【イシュタル・ファミリア】
その広大な宮殿の中で、【ロキ・ファミリア】の団長フィンと主神ロキは、イシュタルの居る場所を正確に割り出した。
事前にアイシャとヘルメス神が描きだした簡易な見取り図と、本拠内を動き回る団員たちの動きからイシュタルの居場所を突き止めたのだ。
そして、ロキ神は宮殿の三十階にある広間で、人並み外れた美貌を持つ褐色肌の女神、イシュタルと向き合っていた。
イシュタル神を守る団員は、副団長の青年を残して全滅。『美の女神』は、己の牙城にて完全に追い詰められていた。
「なっ、なぜだ、なぜロキが私たちを攻める!」
もはや風前の灯火となったイシュタル神が、ロキ神に対して叫ぶ。
しかし、そのイシュタル神の叫びをロキ神は鼻で笑った。
「
「くっ、フリュネか……! あの愚図……!」
そう、以前【ロキ・ファミリア】は、港町にダンジョンから逃げ出したモンスターの調査へと行った際、【イシュタル・ファミリア】から襲撃を受けていた。さらにロキ神は、その港町でイシュタル神が『
「まっ、これで【イシュタル・ファミリア】は終わりやな。家捜しすれば、『闇派閥』と関わった証拠も出てくるやろうし……」
ロキ神がそう言うと、イシュタル神は焦った表情を見せた。
その露骨な反応に、ロキ神は内心で「ビンゴや」と笑い、そして言う。
「あとは、『
ロキ神のその言葉に、イシュタル神はうつむくようにして顔を伏せる。
そんなイシュタル神に向けて、ロキ神は言葉を続けた。
「『人造迷宮』の『鍵』と情報を素直に差し出せば、特別にオラリオからの追放で済ましてやることも考慮に入れるで?」
ロキ神の慈悲ともとれる言葉。しかし、イシュタル神は、それに応じなかった。
むしろ、イシュタル神は反逆を示すように、深い笑みで顔を上げ、その場で神威を高めた。
彼女は、まさかの手を打った。『美神』が持つ、下界で行使が可能な力。『魅了』の力を全開にしたのだ。
それは、神の眷族が持つ『耐異常』の『発展アビリティ』では防げない理不尽な神の魅力。その圧倒的な美貌の前には、神すら
相手の集団には、唯一、その『魅了』を弾く力を持つ処女神のヘスティアが、眷族である
しかし。
「で、それがどうかしたんか?」
イシュタル神の目の前に立つ者達は、誰も『魅了』されていなかった。
『魅了』が元々効かないヘスティア神だけではない。ロキ神と団長のフィン、副団長のリヴェリア、幹部のティオネ、ティオナといった【ロキ・ファミリア】の主力は、『美の女神』の『魅了』を前にして、ケロッとした顔をしている。
さらに、タケミカヅチ神とその眷族、そしてヘスティア神の眷族も、平然としていた。
「なっ、なぜだ! なぜ『魅了』が効かぬ!」
「アホか。『美の女神』を相手するなら、『魅了』の対策をしてくるに決まっているやろ」
ベルがイヴァリースから持ち込んだ、《ン・カイの腕輪》。これは、イシュタル神の『魅了』を弾けることがヘルメス神の活躍により分かっている。
しかし、ベルが異世界から持ち込んだ腕輪は全部で三つ。この人数に行き渡らせるにはとても足りない。
だが、ベルが腕輪を売ったヘルメス神の眷族には、【
その【万能者】アスフィ・アル・アンドロメダは、《ン・カイの腕輪》を参考に、美の女神の『魅了』すら弾ける『魅了無効』のアクセサリーを以前に作り出していた。さらに駄目押しとして、ヘスティア神の『
完成したアクセサリーの名は、《処女神の指輪》。それをこの場にいるロキ神側のメンバー全員が、しっかりと身に付けていた。
「さあ、観念しい」
ロキ神がそう言い、それに従うかのように団長のフィンが槍を片手に、イシュタル神へと近づいていく。
慌てて、イシュタル神を守るように副団長の青年タンムズが飛び出すが、フィンは槍の石突で彼を一蹴した。
タンムズは『Lv.4』の強者。しかし、フィンはその上を行く『Lv.6』である。
一歩一歩、イシュタル神に近づいていくフィン。
イシュタル神は後退して逃げようとするが、足をもつれさせてしまい、床に倒れ込んだ。そして、尻餅を突きながら、フィンが近づいてくるのを震えながら見た。
そして、いよいよ追い詰められたイシュタル神。
人であるフィンが神を直接、害することはない。だが、相手には神が三柱もいる。フィンに逃げ道を塞がれた状態で、神の誰かが刃を振るうだけで、イシュタル神は天に還されてしまうことになる。
もはやこれまでと観念した彼女は、ロキ神が求めているであろう『鍵』のありかを吐こうとした。
だが、次の瞬間。
三十階の広間に続く三十一階の大階段の上から、何者かが突入してきた。
それは、全身黒ずくめの怪しい集団。
手には黒い刃の短剣を握っており、彼らはイシュタル神の横を素通りして、フィンへと躍りかかった。
「なんや? ここで『闇派閥の残党』か……?」
まさかの
「後ろからも来たぞ!」
殿を務めていた【ロキ・ファミリア】の副団長リヴェリアが、広間への入口から姿を見せた黒ずくめの集団を見つけ、杖を構えた。
そして、あっという間に、黒ずくめの集団によって、ロキ神たちは囲まれた。
「気を付けろ! おそらくヤツらの武器は『
フィンが謎の黒ずくめの持つ、禍々しい刃を持つ黒い短剣を槍で弾きながら、後方に警戒を促した。
彼は、つい先日、この短剣に似た赤い刃の剣で傷付けられ、死の淵を彷徨った経験があった。その『呪武具』を持っていたのは、『闇派閥の残党』であった。
やはり相手は、イシュタル神と関わりのあった『闇派閥の残党』か。フィンがそう考えたところで、ロキ神が言った。
「フィーン、こいつら、『闇派閥』やないで。これ見よがしに
その声を聞き、フィンは対峙する黒ずくめの衣装を見た。
「都市外の
フィンは、自分を囲む黒ずくめを槍で討ち取りながら、そんな答えを導き出した。黒ずくめの衣装には、『
オラリオの外にいるという暗殺者の
今もへたり込んで呆然としているいるイシュタル神の様子を見るに、おそらく【イシュタル・ファミリア】ではなく『闇派閥の残党』に雇われた者たちだ。そう察したフィンは、焦りの表情を浮かべた。
依頼の対象を害するために暗殺者たちは、あらゆる手段を講じてくる。たとえば、自身の後方にいる神を押さえ込むことを狙ってくるかもしれない。
通常、神の眷族は神威を前にして、神を害することに忌避感を持つ。しかし、相手が通常の範疇に収まらない狂信者ならば、もしかすると、神殺しという地上における最大の罪を犯すかもしれない。
フィンが暗殺者を牽制しながら後方を確認すると、ロキ神の護りはティオネとティオナの二人により万全であった。ヘスティア神は、リリルカの奮闘と、
しかし、【タケミカヅチ・ファミリア】は危ないと、フィンは冷や汗を流した。彼の派閥は、最高で『Lv.2』までの団員しかいないのだ。
そんなフィンの予想は、良い方向に裏切られることになる。
「神への反逆か? これもまた、下界の未知だな。だが、こうなるとさすがに見ているだけとはいかんか」
腰に下げていた刀を抜いたタケミカヅチ神が、たった一撃で近くに寄っていた暗殺者を斬り倒したのだ。
まさかの事態に、【タケミカヅチ・ファミリア】を囲んでいた暗殺者たちの動きが一瞬止まる。
すると、その隙を逃さなかったタケミカヅチ神がさらに刀を振るい、次々と暗殺者たちを討ち取っていった。
さらにタケミカヅチ神は身をひるがえしてヘスティア神とリリルカを襲っていた暗殺者を瞬く間に斬り倒し、さらにロキ神を囲っていた暗殺者も排除に向かった。
その怒濤の展開を前にして、
「ククッ、まさか神を直接討ち取れば大逆転とでも思うたんか? ざーんねん! このタケミカヅチは、うちらの護衛や。なにせ……この場で一番強いのは、フィンでもリヴェリアでもなく、タケミカヅチやからな!」
そのロキ神の言葉に、フィンは冷静になって思い出していた。
タケミカヅチ神は、極東からやってきた『武神』である。
『美神』が、あらゆる者を
『鍛冶神』が、どんな鍛冶師でも造り出せない至高の『武具』を打てるなら。
『酒神』が、たった一口で人をその味に溺れさせる『神酒』を醸造できるなら。
『武神』であるタケミカヅチは、どれだけの『武勇』を誇るというのだろうか。
もちろん、下界に降りた神は、『
しかし、人間からすると、気の遠くなるような永い年月をかけて積み重ねてきた技術は衰えない。
『武神』とまで呼ばれる『武の化身』が、十数年、数十年、武を
たとえその人間が、『
そんな『武神』タケミカヅチ神は、やがてロキ神を囲んでいた暗殺者を全て斬り伏せ、フィンと対峙していた暗殺者の首領らしき者へと言った。
「残念だが、俺は第二級冒険者までなら、この零能の肉体でも余裕で勝てる」
その言葉を床に座り込んだまま、呆然と聞いていたイシュタル神。彼女は、やがて観念したように肩を落とした。
◆◇◆◇◆
一方、春姫が囚われていた別館屋上。
そこでも、暗殺者たちの襲撃があった。
ベルが剣技で春姫の鎖を断ち、気絶する彼女を抱き起こすため近づこうとした瞬間、暗殺者たちが闇夜に乗じて躍り出てきたのだ。
禍々しい黒い刃を持つ短剣で攻撃を仕掛けてくる暗殺者に対し、ベルはとっさに防御へと回った。
すると、その姿を見たベートがベルに向けて叫ぶ。
「気を付けろガキ兎! 敵の武器は『
「『
一瞬で囲まれたベルは、敵の攻撃を盾と鎧で弾きながら、防戦に回る。
すると、黒ずくめに紛れて屋上に躍り出たロングコート姿のヒューマンの女が、ベルの方へと走ってくる。
とっさに、盾を構え、剣での反撃体勢を取るベル。
しかし、女の狙いはベルではなかった。
彼女は、ベルの近くの床に倒れていた春姫を肩に担ぎ上げたのだ。
「!?」
まさかの春姫の奪取に、ベルは兜の下の顔を驚愕に染める。
すると、女はニヤリと笑って、ベルから素早く距離を取った。
「ひひひっ、【イシュタル・ファミリア】、ようやく隙を見せたなぁ~。秘密兵器、貰い受けるぜぇ」
春姫を担ぎながら、女が言う。さらにその女は、『殺生石』らしき宝珠が柄頭に嵌まった儀式用の長剣も確保していた。
その女の姿を見たベートが、暗殺者の『呪武具』をメタルブーツで弾きながら、叫ぶ。
「『闇派閥』のクソ女か!」
そう、この女は、『闇派閥の残党』。その幹部である、ヴァレッタ・グレーデという者であった。
ベートにとっては、不倶戴天の敵。このヴァレッタこそ、リーネを始めとする【ロキ・ファミリア】の団員たちを『人造迷宮』にて殺害した主犯であった。【ステイタス】は『Lv.5』。第一級冒険者に相当する実力者だ。
「まさかの拾い物だぜぇ。漁夫の利ってヤツかぁ?」
ヴァレッタはそう笑い……その場で身をひるがえし、逃亡を開始した。
「!?」
素早い相手の判断に、ベルは驚きつつもそれを追おうとする。
当然、彼を囲んでいた暗殺者がそれを止めようとするが、ベルはそれを一太刀で斬り伏せた。
さらに、春姫を担ぐヴァレッタに剣を向けようとするベルだが、ヴァレッタは肩の春姫を盾のように構えて、ベルを牽制する。
そして、ヴァレッタは言う。
「ひひひひひっ、いいのかぁ? 暗殺者どもは、ここにいるやつらだけじゃねえ。テメェらの主神のところにも向かっているぞ?」
その言葉に、ベルは動揺を隠せずに剣を止めてしまう。
その隙を突くように、春姫を抱えたヴァレッタは三十階以上の高さがある屋上から
「何やってやがる、雑魚兎ッ!」
ベートは叫び、行く手をさえぎる暗殺者を全て薙ぎ倒して屋上から飛び降りる。
それを追うようにして、暴風をまとったアイズが、暗殺者を跳ね飛ばしながら屋上から身を投げた。
すぐさまハッとなったベルは、その二人を追って跳躍した。
春姫を救出するために、別館の壁面から飛び出た窓などの突起を使って勢いを殺しながら地面に降りて、走り出すベル。
それを上から見ていたアイシャは、瞬時に自分は三人の速力に追いつけないと判断し、彼らが全滅させた暗殺者の捕縛のために屋上へと残った。
そこからは、地上にて逃げる者と追う者の二つに分かれての追跡劇となった。
春姫を担ぐヴァレッタの逃げる先。そこは、『歓楽街』と同じオラリオ南東部の第三区画に存在する場所。
無秩序に建物が建つ地上の迷宮であり、貧民の住む住宅街でもある、『ダイダロス通り』と呼ばれる混沌とした地区であった。