瞬間の重みが、軽すぎない。

 

デイヴはタバコを指に移し、写真に目を落とした。

 

――そこにいたのは、まだ幼い二人だった。

 

肩を組んで笑っている、デイヴとノア。

デイヴは頬がぷっくりしていて、外で遊んだあとの赤みがそのまま残っている。満面の笑みで、前髪が少しだけ顔にかかっていて、それがまた子どもっぽさを際立たせていた。きれいな顔立ちがまだ柔らかくて、ただ「可愛い男の子」としか言いようがない。歯を見せて笑うその無防備さは、今のデイヴの乱暴さを知っているほど、眩しいくらいだった。

 

ノアはその隣で、優しそうな少年そのものだった。金髪が光を拾ってきらきらしていて、整った顔はすでに「美少年」と呼ばれる手前にある。たれ目がちな瞳が柔らかく笑っているのに、歯を見せない。けれど、それがよけいに品の良さと楽しさを伝えてくる。

そして――その瞳は、エメラルドにターコイズを一滴落としたような翠色で、笑いながらも静かに光を宿していた。

 

その二人の肩を、まとめて抱き寄せている女の子がいる。

美しい、としか言えない女の子。

 

頬に置かれた彼女の手は、触れたくて仕方がないみたいに自然で、笑い方はにこにこしているのに、どこかいたずらっぽい。デイヴの頭に自分の頬を寄せ、ノアの頬を少しだけつねっている。――軽い仕草のはずなのに、その写真の中では彼女だけが妙に「中心」に見えた。

 

髪は光を受けて滑らかに流れ、輪郭はくっきりしているのに硬くない。目は、二人と同じ色だった。

エメラルドにターコイズを一滴落としたような翠色の瞳が、写真のこちら側を楽しそうに見ている。笑っているのに、どこか大人びた気配が混じっていて、ただの「可愛い」では終わらない。美しさが、子どもの形をしたまま、もう完成に近い。

 

デイヴはしばらく、何も言わずにそれを見ていた。

タバコの灰が落ちそうになって、ようやく指先が動いた。慌てて灰を落とし、もう一度写真に目を戻す。

 

ノアは、寒さで鼻先を赤くしながら、横から覗き込んだ。

 

「……あの頃のやつ。モーリーンおばさんの家のアルバムに挟まってた」

 

デイヴは喉の奥で、短く息を鳴らした。笑いそうで、笑えない音。

 

「なんだよ、これ……」

「持ってろよ。お前ん家にあった方が、まあ……いいだろ」

 

言い方はそっけない。けれど、渡す手つきは丁寧だった。

 

デイヴは写真立ての縁を親指でなぞり、わざと乱暴に言う。

 

「……趣味わりぃな。感傷プレゼントとか」

 

ノアは笑った。

 

「お前が一番そういうの必要だから」

 

「うるせえ」

 

デイヴはそう吐き捨てて、けれど写真立てを返さなかった。両手で包むみたいに持ち直して、胸の近くに寄せる。寒さのせいにして俯く。

 

ノアはその仕草を見て、少しだけ息を吐いた。白い息が街灯の下でほどける。

 

「じゃ、帰る」

「……玄関先でいいんだろ」

「うん。ここでいい」

 

ノアが背を向ける。数歩だけ歩いて、振り返らずに言った。

 

「落とすなよ」

 

デイヴは写真立てを抱えたまま、タバコを口に戻した。

 

「落とさねぇよ」

 

その返事はぶっきらぼうで、風に削られていく。

デイヴはノアがいなくなるまでその後姿を見つめた後、もう一度写真を見た。

楽しそうに笑う三人。

デイヴはタバコの煙が目に染みた。

そう思わないと、去年枯れ果てたはずの、この涙への言い訳がなくなってしまうから。






はい。一か月かかった結果、クリスマスシーズンから二か月以上空いてしまいました。クリスマス中はインスタのリールでLast Christmasが使われたハリポタのリールがいっぱいあって、ニコニコでした。
クリスマスの曲でみんな何が好きですか?俺はチップマンクスのThe Chipmank songと、ダニー・ハサウェイのThis Christmas、あとポール・マッカートニーのWonderfull Christmasですね~。War Is Overとか、もちろんLast Christmasも好きです。
クリスマス休暇はこれにておしまいです。あと4話くらいで賢者の石編は終わらせたいですね。
就活はクソすぎるのでさっさと終わらせたく思います。

感想がとっても励みになるのでコメントオナシャス。オアシスの何の曲が好きですかとか邦楽何効きますかでもいいです。

ではまた俺が書き終わったときに会いましょう。
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