試験週間がとうとう始まった。
二週間前までは、まだ時間があるだの、直前になれば何とかなるだのと好き勝手なことを言っていた生徒たちも、当日の朝ともなればさすがに様子が違っていた。朝食の大広間では、教科書を片手にパンを齧っている者がいれば、最後まで覚えきれなかった呪文の発音を小声で繰り返している者もおり、反対に、もう今さら何を読んでも無駄だと悟ったのか、皿の前でぼんやり天井を眺めている生徒もいる。普段なら朝から騒がしいグリフィンドールの長テーブルにも、あちらこちらに教科書や羊皮紙が広げられ、食器の触れ合う音に混じって頁をめくる音が絶えず響いていた。
シェーマスもその一人で、トーストを片手に持ったまま、先ほどから同じ呪文を飽きもせず繰り返している。唱えるたびに少しずつ発音が変わっているのが、かえって本人の不安を煽っているらしく、三度唱えては首を傾げ、また最初からやり直していた。
「ウィンガーディアム・レビオーサ……ウィンガーディアム・レビオーサ……」
「それ、今さら忘れるか?」
「試験だと思うとわからなくなるんだよ。途中で発音がおかしくなったらどうする?」
「別に爆発するわけでもねえだろ」
「君がそれを言うと、むしろ不安になるんだけど」
向かい側でソーセージを食べていたデイヴが呆れた顔をすると、隣でノートを眺めていたディーンが顔も上げずに口を挟んだ。デイヴの前だけは不思議なほど机が綺麗で、教科書もノートも一冊として出ていない。昨夜までは一応それなりに勉強していたものの、朝になってから一行や二行余計に覚えたところで、試験の出来が劇的に変わるとは到底思えなかったし、それより腹を減らしたまま教室へ行く方がよほど嫌だったのである。
少し離れた席では、ハーマイオニーが朝食中だというのに教科書へ顔を近づけていた。数行読むたびに目を閉じ、内容を頭の中で確かめてから次へ進むという念の入りようで、その隣に座ったロンは、見るからにうんざりした顔で彼女を眺めていた。
「もう覚えてるだろ、ハーマイオニー」
「覚えているかどうかを確かめてるのよ」
「覚えてる奴が確かめる必要ある?」
「あるわ」
そこまできっぱり返されては、ロンもそれ以上言いようがなかったらしい。デイヴは横目でそのやり取りを眺めながら皿へ手を伸ばしたが、最後に一本だけ残っていたソーセージへ、ほぼ同時にシェーマスのフォークも伸びてきた。二本のフォークが皿の上でぶつかり、二人はしばらく無言でソーセージを見つめたあと、今度は互いの顔を見た。
「俺の」
「先に刺したの僕だろ」
「俺が先に狙ってた」
「そんなルールあるかよ」
しばらく低レベルな睨み合いが続いた末、とうとうディーンが皿そのものを二人から遠ざけた。それを合図にしたように周囲の生徒たちも次々と席を立ち始め、デイヴたちもようやく試験会場へ向かうことになった。
最初に待っていたのは呪文学だった。いつもの教室へ入ると、机は普段よりずっと広い間隔を空けて並べられ、一人につき一つずつ使うようになっていた。黒板の前ではフリットウィック先生が答案用の羊皮紙を揃えており、その姿だけを見れば普段の授業とそれほど違わないはずなのに、教室へ入った生徒たちの声は自然と小さくなった。椅子を引く音や羽根ペンを机へ置く音ばかりが妙に大きく響き、試験が始まる頃には、先ほどまで廊下で騒いでいた一年生たちが同じ集団とは思えないほど静まり返っていた。
答案が配られ、開始を告げられると、ほどなく教室を満たしたのは羽根ペンが羊皮紙を擦る音だけになった。デイヴも名前を書いて最初の問題へ目を落としたところで、さっそく手を止める。浮遊術を成功させるために必要な杖の動作と、呪文の発音について説明する問題だった。
少し前までのデイヴなら、こういう問いには「振って、ひょいとやって、ちゃんと言う」としか答えようがなかっただろう。しかし試験前、ディーンに無理やり説明の練習をさせられたおかげで、少なくともそれでは答案にならないということだけは理解していた。腕全体を大きく振り回すのではなく手首を使うこと、杖先の軌道、発音するときに意識する音の位置まで、実際に羽根ペンを浮かせながら説明した時の記憶が思いのほか鮮明に残っている。
羽根ペンを持ち直して順番に書いていけば、予想していたよりはまともな文章になった。練習している最中には、どうしてこんな当たり前のことをわざわざ言葉にしなくてはならないのかと面倒に思っていたが、今となってはディーンに付き合わされたことも無駄ではなかったらしい。
もっとも、すべてが同じように順調だったわけではない。呪文そのものの理屈や、魔法が不完全に終わった際に起こり得る現象を問われると、羽根ペンの動きは途端に鈍くなった。教科書のどの辺りに載っていたかまでは何となく思い出せるのに、肝心の言葉がうまく出てこない。頁の位置や挿絵の形まで頭の中へ浮かべながら記憶を探っていると、前の方ではロンが何度も頭を掻き、少し離れた席ではネビルが問題用紙を睨みつけていた。
その中で、ハーマイオニーだけはまるで自分一人だけ試験時間を短く設定されているかのような勢いで羽根ペンを動かし続けている。デイヴは思わずそちらへ視線をやったが、書き込まれていく羊皮紙の量を見たところで自分の答案が良くなるわけでもない。
「あれと比べんのはやめよう」
ごく小さく呟くと、残っていた問題へ戻った。
筆記試験が終わる頃には、ほとんどの生徒が肩を回したり指を揉んだりしていたが、休む間もなく実技試験の準備が始まった。机の配置が変えられ、生徒たちは壁際へ集められたあと、数人ずつ名前を呼ばれて前へ出ることになった。課題は、パイナップルに魔法をかけて机の上で踊らせることだった。
デイヴは自分の順番を待ちながら、先に挑戦する生徒たちの様子を眺めていた。最初のパイナップルはわずかに揺れただけで終わり、その次は片側だけが浮き上がって、踊るというより机の上を不格好に跳ね回った。ようやく二、三歩ほど進むものが現れたと思えば、途中で均衡を崩して横倒しになり、見守っていた生徒たちの間から小さな笑い声が漏れる。
隣に立っていたハリーは、次々と失敗していくパイナップルを見ながら、少し不安そうに眉を寄せていた。
「ずいぶん難しそうだね」
「動かすだけなら簡単じゃね?」
「踊らせるんだよ」
「動きゃ踊ってることにすりゃいいだろ」
「先生がそう思ってくれればね」
ハリーは苦笑したが、そうこうしているうちにデイヴの名前が呼ばれた。前へ進むと、机の中央には立派なパイナップルが一つ置かれており、フリットウィック先生が採点用の羊皮紙を手にして待っていた。
こういう試験なら、デイヴはそれほど嫌いではなかった。覚えた年号を書けと言われるより、目の前のものへ魔法をかけた方が性に合っている。成功したか失敗したかはすぐにわかるし、何より、何百年前の魔法使いの名前を一字一句正しく思い出す必要もない。
開始の合図を受けて杖を構え、滑らかに動かしながら呪文を唱えると、パイナップルはほとんど間を置かずに立ち上がった。底の部分が小さく二つに分かれて足のようになり、右、左と交互に踏み出しながら机の中央を進んでいく。ぎこちなさはなく、途中で倒れそうになる様子もなかった。
フリットウィック先生がわずかに眉を上げたのを見て、デイヴは内心で満足した。ここで魔法を解いていれば、何の問題もなく試験を終えられたはずだった。
しかし、目の前でパイナップルが妙に器用に歩いているのを見ているうちに、もう少し動かしたくなった。杖先を小さく回すと、その場でくるりと一回転する。もう一度軽く動かせば、今度は二度続けて回り、上の葉を大きく揺らしながら机の端まで進んでいった。
「ジョンソン君」
「はい」
「十分です」
「あ、はい」
フリットウィック先生の声で、ようやくデイヴは杖を止めた。ところが魔法を解こうとしたその瞬間、パイナップルは最後に身体を小さく前へ傾けた。まるで踊り終えた役者が観客へ礼をするような姿勢になってから、何事もなかったかのように元の形へ戻る。
フリットウィック先生は一度パイナップルを見てから、採点用の羊皮紙へ何かを書き込んだ。デイヴはそれが気になり、少し身体を傾けて覗き込もうとした。
「何点です?」
「試験結果をお待ちなさい」
「ちょっとくらい教えてくれても――」
「次の人」
取りつく島もない。デイヴは肩をすくめて壁際へ戻ったが、待っていたハリーは、先ほどのパイナップルの最後の動きを思い出したらしく、まだ少し笑っていた。
「やりすぎたんじゃない?」
「でも踊っただろ」
「最後、礼してたよ」
「礼儀正しいパイナップルだったな」
そう答えたところで、少し離れた場所からハーマイオニーに見られた。何も言われていないのに、その顔だけで「どうして余計なことをするの」と言われている気がしたので、デイヴは気づかなかったふりをして次の生徒へ視線を戻した。
午後に待っていたのは変身術だった。午前中に一教科を終えたことで幾分緊張の抜けていた生徒たちも、教室へ入った途端、再び口数が少なくなった。理由は試験内容そのものというより、教壇の前に立っているマクゴナガル先生の存在によるところが大きい。普段から生徒の私語を一目で黙らせる教師なのだから、試験の日ともなれば、その鋭い視線はいっそう隙がなかった。
教卓の上には小さな籠がいくつも並び、その中では灰色や茶色の鼠が忙しなく鼻を動かしていた。それを見たディーンは、いかにも気が重そうな顔になった。
「やっぱり鼠か」
「何だと思ってたんだよ」
「もう少し動かないものがよかった」
「石とか?」
「それなら逃げないだろ」
「変身させる前に逃がしたら零点だな」
「縁起でもないこと言うなよ」
ちょうどその時、マクゴナガル先生の視線がこちらへ向いたため、二人は同時に口を閉じた。
先に行われた筆記試験は、デイヴにとって午前中の呪文学より幾分か楽だった。変身術だけは試験前にも比較的真面目に教科書を読み返していたため、魔法をかける対象の性質や、変身の完成度を判断する際の注意点なども、それなりに頭へ入っている。説明問題になるとやはり時間はかかったものの、何も思い出せずに答案を睨み続けるようなことはなかった。
途中、手を休めた拍子に数席先のハーマイオニーが目に入った。午前中と同じく、彼女の羽根ペンはほとんど止まらず、時折問題文を読み返す以外は一心不乱に答案を埋め続けている。あれだけ書いてよく手が疲れないものだと感心していると、教室の前方から鋭い視線を感じたので、デイヴはすぐ自分の答案へ戻った。わざわざ顔を上げて確認するまでもなく、誰に見られたのかはわかっていた。
筆記の後はいよいよ実技試験である。課題は鼠を嗅ぎ煙草入れへ変身させることで、一人ずつ名前を呼ばれ、教室前方に用意された机で魔法を使う。出来上がった品物にどれほど元の動物の特徴が残っているかによって、評価が大きく変わるらしかった。
先に試験を受けた生徒たちの出来には、かなり差があった。銀色の箱にはなったものの細い尻尾が残っているものもあれば、形は完璧なのに机の上で時折びくりと震えるものもある。ある生徒の嗅ぎ煙草入れなど、蓋を開けた瞬間に中から小さな鳴き声がした。しかしマクゴナガル先生はそのたびに表情を変えることもなく、淡々と採点表へ羽根ペンを走らせるだけだった。
やがてデイヴの名前が呼ばれ、席を立って前へ進むと、机の上には小柄な灰色の鼠が一匹置かれていた。鼠は逃げる様子もなく、鼻をひくひくさせながらデイヴを見上げている。
デイヴもしばらく鼠を見下ろした。
「……お前も大変だな」
鼠の髭がわずかに動いた。
「ジョンソン」
「はい」
「試験中です」
「はい」
マクゴナガル先生に注意され、デイヴはようやく杖を抜いた。
変身術は嫌いではなかったし、試験前にはマッチを針へ変える練習も何度もしている。今回は生物を無生物へ変えるため、それより集中する必要はあったものの、完成形を頭の中へはっきり思い描くという基本は同じだった。
鼠へ視線を定め、完成した嗅ぎ煙草入れを思い浮かべて杖を振る。鼠の輪郭が一瞬だけ揺らいだあと、柔らかな身体が縮み始め、毛並みは銀色の表面へ変わり、丸みを帯びた背中は徐々に箱の形へ整っていった。変化は数秒で終わり、机の上には小ぶりな銀色の嗅ぎ煙草入れが置かれていた。
足も尻尾もなく、髭も残っていない。机の上で震えることもなければ、鳴き声を上げることもなく、どこから見ても元が鼠だったとはわからない出来だった。
マクゴナガル先生は眼鏡越しにそれを観察した。デイヴは内心で少し得意になったが、先生の視線が蓋へ移ったところで、わずかに眉が寄った。
「……ジョンソン」
「はい」
「これは何ですか?」
「嗅ぎ煙草入れですけど」
「それはわかっています」
マクゴナガル先生が指したのは蓋の部分だった。そこでデイヴもようやく気づいた。銀色の蓋には細かな模様が刻まれており、中央には小さな星、その周囲には蔓を思わせる曲線が絡み合っている。側面にも装飾は続き、縁には小さな粒状の模様まで並んでいた。
魔法をかける直前、ただの銀色の箱ではどうにも味気ないと思い、頭の中で少し格好のいい形へ変えてしまったのを思い出した。
「……ちょっと豪華なやつです」
「そのようですね」
マクゴナガル先生は嗅ぎ煙草入れを持ち上げ、裏側まで確認した。裏面にもきちんと模様が入っている。
「課題は、鼠を嗅ぎ煙草入れへ変身させることです」
「なってますよ」
「装飾品を制作することではありません」
「でも綺麗じゃないですか?」
教室の後ろから、誰かが堪えきれずに吹き出した。
マクゴナガル先生がそちらへ目を向けると、笑い声は瞬く間に消えた。彼女は再びデイヴへ向き直り、嗅ぎ煙草入れを机へ戻した。
「指定されたものを、指定されたとおり正確に作ることも重要な技術です。余計なことを付け加える必要はありません」
「はい」
返事だけは素直だった。
マクゴナガル先生はもう一度出来上がった品物を確かめ、蓋を開けて内側まで確認した。そこにも鼠の特徴は何一つ残っていなかったようで、しばらく角度を変えて眺めたあと、採点表へ羽根ペンを走らせる。
デイヴは横から少し首を伸ばした。
「何点です?」
「席へ戻りなさい」
「でも結構よく――」
羽根ペンが止まり、眼鏡越しの視線がゆっくり上がった。
「席へ。戻りなさい」
「はい」
今度こそ余計なことは言わず、デイヴは踵を返した。
席へ戻る途中、ディーンが口元を押さえて笑っていた。デイヴは椅子へ腰を下ろすと、その腕を軽く小突いた。
「絶対あれ高得点だろ」
「怒られてたじゃん」
「装飾の話だろ。鼠は完璧に消えてたじゃねえか」
「何で試験中に模様なんかつけるんだよ?」
「普通の銀箱じゃつまんねえじゃん」
「試験だぞ」
「試験だからってダセえもん作る必要ねえだろ」
「そこを気にする試験じゃないだろ」
ディーンが呆れたように首を振っていると、今度はシェーマスの名前が呼ばれた。それまで笑っていた本人は途端に真顔になり、椅子から立ち上がる。
「尻尾残すなよ」
「黙ってろよ」
シェーマスは振り返らずに前へ向かった。
しばらくして魔法をかけると、確かに尻尾は綺麗に消えた。しかし、出来上がった嗅ぎ煙草入れの上には、小さな鼠の耳が左右にちょこんと残っている。
それを見た瞬間、デイヴは机へ顔を伏せた。声を出せば間違いなく注意されるので必死に堪えたものの、肩だけはどうにも止まらない。隣のディーンが何度も背中を叩いて黙らせようとしたが、我慢すればするほど余計に可笑しくなり、とうとうマクゴナガル先生の視線がこちらへ飛んできた。
デイヴは慌てて笑いを咳払いへ変えた。
試験というものは、始まる前には人生を左右する大問題のように感じられるくせに、一つ終わって教室の外へ出てしまえば、生徒たちが話すのは「あの問題を間違えた」だの「あれはうまくできた」だのといったことばかりだった。
変身術の試験を終えた一年生たちは廊下へ出るなり、それぞれ自分の出来について話し始めた。ロンは嗅ぎ煙草入れにわずかな髭が残ったことを気にしており、ハリーは形そのものより、蓋がきちんと開閉したことに満足している。ハーマイオニーは当然のように完全な形へ変身させたらしかったが、それでも筆記の一問について、説明が足りなかったかもしれないと気にしていた。
デイヴはそれを聞きながら、さすがに呆れたように彼女を見た。
「お前、それで駄目なら俺ら全員留年だぞ」
「そんな話はしてないでしょう。私は自分の答案の話をしてるの」
「だから大丈夫だって」
「どうしてあなたにわかるの?」
「俺よりいっぱい書いてたから」
「量の問題じゃないわよ」
ハーマイオニーが呆れた顔をした頃には、デイヴの注意はすでに別のところへ向いていた。少し前を歩いていたシェーマスへ追いつくと、後ろから肩へ腕を回す。
「よう、耳付き嗅ぎ煙草入れ」
「うるさいな!」
「結構可愛かったぞ。売れるんじゃねえの?」
「君のごちゃごちゃしたやつよりましだよ!」
「ごちゃごちゃじゃねえ。芸術って言え、芸術って」
後ろを歩いていたディーンが吹き出した。まだ二教科を終えただけだったが、朝、大広間を出た時に比べれば、生徒たちの足取りはいくらか軽くなっていた。試験というものが少なくとも、自分たちの想像していたような恐ろしい儀式ではないとわかっただけでも大きかったのだろう。
もっとも、デイヴのローブの内側には、この先に待っている別の試験のために用意した小さな紙片が、一枚残らず収まったままだった。
その紙片が本来の役目を果たすまでには、まだいくつかの試験を越えなければならなかった。翌日に待っていたのは魔法薬学であり、こちらについては紙切れを頼りにどうにかするわけにもいかない。材料の分量を量り、正しい順番で鍋へ入れ、決められた回数だけ杓子を動かす一連の作業は、結局のところ自分の記憶と手先に頼るしかなかった。もっとも、変身術と並んで比較的真面目に勉強していた教科ではあったので、デイヴ自身は他の生徒ほど悲観してはいなかった。
地下牢へ続く階段を降りていくにつれて、先ほどまで廊下で騒いでいた一年生たちの口数が自然と減っていった。石造りの壁から漂う冷気のせいばかりではない。魔法薬学の試験を取り仕切るのがスネイプであるという事実だけで、試験そのものとは別の重圧が加わっていた。普段の授業ですら、わずかな失敗を見つければ嬉々として――少なくとも生徒たちにはそう見える――減点の口実にする教師なのだから、正式な試験ともなれば、どれほど些細な間違いまで見られるのかわかったものではない。
教室へ入ると、いつも二人一組で使っている作業台は一人ずつ使うよう離され、それぞれの机には磨かれた大鍋と天秤、それに最低限の器具だけが置かれていた。材料棚には布が掛けられ、必要なものは試験開始後に配られるらしい。教壇の前ではスネイプが両手を組んで立っており、生徒たちが入ってきても急かすでもなく、一人ずつ値踏みするような黒い目を向けていた。
デイヴは自分の席へ腰を下ろすと、大鍋の中を覗き込んだ。底までよく磨かれており、歪んだ自分の顔がぼんやり映っている。少し離れたところではシェーマスが指を折りながら何かを数え、そのさらに先ではネビルが早くも緊張で顔色を悪くしていた。
最後の生徒が席へ着くと、スネイプは教卓から離れ、教室の中央をゆっくり歩き始めた。黒いローブの裾が石床を擦る音だけで、私語をしていた数人まで黙り込む。
「試験時間は二時間である。最初に筆記を済ませ、その後、実技に移りたまえ。一度実技へ移った者が、後になって答案を思い出したところで、我輩は時間を巻き戻してやるつもりはない」
スネイプは列の間で一度足を止め、生徒たちを見渡した。
「また、答案には質問されたことだけを書けばよい。知らぬことを長々と書き連ねれば、無知が薄まるとでも考えている者がいるようだが、そのような奇跡は魔法界にも存在せん」
「隣の答案や大鍋を覗く必要もない。他人の間違いを参考にせねば自分の間違いすら作れん者には、いずれ別の問題が生じようからな。では、始めたまえ」
答案が配られると、生徒たちは一斉に羽根ペンを取り上げた。材料それぞれの性質から始まり、特定の薬を調合する際の手順、材料を一つ別のものへ置き換えた場合にどう作用が変化するかまで、問題は思っていた以上に細かい。デイヴは最初の数問については迷わず書き進めたものの、途中で忘れ薬の調合法を最初から最後まで説明させる問題に差しかかり、そこで羽根ペンを止めた。
忘れ薬については試験前にも確かに勉強した。ディーンとシェーマスと一緒に手順を確認した記憶もあるし、材料を加える順番もほぼ覚えている。問題は途中で杓子を何回回すのかという一点で、四回だったような気もすれば、五回だったような気もする。さらに考えているうちに、そもそも混ぜる前に一度火を弱めるのではなかったかという疑念まで湧き始めた。
羽軸を唇へ当てて記憶を探ってみれば、ディーンが勉強中に「忘れ薬って何回かき混ぜるんだっけ?」と尋ねた時の顔まで思い出せるというのに、その時に確認した肝心の数字だけが綺麗に抜け落ちている。どうせ空欄にするくらいなら書いた方がましだと腹を決め、覚えている工程を先に埋め、最後に最初から頭へ浮かんでいた数字を書き込んだ。
筆記を終えて答案を伏せる頃には、教室のあちこちで実技へ取りかかる音がし始めていた。今回作る薬も忘れ薬であり、前方の机には一人分ずつ材料が分けて置かれている。デイヴは自分の分を取りに行き、それぞれの量を確かめながら作業台へ並べた。
筆記で迷ったのと同じ薬を実際に作らされるとなれば、答え合わせをその場でさせられているようなものだったが、文章で説明するより、自分の手を動かした方が思い出せることもある。材料を刻み始めると、授業で何度も繰り返した手順が少しずつ指先へ戻ってきた。
液体を適温まで温め、最初の材料を加える。色が予定どおり変わったところで杓子を入れ、一定の速さで回してから次の材料へ手を伸ばしたところで、背後に誰かが立つ気配がした。
振り向かなくても誰なのかはわかっていた。
デイヴは材料を指でつまんだまま止まり、スネイプもまた何も言わず、大鍋の中を見下ろしている。黙って作業を続ければいいものを、あまりに長く背後へ立たれているせいで、逆に次へ進む時機を逃してしまった。
やがて、頭上から静かな声が落ちてきた。
「どうした、ジョンソン。我輩が次の材料まで鍋へ入れてやらねばならんのかね?」
「いや、今入れようと思ってました」
「ならば入れたまえ。我輩の顔を眺めておれば、薬が自分で完成するとでも思ったかね?」
「見てたの先生の方じゃないですか」
スネイプの黒い目が、ゆっくりとデイヴへ向いた。
「なるほど。魔法薬学ではなく、口答えの試験を受けているつもりらしいな」
「そんな試験あるんですか?」
「続けたまえ、ジョンソン。我輩にも減点する理由を探す手間が省ける」
さすがにそこでデイヴも黙った。材料を鍋へ加えると、表面が細かく泡立ったあと、予定していた通りの色へ変わっていく。スネイプはそれを一瞥したものの、良くも悪くも何一つ言わず、そのまま次の生徒のところへ移っていった。
デイヴは黒いローブが遠ざかるのを見送ると、ごく小さく鼻を鳴らして作業へ戻った。
試験はその後も淡々と進んだ。教室には薬草を刻む包丁の音、杓子が大鍋の縁へ触れる乾いた音、弱く煮立つ液体の音が絶えず響き、時折どこかの鍋から予定にない煙が立った。そのたびにスネイプは不思議なほど素早く現れ、失敗した本人よりも、その失敗を正確に把握しているかのような嫌味を一つ残して去っていく。
デイヴの薬は、終盤まで大きな失敗もなく進んでいた。色も匂いも教科書で見たものとほぼ同じで、火加減もおかしくない。ところが最後の工程へ差しかかったところで、筆記でも引っかかった問題が再び目の前に現れた。
杓子を何回回すのだったか。
鍋を覗き込みながら、一回、二回とゆっくり混ぜていく。三回目を終えても色はほとんど変わらなかったが、四回目に入ったところで、濁っていた液体がふっと薄まり、授業で見覚えのある淡い色へ変わった。
デイヴはそこで迷わず杓子を引き抜いた。どうやら四回で正しかったらしい。
火を消し、少し冷ましてから小瓶へ移し、自分の名前を書いた札を結びつけて提出台へ持っていく。スネイプは無言で受け取ると、栓を抜いて匂いを確かめ、次いで瓶を灯りへ透かして底に沈殿物がないか確かめた。
デイヴは帰らず、その場に立っていた。
スネイプが横目だけを向ける。
「何かね?」
「いや、どうです?」
「どう、とは?」
「ちゃんとできてるか」
「ジョンソン。試験というものは、教師が生徒の答案をその場で褒め称えて自信をつけさせる催しではない」
「褒めろとは言ってないですよ」
「では、何を待っておる? 拍手でも期待しているのかね?」
「成功してるかくらい――」
「席へ戻りたまえ」
「でもこれ、絶対――」
「さらに喋り続ければ、君が薬を作る能力以外についても評価せねばならなくなるが?」
デイヴは数秒スネイプを見たあと、素直に背を向けた。ここから粘ったところで、点が上がることだけは絶対にない。
席へ戻る途中でディーンと目が合ったので、親指を立ててみせる。ディーンは自分の鍋へ集中したまま、呆れたように首を振った。
魔法薬学を終えて地下牢から出た頃には、一年生たちの大半が、試験そのものよりスネイプから解放されたことへ安堵していた。ネビルなどは廊下へ出た途端に大きく息を吐き、ロンも、あの教室に二時間いるだけで試験一教科分余計に疲れるとぼやいている。
デイヴ自身にはそれなりの手応えがあった。階段を上りながらシェーマスへ最後に何回混ぜたのか尋ねると、返ってきた答えは四回だった。
「四回?」
「うん。君は?」
「四回」
「じゃあ合ってるんじゃない?」
「よっしゃ」
その一点だけ確認できれば十分だった。
それからも試験は何日か続いた。最初の頃こそ、試験開始直前まで教科書を開いている生徒が大勢いたが、一つ、二つと終わっていくにつれて皆の緊張も薄れ始め、次第に「終わったら何をするか」という話の方が多くなっていった。
ただし、デイヴだけは一つの試験を別の意味で待っていた。
闇の魔術に対する防衛術だった。
その日の朝、デイヴは目を覚ますなり、ベッド脇へ置いておいた小さな紙片をもう一度確認した。最初に作ったものをすべて持ち込めば、必要な答えを探すだけでも時間がかかってしまう。そのため昨夜のうちに内容を整理し、特に覚えにくかった箇所だけを数枚へまとめ直してある。小さな文字は表裏へ隙間なく詰め込まれ、角をつまむ場所すら惜しいほどだった。
それらをローブの内側へ仕舞い、外から見えないことを確認してから朝食へ向かう。グリフィンドールのテーブルへ座ると、向かいにいたディーンがすぐ胸元へ目をやり、シェーマスも同じところを見た。以前、談話室で紙片を披露した時のことを二人とも覚えているのだろう。
「持ってきたの?」
「何を?」
「とぼけるなよ」
「お前ら俺を何だと思ってんの?」
「カンニングしようとしてる奴」
「ひでえ偏見だな」
「事実だろ」
デイヴは知らぬ顔でジュースを飲んだ。少し離れたところではハーマイオニーがこちらを見ていたので、ディーンとシェーマスもそれ以上は追及しなかった。彼女に紙片そのものを見られている以上、今さら隠す意味がどれほどあるのかは怪しかったが、少なくとも試験当日の朝にわざわざ議論を再開する必要はない。
DADAの教室へ入ると、いつものように鼻につくニンニクの臭いが漂っていた。前方ではクィレルが答案用紙を並べていたが、生徒が入ってくるたびに紙の位置を直したり、教卓の後ろを確かめたりと、試験官である本人の方が落ち着いていないように見える。
デイヴは席へ着きながら、以前フレッドとジョージから聞いた話を思い出した。本当に途中で奥へ引っ込むのだろうか。少なくとも、そこが計画の一番重要なところだった。
試験が始まると、デイヴはまず普通に問題を解き始めた。最初は闇の生物の特徴を答えるもので、これは難なく書ける。次も遭遇した際の対処法で、少し考えれば答えが出た。その後には吸血鬼に関する問題があり、苦手とするものや身を守る方法をいくつか挙げるよう求められていたが、それも紙切れへ手を伸ばすまでもなかった。
四問目も、五問目も書けた。
そこでデイヴは、ようやく妙なことに気づいた。
思っていたよりも、ずっと覚えている。
カンニングペーパーを作るために教科書を読み、試験に出そうなところを自分で選び、それを紙片へ収まるよう極端に短くして書き直しているうちに、知らず知らずのうちに内容そのものをかなり覚えてしまったらしい。以前ハーマイオニーに問題を出された時にも同じようなことはあったが、試験当日になればもっと忘れているものだと思っていた。
ローブの内側へ一度視線を落とす。
あれだけ手間をかけて作ったというのに、今のところまるで出番がない。
使わずに済むならその方がいい、などという殊勝な考えは特に浮かばなかった。せっかく持ってきたのだから、一回くらい役に立ってもらわなければ割に合わないような気さえする。
その期待に応えるかのように、しばらく進んだところで、どうしても答えの一部が思い出せない問題が現れた。ある闇の生物が残す痕跡について、見分けるための特徴を三つ挙げる問題である。二つまではすぐに出た。生物の姿も、教科書に載っていた挿絵も思い出せる。しかし、三つ目だけがどうしても出てこない。
頭の中には、紙片へ書いた文字の位置まで何となく浮かんでいる。
つまり、見ればわかる。
そこで初めて教室の前方へ目をやったが、クィレルは教卓の脇に立ったままだった。仕方なくその問題だけを飛ばして次へ進み、数分して再び顔を上げる。それでもまだいる。さらに時間が経っても、奥の部屋へ行く気配はない。
少しずつ、フレッドとジョージに騙された可能性が現実味を帯びてきた。小テストと期末試験では違うだろうとディーンにも言われていたが、今になって考えれば至極もっともな話である。
ところが答案の半分を越えた頃、クィレルが不意に教卓の後ろを振り返った。何かが気になったらしく、その場で少し迷ったあと、教室奥の扉へ歩いていく。
デイヴの目が僅かに細くなった。
扉が開き、クィレルが中へ消える。
デイヴはすぐには動かなかった。三秒ほど待ち、教室の前方に誰もいないことを改めて確認する。それからさらに少し待って、答案へ視線を落としたまま左手をローブの内側へ滑り込ませた。
斜め前の席にいたディーンが、その動きに気づく。
目が合った。
ディーンの顔には、声に出すまでもなく「本当にやるのか」と書いてあった。
デイヴはほんの少しだけ片眉を上げた。
もちろんやる。
紙片を一枚だけ抜き出し、机の下で開く。掌より小さい紙の表面に並んだ文字を上から追っていったが、探している内容は見つからない。裏返すと、そこにあった。
思い出せなかった三つ目を確認した、その時だった。
奥の部屋から何かが動く音がした。
デイヴは左手を握り、紙を掌へ隠した。丸めれば音がするかもしれないので、そのまま指の間へ挟んで袖口へ滑り込ませ、右手ではすでに羽根ペンを取っている。
扉が開いた。
クィレルが教室へ戻ってきた頃には、デイヴは何事もなかったように答案を書いていた。少なくとも見た目だけなら、最初からずっとそうしていたように見えただろう。羽根ペンを止めることなく、さっき紙片で確認した三つ目の特徴まで答案へ書き足していく。
クィレルは生徒たちを一度見渡したものの、特に何か気づいた様子はなく、そのまま教卓へ戻っていった。
斜め前では、ディーンが信じられないものを見るような顔をしている。
デイヴは答案を見たまま、口元だけ僅かに持ち上げた。
苦労して作った紙片も、これで少なくとも一度は役に立った。
筆記試験が終わると、続いて実技試験の準備が始まった。教室の前方へ大きな机が出され、その上にはニンニク、鏡、木の杭、いくつかの薬草など、用途の違う品が並べられていく。クィレルは生徒を一人ずつ呼び、提示した状況に応じて何を選び、どう使うのかを説明させるらしかった。
以前フレッドとジョージから聞いた話は、こちらについても大筋では合っていた。突然何かの怪物を連れてこられ、実際に戦わされるような試験ではない。もっとも、クィレルの方が受験する生徒以上に落ち着かず、説明を聞くたび何度も頷いたり採点表を持ち直したりしているせいで、緊張感は妙な方向へ薄れていた。
やがてデイヴの名前が呼ばれ、机の前へ進む。
「で、では……き、君が吸血鬼と遭遇して、す、すぐにはその場を離れられない場合……ど、どうやって身を守りますか?」
デイヴは並んだ道具を見渡し、まずニンニクを手に取った。
「これ使います」
「そ、それは?」
「ニンニク。嫌がるなら近寄らせないようにして、その間に逃げ道探す」
「そ、それだけですか?」
「逃げられるなら、それでいいでしょ。わざわざ近づいて喧嘩する必要ないし」
クィレルは一瞬だけ目を瞬かせたあと、採点表へ何かを書き込んだ。
「で、では、逃げ道が見つからなかった場合は?」
「その時は別の使います」
デイヴはニンニクを机へ戻し、並べられた道具から次の一つを選んだ。その後もいくつか状況を変えて質問されたが、実技の方は筆記以上にすんなりと進み、結局、紙切れの助けを借りる必要があったのは先ほどの一問だけだった。
それから先の試験は、始まってしまえば驚くほどあっけなく過ぎていった。薬草学では一年かけて温室で扱ってきた植物について問われ、天文学では星や惑星の位置を書き込み、魔法史ではパーバティから借りて写した年号や名前を、ところどころ怪しい形ながらもどうにか頭の底から引っ張り出した。試験前にはあれほど大騒ぎしていた一年生たちも、一つ終わるごとに教科書を鞄の奥へ押し込み、最後の試験が終わった頃には、結果が返ってくるまで勉強のことなど考えたくもないという空気が学年全体に広がっていた。
ところが、試験というものが終わったからといって、誰もが綺麗さっぱり忘れられるわけではないらしい。
城の外へ出たディーンとシェーマスは、校庭から少し外れた芝生の上に問題用紙を広げ、二人して自己採点を始めていた。授業中に取ったノートまで持ち出し、一問ずつ自分の答えと照らし合わせているあたり、試験前よりよほど真面目に見える。もっと早くその熱意を発揮していれば、今さら「あれは合っていた」「いや、その答え方では半分しか点をくれないんじゃないか」と頭を抱える必要もなかっただろう。
七月のハイランドは、夏といってもマンチェスターの暑い日とは随分違っていた。日差しは穏やかで、湖の方から渡ってくる風にはひんやりとした冷たさが残っている。ローブを脱いでシャツ一枚になり、芝生へ座っていても暑さに辟易するようなことはなく、雲が太陽の前を横切れば、むしろ少し肌寒く感じるほどだった。試験を終えた生徒たちはそんな天気を惜しむように外へ繰り出し、湖畔や木陰へ思い思いに陣取っている。
デイヴも一応二人と一緒に来てはいたものの、自己採点に付き合うつもりなど毛ほどもなかった。問題用紙は持ってきてすらおらず、芝生へ仰向けになって両腕を頭の下へ敷き、流れていく雲をぼんやり眺めている。試験はもう終わったのである。いま正解を知ったところで答案を書き直せるわけでもなければ、点数が上がるわけでもないのだから、そんなものは結果が返ってきた時に考えればいい、というのが彼の理屈だった。
その隣では、シェーマスが薬草学の問題について、教科書の頁を何度も行き来していた。
「これさ、葉の裏側の特徴まで書かなきゃ駄目だったかな」
「問題には『見分け方を説明せよ』ってあっただろ。たぶん書いた方がいいよ」
「僕、葉の形しか書いてないんだよなあ」
「じゃあ一、二点くらい落としたかも」
「やめろよ。何で試験終わった後にそんな嫌なこと言うんだよ」
「自己採点してるの君だろ」
ディーンはそう言いながら、自分の問題用紙にも小さく印を書き込んだ。しばらくして、二人の視線が揃ってデイヴへ向く。
芝生に転がった当人は知らん顔だった。
「デイヴはやらないの?」
「何を」
「自己採点」
「やらねえ」
「気にならないのか?」
「返ってくりゃわかんじゃん」
「それまでに、どのくらい取れてるか知りたくない?」
「別に」
予想どおり過ぎる返事だったので、ディーンもそれ以上は勧めなかった。デイヴは片膝だけ立てて目を閉じ、そよ風に前髪を揺らされるままにしている。試験前には留年した場合のエルサの拳骨を想像して勉強を始めたくせに、終わってしまえばもう自分には関係のない出来事のような顔だった。
やがてシェーマスが天文学の問題へ移り、木星の衛星についての答えを確かめ始めると、ディーンの方は少し集中が切れてきたらしい。問題用紙を片手にしたまま、持ってきたフットボールへ腰を下ろし、身体をゆっくり前後に揺らしながら周囲を眺め始めた。
その視線が、湖の向こう側へ続く斜面で止まる。
ハグリッドの小屋の方に、見慣れた三人組がいた。ハリーとロン、それにハーマイオニーである。三人とも小屋の近くに集まり、何やら話し込んでいるらしかった。ここからでは声までは聞こえないものの、ロンが大きく腕を動かし、ハーマイオニーがそれに何か言い返すような身振りをしているのは見える。ハリーは二人の間に立って小屋の方を見たり、また城の方へ顔を向けたりしており、どうにもただ遊びに来たという雰囲気ではなかった。
ホグワーツへ入学して一年も経っていないというのに、あの三人が揃って妙に真剣な顔をしている時には、大抵ろくでもないことが起きるというくらいは、同じ寮の人間なら誰でも薄々わかり始めていた。
ディーンは問題用紙を膝へ載せたまま、しばらくそちらを眺めた。
「なあ、あれ――」
二人へ声をかけようとした瞬間、尻の下から支えが消えた。
「うわっ!」
身体が後ろへ傾き、そのまま芝生へ尻もちをつく。手にしていた問題用紙が風を受けてひらりと舞い、慌てて片手で押さえた頃には、さっきまで座っていたフットボールはすでに数メートル先へ転がっていた。
その横をデイヴが走り抜けていく。
「何すんだよ!」
振り返ったデイヴは、けらけら笑いながら足の裏でボールを止めた。
「椅子じゃねえんだぞ、それ」
「だからって急に取るなよ!」
抗議を聞き流し、デイヴは右足の甲でボールを軽く跳ね上げた。そのまま一度、二度と左右の足で交互に触れ、すぐに一定の高さでリフティングを始める。試験勉強をしていた時とは別人のように集中しており、膝の高さへ落ちてきたボールを足の甲で受け、その勢いを殺してから再びふわりと浮かせていく。
ディーンは芝生へ座り込んだまま、呆れた顔でそれを見た。
「返せよ」
「あとで」
「僕が持ってきたんだけど」
「だからあとで返すって」
デイヴはボールからほとんど目を離さないまま答えた。
何度か低い位置で刻んだあと、不意に右足を深く下へ入れ、足の甲で強く弾く。フットボールはそれまでとは比較にならない高さまで真っ直ぐ宙へ上がり、青白い空を背景に一瞬速度を失ってから落ちてきた。
デイヴはその真下へ二、三歩動き、落ちてきたボールを額で受けた。首を少し反らし、膝を緩めて衝撃を殺すと、ボールは転がり落ちることなく額の上へ留まる。両腕を左右へ広げたまま、吹いてくる風に合わせて身体を細かく動かし、絶妙なところで均衡を保っていた。
シェーマスもいつの間にか自己採点をやめ、教科書越しにそちらを見ている。
「それ、どうやってんの?」
「動かねえようにすんの」
「それを聞いてるんじゃないよ」
「じゃあ知らね」
しばらく額の上で静止させてから、デイヴは頭を軽く振った。転がり始めたボールが顔の前へ落ちてきたところを右腿で受け、もう一度足元まで落とす。
今度は、右足の外側でボールへ触れ、外へ押し出すように見せた直後、同じ足の内側ですぐ反対側へ切り返した。ボールが小さな弧を描いて足元を横切る。エラシコだった。
最初の一度は切り返しが少し大きくなり、ボールが身体から離れた。デイヴは二歩で追いついて足裏で止めると、元の場所へ引き戻してもう一度始める。今度は外側のタッチを小さくし、相手がいるつもりで肩まで外へ傾けてから、一瞬で内側へ引っ掛けた。
芝生の上でフットボールが足首の周囲を忙しく行き来し、そのたびにデイヴは何か気に入らないところでもあるのか、同じ動きを繰り返した。
「返せよ、それ僕のだぞ」
とうとう我慢できなくなったディーンが問題用紙を芝生へ放り出し、デイヴの方へ歩いていった。持ってきた本人なのだから返せと言うのはもっともだったが、足元へ転がってきたフットボールを前にして、デイヴが素直に返すはずもない。
「返すって言ったろ」
「いつだよ」
「そのうち」
「今返せよ」
ディーンが正面から足を伸ばした瞬間、デイヴは右足の裏でボールを自分の方へ引き、伸びてきた足先をほんの少し外すと、その脇を滑るように抜けた。勢い余ったディーンが一歩前へ踏み出す頃には、すでに数歩先でボールを止めている。
「おい!」
「何だよ」
デイヴは悪びれもせず、足の内側でボールを左右へ転がした。
今度こそ奪おうとディーンが間合いを詰める。ボールそのものへ飛び込むより進路を塞ぐつもりらしく、少し広めに足を開いて近づいたが、デイヴは右へ行くように肩を傾けただけで、次の瞬間には反対側へボールを送っていた。ディーンが慌てて向きを変えれば、今度は踵で後ろへ引き、追ってきた足の外側へ抜く。
「ずるいぞ!」
「何がだよ。普通に取れよ」
「普通に取らせる気ないだろ!」
だんだん本気になってきたディーンとは対照的に、デイヴはますます面白そうだった。相手の足が出るぎりぎりまでボールを近くへ置き、奪えると思わせたところで方向を変える。そのたびディーンは半歩ずつ体勢を崩され、とうとう一度、完全に逆方向へ走らされた。
芝生へ座って見ていたシェーマスも、とうとう教科書を閉じて立ち上がった。
「僕もやる」
「二対一かよ」
「返さない君が悪いだろ」
「いいぜ。来いよ」
デイヴの口元がにやりと上がった。
シェーマスが前から、ディーンが斜め後ろから挟むように距離を詰める。今度は二人ともむやみに足を出さず、片方が進路を狭め、もう片方がボールを奪うつもりらしい。
デイヴは一度足を止め、二人が近づいてくるのを待った。
先にディーンが動く。
右足をボールの外側へ回し、大きく身体を右へ傾ける。ディーンの重心がそちらへ寄った瞬間、足の内側で左へ切った。しかし、そこにはシェーマスがいる。
シェーマスがすぐに足を伸ばした。
その直前、デイヴの左足がボールへ触れた。軽く後方へ引いてシェーマスの足を空振りさせ、そのまま右足の踵へ当てて二人の間を通す。
「うわっ!」
「おい!」
デイヴ自身は二人の横を走り抜け、向こう側へ転がったボールへ追いついた。
ディーンとシェーマスもすぐ反転して追いかけたが、もうデイヴは完全に面白がっていた。細かく左右へ触りながら走り、ディーンが横へ並べば身体を入れてボールを隠し、シェーマスが前へ回れば急に速度を落として逆へ向かう。さっき練習していたエラシコまで何度か混ぜるうちに、二人はすっかり振り回されていた。
「止まれって!」
「奪えよ」
「だから奪えないんだろ!」
「知らねえよ」
さらにディーンが突っ込んできたところで、デイヴは足の裏でボールを止め、そのまま後ろへ転がして身体を反転させた。追い越しかけていたディーンが慌てて止まり、後ろから来たシェーマスとぶつかりそうになる。
二人が足を止めた、ほんのわずかな隙に、デイヴはボールを前へ持ち出した。
右足から左足へ、左足から右足へと、ボールをほとんど身体から離さず細かく刻んで進み、途中で足を跨がせ、外へ出すように見せて内へ切る。最後には正面へ出てきたディーンの両足の間へボールを通し、反対側で受けたところでようやく止まった。
「ほら」
今度は意地悪をせず、軽く蹴ってディーンへ返す。
ディーンは足元へ来たフットボールを踏んで止め、しばらくデイヴを睨んだ。追い回したせいで少し息が上がっている。
「最初から返せよ」
「運動になったじゃん」
「誰のせいだよ」
「俺」
「わかってるなら言うなよ」
シェーマスが横で笑い、デイヴもまたけらけら笑った。
もう三人とも自己採点へ戻る気はなかった。問題用紙と教科書を適当にまとめ、ディーンがフットボールを脇へ抱えると、そのまま特に行き先を決めるでもなく歩き始めた。芝生を抜け、城から少し離れた方へ進んでいく。七月の柔らかな風が長い草を揺らし、遠くの湖面には時折細かな光が走っていた。
試験の話はもうほとんど出なかった。夏休みに何をするか、次のユナイテッドの試合はどうなるだの、シェーマスがさっきディーンとぶつかりそうになった時の顔が間抜けだっただの、そんな話ばかりである。
少し進むと、右手の向こうには禁じられた森の黒々とした木々が見えてきた。昼間だというのに森の奥は妙に暗く、外側に並ぶ木々の隙間から先はほとんど何も見えない。授業で入ったことはあっても、好き好んで近づきたい場所ではなく、ディーンとシェーマスも時折そちらを見るだけで、森へ近づこうとはしなかった。
デイヴも何となく森の方を眺めながら歩いていたが、やがて木立の外れに妙なものを見つけて足を緩めた。
「……何してんだ、あいつら」
ディーンとシェーマスも視線を追った。
少し離れた木陰に、フレッドとジョージ、それにリー・ジョーダンがいる。
三人とも妙に身を低くし、太い木の幹や茂みの陰へ身体を隠しながら、何やらこそこそやっていた。普段なら悪さをする時ですら妙に堂々としている三人が、わざわざ人目を避けているというだけで十分怪しい。
デイヴはしばらくその様子を眺めていたが、あれだけ露骨にこそこそされては、素通りする方が難しかった。ディーンもシェーマスも同じことを考えたらしく、三人は自然と進路を変え、禁じられた森の外れにいる上級生たちの方へ歩いていった。
近づくにつれて、木々の青臭い匂いとは別の、やけに食欲をそそる香りが風に乗って漂ってくる。焦げた薪の匂いに混じっているのは、明らかに溶けたチーズだった。遠目には何をしているのかさっぱりわからなかったが、木立の陰まで来れば、その怪しげな集会の全貌はすぐに見えた。
地面には石をいくつか丸く並べた小さな焚火があり、その上には小さな大鍋が載せられていた――それは果たして大鍋なのかということはさておき、中では白っぽいチーズがとろとろに溶け、時折表面へ小さな泡を浮かべている。その隣には木のまな板が置かれ、食べやすい大きさに切ったパンや茹でたブロッコリー、そのほか何種類かの野菜が並べられていた。
フレッドは細長い串へパンを刺し、溶けたチーズの中へ沈めているところだった。ジョージはその横で火の具合を見ながら鍋を軽くかき混ぜ、リーはすでにブロッコリーへたっぷりチーズを絡め、熱そうに息を吹きかけている。
「……何作ってんだ、お前ら」
デイヴが呆れ半分に尋ねると、三人は悪事を見つかったような顔をするどころか、むしろ待っていましたとばかりに顔を上げた。
「見てわからないのか?」
「由緒正しき野外チーズフォンデュだ」
「由緒は今作ったけどな」
フレッドとジョージが交互に答え、リーは口いっぱいにパンを頬張ったまま頷いた。
ディーンは脇に抱えていたフットボールを地面へ置き、まな板の上を覗き込んだ。
「これ、どこから持ってきたんだよ。パンもチーズもこんなに」
「厨房」
「厨房?」
「忍び込んだ」
「正確には、忍び込んでから貰った」
「それ、忍び込む必要あったのか?」
シェーマスが聞くと、双子は揃って少し考えた。
「雰囲気だな」
「大事だぞ、雰囲気は」
フレッドがそう言いながら串を引き上げると、溶けたチーズが長く糸を引いた。厨房の屋敷しもべたちは、どうやら三人が食材をねだったこと自体は特に気にしなかったらしい。むしろ試験が終わった祝いだと言ったところ、パンや野菜を予定以上に持たされ、しまいにはチーズまで丸ごと包んで渡されたという。
「それじゃ忍び込んだっていうか、普通に飯もらいに行っただけじゃん」
デイヴが言うと、ジョージが真面目な顔で首を振った。
「ジョンソン君。厨房へ普通に行く生徒がどこにいる?」
「知らねえよ」
「つまり忍び込んだんだ」
「何だその理屈」
デイヴはそう言いながらも、差し出された串を素直に受け取った。パンを一つ刺して鍋へ沈めると、溶けたチーズが表面へたっぷり絡みつく。試験が終わった日の午後、涼しい芝生の上で食うものとしては、ずいぶん豪勢だった。
ディーンとシェーマスも結局その場へ腰を下ろし、フットボールを横へ置いてパンを取り始めた。さっきまで自己採点で点数の心配をしていたというのに、温かいチーズを前にすると、そんなものはすっかり頭から消えたらしい。
デイヴが二つ目のパンへ手を伸ばそうとしたところで、少し離れた場所にもう一つ鍋が置かれていることに気づいた。
こちらは焚火へ直接掛けられているわけではなく、魔法で保温でもしているのか、中では鮮やかな紫色の何かが時折ぼこり、ぼこりと大きな泡を立てている。チーズの鍋とは違って見るからに粘り気が強く、泡が弾けるたび、どろりとした表面がゆっくり元へ戻っていった。
デイヴはパンを口へ入れたまま、その鍋を指差した。
「そっちは何だよ」
フレッドとジョージの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。リーは露骨に視線を逸らす。
「飴」
「飴?」
「飴だ」
「何の?」
今度は返事がない。
デイヴは目を細めた。
「何の飴だよ」
「完成したらわかる」
「今言えよ」
「それでは驚きがない」
「お前らがそう言う時、大抵ろくなもんじゃねえだろ」
シェーマスも紫色の鍋を覗き込みかけたが、表面で大きな泡が一つ弾けると、念のため少し後ろへ下がった。ディーンも興味はあるようだったが、双子が教える気をまるで見せない以上、聞くだけ無駄だと判断したらしい。
その間にも、フレッドは木べらで紫色の液体をゆっくり混ぜていた。チーズフォンデュの方とは違い、こちらを扱う時だけ妙に慎重なのが、かえって怪しさを増している。
「食えるんだよな?」
「もちろん」
「一応」
「一応って何だ」
デイヴが聞き返したところで、ジョージが不意に木べらを止めた。
彼はそのまま顔を上げ、城とは反対側へ目を向けている。
「おい、フレッド」
呼ばれた方も同じ方向を見た。
デイヴたちもつられて振り返る。
少し離れた芝生の向こうを、三人の生徒が歩いていた。ハリーとロンとハーマイオニーである。先ほどディーンが見つけた時よりもさらにハグリッドの小屋へ近づいており、三人とも遊びに行くようなのんびりした歩き方ではなく、何かを確かめに行くように足早だった。
リーがパンを刺した串を持ったまま、双子へ顎をしゃくった。
「お前らんとこの弟、なんかしてるぞ」
ディーンとシェーマスも目を凝らした。確かにロンだった。赤い髪はこの距離でもよく目立つ。
フレッドは大袈裟に目を細め、額へ手を翳した。
「もしやあれは――」
「我らが愚弟」
「ロナウドビリウス・ウィーズリーではないか」
ジョージが厳かに続けると、リーが危うくチーズのついたパンを落としかけた。
「誰だよそれ」
「ロナルドだろ」
「似たようなもんだ」
「全然違うだろ」
ディーンが笑いながら訂正したが、双子はまるで聞いていなかった。
フレッドはなおも遠くの三人を眺めていた。ロンが何か言いながら大きく手を動かし、ハーマイオニーがその横で早足に歩いている。ハリーはほとんど振り返らず、真っ直ぐ小屋を目指していた。
「また何か始めたな」
「間違いない」
「試験終わったばっかりなのにな」
リーが呆れたように言った。
デイヴは串に残っていたパンを口へ放り込み、遠ざかっていく三人をぼんやり眺めた。同じグリフィンドールにいると、ハリーたちが何か妙なことへ首を突っ込んでいる光景にも、すっかり慣れてしまった。もっとも、今回は三人の背中にいつもの好奇心とは少し違う慌ただしさがあるようにも見えたが、わざわざ追いかけて確かめようとするほどの気は起きなかった。
すぐ近くでは、紫色の鍋がまた大きくぼこりと鳴った。
デイヴはそちらへ目を戻した。ハグリッドの小屋へ向かっていく三人よりも、今は何を企んでいるのかさっぱりわからない双子の飴の方が、よほど気になった。
七月の涼しい風が芝生を渡り、焚火から立ち上る細い煙を禁じられた森の方へ流していく。試験を終えたばかりの午後は、少なくとも彼らにとっては、まだ呑気な夏休みの入口にしか見えていなかった。
長くなったぜ。死ぬかと思ったぜ。次で賢者の石終わりだぜ。感想お待ちしているぜ。